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気づいたら犯罪者だった  作者: あいしぇいと
第二章 鍛錬
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第十九話 「試練の時」

 この日、俺は一人で応接間を訪れていた。

 そうしたのは言うまでも無く、呼び出されたからである。


「エルさん、来ていますね。奥で支部長がお待ちです、入ってください」


 執務室の扉が開き、現れたアトリエルさんが俺を見て言った。


 はい、と返事をした俺は一度目を閉じてふぅーっと息をつく。


 ……いよいよだ。

 この日のために、厳しい鍛錬を乗り越えてきた。

 一週間という短い期間だったが、途轍もなく長く感じる。


 何かに夢中になっている場合、時が早く流れる。


 なんてことは、必ずしも言えないと思う。

 もちろん夢中になっていれば時は忘れるものだし、

 早く時間が過ぎてくれ、なんて思う時に限って長く感じるものだ。


 しかし逆もあるんじゃないかとふと思うわけだ。

 充実していればいるほど、思い起こした時にそれだけの内容があるってことだから。

 何もせずボーっとしていたのならば、それこそあっという間に記憶の反芻は終わってしまうことだろう。



 支部長に余命を宣告されたこと。


 それに懸命に抗うと誓ったこと。


 トイレで散々な目に遭ったこと。


 一人ではなく、仲間たちと戦うことを決めたこと。


 リルーネと二人で扉を開けたこと。


 グリドとロズの戦いを目の当たりにしたこと。


 クロシェル隊長のもと激痛に耐えたこと。


 ……今でも鮮明に思い出される。


 そして。


「僕とエルとの運命の物語が、今日で終わるなんてことはあり得ないさ。むしろ今日から紡いでいくんだからね」


 なんてくさい台詞を残したテラ。


「また、会えるよね? いっしょにご飯食べようね? いっしょに寝ようね? 約束だよ?」


 そう涙目ながら手を握ってくれたロズ。


「……今のお前なら問題ない。共に行くぞ、外の世界へ」


 真剣な眼差しで肩に手を置いたグリド。


 三人に背中を押してもらったという、貴重な時間がある。


 ――これをあっという間の一週間だったと言ってしまっては、あまりにも薄情だろう?



「っし」


 俺は目を開けると、支部長の待つ奥の部屋へと足を踏み入れた。


「来たか」


 気配を察したのか、俺が馳せ参じたことを言う前に支部長はそう口にした。

 ギィという音を立てながら重厚な造りの椅子を回転させ、俺を視界に入れると口元を吊り上げた。


「ガハハハハ! 傑作だなぁ、エル坊。お前、誰かになんか吹き込まれたのか?」

「……何の話です?」


 突然笑い出した支部長を見ながら、俺はそう訊き返した。


「俺は人の心が読める……ってのは知ってるよなァ」

「……はい」


 ”色欲”の能力のひとつに、”感情の機微を悟る”というものがある。

 これは対象の感情の変化を感じ取るという力だが、熟練にもなると心が読めるって話だ。


「無論、この力はそこまで万能じゃねぇ。おめーが”バナナ”という単語を思い浮かべていたところで、俺にはそれはわからねぇ。あくまでも読み取れるのは感情だけだからな」


 その話は理解できる。

 今こうして頭の中で情報を整理していることや、言葉にしていることは読み取られてはいないのだ。


「だが、”殺す”と頭に思い浮かべたことはわかるわけだ。その言葉には感情が乗るからな。いわゆる殺気ってやつだ」


 これも理解できる。

 だが、何故いまその話を挙げているのだろうか。


「俺が感じ取ったのはな、エル坊、お前のある感情だ」


 支部長は、俺の顔を見て笑い出したのだ。

 おそらく何かを読み取って、笑った。


「お前は心のどこかで”死にはしないだろう”と思っている。殺されはしないだろう、とな。だがどこでそう高を括った? 支部長はそんなことをする人じゃないとでも言われたか? ん?」


 支部長は眉間に皺を寄せて机に体を預けて言う。


「誰に言われた? グリドか? テラか? それともそこのアトリエルか?」


 びくり、と体が反応した。

 確かに周りの反応はそうだった。

 支部長がそんなことを?

 と、誰もが首を傾げていたのが印象的だ。


 つまりそこから導き出される支部長の人格は、人望に厚く、部下に優しい理想の上司と言える。


 現に妻であるアトリエルさんからも優しい人であること、そして本心からではなく俺を気遣ってこその発言であることを耳打ちされたのだ。

 そんな彼女は支部長に名を呼ばれても涼しい顔をして傍に仕えている。いたって平静だ。

 ……もしかしたら心を読む彼に付き従うと決めてからそうしているのかもしれない。


「お前がシンの息子だというから預かった。あいつに頼まれたのもある。それは事実だ、認めてやる」


 支部長は机から手を離すと、回り込むように俺に近づいてくる。


「だが、こうも言われてるんだよ、エル坊」


 俺の正面に立つと、鋭い眼光を向けながら口を開いた。


「……使い物にならなかったら、殺してもかまわないってな」


 ――まじかよ親父。

 実の息子を殺してもかまわないって、本気で言ったのかよ。

 母さんが聞いたらなんて顔をするんだろうな。

 流石に冗談の類だと思いたいが……。


「……あいつは冗談は好まん」


 感情だけではなく文字通り心まで読んで見せると、俺の胸倉を掴んで軽々と持ち上げる。

 相変わらずの強力で、為すすべなく持ち上がった俺の体を見上げながら低い声で続けた。


「それは俺もだぁ。……だからお前のその”死にはしないだろう”っていう腑抜けた感情が癇に障るんだよ」


 ギリ、と歯軋りの音が聞こえた。


「俺を舐めてんじゃねぇぞ!!!!」


 刹那。

 メリ、と軋む音をたてながら俺の腹に脚がめり込み、その勢いで俺は後ろに大きく吹き飛ばされた。


 だが、俺は壁まで数センチのところで踏みとどまり、支部長をまっすぐと見た。

 もう変わったんだ。一週間前の、無様に壁に叩きつけられて血を吐いていた俺とは。


 死にはしないだろう、そう思っているのは事実だ。

 支部長の能力で読み取ったってんだから、それこそ間違っているわけがない。


「お言葉ですが、支部長」


 ……でも、肝心のところが違うんだよ。


「あァ?」

「私はあなたのことをそんな風に思っていません。どこかで私を許してくれるだろう、命までは取らないだろうと。舐めるなんてような真似は決して」


 支部長は怒りに歪んだままの表情で俺の話に耳を傾けている。


「支部長はこうも言いました。使い物にならないゴミかどうかを確かめる、と」


 そして、そうであれば革命軍の秘密を知ってしまった存在として、処分されるのだ。


「言ったな、だからどうした」

「単純な話です。使い物なればいいんですよね? ならば大丈夫です。支部長は私を殺しません」


 そこで初めて表情を緩めると、支部長はきょとんとした後、盛大に笑い始めた。


「ガハハハハハ! なるほどな、傲慢もそこまで拗れると笑うしかねぇなぁ」

「褒めていただき光栄です」

「いいぞ、約束だ。ついてこい」


 支部長は笑みを浮かべたまま背を向けた。


 ……これがただの思い上がりなのであれば、命を落とす。

 それだけのことだ。




 案内されたのは、地下だった。

 いや、すでに地下だったわけだから、より階下の場所というのが正しいか。


「こんな施設が下にはあったんですね……」

「ガハハ! そうだ。本部に比べればちっせぇ施設だが、他の支部にゃぁ劣ってねえ」


 支部長は屈託の無い笑顔を浮かべて施設の自慢を始めた。

 今から俺を殺そうとしている人には到底見えないな。


「おめーに渡した紙には書いてなかったかも知れねぇが、”研究”ってのも大事な活動の一つだ。

 大罪因子にはまだまだわからないことだらけだからな。封じられた歴史のこともあるし、世界政府がやろうとしているプロジェクトのこともある」


 確か人造覚醒者ってやつだったか?


「世界を変えるにゃあ、どうしても世界政府を倒す必要がある。いかに大罪因子を知るかが鍵を握るわけだ。この戦いにはな」


 つまりこの階下の施設は、全て大罪因子の研究を進めるためのものだというわけだ。

 見渡す限り見たこともない装置が並び、白衣を着た研究員が忙しなく走り回っている。



「ここだ」


 支部長が足を止めたのは、数ある研究室の一室だった。

 扉には大きな文字で”変異体研究部門”と書かれている。


「”変異体”、ですか。聞いたこともないですね」

「入りゃあわかる。ついて来い」


 寒気のようなものを感じながらも、言われるがまま開かれた扉を抜ける。

 そこに広がっていたのは、奇妙としか言いがたいものが並べられていた。


「こ、これは……」


 否、浮かべられていると言った方が正しい。

 ガラスで作られた筒状の容器の中に、イヌやネコ、ありとあらゆる哺乳類が収められている。

 奇妙というのは、それらは全て全身の筋肉が捻じ曲がり、内臓という内臓が飛び出しているからだ。

 まさに見るに耐えない状態だったのだ。


「な、なんですかコレは?」


 あっけに取られた俺はそう口にするしかなかった。

 入ればわかるといったからには、この奇妙な生物たちが変異体だとでも言うのか。


「これは変異しそこねた出来損ないであると考えられます。近年世界各地でこのような生物の死体が発見されている……これはその一部を回収したものです」


 そう言ったのはその生物たちを管理しているかと思われる科学者だ。


「支部長、お待ちしておりました。準備はできていますが……一体何を入れるつもりで?」


 奥からもう一人現れた科学者は深々とお辞儀をしてそう言った。

 彼は支部長を待っていたようだ。おそらく、何らかの命令を下されている。


 それは言うまでも無く、俺に関わることなんだろうと直感した。


「入れるのはコイツだ」


 支部長は俺の背中を強く押すと、そう言い放った。

 ぐん、と前のめりになるのを堪えて顔を上げると科学者たちと目が合った。


「かまいませんが……捕虜かなんかですか?」

「一応これでも覚醒者だ」


 科学者は支部長とそう会話を交わす。


「! わかりました。例のアレを入れて様子見をしよう、ということですね?」

「そうだ」

「……命を落とす危険性もありますが」

「無論問題ない。コイツが使えなかったというだけの話だ」


 話が掴めない。

 三人は先ほどからちらちらと隣にある小部屋を見ながら話している。

 おそらく俺は今からここへ入る、というわけだ。

 最初はこのイヌネコのようにガラス管の中に入れられると思い冷や冷やしたぞ。

 ……いや、命を落とす危険性があると言うのだから、どちらも嫌なことには変わりないな。


「早速はじめろ。エル坊、入れ」


 支部長のその合図で、脇の小部屋の扉が開く。

 扉といってもシェルターのような構造をしており、それもかなり頑丈な造りだ。


「コレが試練、ってやつですか。生き残ればいいんですよね?」

「やれるもんならやってみろ。ここから出た時には、お前を使うことにする。無論死体で出てきても使ってやるから安心しろ」

「はは、冗談はよしてください」


 俺は笑いながら一歩、部屋へと踏み出した。


「言ったろう、俺も冗談は好きじゃねえ」


 その言葉を最後に、シェルターは閉じられ、外の音は何も聞こえなくなった。



 その部屋は、暗闇だ。

 壁に手を触れてみる。そこらの壁とは違って、かなり頑丈な材質のようだ。


『そうだ、最後に質問に答えてやる』


 部屋のどこからか、支部長の声が響いた。

 スピーカーかなにかが備え付けられているようだ。


「やだなぁ、最後だなんて。これから色々教えてもらうんですから。……。」


 俺の気の抜けた発言には一切の反応が見られなかった。

 こちらからの声は聞こえないのか、それとも無視されただけか。


『見ろ。これが”変異体”だ』


 その音声と同時に、部屋に明かりがともされ、視界がクリアになる。

 そしてすぐに気づく。

 そこには居たのだ。


「みゃーお」


 ネコだ。

 一匹のネコ。

 ガラス張りの壁の向こうに、小さなネコがくつろいでいた。

 それ以外には何もなく、ガラスを挟んで俺と猫が見つめあっているだけだ。


 だがその目を見て異変に気づく。

 異様に赤いのだ。瞳が。

 赤く光っていると言っても過言ではない。

 俺を見ているその目だけが、違和感を拭い去ることを許さなかった。


「このネコが変異体……?」


 さきほど見た変異し損ねたと呼ばれる生物たち。

 確かにそこにもネコはいた。


「みゃー」


 そのネコは俺に興味を持ったのか、近づいてくる。

 しかしガラスの壁に阻まれてしまう。


「支部長は一体何がしたいんだ……? 変異体を見せたかった? しかし命を落とす危険性なんてこれっぽっちも……」

「みゃあ」


 その泣き声に俺は愕然とした。

 背筋が凍るような感覚に俺は急いで飛びのいた。


 ――その一匹のネコは、ガラスの壁を越えて俺の目の前に居たからだ。


 どうやって越えた?


 そんなのは明白だった。見ればわかる。

 ”引っかいた”のだ。


 ネコ越しにガラスを見ると、それはまるでガラスカッターで綺麗に切り取られたかのように穴が開いている。

 俺は視界の縁で捕らえていたのだ。ネコが前足を上げ、すっとガラスに添えるのを。

 そしてガラスはあっけなく切り取られ、できた穴を通ってネコはこちら側に来た。


「い、いったいなんだんだコイツは」


 ネコは俺への興味が尽きないのか、ゆっくりと歩みを進める。


 普通じゃない。普通のネコに、ガラスを切り裂く力など無い。

 だからこいつは”変異体”なんだ。

 何か異なるものに変わってしまったネコなんだ。


『見たか? それはネコの変異体だ。変異体といのはわかりやすく言えば、憑依体と同じだ』


 響いてきた音声に耳を傾けながら、近づいてくるネコを見る。

 赤く光る瞳に見覚えがあった。これは憑依体のソレと同じだったのだ。


『脳を持つ生物は何も人間だけじゃない。そして、大罪因子もそうだ。何らかのカタチで、俺たちと同じ因子を動物が持っているケースがある。

 後は……わかるな? 動物は本能に基づいて行動している分、簡単に引き出せるんだよ。脳の力をな』


 そういうことか。

 考えても見れば、人間だけが脳を持っているわけではなく、人間だけが脳の力をセーブしているわけではない。

 イヌもネコも脳があり、そして本能に基づきその力を引き出している。

 そこに大罪因子が加わることで、まだ見ぬ力を引き出せる動物が完成する。


 それが”変異体か。


「みゃーお」


 ”変異体”の猫は無垢な声で鳴きながら、俺の足元を目指して歩いてくる。


『ま、ソイツを処分しておいてくれ。できるならな』

「そういうことかよっ」


 てっきり試練というのは支部長とバトルでもするのかと思ったが、ネコとやりあうことになるとはな!


「少しかわいそうだが……」


 見た目も仕草もなんら普通のネコと変わらないソレを、俺は睨みつけた。


「許してくれよっ!」


 思い切り振り上げた足で近づいてきたネコを蹴り上げた。

 ネコを処分するだけならば、容易い。

 俺の足がネコに触れるまでは、そう思っていた。


 確かに全力で蹴ったのだ。

 普通ならば、そのまま天井まで吹き飛び、叩きつけられて絶命する。

 ただでさえ”肉体強化”によって密度を上げた蹴りだ。


 だがソレはゆっくりと浮き上がり、そのまま着地した。


 違ったのだ。何もかもが。


 最初に気づいたのは、手ごたえだ。

 サッカーボールを蹴った時、そのボールがどう飛んでいくかとか、どこまで飛ぶかとか、そういうのは大体わかる。

 蹴る力もそうだし、どこに足が当たったかによってもかわるそれを、なんとなく感じ取れる。


 だがネコに足が触れた瞬間、これは飛ばないと直感した。

 なぜなら普通のネコではあり得ないほどの質量を有していたからだ。

 20キロ。それくらいだろうか。

 米袋二つ分の重さもあれば、流石に蹴り上げたところで天井まで届くはずも無い。


「フシャーーー!!」


 ネコは俺の攻撃に驚いたのか、毛を逆立てて俺を威嚇し始めた。


 畜生。

 やるってんならいいだろう。

 これはケンカだ。野良猫とのケンカ。

 人間様に歯向かうとどうなるか、思い知らせてやろう!


「ジャッ!」


 俺がぴくりと動いたのにあわせて、ネコは盛大に跳躍し、飛び掛ってきた。


「くっ」


 俺は腕に力を込めてそれを力強く払いのけようとする。

 だがそこでも感じ取ってしまった。


 本気で小動物と殺しあうというのを、イメージできるだろうか。

 一方的ではない。相手は野生なんだ。

 食うか食われるかの戦いをするとして、人間はネコにどう対抗する。


 当然、武器かなにかがあればそれは容易く勝てるだろう。

 しかし残念ながら俺は手ぶらだ。

 グリド達のように体を変異させることができるのであれば楽だったが、そうではない。


 素手の人間は、どう対抗する?

 おそらく苦戦をすることにはなるだろうが、それでもまず負けることは無い。


 なぜなら飛びつかれ引っかかれてもこちらのダメージは表面的なものに過ぎないからだ。

 一方こちらはその小さな体を掴み、床にでも壁にでも叩きつければいいだけの話だ。


 だから俺はそうしようとした。

 飛びついてくるネコを思い切り叩き落すなり、振り払うなりしようと。


 だが現実は、その圧倒的質量に腕は軋み、ネコはそのままぶれることなく俺に掴みかかったのだ。


 そう、人間が勝っているといえるその”体の大きさと重さ”は、この変異体に対しては通用しないのだ。


 そしてもう一つ。


「ぐ、ぐあああああ!」


 俺は叫び声を上げた。

 ネコはその尖った爪を俺の体に突き立て、そして縦に切り裂くように床に着地した。


 ――ダメージは表面的なものに過ぎないというのも、全くの嘘である。


 それもそうだ。

 あの厚そうなガラスを簡単に切り裂ける爪を持つネコだ。

 おそらく生身の人間を殺すことくらい容易いだろう。

 皮膚硬化を経て頑丈になっていた俺の体でさえも、ナイフで深く切りつけられたような跡がつき、じわ、と血のにじみ出る。


 動脈までは達していない……。


 そう判断はしたものの、これを何度もやられれば俺は出血の観点から見ても殺されるだろう。

 肝心なのはそれを許さないことと、どうやり返すかだ。


 今の俺が習得しているのは皮膚硬化と、身体強化のみ。

 中級解放は結局よくわからないままだ。


 皮膚硬化の具合も、多少はマシになっているが、ネコの攻撃に無傷でいられるほどでもない。

 肉体強化の方も、筋力増加させての蹴りをお見舞いしたがダメージは無さそうだ。


 つまり現状ではじわじわとダメージを受ける一方で、死ぬのも時間の問題だ。



 俺が猫に殺される?



 そう考えた瞬間、胸の奥で燻っていた黒い霧が噴出し始めた。

 また、だ。


 この黒い霧の正体はよくわからない。

 だが、なんとなく俺の精神状態に関連しているんじゃないかと思うようになった。

 それも、必ずある感情を抱いた時だ。


 逆の感情。


 俺ならできるとか、こんなところで死ぬわけがない、とか。

 これくらいなんとかなるとか……そういった傲慢な感情、の逆。


 俺なんかには無理だ、このままでは死んでしまう。

 これはどうしようもない……といった感情だ。


「はっは、これはわかりやすい」


 どうやら俺の胸の奥の霧は、許さないようだった。

 そんな感情を抱くんじゃない、と。

 お前は傲慢の覚醒者だろう?と。


「いいぜ、見せてやるよ、猫ちゃん」


 力を借りるぜ、リルーネ。


 そう心の中で呟いた瞬間、胸の中が熱くなるのを感じた。

 黒い霧は一瞬で姿を消し、代わりに一筋の光が射す。


 この感覚、俺は知っている。


 その熱さはゆっくりと広がり、左右に分かれ、そして腕へと伸びていく。

 腕には白く光る紋章が刻まれていき、指先まで達すると一際大きな光を放った。


「は、流石は俺」


 俺は確かな実感を持っていた。

 この熱さ、この紋章、この光。


 間違いない。これは大罪因子の能力を引き出したのだ。


 俺の両腕は光に包まれ、熱く煌いている。

 ”傲慢”の能力が何なのかはまだ知らない。


 ”細胞を分け与える”とか”感情の機微を悟る”とか。

 ちょっとそれは戦闘向きじゃない気がするが、クロシェル隊長が見せた”振動を与える”ようなものならば、いくらでも応用が効く。


 いいぜ、待ちに待った能力行使の時間だ。

 ……くっく、すまねえな、猫ちゃんよ。


「実験につきあってもらうぜ?」

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