侵略のセントラルキッチン 2-9
世界三大珍味というものがある。
この場合の“世界”は、僕とレイチェル・タイムがもといた世界――地球のことだ。
そう。そのみっつの食材は、地球のものなのだ。この世界のものでは、ないはずなのだ。
「どうぞ、熱いうちに召し上がってくださいな。自信作ですのよ?」
含みのある声に、背中が震える。
こんなの――ずるい。ずるいよ。
震える手でバーガーを掴んで、そのボリュームを指で押さえつけながら、かぶりつく。
ぱちん、と口内でなにかがはじけた。そんな気がした。
口の中に、あふれ出るのは、芳醇な脂。いやらしさの一切ない、内臓の臭みなどみじんもない、うま味の奔流。
この爆発的でありながら上品な味の正体は、パティでもデミグラスソースでもない。
レバーだ。
「パティの上にのせた黄色いレバーのスライスは、わたくしがさる伯爵の領地を借り受けて実験的に作っていたものを、急遽取り寄せたもので――フォアグラと言いますの。ガチョウの肝臓ですわ。ソテーしてありますの」
解説が聞こえる。けれど、だれも返事をしない。
ひとくち食べて、全員が固まった。固まってしまった。
ややあって、ふたくち、みくちと食べ始める――僕も、同じだ。
これは悪魔だ。悪魔の食べ物だ。
パティは分厚く、牛肉の脂のジューシーさでは僕の作ったケンネ脂のものと同等かそれ以上。
デミグラスソースは濃厚で香り高く、しかし全体の味を邪魔しない丁寧な仕上がり。
そして、フォアグラの圧倒的なうま味と脂の奔流。
ともすれば濃くなりがちな口の中でしっかりと清涼感を演出してくれるトマトとレタスに、それらすべてを包み込んでくれるどっしりしたバンズ。
さらに、鼻腔をくすぐる上品なかぐわしさ。最後に振りかけていた黒いもののスライス。これもまた、三大珍味のひとつ。
「仕上げに振りかけたのは黒トリュフというキノコですの。上品な香りがたまりませんでしょう? 人間の味覚の半分は香りと言われておりますけれど、そういう意味では、トリュフは香りの形をしたうま味そのものですわ」
食べるたびに、ぐん、と惹きつけられる。ひとくちごとに、突きつけられる。
これが王だ、ひれ伏せ、敬愛せよ――。僕ら凡俗は威光にまぶしく目を細めるだけ。これは、そんな料理だ。
あらゆるバランスが完璧な、人生で――それこそ前世まで含めて食べた中で、もっともおいしいハンバーガー。
これ以上食べれば、死んでしまうんじゃないか。そう思うほどおいしくて。
そう思ってなお、食べ進めてしまう僕がいて。
審査員六名。そのうちのひとり、料理した本人であるレイチェル・タイムを除いた五名全員が、無言のまま、完食した。
「――は」
と、だれかが吐息を漏らした。いや、僕だったかもしれない。全員だったかも。
至福だった。幸福だった。愉悦だった。悦楽だった。すべてだった。しあわせがそこにあった。
だからこそ、現実に戻ったときの落差が激しい。
どくどくと心臓から血が流れていく。全身から見苦しい汗が噴き出る。
このロッシーニバーガーは、どのハンバーガーよりもおいしいハンバーガーだった。
僕が。
商人円街のみんなが。
作り上げたハンバーガーよりも。
「ぐ、ぬぅ……」
隣で、テックさんがうなっている。冷や汗を顔中に浮かべて、震える声で――彼は口を開いた。
先に言っておくならば、彼は食肉ギルドの首長で、そうせざるを得なかったのだ。
そうせざるを得なかったからこそ――最悪だった。
「これは反則だ……!」
叫ぶ。
「おれは肉屋だ、内臓のことだって一通り以上に知っている! フォアグラ? ばかばかしい!
たかがガチョウの肝臓がこんな味になるはずないだろう! イカサマだ! ありえん! なにか――なにか、違法な、危険ななにかを使っているに決まっとる! 内臓なんだろ!? きっとそうだ!」
必死の形相で、だれが見たって見苦しいと切って捨てるような主張を、テックさんは叫んだ。
けれど、僕は知っている。フォアグラはただのガチョウの肝臓じゃない。脂肪肝だ。
「特殊な飼育法で育てておりますから、テック様が知らないのも当然ですわ。ガヴァージュという方法ですけれど――テックさまもご興味がおありなら、お教えいたしますわよ?」
「――いらんッ!」
テックさんは食肉ギルドの長だ。その彼が、一介の成金風情だと思っていた女性に、肉のことを教えられるなんて、屈辱以外のなにものでもないだろう。
事実上、ノックアウトバーガーより劣るといっているようなものだ。
ガヴァージュという言葉の意味は知らないけれど、フォアグラの製法ならば、前世テレビかなにかで見た記憶がある。餌を口から詰め込んでいくのだ。ひたすらに。
無理やり食わせ、太らせ、健康ラインを余裕でぶっちぎるほどに肥えさせたガチョウの肝臓。脂肪肝。
それがフォアグラ。
そんな製法――この世界には、ない。
「それに、だ。このロッシーニバーガーとやらは、ノックアウトバーガーでは販売していないじゃないか! そんなものを勝負に持ち出してくるなど、卑怯だぞ!」
「あら、それはそちらも同じではありませんこと? カフェ・カリムでそちらのハンバーガーを販売していたことはないと思いますけれど」
「――だがッ」
「それに、わたくし、こちらのロッシーニバーガーはきちんと提供していく所存ですもの。貴族円街の店舗でだけ、一日十食限定で――ですけれど」
その言葉に、背後から「やられた」というつぶやきが聞こえた。コロンさんの声だ。
「あんた――あたしらを宣伝代わりに使う気だったんだね? 当て馬にしたんだ。そうだろ?」
「いやですわ、コロンさま。わたくしがそんなにずるがしこい女に見えますでしょうか」
全員がうなずいた。ウィステリア君もだ。きみどっちの味方だ。
「客観的に見て社長はずるがしこくてセコくて性根のねじ曲がった最低な人間かと思います」
「ちょっと待って少年、あたしそこまで言ってないからね?」
あらやだ、なんて身をくねらせてレイチェル・タイムが笑っている。それでいいのか主従関係。
そのとき、立ち上がって怒気をあらわにしているテックさんに、ジェビィ氏が声をかけた。
「テック。もうそのあたりでやめておけ。そろそろ審査を行えばどうじゃ?」
――そうだ。まだ、それがあった。結果は見えているけれど。
重々しい空気の中で、最初に口を開いたのは、ウィステリア君だった。彼は両目をつむって少し考え、
「マリウス・カリム様のハンバーガーも大変おいしくて、実のところ、見くびっていたと反省しています。特にソースは……個人的な話にはなりますが、私、チーズが好きで、とても好みでした」
ですが、と美少年は言葉をつないだ。
「――少々、圧倒的すぎました。身内びいきととられるかもしれませんが、私はレイチェル・タイム社長のハンバーガーに一票」
続いて、レイチェル・タイムが、
「わたくしも、まあ、当たり前ですけれど、自分に一票ですわね」
これで二票。さらに、ジーン・アントワーヌが、むうと唸って言った。
「……公平に、ひいき目なしに、わたくしもレイチェルさまに一票を入れますわ。どちらもおいしかったのですけれど――申し訳ありませんわ、マリウスくん」
本当に残念そうに、ジーンは言った。ささくれた心が、謝るなと叫びだしそうだったけれど、耐えた。もう、考えるまでもない。僕らは負けたんだ。だれだって、レイチェル・タイムのほうに入れる――。それこそ、僕だってだ。
なのに。
最悪は、まだ続いていた。
「おれは! マリウス・カリムのハンバーガーに一票だッ!」
肉屋のテック――彼は、血走った目で言った。
フォアグラのうま味を、その特異性と肉としての価値の高さを、この場で一番理解しているはずの男が、顔面を蒼白にしながら、言った。
公正な判断を下す場で。彼は、やってはやらないことをした。
必死の形相で僕とプリムをにらみつける、その眼光。強い意志のこもった、追い詰められた人間の瞳。
――同数にしろ、と。それで敗北は避けられる、と。
そうだ。最初から、そのために――審査員を同数ずつ出していた。レイチェル・タイムがどのような手段を用いてくるかわからないから、最悪でも同数で引き分けに持ち込めるように。
まさか僕らが、勝負の本質の部分で負けるなんて思っていなかったから。なんて傲慢さだろう。
「――あ」
震える。のどがひきつったようにふるえて、妙な声が漏れた。
じっとりと汗ばんだ手のひらをズボンにこすりつけて、僕は浅い呼吸を何度か繰り返す。
いいんだろうか。これで、いいんだろうか。
でも、そうしないと――商人円街が終わってしまう。それはいやだ。
僕の店が、消えてしまうかもしれない。
ぞっとする。僕の居場所が。僕の城が。実家にもいられず、冒険者としてもなじめず、最後に残ったこの街が。
「僕、は……」
消え入るような声で。
「僕自身に……マリウス・カリムに、一票……です」
絞り出すように、言った。
卑怯で、ずるくて、情けなくて。
けれど、すがるように――言った。
同数となれば、守れると思った。みじめにはいつくばってでも、それで守れると思った。
思っていた。
「あたしは、レイチェル・タイムのロッシーニバーガーに一票を入れる」
プリムが、そう言うまでは。
全員が、プリムを見た。彼女は、まっすぐと前を見据えて――僕と違い――堂々と、背筋を伸ばして、宣言した。
「商人円街がどうとか、ギルドがどうとか、正直――あたしにはよくわかんないよ。あたしはさ」
プリムは、ただまっすぐに、僕を見つめる。透き通った瞳。その奥にあるものを直視できなくて、僕は目をそらした。
「バカで、自分勝手で、ガキで――足りないものがたくさんある人間だよ。それでも――だからこそ、あたしはうそをつきたくない」
うそ。
それは――僕のことか。
テーブルの木目を見つめながら、いたたまれなさが過ぎ去るのを待っていた。そう簡単に消えるわけもないのに。
「ねえ、マスター。マスターがさ、あたしに黙っていたこと――それはどうでもいいの。アントワーヌ家の長男だったとかどうでもいい。マスターと実家のあいだにどんな問題があろうと気にしない」
「……なんで、知って――」
「聞いてたから。こないだ、店飛び出してから――やっぱり気になって、裏口でずっと」
ジーンとの会話を聞かれていたのか。背後から、驚きの声が聞こえる。顔役が驚いているようだ。知られてしまった。けれど、僕はやはり、ずっと木目を見つめている。
「びっくりしたし、裏切られた気分にもなった。でも、マスターは会いに来てくれた。あたしがいいって、言ってくれた。マスターがたとえ料理にうそをついても、あたしだけは――マスターの料理にうそをつかない。絶対に、マスターにうそをつかない。マスターだけじゃない。あたし自身にも、うそはつきたくないの」
あたしは、うそを、つかない。
プリムはゆっくりとそう言って、再度宣言した。
「あたしは、レイチェル・タイムに一票」
――は。と、僕は大きく息を吐いた。そっか。じゃあ、仕方ないよね。
ずきずきと、胸の奥に寒いとげのような風が吹き込んでくる。痛いほどに寒くて、冷たくて、熱に浮かされた魂が、すぅっと現実に立ち返るような。そんな言葉の数々。
四票対二票。
「……僕の、負けか」
言葉にしてみると、なぜか、すっきりした。木目とのにらめっこをやめて顔を上げてみると、プリムは水晶のような瞳で僕を覗き込んでいる。大丈夫? と聞かれているような気がした。大丈夫。ありがとう。
テックさんは赤黒くなるほどしかめた顔でうなっているし、後ろにいる顔役たちも複雑そうな表情でなにかを話し合っていて、僕は大変なことをしでかしたんだと、いまさらながら理解した。
バカで、自分勝手で、ガキで――足りないものがたくさんある人間。プリムの言った言葉。
それは僕のことだ。現実からずっと逃げてきたバカ。
「――レイチェル・タイム」
声をかける。せめて、最後は――プリムの前では、大人でいたかった。大人のふりをしていたかった。
かっこいいとこは見せられなかったけれど、格好つけることくらいは許されてほしい。
「好きにしろよ。僕を。ただし――僕だけだ。いいな?」
「くふ」
レイチェル・タイムは笑った。仮面の笑みじゃない、本当の笑み。うまくいった、と喜ぶいたずらっ子のような、純朴な笑み。
「いいですわね、ここまできれいに勝てると悪役冥利に尽きますわ。だから――悪役らしく、宣言して差し上げましょう」
カウンターの向こうから、手を伸ばしてくる。細い指で、くい、とあごを上げられた。
「あなたはこれよりわたくしのモノ。わたくしの所有物。わたくしのおもちゃ。それではさっそく遊びましょうか」
――わたくしがあなたに飽きるまで。
そんなベタなセリフとともに、僕は彼女のモノになった。




