侵略のセントラルキッチン 4-3
古今東西、魔王が出てくる多くのゲームでは、魔王は勇者に倒され、物語は結末を迎える。いわば、ゴール。魔王というのはゴールテープと同じで、そこを目指して走るのが勇者だ。プレイスタイルはお好みで、序盤から飛ばしてもいいし、中盤まで温存してもいいし、終盤にすべてをかけてもいい。
――すべてに共通して言えることは、ただひとつ。
魔王は『倒されるために存在している』ということ。
レイチェル・タイムは悪役を自称した。つまり、おのれが魔王だと、言った。システムの破壊者。新たな世界を切り開かんとするもの。
でも待ってほしい。
どうして彼女は魔王を自称したんだろう。どうして、わざわざ倒されるために存在しているほうを自称したんだろう。
翻っては、ひとつの仮説につながる。仮説というか、逆説か。
つまり――
「レイチェル・タイムの最終目的は、ある意味において、社会を転覆させることです。ですが、このままノックアウトバーガーが僕ら――というのは、いまはもうおこがましいかもしれませんが、ともかく、商人円街を機能不全に追い込むだけでは、彼女の目指す社会制度の転覆は成立しないんです。なぜなら――彼女は、貴族だから」
貴族が、商人を下した。
それは上下の逆転ではなく、翻っては社会の逆転でもない。
帝都の歴史に刻まれた、よくあることの延長線上にあることでしかない。
「彼女は貴族になってしまった。生まれこそ貧民かもしれませんが、いまはもう貴族なんです。ノックアウトバーガーが社会的な勝ち組になったところで、それは今までとなんら変わりない帰結にすぎません」
だからこそ、彼女は魔王になった。勇者ではなく、魔王に。打破されるべき壁に。
「彼女の目的は、彼女が倒されることによって成立するんです。大切なのは、だれに、どのようにして倒されるか――ということ」
ウィステリア・ダブルは言った。
『この世界で、あなただけが答えを出せる』と。
その言葉の意味を、ずっと考えていていた。
「――僕は、勇者にならなければならなかったんです」
魔王を終わらせる勇者に。目的を達成するための舞台装置に。
レイチェル・タイムが仕掛けた壮大な物語を終わらせるための存在に。
物語の主人公に。
「きっと、それが正しいやり方なんです。さえたやり方なんです。僕が見てきた人たち――被支配的な労働者たちにとっては、それが一番ためになるやり方なんだと思います」
ゆっくりと、息を吐く。
夜十時過ぎのカフェ・カリム。僕とプリム。それから、顔役四人――テックさん、トーアさん、ジェビィ氏、コロンさん。僕のせいで大きな損害を被ったひとたち。
――彼らもまた、労働者だ。ただし、支配的な側に立っているという点で、ハーマンやエノタイドくんとはまるで違う。
すると、テックさんが低くうなるように声を出した。
「じゃあ、おまえはおれたちのやり方が悪いっていうのか」
「……いえ。そうは思いません」
「ギルドのやり方が悪循環を生み出しているっていうのがおまえの言い分だろうがよ」
「まあ、そうなんですけど………」
あえて言うならば――悪循環を生み出さないやり方なんて、ないんだと思う。
いや、正しく言えば、やり方自体は悪循環を生み出さない。生み出すのは、僕ら人間のほうだ。
「ギルド制度だって、最初は効率的に物事を進めるために必要だったから生み出されたんだと思うんです」
もちろん、僕は帝都ができた時代を生きていたわけではないし、見てきたわけでもない。でも、その時代のひとは、たしかにその時代に生きていた。僕らと同じように、あるいは僕ら以上の変化を伴った激動の帝都成立期を。
「現状に見合う仕組みではないのに、盲目的にその仕組みに殉じてしまう。そこが、一番の問題なんです」
「……耳が痛いのう」
ジェビィ氏が苦笑する。もっとも長くギルドに触れてきた彼だからこそ、僕の言葉に反発してもおかしくないのに、ジェビィ氏はそうしない。その温和さが、ありがたかった。
「先ほど、僕は勇者にならなければならないと言いました。でも、それも――たぶん、違うんです」
「ああ、そうだ。もちろん違うとも」
トーアさんは陰鬱そうな表情に、さらに陰鬱な嘆息を加えて言った。
「平民が勇者になってあの女魔王を終わらせる。見事な筋書きだ。ただし、その貴族が元貧民で、その平民が元貴族ということを除けば――だがね」
「……ええ、そうです」
母は、社会システムを壊し、先へと進めるための駒としてレイチェルを利用しようとしている。レイチェルもまた、同じ目的を持ちつつ、けれどもっと退廃的なほの暗い願望で、破滅願望にも似た想いで母を利用している。見事な協力関係で、いっそおぞましい。
だけれど、彼女たちにとって、一番の誤算だったのは、もっとも勇者というロールに近い人間が、僕だったこと――つまり、旧名マリウス・アントワーヌだったということ。
「元奴隷で現貴族のレイチェル・タイムが、勇者として己を成立させられないから魔王になったのに、元貴族で現平民である僕が勇者として成立するかと問われれば、成立しないと答えざるを得ない……わけです」
「当たり前じゃない」
小さなコロンさんがふんと鼻を鳴らした。
「絶縁しようが勘当されようが、親子の縁は仕組みで断ち切られるようなものじゃないわ」
「その通りです。どれだけ僕と母の間に距離があったとしても、社会は貴族という言葉に左右されてしまう。だから――僕は、勇者になれないんです」
母は僕の背中を押した。レイチェル・タイムは悪役を貫いた。ウィステリア・ダブルは僕を勇者になぞらえた。
だが。
それは、向こうが勝手に用意した筋書きだ。
「実は僕、勇者よりも、正式に仲間に加盟しないお助けキャラみたいなやつのほうが、好きなんですよね。かっこいいじゃないですか」
怪訝な顔で、顔役四人が首を傾げた。すいません、前世の話です。でも、本当にそうだ。僕は王道から程遠い。けれど、せめてプリムの前ではかっこよくありたいと思っている。
だから、一歩先へ。さらに先へ――もっと先へ進む。今度は僕が先んじる番だ。筋書きをなぞらされる滑稽な操り人形の時間はもう終わり。ここからは、人形が自分自身をつかみ取る時間だ。担ぎ上げられて鼻高々に伸びた鼻は自分で叩き折っていこうじゃないか。グッバイピノキオ。ハローニューワールド。
「だから、皆さんを呼んだんです」
顔役四人とプリムへ語り掛ける。自分の言葉で、勝ち取るんだ。
「僕は、皆さんにこそ――勇者になっていただきたいんです」
お願いします、と頭を下げる。いまの僕にできるのは、ただ、頼み込むことだけだったから。
顔役四人の中で、最初に行動したのは、意外にも――というのは失礼かもしれないけれど――テックさんだった。
僕がカフェ・カリムで演説を打ったその次の日に書類をそろえて役所に提出し、食肉ギルドの許状を取り直したのだ。いや、取り直した……というのは正確ではない。食肉ギルドの名義で取得していた許状とは別に、自分自身の許状を取ったというのが正しい。
「勘違いすんなよ。お前と同じで、おれもだれかの筋書きに乗るつもりなんてさらさらねえ。商売のタネになると思ったから取った。それだけだ」
そんな風に顔を背けて言っていて、けれど、それがテックさんらしくて笑ってしまった。どこまでいっても、このひとは人情家だ。
トーアさんは様子見の構えを取り、コロンさんは乗り気だけれど旦那さんのほうはあまり乗り気ではないらしく、難航している。ジェビィ氏は特に厳しい状況だった。
「ギルドマスターが現状維持を望んでおってな。おそらく、無理じゃろうな……」
と、残念そうに首を振っていた。
「……そうですか」
「……わしがギルドマスターでも、同じように現状維持を選んだかもしれん。……というか、したじゃろうなあ、おそらく」
カフェ・カリムの裏口でジェビィ氏は薄く笑った。
「立場や仕事があって、そのうえで生活が成り立つ。変わらないと思っていたものが突如変わるのは、恐怖じゃ。いままでとは違う生き方を要求されるのは、とてつもなく怖いものなんじゃと――わしらは知ってしまったからのう」
聞くまでもなく、ノックアウトバーガーのことだろう。あれが変化の始まりだった。
「もうすでに変わり始めているんじゃろうな、社会は。それでも、わしらが新しい一歩を踏み出すのは、怖いものじゃし……。ギルドマスターの一歩は、それこそだれよりも先んじる一歩になるじゃろう。ギルドメンバー全員の恐怖を一身に背負っていかねばならん」
は、と一息ついて、彼は目を伏せた。
「わしらパン職人ギルドは、文字通り職人のギルドじゃ。技術が認められ、その技術に絶対の自信があるからこそ、わしらはパンを作っておる。たとえ売る権利がほかのだれかに奪われたとしても、その技術だけは負けることはない。恐れることなどなにもない――はずじゃったんじゃがのう」
いつもひょうきんな言動を見せる老爺が、そのときだけは、しょぼくれて見えた。
「この歳になって、いろいろな経験をして、もう余命も大して残っておらんジジイじゃったから、覚悟はできていたつもりだったんじゃがの」
「ジェビィさん……」
「失うのと自ら辞めるのでは、雲泥の差があるのう。はは、笑ってくれ、カリム。わしは――パンをとられたら、もうなにも残らんのじゃ」
聞いとくれ、とジェビィさんは言った。
「六十年じゃ。齢を十も数えんうちにギルドに入って徒弟関係を結び、その後ずっとパンだけを焼いてきた。それ以外はなにもせんで、ずぅっとパンだけを焼いてきたんじゃ。――死ぬまでずっと焼くもんじゃと、そう思って生きてきたんじゃ」
ジェビィ氏の硬く節くれのある古木のような手が――職人の手が、僕の肩を強くつかんだ。指が食い込むほどに強く。
「なあ、カリム。わしは、パンさえ焼ければいいんじゃ。勇者になんぞなりとうない。わしは――変わらないまま、生きていたかった。変わらないまま、死んでいきたかった。安心と誇りを保ったまま……。それじゃあ……ダメなのかのう」
「……それは」
僕は、目をそらした。なんと言えばいい? 運が悪かった。時代が悪かった。タイミングが悪かった。なんとでもいえるけれど、極論、そういう話でしかない。ジェビィさんは、運悪く、レイチェル・タイムの作ろうとしている時代に立ち会ってしまっただけなのだ。そして、彼は僕と違って、勇者を否定できるほど若くないし、立場とか、重責とか、いろいろなものを背負ってしまっている。
「……すいません」
なんでか、謝っていた。僕が謝罪したところで、ジェビィさんの気持ちはなにも軽くはならないのに。むしろ、逆効果なのに――つい、謝ってしまった。
肩から指が離れて、ジェビィ氏は背を向けた。
「……悪かった。カリムはなにも悪くはないとも」
すたすたと、裏通りを去っていく。引き留めようと手をあげて、けれど僕はその手を下げた。なんと声をかければいいのかわからなかった。ただ、去っていくジェビィ氏の背中から目を離すことができなかった。目を離すと消えてしまいそうで――。
これが変化なら、なかったほうがよかったかもしれない。そんな風に思ってしまう。
でも、いつのまにか僕の横に立ち、僕を安心させるように手を取ってくれる女の子がいて、
「大丈夫?」
短くそう聞いてくれた。左手から伝わる体温に、僕は泣きそうになりながらも、
「うん。大丈夫」
短く答えた。




