侵略のセントラルキッチン 4-4
その日の夜のこと。サニー・ジョンソン・ジョンは貴族の中でも由緒正しい家格、ジョン家の当主であり、『変わり者』として有名な好々爺だ。だから、彼から「ちょっと変わったお願いがあるんだけれど」なんて言われたときは、いったいどんな変なことをさせられるのかとびくびくした。
「お願いといっても、なにか無理をしてほしいというわけではないんだ。もちろん、断ってもいいんだが――」
カフェ・カリムを訪ねてきたサニーさんは、なんとも言い難い顔で、不可思議な申し出をしてきた。
「端的に言おう。出資するから、店を再開してくれないかね?」
「――はい? あの、ええと……どういう意味です?」
理解できなかったので、思わず聞き返してしまった。
「レイチェル・タイムから私に鞍替えして、そのうえでカフェ・カリムをもう一度経営してほしい、という意味だ。私が出資するから、つぶれる心配はしなくていい」
「専属の料理人として僕を雇いたいのではなく、この店のオーナーになりたいと……そういうことですか?」
「そういうことになるかな。オーナーといっても口出しする気はない。金は出すから、自由にやってほしい」
無類の好条件だ。でも――
「……あの、たぶん、サニーさんに還元できるほど利益率出せないと思いますけど」
シンプルに言い換えれば、サニーさんはただ損をしようとしているだけだ、と思う。
飲食、食品卸に限らず、ありとあらゆる業態は群雄割拠の時代を迎えるはずだ。レイチェル・タイムが興し、シルヴィア・アントワーヌが認めた『誰もが自由に商売を始められる仕組み』はすでに始まっている。その中で、カフェ・カリムが――つまり、以前の僕の店がやっていけるかというと――無理だとまでは言わないけれど、かなり苦しくなるだろう。
これから先、ノックアウトバーガーのような店はどんどん増えていく。そうなれば、カフェ・カリムのような『珍しい料理を出す店』は、フレッシュな発想を持つこの世界の新しい店と戦うことになる。
地球の知識があれば、戦うことは難しくないだろう。けれど、それはしょせん他人のまわしで相撲を取っているようなもの――例えば、〝エッジ〟のハーマンやエノタイドくんのような情熱を持った貪欲な若者には、いずれ負けてしまうだろう。
もちろん、料理は勝ち負けではない。
でも、経営は勝ち負けだ。そこには純然たる勝者と敗者が存在している。
残るものが勝者。去るものが敗者。大型ショッピングモールが近くにできると、地域を支えてきた、どれだけ良いお店のそろった商店街でも、シャッターが目立ってくるように――そうやって淘汰されていく。
だから、僕はサニーさんの申し出を受けるわけにはいかなかった。サニーさんまで敗者にしてしまっては、過去からなにも学んでいないことになる。
けれど、サニーさんは手を振って笑った。
「いや、そうじゃない。儲けたいわけじゃないんだ。ただ、なんというか――そう、私はね。この店が好きだったんだ。この店でおいしい料理を食べて、喧騒に包まれながら酒を飲んで……なんだろう。うまく言えないんだがね」
ううん、とうなる。
「私は普段、この店でマスター以外としゃべることはないし、身なりで貴族とわかってしまうせいもあるんだろうが、しゃべりかけられることもない。けれど、それでも――私は、君の料理を食べるなら、この店のカウンターがいい――と、そう思う。喧騒を、あるいは閉店間際の静けさを背中に感じながら……我ながら、妙な話だと思うがね」
「……そう、ですか」
たしかに妙な話だ。むずがゆいような、虚脱感にも似た奇妙な感覚を覚えながら、僕は首を振った。わからない。サニーさんの言葉が、ひっかかる。ひっかかるものが、わからない。なにがわからないのかもわからなくて、もどかしい。だから、
「……すいません。やっぱり、いまは――その話は、受けられません」
そう言うしかなかった。
サニーさんは残念そうに目を伏せ、しかし案外あっさりと、
「そうか。うん、そうだろうね」
と言った。続けて、
「マスター。キミはもう子供ではないが――十分若い。悩む時間はたくさんある。焦ることはない。キミが歩いていく先を見つけたとき、もしも、『いま』とは違うことを考えたなら――言ってくれ。きっと、私が力になれることもあるだろうからね」
「……サニーさん」
老紳士は、頬を緩ませてウィンクした。
「少々説教臭かったね。そろそろお暇するよ。――では、また」
サニーさんが店から出て行ったあとも、僕はしばらく考え込んでいた。悩む時間はたくさんある。焦ることはない。そうかもしれない。でも、じりじりと僕の思考をさいなむ焦燥は、なかなか消えてはくれなかった。
数日後の朝、店舗二階の居住スペースから起きぬけて出てきた僕に、なぜか仁王立ちして待っていたテックさんが、手伝え、と唸るように言った。
「……なにをです?」
恐る恐る、寝ぼけた頭で聞き返してみると、テックさんは無言で僕の首根っこをひっつかんで、ずるずると道まで引きずっていった。子猫じゃねえんだぞ僕は。
そこにあったのは、木製の台車……の、ようなもの。それがいくつか。
「あの、これは……?」
「おれたちには店がねえ」
テックさんは語り始めた。
「以上だ」
テックさんは語り終わった。以上じゃねえ。
「つまり……ええと、実店舗の代わりに、屋台を運営し、帝都内の各所で営業するってことですか?」
「え、おまえなんで今の説明でわかるの……こわ……」
「がんばって汲み取ったのに! がんばって意味を汲み取ったのに!」
ともあれ、概要はあっているらしかった。
「あー、その計画を僕がどう手伝うと?」
まさかテックさんが、僕に料理を頼むとは思わないのだけれど。
「おれには足りねぇもんがある。おまえやレイチェル・タイムが当たり前のように振りかざすその知識――」
振りかざす――。正面から言われると、少し、凹む。
「ただ知識をそのまま聴くんじゃ、いけねぇ。おれたちは――噛んで、呑んで、経験にしなきゃならねぇ」
テックさんは、その太い腕で僕の胸元をつかみ、無理やり目を合わせた。
「てめぇらが何歩先にいるのかは知らねぇ。その知識がどっから湧いて出たもんかってのも、どうでもいい。おれにはもう見えてるもんがある――わかるか?」
テックさんの瞳の奥には、炎があった。意欲という名の、炎が
「おれは食肉ギルドのマスターだが、同時に個人で事業を興していい――そういう権利を持っている。知らねぇ商売、やったことねぇ仕事、それをやっていいってことがどういうことか――わかるか?」
きっといま、テックさんの中には、激情があるんだと思う。焦がれるような、内側の温度。いてもたってもいられなくて、いますぐ走り出してしまいくらい、どうしようもない。僕は、その熱さの名前を知っている。
希望とか期待とか、そういう風に呼称されるやつだ。ハーマンや、エノタイドくんの中にあったものだ。
ようするに、この人は――
「テックさん、新しいことができるって、考えついたことをやりたくて、わくわくしてるんですか」
男は歯をむいて獰猛に笑った。
「ノックアウトバーガーを見ていて、おれは気づいたわけだ。出店の配置だけじゃねえ、財務大臣がカフェ・カリムにノックアウトバーガーを出すことを禁じたことも含めてな」
「なにに気づいたんですか?」
「つまるところ、あの女は傭兵女王――戦争のプロなんだ。戦争ってのはつまり、陣地の取り合い、勢力圏を広げてより多くの土地を囲ったほうが勝つ……そういうもんだ。そうだろ?」
「……いや、僕は戦争に明るいわけじゃないのでわかりませんけれど……」
しかし、囲碁とかそういう陣取りゲームは、なんか軍師的なポジションの人が扇子を片手にやってるイメージもあるので、一概に遠からずとは言えなくもない――のか?
「ま、ともかく、おれはそう解釈して、ノックアウトバーガーのことを、ひいては店を持つってことがどういうことかを考えてみた。ただひとつの店じゃねえ、同じ店をいくつもやるということがどういうことか――」
つまりはな、とテックさんは言葉を置いた。
「とびぬけてうまいわけでもないのに、とびぬけて売れる理由。価格と量と需要を見極め、導き出した答えを可能にする工場制度。ぜんぶひっくるめて考えて、おれが無い知恵絞って作ったのが、コレだ」
「屋台ですか」
「そうだ。……レイチェル・タイムがやっていることを戦争に見立てるなら、ノックアウトバーガーは陣地を築いて勢力圏を確定させるための砦や要塞みたいなもんなんだろう。砦を中心にした円が勢力圏。その円をいくつも作って、重ねて、自分の領地とすれば、そこの支配者はレイチェル・タイムになる。そういう商売のやり方――そういうことだろ?」
テックさんの話をなんとなく頷きながら聞いていた僕だけれど、言われてみて、ようやく気付いた。
これ、ドミナント戦略だったのか……。
ということは、だ。
「……つまり、テックさんの砦が、屋台だと?」
「バカやろう。そのままマネしてどうする。砦なんて作る金ねぇよ」
テックさんは腕組みして、得意げに言った。
「だから、砦に対するアプローチの話だ。軍人崩れの冒険者に聞いたのさ。砦を攻略するにはどうするのかってな」
「なんて答えたんです?」
「そいつ、アホを見る目して言ったのさ。『迂回するに決まってるやん』ってな」
「……それ、攻略できてないんじゃ……?」
「おれもそう思った。つまりおまえはおれと同じ種類のアホだ。――で、そいつ、言ったのさ。『砦を攻めなきゃいけない状況になっている時点で相手の思うつぼ。砦を攻めるというけれど、本来の目標は砦が守るもの、つまりその背後にあるものなんじゃないのか』と」
だから、これだ。テックさんはそう言って、屋台を指した。
「ノックアウトバーガーは砦だ。勢力圏はデカいが、動かねぇ。こいつは勢力圏はさほどデカくねぇが、道さえ通れりゃどこへだって動かせる。魔冷庫と炎熱符方式の調理器具も積もうと思えば積めるし、なんなら魔導士も乗せりゃ一日だって、夜中だって余裕で稼働できる。人力で引けるサイズにしてあるから、普通の馬車が入れねえような路地でも商売ができる。……それこそ、勢力圏と勢力圏の狭間でもな」
テックさんは屋台に手を置いて、言った。
「戦い方の試行錯誤。まずはそっから、やっていくさ。商売人としてな」
「それじゃあ……僕は、いったいなにを?」
「料理人だろう、おまえは。売ってほしいのは料理だ。――といっても、屋台に立てってことじゃねえ。それこそ、素人でも作れるような、シンプルな料理。そのレシピが欲しい。できれば目新しいやつがいい――得意だろ?」
「……僕でいいんですか?」
「おまえだからいいんだよ。なあ、カリム」
テックさんは明後日の方向を見ながら、言いにくそうに、けれどしっかりとした語調で言う。
「おれは、あの時、おまえに票を入れたことを後悔しちゃいねぇ。あれは、おれがギルドを守るためにやったことだ。――同じ状況になったら、たぶん、またおまえに入れるぜ」
「……それ、は」
「だが――料理人としてのおまえには、悪かったと思ってる。おまえの誇りを傷つけたと、わかってる。そのうえで――頼む。おまえの誇りを、商売に使わせてくれねぇか」
「僕の料理じゃ、あの女に勝てませんよ?」
「かまわねぇ。勝たなくていい。戦わなくてもいい。見据えるべきは勝機じゃなくて商機だった。そういうことだ。それに――おれは、おまえの料理が好きだからよ」
テックさんは笑って、僕に向かい、頭を下げた。
「ひとりの商売人として、頼む。レシピの開発を依頼したい」
僕は考えた。頭を下げるテックさんを――ひとりの男を見て、考える。
このひとは、進むべき場所を模索している。先を見据えて、挑戦を始めている。勇者足らんと、歩み始めている。
だったら、僕は。そう、そうだった。僕は――お助けキャラを、やるんだろう。
「……いいですよ。ただ、ひとつ条件があります」
「ああ。言ってみな。なんでもいいぜ」
「プリムが困っていたら、助けてあげてください」
僕が告げると、テックさんはあきれた顔で、息を吐いた。
「おまえ。それでいいのか?」
「ええ」
「つくづく、おまえは――あれだな。商売に向かないんだな。わかった、いいようにしてやる」
「ありがとうございます」
それじゃ、とテックさんは右手を差し出した。
「契約だ」
僕はそれを握り返し、強く力を込めた。
「契約ですね」
それは、テックさんが、ひいては商人円街が踏み出した、確かな一歩目だった。




