幼馴染だから、わかってくれるだろう?
「セドリック様が、また?」
婚約者からの手紙を受け取ったマーサの声が硬くなった。
エレノアの二十歳の誕生日を祝う夜会は、あと一時間で始まる。
広間には花が飾られ、招待客も集まりつつある。なのに、エスコートするはずの婚約者だけがまだ来ていない。
手紙にはいつもの文面があった。
『すまない。リリアーヌの家で問題が起きたようだ。彼女の父上が体調を崩されて、話し相手が必要らしい。少し遅れて向かう』
差出人の名前も理由も、毎回少しずつ違う。
けれど結末はいつも同じだ。幼馴染のために、婚約者は遅れる。
今夜で、何度目だろうか。
エレノアは手紙を丁寧に畳んだ。
「幼馴染だもの。家族のようなものでしょう。放っておけないのは仕方ないわ」
口にしてから、その台詞がもう何十回目かの繰り返しだと気づいた。
鏡の前で、エレノアは襟元を直した。
「お嬢様、お美しいですわ」
マーサの言葉に、エレノアは小さく笑った。だが手の中の手紙は、まだドレスの上に置かれたままだった。
広間に降りると、招待客たちはすでに歓談を始めていた。
エレノアは一人でその輪の中心に立ち、笑顔を作って挨拶を交わした。
「婚約者殿は」
そう聞かれるたびに、「所用で少し遅れております」と答える。
何度目かのその答えに、自分の声が薄い紙のように軽くなっていくのを感じた。
セドリックが姿を見せたのは、宴もたけなわを過ぎた頃だった。
息を切らして駆け込んできた彼は、エレノアの前に立つと申し訳なさそうに眉を下げる。
「本当にすまない、エレノア。リリアーヌのお父上が心配で、なかなか離れられなくて」
「大丈夫よ。お義父様のご容体は?」
「落ち着いたよ。……君はいつも、こういうとき怒らないな。ありがたいよ、本当に」
エレノアは笑みを返した。
怒らないのではない。怒っていいのかどうか、自分でも分からないだけだ。
セドリックはそのことに気づいていない。
宴が終わり、客を見送ったあと、エレノアは自室の窓辺に立った。
今日のことを、また「仕方のないこと」として胸の内にしまい込もうとする。
だが今夜は、しまう場所がもう随分と狭くなっている気がした。
そこへマーサが控えめに声をかけてきた。
「お嬢様。先ほど、旦那様宛てに北方から書状が届いたそうです。差出人は……ヴォルグレイブ辺境伯様とのことで」
エレノアは記憶をたどった。母方の遠縁にあたる、北の辺境を治める貴族。会ったことは一度もない。父が時折その名を口にしていたのを覚えているだけだ。
「辺境伯様が、うちに何のご用かしら」
「詳しいことは存じませんが……近々、旦那様に直接お話があるとか」
エレノアの胸の奥が、小さくざわついた。
今夜の失望とは違う種類の予感だった。
雲の切れ間から、月がのぞいていた。




