サイドストーリー.4
矢島叶は何処にでもいる少女。
成長過程に多少の問題はあるが、彼女は普通の人間だ。
対して、彼女の憧れの存在である黒希は人間には近いが、大雑把な区切りだと人外となる。その上、女神と互角に渡り合える実力を持つ。つまり、彼の力は神にも匹敵する。
ロキの理想を現実にする力で、叶は黒希の力を完璧に複製し、使用することができる。
力を複製するには、一つだけ問題がある。
黒希の能力の詳細を知らないということ。
初めてケルベロスと一戦交えた時は、咄嗟に思い浮かべた黒希の姿を自分に重ねた。それで、ああなった。
今度は、慎重に。
『お前は人間だ。それを忘れちゃいけない』
そう、ロキは言った。
『あの力の欠片程度なら、人間でも扱えるはずだ』
「……」
あの力の欠片程度を知るには、幼少期の記憶を見るのが最適だろう。
どういうわけだか、彼の記憶が見える。それも鮮明に。
まるで、私自身が黒希みたいだ。
最初は、そうだな。
俺には感情ってものが無かった。
誰を殺しても何も感じないし、思えない。
両手が血で汚れても、公園で泥遊びをする子供と同じ、ただ『汚れた』としか思わない。
それまでは、俺は強かった。
感情が無いからどんな事も出来た。
彼女に会ってから、俺は弱くなった。
誰かを傷付けると胸が苦しい。
手が血で汚れると、不快感がする。
でも、それで良いと思う。
強さってのは、誰かを殺せる事じゃない。
誰かを守る事でもない。
どうすべきかを考えられる事だと思う。
考えた結果の行動が良くも悪くも、思考次第。
その強さで言うなら、俺は強くなったんじゃないかな。
彼女が教えてくれた優しさ。
家族が俺に与えた憎しみ。
その二つで、力の強弱をコントロールするんだ。
冷徹と優しさ。矛盾してる、なんて言うなよ。芸術は狂気と紙一重なんて言うだろ? そんなのと同じだ。
いや、もっと具体的な表現があったな。
守る力と傷付ける力ってのは、所詮はどっちも同じ力なんだ。使い方次第で意味が変わる。
この表現が一番解りやすいんじゃないかな。
「……冷酷と優しさか」
胸の内に満ちる『黒』が、思考回路まで染め上げていく。
やり場のない怒り。
それを消そうとしてくれる優しさ。
矛盾したもの身に宿し、叶はケルベロスを見た。
右手に握る銀のナイフを逆手に持ち…………、
まだだ。
「?」
脳が、誰かに揺さぶられたような感覚がする。
まだ、欲しいだろ?
「何……」
男の声? その声は黒希によく似ていたが、別人だと分かる。
力があれば、お前が望む存在は全て手に入る。
「何、これ……ロキ。ロキ?」
応答する声はない。
受け入れろ。お前が欲した力だぞ。
「……」
受け入れて、気に食わない存在を殲滅しろ。
そうして、己が望む存在を手にするがいい。
「望む……もの……」
力。
黒希みたいに、誰にも負けない力が欲しい。
「……ん?」
敵対する少女の気配が変化したことに、ケルベロスは目を細めた。
殺気…………いや、これは違う。
誰もが逃れられないもの。
『死』だ。
「……ッ‼︎⁉︎」
動く、そんなものじゃない。
壊す、それだけでは収まらない。
目の前にいた少女の右肩からは真っ黒な片翼が飛び出し、右手には、片翼同様真っ黒な大鎌が握られていた。
咄嗟に身を引くケルベロス。少女の一撃を躱す。
彼女の背にある光景に、ケルベロスは目を見開いた。
風景に生じたヒビ。ただ地面を蹴る行為だけで、その異様な出来事は起きたというのか。
そして今、それを成した女は、まさに『死』の体現者に相応しい存在となっていた。
まるで死神。
いや、これは…………、
「貴様…………『死の神』か‼︎」
噂程度にしか知らない、その存在。
ただ、皆が、魔王でさえも口を揃えてこう言う。
アレに遭遇すれば、死する他ないと。
そんな奴が今、目の前にいる。
『後継者』ではなく、その『後継者』というシステムを創り上げた張本人が、そこにいる。
何故だ。
アレは、ただの人間の女のはずだ。
それが何故、神になどなる。
アレは、一体何なんだ。
二撃目が迫る。大鎌ではなく、何か冷気のようなものを纏う右手が伸びてくる。
『魂を破壊する力』。『死の神』のみが手にする、絶対死を与える恐ろしい能力。
その力が宿るのは、右手。
ケルベロスは、逃亡を選択した。賢明な判断だ。ただでさえ位が違いすぎるのに、相手はその中でも抜きん出た強さを誇る神。逆立ちしようが勝てっこない。
少女に背を向け、民家の屋根へと跳ぶ。全力で駆ける。
背後で、音がした。何かに亀裂が入ったような小さな音だ。
肩越しに後ろを見る。
そこで、ケルベロスの意識は途切れた。
その挙動は轟音を伴う。
その挙動は世界そのものに負担をかける。大鎌を一振りしただけで、周囲の景色は破壊される。
ケルベロスの脳天に踵を振り下ろす。その衝撃だけで、周囲の民家の屋根まで吹き飛んだ。
巻き起こる突風で帽子が吹き飛ぶが、彼女にそれを気にする気配はない。
半壊した民家の中に降り立ち、瀕死のケルベロスを見下ろした。
「……ふむ。人間の魂を堕落させて造り上げた生物か。にしても、仕組みを変えるだけでここまでの力を手に入れるとはな」
そう言った叶(?)の表情は感心ではなく、呆れた様子だった。
「魔王め。奇異なものを……」
「それ、アンタが言うの?」
頭上から声が掛けられた。
「……ロキか」
叶(?)の背後に、黒のローブで全身を覆い、顔半分を仮面で隠した少年が飛び降りてきた。
「俺をそいつから弾き出してまで取り憑いたんだ。よっぽど重要な用事で出てきたんだろうな」
「いやなに、俺の『刻印』が二つから三つに増えたんでな。興味本位で三つ目を持つ器に取り憑いてみたら、こうなったわけだ」
「……なら、もう目的は果たしただろ。そいつの中からさっさと出て行け」
「……断る」
「何?」
「どういう生涯を辿ってきたかは知らんが、この女は純粋過ぎる。この様に他の者に染まるほどな。これでは後々、『アイツ』と同じになる。そうなってしまえばどうなるのか、想像できるか?」
そう言って、叶(?)はロキの方を振り返った。
「……解放しろ。無傷でな」
その答えに、叶は深くため息を吐いて首を横に振った。
「今さら、誰かを守りたいとでも言いたいのか?」
「悪いか」
「ああ、悪い。たった一人のために数百億の魂を消滅させるためにはいかない」
少数を切り捨て多数が救えるなら、それでいいと彼は言う。それは間違いではない。だが、正しくもない。
『全て』を救えないで、何が神か。
「そんな浅はかな考えで、テメェらは『後継者』を造ったって言うのか?」
「そうだ。少数を犠牲にし多数を救う、これに関して善し悪しなんてない。誰かがこの結果に救われている事実がある。それだけで、『後継者』の存在価値はあるだろう」
ロキの表情が怒りで歪む。拳を握りしめ、こう言い返す。
「存在価値なんてどうだっていい! 俺は、アイツらに生きてて欲しかった。ただそれだけだったのに……」
それなのに、奪われた。
もう、あんな光景は見たくない。
「二度と、テメェに俺の親友を奪われてたまるか」
叶(?)は少しの間口を開けて惚けていた。呆れ果てて言葉を失ったのか。
やがて口を閉じると、こちらに鋭い視線を向けてきた。
「……俺と戦うという事か? ずっと逃げ続けていたお前が?」
「ああ。反撃開始だ」
沈黙が訪れる。
それも長くは続かず、叶(?)が言った。
「……この器じゃ、お前には勝てん。そもそも、お前も戦う気はないだろう。この娘が大事ならな」
「……」
「心配するな。今回は大人しく帰る。去る前に、一つだけ忠告しておこう」
ロキは緊張を解き、尚も警戒を忘れずその言葉の続きに耳を傾けた。
「『後継者』を救おうとするな。彼らは望んでああなった。彼らを救うという事は、彼らに望みを棄てろと言っているようなものだぞ」
「……それなら、この世界そのものを変える」
「それはつまり、『終焉』の解放を望むと」
「……」
「奴らへの挑戦権は『後継者』にある。お前が世界を変える事は出来ない」
「……さっさと失せろ」
叶(?)の手から大鎌が消え、右肩からは黒い片翼が消えた。彼女の身体が芯を失ったように倒れてしまった。
「叶!」
ロキは慌てて叶の元に駆け寄った。
すると、
「黒希ぃ……それは醤油じゃなくてコーラだよぉ」
…………………………寝言、だろうか。
あまりにも緊張感のないその声と内容に、ロキは思わず彼女を揺すり、耳元で叫んだ。
「起きろテメェ‼︎ 人が心配してるって時になに自分の願望を夢に見てんだよ!」
「ふぇッ⁉︎」
叶が変な呻き声を発し目を覚ました。
「な、なんなの? …………ケルベロスは?」
「ん」
ロキが指差す方を見ると、そこには無残な姿で床に減り込むケルベロスがいた。生きているのだろうか。
「あれ、誰が……?」
叶は動じなかった。寧ろ、どうしてこうなったのかが気になった。
「お前がやった。多分、黒希の能力を複製した影響で記憶が飛んだんじゃないか?」
自分の性能以上の能力を発揮した時の代償というやつか。叶は納得し、ふといつも視界の上にある物が無いことに気付いた。
頭をペタペタと触り、
「帽子は……?」
視界の上にはいつも黒い帽子の黒いつばがあったはずだ。
「落としたんじゃないか?」
ロキの言葉に、意識を取り戻して初めて辺りを見回した叶は、周囲の崩壊っぷりを見て顔を真っ青にした。
「これ……もしかして私が……?」
「そーだぞ」
『死の神』に取り憑かれた叶がやったのだが、反応見たさについロキはそう言った。
にしても、体に異変はないようで安心した。自分に起きた事よりも帽子の方が大事、これこそ叶の通常だ。
「はぁ……修繕費、いくらかかるのかな……」
「新曲結構売れたんだし、いくらかかってもいいんじゃねぇの?」
「よくない! ……黒希に怒られちゃうよ」
黒希黒希と、叶は何かとあれば黒希がどうのこうと言う。どうしてこう、彼女は誰かの目を気にするのか。
「アイツ、お前が何かやらかした時に怒った事あるか?」
「ないけど……」
不思議と、黒希は誰かを叱るという事はしない。誰かに対して本気で怒るという事もない。あんな不良っぽい形をしておいて、本当に変わった奴だ。
「とにかく、帽子を探さないと」
立ち上がり、服についた木片を手で払う叶。
「あのボロ帽子、まだ買い替えないのか?」
「……替えない」
「黒希からの貰いもんってのは知ってるけど、それならアイツにもう一度買ってもらえばいいじゃん」
「あの帽子は、私の大事な物だから」
「だよな」
外に出ると、叶は何かに気付いた様子で立ち止まった。
「……人の気配がない」
それに、いつの間にか叶の中に戻っていたロキが応えた。
『その事なんだが、一つ解った事があるんだ』
「なに?」
『この街の住人はナイトメアっていう悪魔の幻術で操られてるっつーことと、街の住人の九割がある一点に集まってるってこと』
「……魔術的な儀式かな」
『だろうな。そんで、どうする? 仲間か儀式の阻止か』
そんなの考えるまでもなく、叶は即答した。
「仲間。咲と光助の居場所は、どうせもう突き止めてあるんでしょ?」
『まぁな。ただ、急いだ方がいいぞ。結構ピンチっぽい』
「アンタ、瞬間移動で私をアラスカから運んだって言ってなかったっけ?」
『悪魔が魔術妨害の結界で街を覆っててな。着地点が定まらない。お前達がここに来た時みたいに、まぁ、下手すりゃ体がバラけるって事もあり得る』
「じゃあ……あ」
辺りを見ると、何台も車が停まっていた。アレを使えば脚を使うより何倍も速い。盗難に変わりないが、この際だ、気にする者は誰もいないだろう。
叶は、肘で窓ガラスを割って鍵を開け、運転席に着いた。幸いにも鍵が挿さったままだったので、エンジンをかける。
「ナビよろしく」
『帽子は?』
「……仲間が先」
それから少し間があって、
『真っ直ぐ行って右。出来るだけ安全運転を心がけるようにな』
心なしか、その声には笑みが含まれているように感じた。
「ふん。出来るだけ心がけるよ」
叶は薄く笑って、アクセルを強めに踏みつけた。




