4.『他人の家/他人の人生』
アルスの目覚めは、優し気な声のよってもたらされた。
「起きなさい。起きなさい、私の可愛いアルス」
優しい女性の声に目を覚ますと、昨日と同じ天井。そして、オーロラの優し気な瞳。
「おは、よう」
自然と、その言葉が出ていた。
「うん、顔色も悪くない。自分で起きて、お着替えも出来るかしら」
「大丈夫だと思う、オーロラさ――」
『お婆様!』
内なる声が鋭く訂正する。慌ててアルスも言いなおした。
「オーロラお婆様」
「よかった。それなら、あそこに置いてある服に着替えたら、食堂まで来れる?」
「わかりました」
オーロラは満足げに微笑むと、扉をゆっくり開けて出ていった。
閉じら扉の先からは、静かな足音が続いている。
「……ふう」
『まったく、呼び名くらい気を付けなさいよ』
「うん、気を付ける」
『はいはい。分かったならさっさと着替えて下に行きましょう』
促されて、アルスはベッドから下りる。
(腕も足も、昨日よりずっとスムーズに動く気がする)
他人の身体だと言うのに、肉体は問題なく動かすことができる。だけど、どこか馴染まない違和感が在るのも事実だった。
(でも、今は気にしないでおこう)
僅かな不快感を胸の奥に押し込めると、服を手に取る。
若草色の上着に日向色のスカート。シンプルだけどしっかりとした造りで、肌触りもふわふわしている。
「なんだろう……初めて着る筈なのに、なんだか馴染があるみたい」
『そりゃそうよ、だって、アタシのお気に入りだもん』
「そっか……もしかして、体は覚えてるのかな」
事実、慣れた様子で袖を通して整える。
着替え終わって鏡の前に立つと、そこに居たのは小さな少女。
金色のふわふわの髪に、蒼い瞳の利発そうな顔立ち。だけど表情だけは乏しい。
「……なんだか、今までの自分と違う姿があるのが、不思議だな」
『なんか分かるかも。でも、文句は許さないわよ』
「そんなことないよ、こんな可愛い子、めったに居ないよ」
内なる声が僅かに噴き出した。
『何それ、自画自賛なの?』
「そうかな? どうなんだろう……」
『あ、アタシも悪い気はしませんけど~』
◆◆◆
部屋を出ると、古びた廊下が広がっている。
板張りの廊下は部屋の中と同じようによく掃除されていて、目立つゴミはない。
アルスは扉を閉める。すると、ドアにかけられたネームプレートが見えた。
『アルス』
自分の名前なのに、他人の名前。そんな不思議な名前が躍っている。
『さ、早く生きましょう。お婆様が待っているわ』
「そうだね、行こう」
一歩前に踏み出すと、ちょうど鼻に温かい香りが届いた。
ミルクの混ざったシチューの香り。優しい優しい匂いがすると、アルスのお腹の虫が鳴いた。
◆◆◆
『食堂は階段を下りて二つ目の扉。さ、歩いて歩いて』
内なる声に案内をされて館を歩く。
知らない光景が広がっているけど、どこか驚きはない。
まるで、知っているかのような感覚がある。
階段を下りて廊下を歩く。
指定された扉を開けると、4人はかけられる大きなテーブルの上には、パンとシチューが用意されていた。
「ふふ、すっかり元気になったみたいね。髪もお顔も綺麗よ」
ひょっこりとオーロラが顔をだすと、皺だらけの顔を嬉しそうに崩す。
だが、アルスの興味は違った。
「……美味しそう……」
漂ってくる優し気な香りと、温かい料理。
もう、それにすっかり興味を奪われていた。
「ふふ、大丈夫よ、朝ごはんは逃げたりしないから、落ち着いて食べましょう」
「う、うん……ごめんなさい」
見透かされたのが恥ずかしくて、思わず謝ってしまう。
「大丈夫。だって、ずっとちゃんとしたご飯を食べてなかったものね。今日は、ちゃんと食べなさいな」
アルスが転生するよりも、数日前から食事はとれていなかった。じつに、数日ぶりのしっかりとした食事なのだから無理はない、と言う。
アルスはオーロラに言われて手を洗うと、改めて食卓につく。
「今日も、風と大地の恵みに感謝をしましょう……」
オーロラは目を閉じて感謝の言葉を紡ぐ。アルスも見よう見まねで同じようにする。
「それでは、いただきます」
「いただきます」
挨拶をして食事が始まる。
スプーンを手に取ってシチューをすくう。
口の傍にまでもってくると、ミルクと肉の濃厚な香りが鼻をくすぐり、思わず涎をのみ込んだ。
口に含むと、旨味が一瞬で広がっていく。ミルクの優し気な香りと甘さが肉と根菜を包み込み、幸福が広がっていく。
「おい、しい」
『当然よ、お婆様がつくるシチューは、世界でいっちばんなんだから!」
――うん、そう思うよ。
『でしょでしょ!』
その時、口から言葉を発さずとも二人は意思の疎通が出来た。
だが、食事に夢中で気が付くことはなかった。
必死に食事を続ける様を、オーロラは優し気に見守る。
(こんな幸福な食事、いつ以来だろう……)
おしいと感じたのは、いつ以来だったろう。もうそれを思い出すことも、朽ちた少女には出来ない。
暖かな食事に、優しい保護者。
穏やかな気候に、安心して眠れる家。
それが、ここにあった。
(でも……)
だが、それは――
(この食事は、『アルス』のために用意されたものなんだ……)
本来、誰かのものであることを、彼女は知っていた。
どうしても拭いきれない違和感が、心の中にたまっていった。