青の章 第4節
煌めく記憶で微笑む顔は誰なのだろう。
薄れゆく記憶で泣いている顔は誰のなのだろう。
「すまない。これは、お前のためだ。いつか迎えを寄越してやる。その時まで、生き延びてくれ」
この声は、誰のものだろう。
マサチューセッツ工科大学の研究室のソファで、海留は目を開けた。
「……」
ずっと追い求めた願望。だから、夢に見るのだろうか。
あの顔は誰だ。あの声は誰のものだ。
この生涯、物心ついた時から銃を握り人の命を消してきた人生で唯一、自分の意志で行動できる目的がそれを突き止めること。
こんな自分にも、まだ両親の顔を見てみたいという幼子のような願いがあることに、海留は呆れたような薄い笑みを浮かべた。
「何笑ってるの?」
突然した声に、海留は弾かれたように飛び起きてソファを飛び越えて、腰の後ろから拳銃を引き抜いて、
「ッ⁉︎ ……つけてきたんですか」
声の主はトレンチコート姿の十六歳ほどの少女、アウトサイダーだった。
「心配だったから。ていうか君、大学で寝泊まりしてるの?」
アウトサイダーは部屋を見回して、そう言った。
海留は拳銃を腰の後ろに戻して、
「機材も一通り揃ってるし、校内の構造は知り尽くしてるので」
「何かあった時に対処しやすい、か。被害妄想も甚だしいね」
「……死ぬよりマシだと思いますが」
「それもそだね」
適当な調子で言うと、アウトサイダーは先ほどまで海留が寝ていたソファに腰を下ろした。
「……何か用で?」
「君が私に用があるんじゃない?」
「特に何も」
「私が、君に関する情報があるって言ったら、私に用ができるんじゃないかな」
妙に回りくどい言い方だ。
海留は食いついた。
「僕に関する情報って?」
アウトサイダーはソファに膝立ちになって、こちらに向き直ると、
「君の母親、知ってるよ」
その言葉に海留は、初めて思考に生じる空白というものを感じた。
「……本当、ですか」
期待が込み上げる。
「うん。でも、教えるには一つ条件がある」
「何でしょう」
「前に話したように、このまま黒希の近くにいると君は死んでしまう。だから、彼から離れることが条件。これからは、一切連絡を取らないで」
「……気になってたんですが、リーダーといると僕が死ぬとは、彼に殺されるってことですか?」
「間接的にね」
「詳しい説明を願います」
「うーん……」
「根拠のない話は信じませんよ」
「えっとね。詳細を記した手記があるんだ」
「ならそれを見せてください」
アウトサイダーは困ったような顔をして、
「……私も探してるとこなの」
「はぁ……僕の気が変わらないうちに帰ってください」
落胆した調子で椅子に腰掛ける海留。
「君のお母さんが書いたものだよ」
「……母の名は」
「メーティス」
「メーティス……苗字は?」
「ないよ。ただのメーティス」
「父の名は?」
「一説によればゼウス。でも、確かじゃない」
「ゼウスって……」
宗教関連に疎い海留でも、その名は知っていた。
「神の名ですよね」
「メーティスもね」
「つまり僕は……」
「うん。女神の息子」
「……」
海留は背後の机の上のノートパソコンを開き、メーティスとネットで検索した。
「ギリシア神話の女神……」
その名は知恵という意味を持つらしい。
「君、人とは違うところがあるんじゃない?」
「……ありますけど」
思考速度、反射神経、記憶力、そのどれもが人の平均値を逸脱している。
「君のお母さんも同じだったんだよ」
彼女は今、過去形を使った。
「……あの」
「ん?」
「メーティスは……母は、死んだんですか?」
アウトサイダーは目を見開き、それから俯き、
「……うん」
「……」
今まで追い求めてきたもの。それはもう、自分の知らないところで消えてしまっていた。これでは、何のために戦ってきたのか分からなくなる。目的がなければ死人も同然。ただ世界を徘徊する骸に何ら変わりはない。だが、まだ一つ残っている。
「……手記は何処に」
「ジェイソン家が保有してる。君を襲ったバーナヴァスも姓はジェイソンなの」
「……」
目的なら、まだ残されている。問題は、彼女を信用できるかどうか。
「そこまで詳しい貴女は、何者なんですか?」
「私は、ただの部外者。君だけには干渉するけど」
「答えになってません」
「じゃあ、どう答えればいい? 名前もなければ戸籍もない。私は、自分が何者か証明できるものを何一つ持ってないんだよ」
「……僕と、同じ」
呟き、考える。
誰かに告げられた名しか、覚えていない。
海留という漢字は当て字。本当の綴は知らない。
「分かりました。母の手記を探すのには、貴女の力が必要です。あと、リーダーから離れるという件は少し考える時間をください」
アウトサイダーは表情を緩め、
「うん。気が済むまで考えて」
「……」
彼には借りがある。
それを返すまでは、『シーカー』を離れるわけにはいかない。
「それで、次の行動は……」
そこで、ソファに放置していたスマートフォンが鳴り出した。
アウトサイダーがそれを取り、
「リーダーさんから」
と言って投げ渡してくる。
「はい」
『海留。今何処だ?』
黒希の声がする。それと、騒がしい雑音も。
答えようと口を開くと、
『お前ら少しは静かにしろ!』
黒希が怒鳴る。来客中なのだろうか。
「……MITですが。何か用で?」
『マサチューセッツか……日本に戻ったら直接話したいことがある』
「今から帰ります」
『分かった』
通話が切れる。
海留は荷造りを始めると、
「貴女はどうしますか」
アウトサイダーに、そう問い掛けた。
「私は……ジェイソン家を追うよ。君が危なくなったら、すぐに駆けつけるから」
「……一緒に来ませんか?」
その言葉に、アウトサイダーは驚いたような表情を浮かべ。
「お誘いは嬉しいけど、遠慮するよ」
「そうですか。では、また」
研究室を後にする海留。
アウトサイダーは一人、天井を仰ぎ見る。
「メーティス……これで本当にいいの?」
その言葉に応える者は、いなかった。




