完全無欠のパーフェクトフード 2-3
貴族の放蕩息子が紹介状なしで晩餐会に潜り込む方法はあるだろうか。それも、できるだけ穏便に。そう問いかけたところ、サニーさんは眉間にしわを寄せて黙ってしまった。
「……難しいな。私が開催すればあるいは、とも思ったが――今から予定を立てて紹介状を送っても、二か月は先になる。よしんば可能だったとしても、シルヴィア・アントワーヌが来るとは限らない。つまり『私が開催する』選択肢はない」
であれば、と老貴族は続ける。
「シルヴィアが参加すると思われる晩餐会を選んで、そこに入り込む形になる。だが、ただ忍び込んだとしても当然そこは貴族の領域。紹介状もなく入れば、間違いなく捕まって摘まみだされるだろう。忍び込むのではなく――合法的に、たとえ見つかっても何の問題もない立場の人間として、参加する必要があるわけだね」
夜営業終了後のダイナー『マリウス』にサニーさんを招いて、作戦会議である。カウンターではなくテーブルを囲んで、僕とサニーさんとプリムが真面目な顔を突き合わせている。
「……むにゃ……」
その隣のテーブルでは酒盛りをしていた元顔役の四人と、カウンターでは眼鏡をかけた魔女が酔いつぶれて寝ているが、それはまあいいとする。明日の仕事がつらくなるのは僕ではないし。
「……となると、ベタなのは使用人として入り込むとか、そういう感じでしょうか。あるいは、どこかの貴族の従者として入り込む……とか?」
「それだよマリウス! サニーさんについていけばいいんだ」
「いや、申し訳ないがそれはできない」
サニーさんが目を逸らした。
「以前、他家の晩餐会であまりにも料理が酷かったから、その感想を述べたところ……まあ、なんだ。主催のお嬢さんに泣かれてしまってね。それ以来、晩餐会に行くのは自粛している」
変わり者貴族と呼ばれているだけのことはある。
「だったら――レイチェル・タイムは? あのひとも貴族でしょ、一応」
「プリム、それは難しいと思う」
僕のプライドが許さない、ということではなく。おそらく、彼女はそもそも今後半年以上は晩餐会に出席する予定もないだろうから。僕と同意見なのだろう。サニーさんも渋い顔で頷いた。
「彼女は一代貴族だからそもそもあまり晩餐会に呼ばれない立場だ。それに、いまはこの街にいるとはいえ、本来はまだ出張中だったはずなのだろう? 直近の晩餐会に参加予定――ということは、まずないだろう。おおむね、ひと月前には返事をしているものだからね。念のため、私からそれとなく聞いておくが――望みは薄いだろう」
「使用人として、というのはどうです?」
「それも厳しい。主催する家の使用人が責任をもって行うのが常だ。ぽっと出の人間が潜り込めるとは思えない」
「料理人として行くってのはどうじゃ?」
と、ジェビィ氏が赤ら顔で言った。
「ジイさん……起きてたんですか」
「いま起きた。起きてるうちに帰るとする――が、その前に。おぬし、料理人なんじゃから晩餐会のシェフとして潜り込めたりせんのか」
料理で勝負せい、料理で――とジェビィさんは拳を振り上げた。酔っぱらいめ。正直、その提案は魅力的ではあったものの。
「無理でしょう。晩餐会のシェフって、だいたいは主催する貴族の家の御付きの料理人がやるものですし。それに――コースディナーは僕の専門外です。一品担当するだけとかなら話は別ですけどね」
「ふぅむ。うまくいかんもんじゃのう」
「なら酒よ!」
がば、と顔を起こして言ったのはコロンさんだ。
「私ンとこ、貴族様のパーティや晩餐会用にお酒を卸したりするの。私の部下として酒を卸せばいいわ!」
「それ、貴族の家のどの辺まで入れるんですか?」
「おつきの料理人が買い付けに来て、注文受けて、数量決めて、晩餐会の数日前に門の前でお酒受け渡したら終わり」
「ダメじゃねえか」
のっそりとトーアさんが起き上がり、「……うぷ……帰る……」普通に帰った。
「いや、なんもねえのかよ! またのご来店お待ちしております!」
プリムが理不尽めのツッコミを入れつつ見送る横で、やはりのっそりとテックさんが起き上がった。……が、その顔は赤く、目の焦点は合っていない。ボケの流れが来ているので、ボケだろう。真面目な話をさせてほしい。
「……貴族の晩餐会はいいぞぉ。屋台は特に稼げるからな。おれもたまに行くが――ぐぅ」
そして寝た。寝るなら帰れよ――いやちょっと待って? いまなんて言った?
「おれもたまに行く!? テックさん、それどういう意味ですかッ」
「あん? ほら、鶏の一番美味いところは前腕の肉だっていう……」
「鶏に腕はねえよ! そんでやっぱり一回ボケるんですね!」
「おァ……?」
だいぶ寝ぼけているらしく、覚醒させるのに数分かかった。
「……ああ、晩餐会だろ? 何回か行ったぞ? 最近は立食形式の晩餐会が流行りなんだと。社交パーティも兼ねてるが、ダンスメインじゃなくて雑談メイン。晩餐会ほどマナーに厳しくないし、晩餐会より参加人数も多いが、ダンスパーティほど格好つけなくてもいい。気楽におしゃべりしつつ、ちょっとした料理を楽しむ祭り感覚だな。――そんで、祭りならおれらの出番ってわけだ」
腕を組みつつ、得意げに語るテックさん。
「庭園に屋台を何台か置くだけで、いつもの晩餐会とは雰囲気ががらりと変わるんだと。ようするに『庶民が食べている珍しい食べ物』の見本市ってわけだ」
「そうか、その手があったか……!」
サニーさんが膝を手で打った。
「晩餐会に行かないし呼ばれないのですっかり忘れていたが、そういえばテックから一度話を通されていた!」
そんな悲しい忘れ方しないでほしい。というか、出資者なのにそういうビジネスの話忘れていいのか。
「出資者の仕事は出資することだ。出資金も返ってこないほどのマイナスなら、さすがに積極的に関与するが――正直、最近は競合店の調査に忙しくて、そっち方面の仕事はついつい流し見になっていたな」
「競合店の調査……って」
カウンターで「うぃー……」とうめいている眼鏡の魔術師を見る。彼女の屋台はテックさんの系列ではなく、サニーさんの行きつけのひとつだった。ということは、
「それ、七割がた食べ歩きじゃないですか……」
「いや! 調査だ! 調査は大事だぞ、マリウス! ――ときに素敵な店に出会えるからな!」
「それ、十割がた食べ歩きじゃないですか……」
サニーさんは素晴らしい大人なんだけど、たまにこういう変な部分が顔をのぞかせる。
「でも、つまり、屋台なら――資格がなくても晩餐会に乗り込める? 問題は今から間に合うか、だけど……」
「まあ、できねえってことはねえだろうな。採用する屋台は基本的に晩餐会直前に決まる。メンツの問題だかなんだか知らねえが、いま一番『アツい』屋台を呼びたがるんだ。先月流行った屋台じゃ流行遅れ。一番最近話題になっている屋台を自分ン家の庭園に置くから特別感があるんだろうな」
それは――よくわかる。地球と同じく、バズる食べ物の写真は、なるべく早く、それこそ流行初期か流行する直前あたりに食べて、SNSに写真をアップしているくらいじゃないとダメなのだ。自分が流行の先端で走っているという感覚は、自分を特別に感じさせてくれる――自分が遅れていないことを感じさせてくれる。貴族にとってのそれは、より直接的な評価につながるだろう。流行を押さえているか、そうでないかは見栄と体裁を重んじる貴族にとって、とても重要なのだ。
「屋台側にとっても悪い話じゃねえ。基本的には前払い制でガッツリ金を払ってくれるから赤字にはならねえし、『お貴族様に呼ばれた屋台』って箔がつく。やらねえ理由はねえし、積極的に晩餐会に呼ばれようと、毎週売るものを変えてるやつらもいるくらいだ」
「それだよマリウス!」
勢いよくプリムが立ち上がった。
「屋台をやって話題になって貴族の晩餐会行きまくったら、きっとお母さんに会えるよ!」
「……うん。今までで一番いけそうな案だけど――」
タイミング的に不可能だった案に対して、タイミング的に不可能ではない案が出てきただけ、という気もする。どう考えてもハードルが高い。
「残り三週間弱で屋台を始めて、なおかつ晩餐会に呼ばれるくらいの魅力が必要ってことでしょ。それに、シルヴィアに会って終わりじゃないんだ。シルヴィアに会うのはスタートライン。そこから、なんとかして政略結婚を取りやめてもらえるよう、交渉しないといけない。交渉に最低でも一週間は残すとして……二週間。今日から二週間で、貴族が晩餐会に呼びたくなるような、話題の屋台を作らないといけない」
これがどれほど難しいか――。こういう仕事をしている僕たちだ。その難しさがわからないわけがない。たったの二週間では、そもそも口コミすらまともに広がらないだろう――それこそ、地球みたいなSNSがあれば話は別だけど、ここは帝都だ。口コミサイトなんて便利なものはなく、あるものはただただ本物の口頭伝達だけ。
けれど、プリムは自信満々にうなずいた。
「大丈夫!」
「……なにがどう、大丈夫? もしかして、話題になるような屋台のアイデアがあるの?」
「ない!」
即答だった。僕が首をかしげていると、プリムは真正面から僕を見据えて、にへへと笑った。
「アイデアはないけど、うまくいく根拠はあるよ?」
「根拠?」
「マリウスの料理はおいしいからね! 絶対うまくいくって!」
……それはなんともまあ。嬉しいけれど、頼りない根拠だ。それこそレイチェル・タイムならいざ知らず、僕にはいささか荷が重いように感じる。
「へぇ、期待されてるわねぇ、シェフ」
にやにやしつつ、コロンさんが言う。――そう、期待。いつだかの会話を思い出す。
『女は自分の男に実力以上の期待をしてもいい』……だったか。期待された以上は、それに応えようとしてしまうのが男ってものなのだと。つまり、これは――プリムからの、そういう期待なのだ。僕なら、実力以上を叩き出せるという、期待。だったら、僕はその期待に応えたいと思う。ほかならぬプリムの期待なのだから。
「わかった。やってやろうじゃん」
プリムと目を合わせて、ふたりでにやりと笑いあう。僕とプリムが一緒なのだ。それだけで、なんだかできそうな気になってしまう――胸の奥底からやる気がわいてくる。なるほど、これがそうか、とコロンさんの話に納得してしまった。
そうと決まれば、さっそく行動を開始しよう。「あちー」と言わんばかりに胸元を手で扇いでいるテックさん。ちょっといいですか。
「あの、テックさん、ひとつご相談があるんですけど……」
「屋台だろ? いいぜ。最新のをくれてやる。魔導補助付きでひとりでも動かせるやつだ」
「くれてやる……って、いや、さすがにタダでもらうわけには」
厚意は嬉しいけれど、テックさんも商売なのだ。僕だけ特別扱いというわけにはいかないだろう。けれど、テックさんは「いいんだ、別に」と手を振った。
「普通に買ったらけっこう高いぜ? それに、まあ、なんだ。おぼえてるか? 五年前の約束」
「……はい?」
テックさんは頼りない足どりで立ち上がり、赤ら顔で問いかけた。
「なあ、屋台ないと困るか?」
「え? そりゃ、まあ……」
「そういうことだ。困ってるとき、助ける――そういう約束だろ?」
――あ。いや、でも、それはあくまでプリムが、っていう話で。
「プリム、おまえ、コイツに屋台ないと困るだろ?」
プリムはテックさんを見て、僕を見て、頬を赤く染めて――少し俯いた。
「……うん。ないと、困る。その、あたしもほら、目指す場所があるというか、足を踏み出していきたい場所があるというか、つまりはその、……マリウスと一緒にいたいから」
だから、とプリムは言葉を継いだ。
「そのためにも、屋台、ないと困る……な」
このときの僕の胸中を説明するのは難しい。いろいろな気持ちがこみ上げてきていて、サニーさんとテックさんがいなければ(あとカウンターの魔女)、プリムを抱きしめて踊りだしてしまいそうだった。昂った気持ちを抑えて言うべきことは――ひとつだけ。
「ありがとう、プリム。僕――絶対にやってみせるよ」
プリムは赤面したまま「うんっ」と花開くように笑った。
唐突だけれど、前世では自動車を買わなかった。免許はとったけど、少なくとも僕の住む地域は車が必要ではなかった――電車だけで用足りる、利便性の高い土地だった。友達がお洒落な車を買っているのを見て、僕はこう思ったものだ――「それ、なんの役に立つの? 維持費きつくない?」と。無粋な質問だったと、今更ながらに反省する。彼は汗水たらして働いて、自分の欲しいものを手に入れただけなのだ。オプションも盛って、ハイテク機能がわんさかついて、足回りも強化されていて……そういうこだわりが、僕にはわからなかった。けれど、彼はいわばロマンを追い求めていたのだと、今生ではわかる。
「――屋台に積みたい調理器具が多すぎる……!」
「マリウスが男の子の顔してる……」
翌日の昼営業後にテックさんが持ってきてくれたカタログの内容は、ロマンを感じずにはいられないものだった。屋台のベースは二種類。帝都の外、整備されていない道を走り、ダンジョン近くや他の街まで遠征して営業が可能な大型の屋台――というか、ほとんど馬車型のタイプ。もうひとつは、帝都の中で使用されている、目測でおおよそ3メートル×1.5メートルの幅に、高さ約2.5メートルほどの箱型のものだ。大きな車輪が一対くっついた、僕らがよく目にする小さいタイプ。当然、今回使うのは小さいほう。
「このカウンタースタイルっていうの、よさそう。お店に近い感覚で接客できそうだね」
「おしゃれでいいね、これ。でも四席かー……トリオデさんみたいに屋台の周りに簡易のテーブル設置する感じになるかなぁ。それでも回転率悪くなるだろうから、客単価上げることになりそう」
「バーガーは作るのにけっこう時間かかるよね。それこそノックアウトバーガーみたいなスピードで提供できない限りはさ」
「そうなんだよね。……というか、そもそもなにを作るのかさえ決まってないんだ。それが決まらないと、屋台のレイアウトも決まらない。一品、なにを作るか決めてしまって、その決めた一品を効率よく作って提供できる屋台を注文しないと」
カタログをパラパラとめくりつつ、僕はとりとめなく話す。
「できれば今日中には決めてしまいたい――というか、今日中に決めないとダメだね。今日の夜にテックさんに発注して、明日から着手してもらって……とにかく早く、屋台を営業開始しないと。話題になって貴族の耳に届くまで、どれくらいかかるかわからないし」
「だったら、持ち帰りできるもののほうがいいのかな。持ち帰っている人とか、食べ歩いている人を見て「あれ、なんだろ?」って思われたら、けっこう話題になりそうじゃない? 屋台を動かさずに商品をいろんなところに紹介できるし」
やはりプリムの感覚は冴えわたっている。
「それいいね。いっそ持ち帰り専門にして、回転率を上げることに注力する? となると、食べ歩けるものになるね。うちのハンバーガー、縦のボリュームが大きいから食べ歩きには向かないなー……。それこそ、歩きながら手で持って食べられるような……」
「あと、美味しさ以外の話題性も欲しいかも。ただ美味しいだけの料理だと、口コミが広がるまで時間がかかりそう……な、気がする」
「たしかにそうだ。いまの帝都は美味しい店が乱立してるから……それこそ、ちょっと珍しい新しい料理なんかを演出できたらいいんだけど……」
言ってから、気づく。
「これ、ハーマンのカツサンドだ……」
全部満たしている。持ち帰り専門で、食べ歩きやすくて、その上ウスターソースという新しい味まで完璧に。いや、それだけじゃない。屋台の装飾も、完璧に貴族向けだったし、事実、貴族円街に出店していた――ということは、だ。
「またレイチェルと競合するのか……」
プリムとふたりして肩を落とす。いや、こればっかりは仕方ないことだと許してほしい。彼女は敵だけれど、それはこの街の中で競争しあう料理店同士の話であって、今回の本題は僕がシルヴィアに会うための屋台なのだ。もちろん、お客さんのために美味しい料理を提供するのは当然だけれど、それだけが目的というわけでも、ただの商売目的でもない。
ただでさえ勝てる気がしない相手とここで戦うことになるのは、あまりにもつらい。作っているのはハーマンだけど、彼の精神性と徹底した努力は、むしろ警戒すれこそ舐めてかかる要素にはならないと、僕らは重々承知している。
「……うーん。いっそ、別のジャンルだったらいいのにね。戦わなくて済むなら、それに越したことはないじゃん。特に、今回はレイチェルさんに勝つためにやってるわけじゃなくて、マリウスが貴族の晩餐会に堂々と入り込むためにやっていることだし」
「サンド系じゃない、食べ歩けるものか……難しい。新しい具材を頼むのも、いまからだと遅すぎるから、できれば『マリウス』で出しているものを応用した料理がいいんだけど……バーガー系は広義のサンドだもんな……」
二人してああでもない、こうでもないとアイデアを出し続けた。それでも、いまいちパッとする答えは出ない。カタログを閉じて夜営業の仕込みをしながらも散発的にアイデアを出し合ったけれど、やはりハーマンのカツサンド以上にインパクトのあるメニューは考えられなかった。
プリムはむんむんと唸りながら、恐るべき速さで肉を包丁で叩いて粗いミンチにしている。三種類の挽き肉を使ったパティは、いまやダイナー『マリウス』の定番メニューになっていた。日替わりバーガーはその季節、その日に仕入れられる材料で内容が大きく変わるから――季節にかかわらず安定して仕入れられる牛肉とバンズだけで作れる上に、お客さんからのウケもすこぶるいいこのパティは重宝している。
「……このパティみたいに、ほかのお店にはない独自性が必要だよね。サンド系でもカツサンドに負けないくらいの独自性が」
「いっそ、このパティだけ挟んで売ってみる?」
「ウチでもう売ってるバーガーを自分で二番煎じにしてどうするの。それに、肉を挟んだバーガーはカツサンドとがっつり競合しそうだし」
「ぐぬぅ」
だんだんアイデアも出なくなってきて、二人して変なうめき声も出なくなってきたころに、からんとベルが鳴った。ダフネがパンを持ってきたのだ。うめくのをやめて、ダフネの対応をする。
「こんにちは。夜用のバンズが五十、塩バターロールが二十、それからこれは綺麗に作れたプリンです。よろしければ」
どうぞ、と差し出される瓶が二つ。スの入っていない綺麗で滑らかな卵色の表面が覗いていた。
「ありがとう。うん、美味しそうだ。あとで頂くよ」
「……なにかお悩みですか?」
いきなり聞かれた。そんなに深刻な顔をしていたかな。僕は言うかどうか少し迷ったけれど、
「……まあ、ダフネさんなら、いいか」
どうせ彼女の師匠のジイさんが知っていることなので、いっそダフネさんにも相談してみることにした。かくかくしかじか、と説明を終える頃に、プリムもプリンを食べ終わっていた。僕のぶんにまで手を伸ばしてきたので、さっと遠ざける。はらぺこは二十歳を超えても変わらない。
「なるほど。大変ですね。屋台ですか」
大変ですね、とあっさり言われると、そうなんですよね、とこちらもあっさり返しそうになる。大変どころではないのだけれども。ダフネは少しだけ目を細めて、うらやましそうに屋台のカタログをめくっている。
「私も屋台をやってみたいのですが、先立つものがなく。師匠は「挑戦できる機会があれば、挑戦するといい」と言ってくれているのですが……挑戦する機会はなかなか訪れなさそうです。どれもこれも私の稼ぎではとても買えそうにありませんね」
「へぇ。ちなみに、売るとしたらなにを売るの?」
「パンです」
ダフネはこういうところが徹底している。本当にパン好きなのだろう。
「しかし、競合しない商品ですか……」
プリムの手にある瓶を指さして、ダフネは言った。
「それこそ、プリンを売ればいいのでは? 美味しいですし、話題にもなりそうです。甘くて冷たくて滑らかな卵菓子ですから、嫌いな人もそういないでしょう」
「あっ! そうだよ、マリウス! 競合しない甘い料理! ダイナーの材料で問題なく作れるし、コレなら売れ――いや、ダメか……」
一文の中で急に冷静になるプリム。
「ダメですか」
冷静なまま問い返すダフネ。このふたり、テンションの差がすごいな。
――ちなみに僕もプリンを売るのは難しいと思う。
「手に持って食べられるけど、スプーンを持つから両手が埋まっちゃうんだよね。ほかに手荷物があると厳しいかも。なにより、ほら、瓶とスプーンが」
「ああ……」
ダフネは頷いた。この子もたいがい理解が早い。
「コストがかかるのですね」
そうなのだ。僕らが自分で作って食べるだけなら、瓶は使いまわせばいい。だけど、持ち帰りとなると、ひとつの商品に対してひとつのガラス瓶――まあ陶器でもいいんだけど、ともかくプリン用の容器を用意する必要がある。食べ歩いてもらうなら、それにスプーンもつけなきゃいけない。飽食時代の東京じゃないのだ――一番安い木製のスプーンでも、機械で大量生産できないこの世界のスプーンは、高いとは言わないけれど、料理にくっつけてバラまけるほど安くもない。
ちなみに帝国では……というか、この世界では紙が安い。製紙技術は比較的発達している――おそらく、光や熱としてインスタントに使用できる魔術符が、それこそガスや電気のようなインフラとエネルギーの役割を果たしているため、術符としてもっとも使いやすく、かさばらず、輸送も用意な『紙とインク』を作る技術の成長に、歴史の人々が注力したのだろうと思う。原料が一緒なので砂糖もちょっと安いのは嬉しいところだ。
「いいアイデアだと思ったのですが、難しいですね……屋台というのは」
そう、プリンというアイデアは、正鵠を射ていたように思う。ほかの屋台と競合しないスイーツのジャンルで話題性を集められるし、僕以外に作っているひとを見たことがないので、独自性もかなり高いはずだ。
片手で食べられない、瓶とスプーンにコストがかかるという点がネックになっているだけで――いや。それの解決法、ある……のでは? そう、まさに先ほど、僕らはその話をしていたはずじゃないか。
「ごめんね、マリウス」
「すいません、お役に立てず」
プリムとダフネが申し訳なさそうに言った。しかしながら、謝る必要なんてひとつもない――どころか、僕は彼女たちに感謝したいくらいだ。というか、する。
「――いや。プリンだ。プリンでいいんだよ……!」
「え?」
「はい?」
見えた。なにを売るべきか、が。同時に、屋台になにが必要でなにが必要じゃないかも、頭の中で急速に組みあがっていく。魔冷庫がたくさんいる。加熱機器は小さな鉄板がひとつあればいい。材料は店にあるモノでいい。
「それはコスト的に厳しい……のでは? いくら貴族向けに注力して良いとしても、瓶とスプーンをつけるのはあまりにも……」
「わからない?」
ダフネが持ってきたバンズをひとつ手に取り、笑う。答えはすぐ近くにあるのに、どうしてだろう、僕らはいつも先入観というやつに縛られて、簡単なことに気づけない。
片手で食べられないならば。
瓶とスプーンをつけられないならば。
パンにして、紙に包んでしまえばいいのだ。
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