青の章 第2節
コネチカット州、北西部にあるウィンチェスターに、海留と栄一はいた。
互いに車でここまで来て、海留が適当に指定した通りで合流したのだ。
今は、事件が起きた家にいる。
警察の、侵入禁止の黄色いテープが出入り口に貼られていたが、二人にそれを気にする様子はない。
「警察は猟奇的他殺と言ってはいますが、殺し方に戸惑っているようですね」
キッチンの、死体があった場所の近くに屈み、海留は言った。
キッチンには水の匂いが漂っていた。
当然だろうが、この水は、水道水のものとは、また違った匂いがした。
リビングの方から栄一が現れた。
「仕方ない。警察は、この世界の常識的な揉め事の対処をするだけ。非常識までは対応できないだろ」
海留は無視して、
「栄一さん。ここ周辺の水道水は何処から引かれているんですか?」
「貯水場だと思うが」
「そこに行きましょう」
貯水場付近に車を止める。
海留は、車内から浄水施設近辺の様子を双眼鏡で確認し始めた。
「被害者の共通点は、妊娠中だったことと、この貯水場から水を引いていたこと。警察は調べなかったんでしょうか」
隣の運転席でノートパソコンを見つめていた栄一が、
「調べただろうが、何も出なかったんだろう。断水されていないのが、何よりの証拠だ。お前が調べれば、また別の結果が出そうだが」
海留の視線が、ある一点に集中した。彼の青い瞳が、何かを捉えた。
「僕がやっても、恐らく結果は同じでしょう」
「どうしてそう思う」
「悪魔がいます」
「何? 誰だ」
と、栄一が海留の視線の先を辿るが、一般人である栄一には悪魔の素顔は見えない。
「浄水施設の出入り口のフェンスの前で話し込んでる二人組の男。悪魔絡みで間違いないでしょうね」
「なら、一刻も早く対処しないとな。被害が拡大する前に」
それに、海留は双眼鏡を目元から離し、
「敵の数が分からない以上、無闇に手は出せませんし、爆破しても一時的な応急処置くらいにしかならない。浄水施設内部に潜入して、一匹ずつ始末するしかないですね」
と言ってから、はぁ、とため息を吐く。
「こういうのは、リーダーの管轄なんですが」
基本、海留は後方支援担当。前線での戦闘は黒希と叶の担当だ。
「連絡がつかないんだ。仕方ない」
「分かってますよ」
二人は車を出て、車の後ろに回った。
トランクを開けると、中には装備一式が入っている箱が三つと置かれていた。
それぞれの装備を手に取り、施設へ向かう。
裏口。
外壁の角から顔を出し、様子を伺う。
監視カメラが一つと、警備員が一人。悪魔だ。
海留はポケットからペットボトルのキャップほどの大きさの黒い物体を取り出し、監視カメラに向け放り投げた。
物体は放物線を描き、監視カメラにピタッとくっついた。
それを確認すると、スマートフォンで何かの操作を始めた。
監視カメラを封じる。こうしておけば、あの監視カメラの映像は停止させられる。欠点と言えば、録画日時のカウントまで停止してしまうことか。
異変に気付かれるまで、精々十分くらいか。
角から出て、警備員の背後に忍び寄る。右手に持った銀のナイフを警備員の首に突き刺し、叫び声を上げないよう口元を抑える。
取り憑かれた人間ごと、悪魔を殺す。
死体を人目につかないよう、栄一の協力もあって草叢の中に隠す。
裏口のドアをそっと開け、中を覗く。
一直線の通路が十メートルは続いている。突き当たりは右へ。監視カメラはない。
施設内に入る。
中は水の匂いが充満していた。その匂いに、何か不快感を感じさせる匂いが混じっていた。
慎重に進むこと、約数分。
誰かと遭遇することもなく、機械制御室前に辿り着いた。
栄一と目を合わせ、突入する。
中は無人だった。
ただ、機械は動いている。無人なのに、稼働していた。
「海留」
室内に設置された窓の向こうを見て、栄一が声を掛けてきた。
海留は彼の横に並んで、窓の向こう、視線を下に落とした。
水から不純物を取り除くための機器類が設置されている。
そんな中で、異様なモノが二つ。
乳母車だ。
「妊婦から取り出された胎児……」
数は合ってる。あの乳母車に乗せられているのは例の胎児で間違いなさそうだ。
「……」
しかし、どうすることが正解か。
水の供給を断つ?
それとも、胎児を回収する?
「……栄一さん、水道水を遮断してください。僕は胎児を回収しに行きます」
両方だ。その方が確実。
ドアの方を振り向いた海留が、銃を構えた。
銃口を向ける先には、男がいた。
二十代後半くらいの白人男性。背丈は百八十センチくらい。堅苦しい黒いスーツに身を包んでいる。
アメリカ人らしいブルーの瞳を、こちらに向けている。
少し遅れて、栄一が男に気付き拳銃を構えた。
「何者ですか」
明らかに、ここの従業員ではない。
彼の雰囲気が、それを物語っていた。
あれは、こちらと同類の人間。異世界と何らかの繋がりがある者だ。
男の唇が、微かに動く。
直後。
男の背後から、赤みがかった水が大量に流れ込んできた。その水はまるで自我を持っているかのように蠢き、海留と栄一を薙ぎ払った。
二人の体は窓ガラスを砕き、水と共に四メートル下のフロアに落ちた。
「がぁっ」
背中に強烈な鈍痛が走る。
「海留、生きてるか」
苦しげな栄一の声が聞こえた。彼は生きているようだ。
「えぇ……ですが、さっきのは……」
水。確かに、あれは水だった。生物のように動いていた水。科学的には、水を宙に浮かせ、尚且つ自由自在に動かすのは不可能ではないがまず困難だろう。
それを、男は何かを呟くだけでやってのけた。
「魔術の類……でしょうかね」
海留は床に落ちたメガネを取り、かけた。
魔術だとしたら、厄介だ。
無知の領域で戦うのは、あまり好きではない。
スーツ姿の男が二人の前に降り立った。
男は海留を、正確には海留の瞳を見て、
「ここにも一人いたか……」
英語で呟く。
海留はそれを聞き取った。
「お前達、『シーカー』だな」
今度は流暢な日本語で言った。
「そういうお前は誰だ」
男に銃を向け、栄一が訊く。
「バーナヴァス」
男は、あっさりと名乗った。
嘘か本当かはともかく、呼び名はできた。
「妊婦を殺し、胎児を取り上げたのは貴方ですか」
海留が言う。
「そうだ」
バーナヴァスが頷く。
「目的はなんです?」
「死人に答える気はない」
頭上から、水が滝のように轟音を立てて落ちてきた。
海留と栄一は、それぞれ別の方向に走った。
水が落ち、地面を砕いた。まともに食らえば、バットで頭を殴られるのと同じ威力がありそうだ。
海留はバーナヴァスに狙いを定め、撃った。
キューブに形を変えた水が放たれた銃弾を上から叩き、地面に落とした。
逆方向から栄一が発砲するが、それもまた同じように防がれた。
機械の陰に身を隠し、水を供給するパイプの隙間からバーナヴァスを見た。
周囲に薄い赤色が混じった水を漂わせている。
服に染み付いた水の匂いに混じった、別の臭い。
これは、間違いなく血だ。
あの現象、魔術だと考えてよさそうだ。
ここは______________、
「栄一さん! 目を閉じて!」
ジーンズのポケットから、空き缶程度の大きさの物体を取り出し、ピンを抜いてバーナヴァスの方へ放り投げた。
それを、バーナヴァスは水で防ごうとする。水が宙に浮き、缶を飲み込む。
直前。白く眩い光が炸裂した。
「ッ⁉︎」
バーナヴァスが怯む。
海留が投げた物は、閃光手榴弾。
いくら爆風が防げようと、高速の弾丸を叩き潰せようと、透明度の高い水は光までは防げない。
水が地に落ちる。バーナヴァスの魔術の効果が切れたのだと分かる。
その隙に、海留と栄一は最寄りのドアへ突っ走った。それぞれ別の方向へ逃げる。
バーナヴァスが狙ったのは、
「ッ」
海留。
肩を、何かが掠った。鋭い痛みを感じた。
肩越しに後ろを見る。
水が津波のように押し寄せてきている。
どうやら、遠隔操作もできるらしい。
気体か固体にでもできない限り、防ぎようがない水が迫ってくる。
海留は、周囲に目を走らせ、何か使える物がないか探しながら、とにかく走った。
突き当たりのドアに体当たりし、開けた。そのまま勢い余って、地面に倒れてしまう。
外だ。
ドアを蹴り、閉める。
水を堰き止める。
立ち上がり、走り出そうとした海留の体が真横に吹き飛んだ。
「ぐァッ⁉︎」
脇腹に、酷く鈍い痛みを感じた。
「逃しはしない」
声のした方を見ると、バーナヴァスが歩み寄ってきた。彼の左手には、蓋の開いた銀色のフラスクがあった。
海留は思考の加速を試みたが、痛みのせいで上手くいかない。
拳銃を構える。
バーナヴァスがフラスクを振り、中の液体を撒き散らす。それらが水球となり発射され、海留の手から拳銃を弾き飛ばした。
「安心しろ。殺しはしない」
そう言って、手を伸ばしてくる。
そして。
「なら、私が貴方を殺すよ」
突如として生じた赤々と燃える炎が、海留とバーナヴァスの視覚を塗り潰した。




