第十八話 「傲慢な産声」
――痛覚が自身の肉体に異常が発生していることを伝えるまで、何をされるかなんて見当もついていなかった。
普通は一ヶ月かかるところを3日で済まそうってんだから、少なからず痛い思いをするだろうとは思っていたし、
かなり苦しい状況を乗り越えてこそ得られるものに違いない、と覚悟を決めてもいた。
二人の治癒師がつきっきりでないと成り立たないものだと察してからは、
俺の体は痛めつけられるのでは?
とか
確実に怪我をする訓練なのだろう……
とか
下手したら前みたいに腹を割かれて耳を吹き飛ばされるかもしれない!
なんてことまで頭を巡らせたわけだが、まさかここまでされるとは思ってもいなかった。
ブチブチと音をたてて、俺のあらゆる筋繊維が千切れたのだ。
いや、千切れたのではない。千切られたのだ。
クロシェルは俺の腕を掴み、俺の体を破壊している。
橙にきらめく瞳からはなんらかの能力を行使していることは見て取れる。
「~~~~~~~~!!」
声にならない悲鳴を上げ、俺は膝からぺたりと地面に倒れこもうとする。
しかし膝にまったくの力が入っていないのにもかかわらず、俺の体は落下しようとはしなかった。
それもそのはず、クロシェルがものすごい力で俺の腕を掴んでいるからだ。
「ペースが遅いぞ、ロズ。動揺するな、ただ端的に治せ」
「そ、そんなこといったって!」
ロズは俺の肩に手を置いて、次から次へと千切られていく筋繊維を修復していく。
腕を走る紋章はポンプのように波うち、俺の体へと輝きながら移動している。
おそらくロズは自らの細胞を分け与え、切り離されていく筋肉を繋ぎとめているのだろう。
しかし唐突の現象に頭がついていっていないようで、やや破壊のスピードが勝っている。
「仕方ない、一度止める。治しきれ」
クロシェルはそう吐き捨てると、能力の行使を止めた。
するとすぐさま修復が追いつき、俺の体は元の状態に戻された。
……ただ激痛によってありとあらゆる毛穴から汗が噴出し、意識も朦朧としている。
なんだってこんなことをしているんだ?
壊して、治す。
まるで筋トレでもしているようだ。
そこまで考えて、ハッとする。
俺に必要な素養とは、細胞の密度という話だった。
明らかに覚醒者として密度が小さくようで、もやし呼ばわりをされるくらいだ。
その密度をどうやって上げる?
そんなの簡単だ。
”作り変える”のだ。
「気づいたか」
クロシェルの声に、俺は汗をたらしながら視線だけを上げる。
湿った前髪の隙間からほくそ笑むクロシェルの顔が映る。
「人間の脳には防衛機能が備わっている。一度破壊された組織は、次は破壊されまいとより頑丈な状態で作り変えられるのだ」
知っている。
筋肉トレーニング、いわゆる筋トレにはこの”超回復”というメカニズムが適用されている。
激しい負荷を与えることで筋繊維を破壊し、以前よりも強い状態に回復させるのだ。
この一種のリバウンド現象を利用して、細胞の密度を上げようってわけだ。
「俺たち覚醒者は脳の機能をより強力に行使できる……副作用と引き換えにな。
ロズが細胞を修復し、セレンが物質を補充する。お前はただ脳を酷使し、超回復を繰り返せばいい」
「……」
話で聞くのは簡単だ。
痛めつけて、回復させる。
回復する時に強くなるので、また痛めつける。
繰り返せばどんどん強くなる。
しかしこの話を聞いて、「あ、はい。じゃあお願いします」だなんて言えるわけが無い。
なんたって”痛めつけられる”んだからな。
筋繊維を引きちぎられる痛覚を知っているか?
こむら返りや、肉離れなんて比じゃないぞ。
靭断裂に近い。それが全身だ。
「いいか、意識だけは保て。それ以外のものは必要ない。意識だけあれば脳は機能し、お前は強くなれる」
「……」
くそ、あれを何度も体験するだって?
ふざけるな、としか言いようが無い。
もう一度あの痛みを覚えて意識を保てる自信が無い。
一回目は脳が追いついていなかったからか、麻痺に近いものがあって意識だけは保たれた。
だが次は無いだろう。100%の危険信号が俺の脳を揺さぶることになる。
「ね、隊長、やめましょうよ、こんなこと」
俺が揺らいでいたとき、隣にいるセレンがそんなことを言い出した。
「時間の無駄ですよ、この人もう心折れてるし」
「せ、セレンっ」
冷たく吐き捨てられた言葉に反応したのは俺でもクロシェルでもなくロズだった。
「なんてこと言うのっ、エル君は覚悟を決めてここにいるんだから!」
その言葉に胸が熱くなる。
そして同時に背筋が凍った。
「じゃあなんでこんな死んだ目をしてるわけ? この先意識を保てるはずないわ」
確かに、認めよう。
俺は覚悟を決めてここの来た。
しかし、そのあまりの激痛にそれを揺るがしたのだ。
そこまでされるとは思っていなかったのだから仕方ない……
とかくそみたいな言い訳が零れる寸前だ。
「まったく、ロズもテラ君も……隊長もですよ、なんでこんな奴に可能性を感じるなんて、どうかしてます」
その言葉を聴いた瞬間、俺の心の中で何かが変わった。
ぶわ、と黒い霧が胸の中を多い尽くし、あっという間に闇と化した。
「くっくっく」
俺は笑みを零した。
ああ、久々だよこの感覚。
俺はどうやら、この感じを覚えると、一皮剥けられるらしい。
なんだってよかったんだ。
俺の中のスイッチはとても単純な構造をしていた。
「セレン、君は物質の補充ができるんだよね?」
俺の喉から低い声が絞り出される。言い終わってから俺はセレンを見つめた。
まっすぐと。君が言う死んだ目ってやつでね。
「な、なによ急に」
「質問に答えろよ」
キッと睨みつけて言うと、セレンは一瞬たじろいで見せた。
「そ、そうよ。”嫉妬”の能力を生かしたものだけどね」
「そうか、じゃあ黙ってそれだけをやってろよ」
「ッ?」
俺のスイッチ?
それはいたってシンプルだ。
なんたって俺は”傲慢”なんだから。
――プライドってやつが人一倍強いみたいだ。
「クロシェル隊長、お願いします。俺は折れないんで」
もう一度クロシェルに視線を戻すとそう言った。
……心なしか瞳が熱く燃えているような気がした。
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なによなによなによ。
なんなのよコイツ。
納得いかない。
ただの変態のクセに。
大した覚悟もないクセに。
鍛錬を再開してから数分が経過した。
うちは口をへの字に結んで物質を供給していく。
超回復には大量の栄養が必要だ。
細胞はロズが分け与えれるのでその分は必要ないけれど、破壊されるのは細胞だけではないので失ったものを戻す必要がある。
うちの”嫉妬”の能力はそーいう細胞外の物質を生み出すことが得意だ。
人間の益となる栄養はもちろん、害となる毒も作れる。
この能力を行使した治癒術は隊長にも認めてもらってるし、
テラ君だってなかなかのものだって褒めてくれた。
自信があったのよ。
そしてプライドもあった。
くだらないかもしれないけれど、この能力をこんな変態のために使うってのが嫌だった。
クロシェル隊長が考案したこの鍛錬法は以前から知っていたけど、
誰もやろうとはしなかった。
確か一回だけ挑戦しに来た人がいたけど、最初の筋繊維で逃げ出していった。
その人は別に弱い人間じゃないと思ってたし、討伐隊としての実績もあった。
そんな人でさえ諦めてしまう痛みなんだって思った。
だから確信していたの。
この変態が、この鍛錬をやることに意味がないって。
絶対にこいつは音を上げる。
現に一回目の筋繊維で醜い悲鳴を上げて、ふらふらして、死んだ目をしていた。
だから言ってやっただけなの。
こんなの時間の無駄だって。
このまま続けたって意味無いんだから。
うちの能力を使いたくなかったってのが本音だけど。
なのになんなのよ。
”それだけをやってろよ”ですって!?
むかつくむかつくむかつく。
いいわよ、受けて立つわ。
特別に使ってあげる。
さっさと音を上げるといいわ……っ!
「よし。次へいくぞ。骨を砕いていく……問題ないな」
「……問題ないです」
なにが問題ないよ……面白くない。
さっきまで死んだような目をしていたくせに、今はその面影も無い。
何回も筋繊維を引き裂いて、耐えようが無い痛みが襲ったっていうのに、その目だけはまっすぐと隊長を見据えている。
むしろその目にはこの部屋に来たときよりも決意を感じさせるものがある。
隊長の目が光った。
覚醒者の目に光が宿るのは能力行使の合図。
その色合いによって、どの属性の能力かが判別できる。
私の”嫉妬”は紫、ロズの”暴食”は緑。
そして隊長の”強欲”は橙だ。
甲高い音が鳴る。
”強欲”の力には、”振動を操る”というものがある。
簡単に言えば、物体を揺らすことができる。
振動ってのはあらゆる化学現象と密接に関わっているから、かなり汎用性が高いと言われている。
クロシェル隊長はこの能力を行使して、コイツの体を壊している。
筋肉だけを震わしたり、骨だけを震わしたりと、狙った部位だけを破壊できるっていうんだから恐ろしい。
――ミシミシミシミシッ!
「っ」
骨が軋む音が部屋中に響き渡った。
全身の骨が振動によって砕かれていくっていうんだから、想像しただけで恐ろしい。
「いいか、感覚を掴め。お前の体は、修復される時に密度を上げようとする。
その感覚を掴めさえすれば、能動的に皮膚硬化も肉体強化も容易いものだ」
ロズが骨を修復した時を見計らって、すぐに隊長は振動を加える。
かくいう私も何もしていないわけではなく、崩壊していく組織に物質を供給していく。
ああ、いやだなぁ。
……でも、もう解放される。
流石のコイツも骨を砕かれる感覚には我慢ならないだろう。
見るからに顔は真っ青になっていくし、噴出している汗もさっきとは比にならない。
時間の問題だ。
「よし、いいだろう。一度インターバルを挟む」
……の、ハズなのに。
「ふぅ」
「エル君っ、平気!?」
「なんとかね」
コイツは何もなかったかのように手渡されたタオルで汗を拭っている。
なんでそんな顔が出来るわけ?
確かに今は体も治してあるし、なんともないんだろうけどさ。
筋肉を引き裂かれ、骨を砕かれたんだよ?
「少しずつ、掴めそうなんだ。密度上げるって感覚が……頭ではわかってたけど、それを再現するにはまだまだかかりそうだ」
「ま、まだいけるの……? 大丈夫?」
「問題ないさ。それよりロズ、助かったよ」
「え!? あ、うん!」
くそっ、ロズの前だからって強がってばっかり……。
「セレンも」
「ひっ?」
……変な声が出た。
「ありがとう」
コイツは微笑んで頭を下げた。
ドキリ、と心臓が脈打つ。
「な、なによ気持ち悪い。あんたがやれっていったんでしょ……」
どっかで見たことのある笑顔だった。
ああ、そうだ。
シンさんの……
って、なにポーっとしてんのようち!
だめよ、コイツはなんたってトイレでいやらしいことを企んでいた変態なんだから!
「ろ、ロズっ! こんなのほっといて早く食べましょ! お腹が減ったわ!」
「あ、そうだった! たべるたべる!!」
うちは何かから逃げるように部屋の奥へ移動する。
隊長が頷くのを確認してから、すぐにダンボールに手をかけた。
「ひゃ、ひゃあ!」
中には色とりどりの菓子パンが詰め込まれていた。
しかもうちの大好きなクリームパンがどっさりと。
「セレンっ! こっちはおにぎり!! いただきますっ!」
どうやらダンボール別に入っているものが違うようだ。
うちはロズに倣ってクリームパンに手を伸ばし、勢いよく封を開けた。
もぐもぐもぐもぐ!
と、とにかく。
ちら、とアイツの方向を見やる。
どうやら隊長に色々と質問をしているようだ。
もぐもぐもぐっ。
強がっていられるのは今だけよ。
もぐもぐ。
あんたは絶対に諦めるんだから!
ごっくん。
「今に見てなさいよ!!」
……声に出た。
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鍛錬を開始してからもう丸二日が経過し、支部長の試練まであと今日を残すのみとなった。
俺は幾度と無く筋繊維を引き裂かれ、骨を砕かれ、終いには神経までズタズタにされた。
その時の痛みときたらまさに地獄で、気を確かに持つってことがどれだけ困難かを思い知った。
でも俺には譲れない部分があって、それが俺の意識を支えてくれた。
「な、なんで諦めないのよ……もう、ボロボロでしょう……?」
セレンが弱弱しく呟いた。
彼女も俺ほどではないが、かなり疲弊しているようだった。
ロズも同様だが、こう2日間も連続で能力を行使するというのはかなり脳に負担がかかる。
副作用の空腹だけはたっぷりの食料もあってかなんとかなっているが、それでも疲労は溜まらないわけじゃない。
「なんで諦められる?」
俺は答えた。
「俺は生きたいだけさ。そして信じたいんだ」
今では、強くそう思える。
「信じたい……? なにをよ」
俺は肉体をずたずたにされていく感覚に歯を食いしばりながら、フゥーっと息を吐き出した。
「君は、犯罪者として扱われ、人々に追われたことがあるか」
俺はいまもまだ、夢に見るんだ。
あの街での出来事を。
「君は、使えないゴミだと見下されたことはあるか」
そして忘れられないんだ。
支部長に見下ろされ、吐き捨てられたあの言葉を。
「君は、自分のことが社会にとっての不純物だと、そう思えるか」
認めたくないんだ。
俺という人間が、他の何者でもない、ただの犯罪者だと。
「俺は絶対だと信じている」
クロシェル隊長の目をまっすぐに見ながら、俺は続けた。
「俺は犯罪者じゃない」
胸の中で立ち込めていた黒い霧が晴れていく。
「俺は使えないゴミなんかじゃない」
一瞬、あの風景が脳裏をよぎった。
シエルが見ていた、あの地獄のような過去の映像が。
シエルはあの後どうしたのだろうか。
続きを見たわけじゃないから、はっきりとは言えない。
でもわかるんだ。
俺の先祖なら。
”傲慢”の覚醒者だって言うんなら。
「俺は……」
きっとこう言ったと思うんだ。
「――この世界を救ってみせる」
どんな豪雨だって、止めば必ず。
虹が射すんだ。
――ピキィン!!
「む」
突如、謎の音と共にクロシェル隊長が声を漏らした。
気づけば俺の体を襲っていた振動が消え去っている。
「……? 終わりですか?」
あまりに早い。
俺の経験では、まだ1セットの半分も経過していない。
インターバルを挟むには、早すぎるのだ。
「俺が止めたわけじゃない」
隊長は驚いた顔でそう言った。
どういう意味だ?
「ハッハッハ、そうか。そうだよなぁ!」
すると突然隊長は笑い出し、ベッドに倒れこんだ。
「た、隊長!? 一体何が?」
その様子に動揺したのか、セレンが急いで駆け寄った。
「終わりだ」
「……終わり?」
クロシェルはがばっと上半身を起こし、首をかしげていたセレンは後ろに仰け反った。
「鍛錬は終わりだ、元もやしよ」
「へ?」
投げかけられた言葉の真意を捉えられず、俺は声を漏らした。
「もう十分だと言っている。お前ならきっとギガを認めさせることができるだろう」
「ど、どういうことですか!? まだ自分は初級覚醒者のままで……」
「そのままの意味だ」
クロシェルは俺の言葉をさえぎるように言い張った。
なんとか、なったのか?
俺は、間に合ったのか?
クロシェルが嘘をつくとは思えない。諦めたとも思えない。
ならば俺は、この鍛錬を乗り越えて強くなれたということか?
実感など無い。
でもきっと大丈夫だ。信じよう。
脳裏に残った幾許かの痛みが自信へと変わっていった。
「セレン、ロズ、つき合わせて悪かったな。それぞれ自分の力が万能ではないことを知れただろう。今日は戻って休むといい」
「は、はい!」
ロズはその言葉に元気よく返事をして頭を下げた。
セレンはというと頭を下げはするものの、訝しげな目で俺を睨んでいる状態だ。
「わ、悪かったわよ」
へ?
セレンは急遽申し訳なさそうな表情を浮かべ、そう言った。
「色々ひどいことを言った気がするわ……気がするだけよ。だから謝っておくの。念のためね」
「……は、はは」
セレンはそれだけ言い残すと、ロズを引っ張って部屋を後にした。
病室にはクロシェル隊長と二人のみが残された。
「さて、俺は日課の筋トレをしなければならん。お前も部屋に戻って休め」
……今から筋トレをするってのか、この人は。
ロズとセレンはこの二日間の能力行使であれだけやつれていたというのに、この人だけはぴんぴんしている。
挙句トレーニングも欠かさず続けるって言うんだから、まさに化け物だ。
「ギガの呼び出しはいつになるかわからんぞ。準備をしておけ」
「そ、そうですね。失礼します」
俺は深々と頭を下げると、部屋を出た。
いよいよ、明日だ。
明日、俺が生き残れるかが決まる。
そして生き残れれば、俺はテラたちと遠征に出ることになる。
ここからだ。
ここからがスタートだ。
この狂った世界を変えるための、長い道のりは。




