完全無欠のパーフェクトフード 2-5
立食晩餐会は、貴族の庭園と邸宅のホールを使った、大々的なものだった。僕ら屋台組は予想通り庭園に配置された。合計三台の屋台が庭園に並び、そのうち二台は僕とハーマンのもの。残る一台は、川魚をフライにして提供する屋台だ。うまそうなのであとで買う。
「私、ここにいていいのでしょうか。場違いではないですか?」
こざっぱりしたエプロンを身に着けたダフネがぼやく。僕が屋台につきっきりでいるとシルヴィアを探せないので、お願いしてついてきてもらったのだ。――屋台を離れるから店番が必要だ、と気づいたのは今日の昼である。なんとも締まらない僕たちらしさだ。
「屋台の店番をする、としか聞いていなかったのですが。まさかぶっつけ本番でお貴族様の晩餐会の日に呼ばれるとは……あらかじめそう言ってほしかったです」
「あれ、言ってなかったっけ」
多少ぼやきつつも、少女はまじめに調理器具の場所をチェックしたり、屋台備え付けの小さな鉄板の操作を再確認している。
「店番中は、私が料理していいのですね?」
「あ、うん。……ごめんね? いきなり難しいことお願いしちゃって」
「いえ。以前、言いましたが……私も屋台には興味があったので、いい機会です。料金も前払いで在庫分すべてをいただいているのですよね?」
「そう。だから、ダフネは『名無し』を焼いて渡してあげるだけでいいよ」
「なら、大丈夫です。よそ様の屋台でお貴族様相手にお金の遣り取りをする勇気はさすがにありませんが――その心配がないのなら、問題なく接客できます」
ただし、とダフネはいつもの無表情で僕を見た。
「笑顔の接客は諦めてください。――私、笑うのが苦手なので」
「……そうなんだ」
そうだろうな、とは思っていたけれど。なにか深い理由があるのかもしれないので、深くは聞かないことにした。
夕方の六時から夜の十一時まで、五時間にもおよぶ立食晩餐会だ。さすがにずっと屋台から離れているつもりはないけれど、自由に動き回れる時間はせいぜい半分の二時間半と考えたほうがいいだろう。あまりうろつきすぎると見回りの衛士に怪しまれるだろうし。シルヴィアのほうから屋台に来てくれたら一番楽なんだけれども、そううまくはいかないだろう。家格から考えて、テーブルに並んだ料理も、こうやって屋台で焼かれている料理も、基本的には従者がとりに来ることになるだろう。直接顔を合わせて話すためには、僕から動いて母を見つけるしかない。広い屋敷なので――それこそ、アントワーヌ家の屋敷より倍近くは広い――ある程度、母がいそうな場所にアタリをつけて動かなきゃならない。
最初の一時間はダフネについて『名無し』を販売することにした。おおむね予想通り、従者や騎士が貴族のお使いとして買いに来るパターンが多かった。貴族の幼い子息、子女たちが集まってやってきて、「あまーい!」「毎食これがいい!」「変な髭!」と言いつつ、ふたつもみっつも食べようとするのには慌てたけれど。
「お坊ちゃま、お嬢様がた、ここで食べすぎると、ほかのものが食べられなくなりますよ。あと変な髭じゃないです、これはダンディな髭です」
「いえ、シェフ。――それは変な髭です」
「おねえちゃんもそう思うよね! 変な髭だ―!」
ダフネにまで変と言われると、さすがに自信がなくなってくる。子女たちは「ほかのも食べておなか一杯にならなかったらまた来るね!」と元気に走っていった。
「……そんなに変?」
「とても」
とてもかー。
「普段のシェフとは別人に見えます」
「……それならいいや」
変装として用をなしているならば、それでいい。ダフネに屋台を任せて、僕はこっそりと晩餐会の中に身を投じた。
庭園はひとが多い――使用人や従者がひっきりなしに行きかっているし、衛士も多い。大きくあけられた扉から屋敷のホールを覗くと、白い布がかけられた長机がいくつも並べられ、その上には豪勢な料理がぎゅうぎゅう詰めに並んでいる。立食形式だけあって、種類も量もけた違いだ。これ、終わったあとにどれくらいの量が廃棄されるんだろうか――考えるだけで少し嫌な気分になる。
首を伸ばしてホール内を覗いていると、扉の横に立っている衛士が、「そこの変な髭」と鷹揚に言った。僕のことらしい。さすがに中には入れないか――。
「あ、すいません。すぐに――」
「トイレなら中に入って右の細い通路だ。従業員用と貴族様用は別だから、間違えるなよ」
入れた。警備がザル……と思わなくもないけれど、これだけ衛士が多いのだ、なにかあってもすぐ対応できるという自信の表れなのかもしれない。
この機会を逃す理由はないので、僕はありがたく中に入り、テーブルに置いてあった銀色のトレイを手に持った。白いシャツとエプロンだから、給仕に見えるだろう――できれば蝶ネクタイもあればよかった。明日から用意してこよう。意気揚々と歩きつつ、こっそりテーブルの料理を二、三拝借する。小さな海老の頭としっぽを取って殻を剥き、身だけを並べた皿があったのには驚いた。海からわざわざ運んできたのか――相当金がかかっているらしい。レイチェルの運送関係が噛んでいそうな雰囲気はある。
「――そこの給仕さん。少しよろしいですか」
と、つまみ食い中に呼び止められたのでびっくりして少しむせてしまった。あわてて唾を飲み、無理やり呼吸を整える。
「はい、なんで――」
――しょう、という言葉は続かなかった。蝶ネクタイは、やっぱり用意しなくてもいいかもしれない。なんという僥倖か――あるいは仕組まれた偶然か。
僕を呼び止めたのは、シルヴィア・アントワーヌその人だったのだ。
母は僕を見て、扇を広げて口元に当てた。そして、少し目を逸らして肩を震わし――え、笑ってる? 抑えきれないとばかりに控えめな笑い声さえ上げつつ、母が――あの鉄面皮が……笑っている?
「……あの、どうされまし、た……?」
ワライダケでも料理の中に紛れ込んでいたのか? いちおう毒キノコなので、治癒術師を呼ばなければ――と軽く焦りつつあった僕の顔を指さし、母は言った。
「……ふ、ふふ……似合わないにもほどがある……!」
わかった、もう絶対一生髭は伸ばさない。
背中を見ただけで僕だとわかった、と母は事も無げに言った。
「それだけに――顔を見て驚きました。……ふふ、ああおかしい」
「そんなに似合ってないですか……」
「ええ。夫も――あなたのお父様も若いころに一時期伸ばしていたのですが、それも似合っていなかった。遺伝でしょうね」
彼女に案内され、小さな迎賓用の部屋に通された。アントワーヌ家のために用意された、休憩や衣装直しのための部屋らしい。いつの間にかそばにスラックマンが立っていて、「ご無沙汰しております」と頭を下げた。本当だよ、と思って軽くにらみつけたけれど、スラックマンはなんでもない表情で受け流した。
「さて」
とシルヴィアは一言置いた。
「聞きたいことがたくさんあるとは思いますが、まずは――そうですね。おかえりなさい、と言っておきましょう。会えてうれしいですよ、マリウス」
「……会えてうれしい、って」
母は微笑すら湛えて言う。けれど――けれど、だ。
「アンタが……アンタが、僕を締めだしたんだろう!? 門前払いをして、スラックマンからのアポも取り消して!」
「坊ちゃま、これには理由が――」
「いいのです、スラックマン。マリウスの怒りはもっともです」
ふう、と息を吐いて、母は近くの椅子に腰かけた。その所作は、僕の知っているお堅い財務大臣のものではなく、歳を重ねた女性のもので――僕はなんだか気勢を削がれてしまった。
「……政治の場を引退し、家督を譲ってから――どうも、疲れやすくなりまして。老いを感じずにはいられませんね。近頃はひどく感傷的な日も多い」
「……感傷? アンタが?」
「ええ。わたくしも、このような感情を抱くようになるとは、思ってもおりませんでした。わたくしは生まれてから死ぬまで、貴族として凛と生き続けるのだ、と思っておりましたから――こう言ってはなんですが、アントワーヌ家は代々、家庭を顧みない一族です。わたくしも、あなたも。これも遺伝ですね」
薄く笑う。
「こうして引退して初めて、己がどれほど家族を疎かにしてきたか――実感するのです。あなたたち兄妹にはひどいことをした。もっといい関係でいられたかもしれないと――そう思うのです。お父様が領地からあなたを帝都に寄越したときに、もっとあなたと話していればどうなっていただろう、と」
「……後悔していますか?」
これは、いま聞きたいことではないけれど――つい、聞いてしまった。
「あなたは家庭より政治を取ったことを……後悔していますか?」
「いいえ」
即答だった。
「貴族としてすべきことをした――それに悔いはありません。母としてすべきことができたかどうか、という話です」
「それなら、安心しました。いえ、安心というのもおかしな話なんですけど、その」
どう伝えたらいいのだろう。言いよどむ。なんと言えばいいのだろう。僕にはノブレス・オブリージュもなにもわからないけれど、レイチェルと母がギルドを壊したのは、ハーマンやカシ村の村民のような、どうしようもない袋小路にいるひとびとに、正しく富を再分配するためなのだと、いまは理解している。母が貴族や商人たちの既得権益を崩す政策を打ち出したのは、そのためなのだと。それによって持っていたものがなくなった人もいるけれど――例えばテックさんは、いろいろな事業に手を出して、日々忙しそうに、楽しそうにしている。ギルドがあったころよりも、ワクワクしているように見えた。
だから、きっと五年前はそれでよかったんだと、いまなら思える。
「……五年前。あなたが行ったことを、僕は誇りに思います」
「――そうですか」
母は扇を広げて、顔を隠すように額に当てた。ウッウッとすすり泣く声がする。シルヴィア・アントワーヌ……いや、母さん……!
「坊ちゃま、立派になられて……ウッウッ」
泣いていたのはスラックマンだった。母はすっと扇を戻した。泣いてはいなかった。――ジーンとくらいは、してもらえたかもしれないけどね。
「……ですが、誇りに思うからこそ、お聞きしたい――なぜです? なぜ、いまさら僕に嫌がらせのような真似を? 僕がプリムと――平民と結ばれるのは、そんなにお嫌ですか?」
どうしても棘を含んでしまう僕の言葉に、しかし、「――やはり」とシルヴィアは意味深に呟いた。
「マリウス、あなたはまだ気づいていなかったのですね」
「――は?」
気づいていない……って、なにが?
「この晩餐会にも、私を問いただすために来たのでしょう?」
すっ、と母は立ち上がった。
「今さら母親面をする気はありませんが、あなたが願った相手と結ばれて、わたくしになんの不都合がありましょうか。ましてや、わたくしはあなたの勘当を解除しておりません。いいですか? ――いまのわたくしにはその権限がありません」
権限が……ない? そんなわけがない、だってシルヴィア・アントワーヌは引退したとはいえ”鋼の法”の宰相で、アントワーヌ家の代表で……いや。違う。
ざわ、と肌がざわつく感触を得た。思考の下のほうで、僕はなにかに気づいた――気づきたくないことがあると、気づいた。気づくための材料はとっくに揃っていたのに、認めたくなくて――蓋をしていたことがあると。
『私は主からマリウス様を――お兄様をこの屋敷に入れるな、と命じられただけです』
衛士は言った。お兄様と言ったのだ。坊ちゃまではなく、お兄様と。おそらく、主がそう言ったから、そのまま僕に伝えたのだ。
母はもう、家督を譲っている。勘当していたバカ息子ではなく、きちんと育ったひとりの娘に。だから、いま僕の勘当を解除する権限を持つものは、つまり。
「マリウス。わたくしが言えた義理ではありませんが――あなたはまた、通すべき筋を間違えている。ひとり、敵にしやすいひとを敵だと見据えて行動するのは楽でしょう? ですが……それは物事を簡単にしようとする、あなたの悪い癖です。絡み合った糸を断ち切っても、後に残るのは糸くずだけ。元の形に戻したり、違う形に結びなおしたりしたいのであれば、一本一本辿り、ほどいていくしかないのです。……この悪癖はあなたに限った話ではありませんが」
嘆息し、母は少し笑った。まるで自嘲するような、ひどく似合わない笑みだった。
「言ったでしょう? あなたたち兄妹にはひどいことをした――と」
それは、直接言いはしないけれど――あまりにも決定的な答えだった。ごくり、と唾を飲む音が聞こえた。僕の喉から鳴ったのだ、と気づくのに数秒かかった。視界に映るものが、みんな遠くのものみたいに歪んで見える。動悸が激しい――。
「で、では……僕の勘当を解除し、政略の道具にしようとしたり、プリムとの仲を阻もうと嫌がらせをしているのは……」
そんな、まさか。
ぽややんとした表情の、温和な子だ。だれかに嫌がらせをしたりとか、そんなことは一切しない――心優しい女の子。
しかし、それならば――すべてのつじつまが合う。スラックマンのアポが通らなかったことも、「主の命」により僕を阻んでいた門番も。シルヴィアに会おうとしていた僕の方が間違っていた――相手を間違えていた。
確信を持ちつつも、それでも最後まで言い切れずにいる僕をまっすぐ見つめ、母は言った。ヘタレな僕に引導を渡すように。あるいはそれは、母が自分自身へ渡した引導だったのかもしれない。――頭がくらくらする。倒れてしまいそうだ。
「そうです。あなたを勘当から引き戻し、隣国の貴族への貢物に仕立て上げたのは、あなたの妹、ジーン・アントワーヌ――現アントワーヌ家当主です」
……どうか、夢ならば醒めてほしい。
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