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異世界ダイナー 異世界に赤と黄色のハンバーガーチェーンが出店してきて僕の店がヤバい  作者: ヤマモトユウスケ@#壊れた地球の歩き方 発売中!


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完全無欠のパーフェクトフード 3-2


 僕らは毎日ダイナーを営業した。せっかく屋台も評判になったので、昼営業と夜営業の間の時間、用事もなく、天気がいい日に限って『名無し』を売って回ったりもした。

「……しかし、前日になるまで営業し続けるとはなぁ」

 テックさんはランチの日替わりハンバーガー(今日はチーズソースを二種類使った贅沢なバーガーだ)を豪快にかじりながら、呆れたように言った。

「明日なんだろ? 妹さんが迎えに来るの」

「なんなら明日も営業するつもりですよ」

「へぇ。そんじゃあ、政略結婚がどうとかいろいろ、解決したってことか」

「してません」

「ダメじゃねえか」

 そういわれると、そうなんだけど。

「……まあ、手は尽くした――といいますか。明日、ジーンと話して、ちゃんと謝って……それで、許してもらうというか、わかってもらうというか。とにかく、正面から妹に向き合って、それでもダメなら延長戦です」

「延長戦……って、なにか策があるのか」

「シャルワ家へ行ってすぐ結婚するわけじゃないですから。たぶん、顔見せだったり交流だったり向こうの文化の勉強だったり、そういう下積みが一年ほどはあるはずなので、その間になんとかシャルワ家のほうを説得する……とか」

「なんとか説得――なるほどな。要するに行き当たりばったりの無策ってことか」

 そういわれると、そうなんだけど。

 テックさんはハンバーガーの最後のひとくちを頬張って、付け合わせのポテトをプレートにこぼれたチーズソースにディップしながら、半目で言った。

「この五日間、毎日昼をここで食ってる理由、わかるか?」

「……なんでです?」

「毎日さ、『明日からはもう開いてないかもしれん』と思って来てんだよ、こっちはよ。それなのに、おまえ、毎日店開けて、明日も開けるっつーんだから、調子狂うぜ」

 テックさんはチーズにまみれたポテトを数本まとめて口に放り込む。

「なんならおまえ、帝都に帰ってきてから一度も店を閉めずにやってやがる。屋台で晩餐会行ってたときはプリムがひとりでやってただろ? でもよ、普通はこういうゴタゴタがあるときって、店閉めるもんだろ」

 言われて、ふと気づく。たしかに――一度も休まなかった。休む、という選択肢がそもそも浮かばなかったのだ。プリムと一緒に、毎日ダイナーを営業するのが――きらきらするのが、楽しくて仕方なかったんだろう。お気に入りのおもちゃを手放せない子供みたいに。

「……たしかに、休んでもよかったのかもしれませんね。いや、なかなか大人にはなれませんね」

 僕が大人だったならば、もっといろいろなことをうまくやれていたのかな、と思う。そんなアンニュイな僕を、テックさんは鼻で笑った。

「あのなぁ、マリウス。いいか? おれだって子供だぜ。もう四十絡みのいい歳した大人なはずがよ、新しい屋台だとか、美味い飯だとか、そういうもんにぶつかると途端にガキになっちまう。そんでもって、ガキじみたこだわりが必要な仕事だってあるんだ。大人だ、子供だ、なんてのはよ、結局――どっちでもいいんだ」

「ど――どっちでもいい?」

「おう。……まあ、おれが言えたセリフじゃねえけどな。ジェビィ爺さんを見てみろ。あいつは頼りになる大人だけど、だれよりも子供っぽいところもある。パンに対するこだわりだとか、弟子を取ることをしり込みしちまう臆病さとか。でも、それが良さなんだよ」

「……でも、やっぱり大人として責任感を持つことは大事じゃないですか?」

「バッカ、おめえよ」

 テックさんは最後のポテトで入念にプレートのチーズソースを拭いながら――それこそ子供みたいに――言った。

「子供のまま、責任感持てばいいじゃねえか。いい大人なんて言葉に惑わされんな。使い分けりゃいいんだよ、いい大人な自分といい子供な自分を」

 そんなことをあまりにも無責任に言い放つものだから、僕は思わず笑ってしまった。なんだそれ。でも、少し気持ちが楽になった。

「テックさんは悪い大人で、悪い子供ですね」

「五年前からずっとそうだろ?」

 それは言えてる。

「なあ、マリウス。おまえ、明日も開けるんだろ?」

「え? はい」

「明後日は?」

 少し真面目な顔で聞かれる。明日、もし連れていかれたら――明後日はどうなるだろう。わからないけど、でも、僕はなにも考えずに言うことにした。無責任に。悪い大人だ。

「開けますよ、もちろん。また来てくださいね」

 テックさんは豪快に笑った。


 ――そして、約束の日を迎えた。

 馬車を外に待たせて、黒髪黒目の女貴族、アントワーヌ家当主にして我が妹、ジーン・アントワーヌが店内に入る。からん、とベルが鳴る。

「……お兄様。ご準備はよろしいですの?」

「うん。もともと料理道具以外は大して物を持ってないし、もしシャルワ家に行くなら料理道具は置いていくから、着の身着のまま――って感じ」

 ジーンは僕のとなりにいるプリムをちらりと見た。

「では――プリムさんは?」

「あたしはこの店にいるよ。もし、マリウスがシャルワ家に行くとしてもね」

 だけど、とプリムは言った。

「まずはさ。ジーンちゃん、ちょっと食事でもしない?」

 ジーンの顔が露骨に曇る。それはそうだ、味を感じない自分を誘うなんて――と、彼女は思っていることだろう。だけど、だからこそ、僕らは彼女をテーブルに誘った。

「おもしろいものを用意したんだ。今日のために」

「……では、お兄様は答えを見せてくださるのですね?」

 僕は彼女の瞳をまっすぐ見つめる。

「正直、わからない。これがジーンに対して、答えになるかどうか」

「お兄様は今日という日に至っても、ふわふわしておりますのね」

 苦笑する。一切否定できないや。

「うん。僕はふわふわしてる。だから、ジーンが決めてほしい。ジーンに食べてほしいんだ」

 用意していたものを、魔冷庫から取り出す。昨夜遅くに、レイチェルがソーマ粉を持ってきてくれた。それからジェビィ氏とダフネに頼んで、特別に大急ぎで作ってもらったもの。

 茶褐色の丸いパンだ。

 それを上下半分に割って、卵液に漬けてある。

「……『名無し』ですの? それならもう食べたことが――」

「まあまあ、いいから一緒に食べようよ」

 プリムがダフネをカウンターに案内し、座らせる。

 僕はそのパンをバターで焼いて、リンゴは挟まずにただのフレンチトーストをみっつ作った。

「いただきます」

「いっただっきまーすっ」

「……では、いただきますの」

 ――そう。一か月前、ちょうどこの三人で、同じようにバーガーを食べた。あのとき、もうすでにジーンは味覚を失っていた。僕はそれに気づかず……ジーンの苦悩に気づかずに、いた。

 特製『名無し』を噛む。パンがいつもより少し硬い。混ぜ物をしてあるからだ。素朴な卵の味と、パンの味が広がる。

「……味、しない?」

 と、プリムが伺うように聞いた。

「……ええ。しませんの」

 ジーンは珍しく苛立つように言った。

「なんなのです? これが、いったいなんの答えになるというのです――!?」

 うん。答えには、ならないだろう。

 声を荒げたジーンに、プリムは優しく笑って言った。

「あたしのも、あんまり美味しくない」

「――はい?」

「僕のもだ。素材の味はするから、美味しくなくはないけど、圧倒的に物足りないね、これは」

 苦笑する。

「で、でもお兄様の作った『名無し』は大盛況で、貴族でさえ虜にする甘味だと――」

 そこで、ジーンはハッと何かに気づいた。

「……味を、つけていないのですね?」

「うん。砂糖を抜いてある」

 もうひとくちかじる。パンは美味しいけれど、卵液に砂糖が入っていないので、甘さがなく――非常に物足りない。パンをそのまま食べたほうが美味しいんじゃないか、と思うくらいだ。

「それでも、僕たちは感じるんだ。パンの味、たまごの味、牛乳の味、バターの味……いろいろ、ね」

「……なにか勘違いしていらっしゃるかもしれませんけれど、わたくしはその素材の味も感じませんの。だから――その美味しさに、意味はありません」

「うん。そうだね。そうかもしれない」

 素直に受け取る。それから僕は、魔冷庫においてあるものを取り出した。瓶に詰められた黄色いもの。プリンだ。

「いいかな? これも、試してもらって」

 聞いても、ジーンは無言だった。僕はプリムに目配せして、プリンをカウンターに置いた。

「開けるよ?」

 栓を抜く。

 ――ぶわり、と。

 空気が変わる。

 ジーンが少し驚いた顔をしているので、成功なのだろう。

「あの、これは――シナモンの香りですの?」

「そう。プリンに、けっこう強めに入れてある」

 瓶はみっつだ。こちらもみんなで食べる。ひとさじ食べれば、砂糖を抜いていないので、とろりとした冷たい甘味が舌で踊る。それと同時にシナモンの香りが口いっぱいに広がった。

「……こっちはさ、ちゃんと味がついてるんだけど。ジーンは、どっちがよかった?」

「どっちが、って……」

「味付けしてない『名無し』と、シナモンプリン。どっちが好き?」

「――だから、それにどんな意味がありますの?」

「わからない。言った通りだよ。意味があるかは、ジーンが決めることだから」

 まっすぐに、告げる。ジーンは眉をひそめながらも、

「なら、プリンですの。どちらも味はしませんけれど、シナモンの香りは感じますから、プリンのほうがまだ食べやすいですの」

 よし。やっぱり、思った通りだ。――ジーンの味覚は消えても、嗅覚までは消えていない。一か月前、一緒にハンバーガーを食べたときも、プリム特製ホットソースの風味はちゃんと感じていたから、そうじゃないかと思っていたのだ。

 だから、僕はこのふたつを用意した。

「じゃあさ、ジーン。ジーンにとってはどちらも味がないものだけど、香りがあるぶん、シナモンプリンのほうが『意味がある』って思えたりするのかな?」

「それは――まあ、そうですわね。美味しさの意味はわかりませんけれど、このふたつならプリンのほうがマシですの」

 わざわざソーマ粉を手に入れてまで、作る必要があったもの。

「……実はね、ジーン。こっちの『名無し』のパンには、ソーマ粉が含まれているんだ」

「――はい? ソーマ粉が……?」

「うん。まあいろいろ事情があって……マリウス・アントワーヌの名前で、ナラム地域からソーマ粉の輸入の契約を請け負ったんだ。輸送自体はレイチェル・タイムをお願いして、僕は流通のバランスが崩れないように監視を――って、まあ細かい話はいまじゃなくていいや」

 それはともかく、いまこの場において大事なのは。

「僕には美味しさの意味なんて、わからない。そんな大層なことを考えながら生きてないから。――ホント、能天気でバカな兄貴だよね」

 唇を湿らせる。言葉を紡ぐ。僕たちはわかりあえない。人間は自分のことすらわからない――。

「僕らはさ。食べるために生きてるわけじゃない――生きるために食べている。それはそうだと思う。だから必要以上に美味しくある意味はないかもしれない」

 だけどね、と一言挟む。ソーマとプリン。この二つは、ある意味で極点を対比しているようなモノだ。

 生きるために必要な栄養を突き詰めたソーマバーと、デザートとして昇華されたカスタードプリン。僕はそのどちらもを否定できない。――そのどちらもが、どちらかを否定するためにあるわけじゃない。どちらにも、それを必要とするひとがいる。意味なんて、それで充分なのかもしれない。

「だけど、僕はこうも言うよ。僕らは決して死なないためだけに生きているわけじゃなんだって。死なないためだけに食べているわけじゃないんだ、って。生きることは食べることだ。だけど、生きることと死なないことはイコールじゃない」

 貴族として責任を果たし続けるジーンと、責任を放って趣味を追い求めた僕。ジーンと僕も、アントワーヌ家の中では極点同士かもしれないなんてことを、ふと思った。

 あの夜、庭園で言えなかった言葉。なんと伝えるべきか、はたして僕のような半端者がそんな偉そうなことを言ってもいいものかと悩んでいた。だけど、結局、その悩みは逃げなのだ。準備なんていつまで経っても終わらない。頭の中で考えていることを。心が感じ取ったことを。へたくそでも、言葉にして伝えるしかない。僕らは家族で、兄妹で、だけどどうしようもなく他人なのだ。僕の心はジーンには伝わらないし、ジーンの心も僕には伝わらない。

 ひとつひとつ、頭で考えたことと、心が感じたことを言葉にして。

 へたくそでも、必死に伝えるしか、ない。

「生きるってことは、もっとたくさんの意味を持つんじゃないかなって思う。――ううん、もっとたくさんの意味を持たせてもいいんじゃないか、って思うんだ。それは例えば、楽しいとか、嬉しいとか、そういう意味を」

 楽観しすぎかもしれない。優しさではなく、ただの甘い考えかもしれない。世界は楽園じゃない。僕だって知っている。だけど、僕は世界が楽園であってほしいと思うし、そこには甘さだってあっていいと思う。いいじゃないか、甘くても――スイーツは心を豊かにするんだから。

「ジーン。僕はどうしようもなく悪い兄貴で、許されざる行いをした。――ごめんなさい。僕はキミからたくさんの未来を奪った」

 僕がいなくなったことで、ジーンは貴族として生きる道を選ばざるを得なくなった。僕が貴族として生きていれば、それこそジーンの方が、どこかで料理をしていたかもしれない。味覚を失うこともなく――きらきらと輝きながら。

「ソーマは安定供給されるし、アントワーヌ家ならいくらでも手に入れられるはずだよ。タイム家とアントワーヌ家の連名で、ナラム地域から持ってこれることになったし、卸しはアントワーヌ家が取り仕切るから」

 困ることはない。ジーンの味覚は、きっとそう簡単には戻らない。一生戻らないかも。だけど、それなら――ジーンが一生困ることのないように、せめてソーマくらいは用意してあげたい。僕は料理人で、兄貴だから。妹が食べたいものを食べさせてあげる――その程度のカッコつけは、許してほしい。

「……わたくしの、ために?」

「ソーマは、いまのキミに必要なものだから。罪滅ぼしになんてならないし、いまさら兄貴ぶれる立場じゃないのはわかってるけど、それくらいは――させてほしいんだ」

「お兄様は、ソーマを……完全なる食事を、否定しませんの? わたくしはお兄様を――料理を否定しようとしたのに」

「そうだね。うん。僕は完全食を否定しない。それが必要なひとはたくさんいる――だけど、それと同じように、完全じゃない食事だって――必要なひとはたくさんいる。それだけの話なんだ。それにね、ジーン。僕は絶対にソーマを否定できない」

 ひとつ息を吸って、吐いた。

「――だって、ソーマバーを作ったのは、僕なんだから」

 ここから先は、知る人も少ない事実だ。ジーンが驚いて僕の顔を凝視している。うん、びっくりするよね。

「ナラム地域にたどり着いて、僕はそこでいろいろ料理を作っているうちに、こういう携行食があればいいのにと思って……粉があるなら、硬めに焼いてバーにすればいいかと思って作ったんだ。ナラム地域では、携行食はあんまり研究されていなかったから」

 ただでさえ万能の豆を持つ上に、彼らの土地の精霊は引きこもり推奨派だ。旅のための携行食はほとんど必要なかったし、地域の外に出れば腐る豆は携行食には不向きだと考えられていた。

「ちょうどそのころ、ナラム地域は外貨の獲得を目指していて……だけど、豆はその特性上、輸出できない。どうしようか、と思っていたときに、偶然にも僕がバーを作った」

 タイミングが神がかっていた――もっとも、ソーマは精霊だけど。

「ソーマが僕を気に入ったこともあって……今まで生産されすぎてデッドストックと化していた大量のソーマ粉が、バーとして加工されたものであれば、輸出販売してもいいことになったんだ」

 それは国を超え、海を渡り、流通の波に乗って商人と冒険者に重宝されて、ナラム地域での外貨獲得の一助となった。僕は開発者として智者の称号を受け取り、その後ナラム地域を――なかば逃げる形で――出発し、方々を見物しながら、ものすごく遠回りで二年かけて帝都に帰ってきた。その頃には、帝都にもソーマバーは流通し始めていた――。

「智者として、開発者として……外様の僕に政治に介入する権限はないけれど、ソーマに関しては、ちょっとした発言権くらいならあったからさ」

 あまり公にはできないし、意見を押し通せるほどの強権ではないけれど。

「それに、僕はさ。政治も物流も……わからない。勉強してこなかったから。――勉強する場はいくらでもあったんだけど」

 ノブレス・オブリージュ。本来ならば、僕はわかっていないといけない側だろう。わかってる。もう時は戻せないし、後悔するにはあまりに遅いし、あのときああすればよかったのに……なんて言葉は、プリムや街のみんなに対しての冒涜だ。

 あのときああすることをしなかったから。

 僕はプリムと出会った。

 それを否定なんて、できようはずもない。

 くすりと笑う。――きっと、晩餐会で話したときのシルヴィアも同じ気持ちだったのだろう。否定はしない。後悔も。だけど反省はする――と。

「僕にはわからない。でも、わかるひとがいる。真面目に勉強を続けてきて、信用できて、なによりそれを必要としているひとがいる」

 手を差し出す。取ってくれるかな――不安だけれど、こうすると決めたのだ。だから、言う。

「ジーン。アントワーヌ家当主として、この商談を取り仕切ってほしい」

 一息置く。

「キミが決めるんだ。キミにとって価値があるかどうかは――ジーンにとって意味があるかどうかは、キミが。キミだけが、決められる。僕にはわからない。本質的価値の有無なんて、誰も知らない。だけど、決めることはできる。『これには価値がある』って、自分の中で、自分だけが――決められるんだ」

 言った。僕はもう、なにも言わない。ふと、こちらを見ているプリムと目が合った。ふわりと笑い、プリムは唇だけを小さく動かした。

 ――だいじょうぶ、と。

 プリムが大丈夫だと言ってくれているなら、僕は大丈夫だ。信じて、手の平を出し続ける。

 ジーンは差し出された僕の手をじっと見つめて、ややあって言った。

「……おそらく、帝都を含む経済圏でも有数の強い商品になると思いますの。生産地域が遠いので、小麦に比する、とまではいかないでしょうけれど」

「かもしれないね」

「アントワーヌ家は、お母様が宰相をやっていたころと同等かそれ以上の力を持つかもしれません。いえ、一代の宰相と違い、商売は子孫へと続きます。アントワーヌは大商家貴族へと変わることになりましょう。それを、お兄様ではなくわたくしが取り仕切る、ということは――」

 ジーンが顔を上げ、僕の目を見る。僕は目を逸らさない。

「――お兄様は、またわたくしに責任を押し付けるおつもりですの?」

 これは意地の張り合いだ。

「そうだね。僕はまた、キミに大きな責任を押し付けようとしている。……ごめん」

「あまりにも無責任ですの」

「……ごめん」

「貴族の義務を果たす気がありませんのね」

「……ごめんね」

「兄として、家族としての義務も放棄しておりますの」

「……ごめんなさい」

「というか、根本的にひととしてどうかと思いますの」

「う。……ごめん」

 はあ、とジーンは息を吐く。

「お兄様は――ずるいです」

「うん。ごめん」

「お兄様ばっかり、ずるいです」

「……ほんとに、ごめん」

「お兄様は、わたくしを必要とはしてくださらなかった」

「……ごめん。ごめんなさい」

「わたくしは、ずっと、待っていたのに。お兄様が帰ってくる場所は、わたくしではなく、プリムさんでした」

「……愛してるんだ。プリムのこと」

「わたくしだって、だれかを待ってみたかった。だれかのところに、帰ってみたかった。そんな相手が、欲しかった」

「……うん」

「きらきらしてみたかった。夢を追う輝きに触れてみたかった」

 ジーンは泣きそうに顔をゆがめて、苦笑した。

「振られたのですね、わたくしは。お兄様にも、プリムさんにも」

 気づくと、いつの間にかカウンターから僕のとなりにやってきていたプリムが、深く頭を下げていた。

「ごめん、ジーンちゃん。あたしは――マリウスがすき。いちばん、すき。それだけは譲れない。譲らないことにしたの。だから、ごめんなさい」

 僕も同じように頭を下げる。

「この商談を――僕がプリムと結婚する許可の対価として納めてほしい。身勝手なのはわかってる。子供みたいなわがままだって、わかってる。ジーンには迷惑ばかりかけてきたのも――わかってる」

 だけど。

「僕はプリムの一番で、プリムは僕の一番なんだ。そこに嘘はつけないから――お願いします」

 プリムが僕の手を握った。僕も握り返す。強く、強く。

「僕とプリムの結婚を、認めてほしい」

 言う。頭を下げたまま、待つ。――ただ、待つ。かち、かち、と時計が針を進める音がする。誰もが身じろぎせず、ジーンの答えを待っていた。

「……はあ」

 ジーンは嘆息して、「顔を上げてくださいな」と言った。言われた通りに顔を上げると、ジーンはあきれ顔で泣いていた。

「ほんと、身勝手で、わがままで、そのくせこういうときにはいつも――きらきらしていますのね、お兄様は」

 一息置いて、ジーンは告げた。

「アントワーヌ家当主として、ソーマにまつわる商談の取り仕切りは当家の仕事であると認めます。今後、当家がタイム家と協同して帝国、帝都およびナラム地域にわたる通商に携わりましょう」

「じゃあ――!」

「ですが!」

 ジーンは強く僕らを指さし、真っ赤な目で言った。

「貴族の責任を放棄し、シャルワ家との縁談を自分勝手に断ろうと画策し、あまつさえ平民と結婚しようなどとは、言語道断! わたくしはアントワーヌ家当主として、そんな人のことは認められませんの!」

 そんな――。絶望に堕ちた僕らに、ジーンは強い語調で続けた。

「そんな無責任なひとを家系に置いておくわけにはいきません! わたくしアントワーヌ家当主、ジーン・アントワーヌは――お兄様、マリウス・アントワーヌを勘当し、その姓を没収します! また、貴族として活動することの一切を禁じますわ! これよりは家族としてではなく、ソーマの流通と商品開発に関する顧問として、当家と個別の契約を結びなさい!」

 ――え?

 僕がおずおずとジーンの顔を伺おうとすると、ぷいっと顔を背けられてしまった。

「……ええと、つまり……僕は貴族ではない?」

 答えはない。

「……貴族ではないから、政略結婚の駒にもならない……で、いいんだよね? 貴族としての活動も禁じられているし」

 答えはない。

「……僕、プリムと結婚していいの?」

「ああもう! わたくしにいちいちそんなこと聞かないでください! わたくしはあなたがだれと結婚しようが知ったこっちゃありませんの!」

 ふん、と拗ねたようにそっぽを向くジーンは、見るからに怒っていますという風に腕を組んだ。

「勝手にするがいいですの!」

 僕とプリムは顔を見合わせて、もう一度頭を深く下げた。

「――ありがとう。ありがとう、ジーン……!」

 涙が零れ落ちて、机に染みを作った。ぽつりとジーンが言った。

「……でも、結婚式には呼んでほしいですの。ちゃんと、プリムさんがきれいなドレスを着て、いままでで一番きらきらしているところを見せてくれないと、許しませんの」

 ふふ、とプリムが震える声で笑った。彼女もまた涙を流しているのだと知った。

「うん、絶対呼ぶね。ジーンちゃん」

 あたしのきらきらを見せてあげる、とプリムは喜色を含んだ涙声で言った。



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