仮面を被る決意
「なずな、残念なお知らせがあるんだけど聞いてくれる?」
始業式の翌日、現在お昼休み。
私達は校舎四階にある空き教室で秘密の会議を開いていた。
私達の教室は二階なのにわざわざ四階を選んだのは、校舎四階はなんたら準備室だとか、普段使われない教室ばかりなので人気が無かったから。
「残念なお知らせ?」
きょとんとしながら首を傾げるなずなが尋常じゃない程可愛い。
…そんな事を考えている場合ではない。
「うん、それがね、出会いイベント壊滅状態なのよね。」
始業式前に起きるみっちゃんとの出会いイベントは私が起こした。
しかし始業式の朝、イレギュラーは先輩その1との出会いイベントを起こし、放課後は瀧野流佳、その流れで教師とのイベントも起こしたと思われる。
そして今日、彼女が出会いイベントを起こしている様子こそ見なかったが、後輩達とのイベントが起こるであろう場所へと出向いたのにイベントが起きなかったのである。
一足違いでイレギュラーがイベントを起こしたに違い無い。
要するに本日起こるはずの出会いイベントは軒並み全滅。まさかの。
みっちゃん攻略ルートで進みつつ保険で後輩達をキープしようとした私の目論見は完全に外れてしまったというわけだ。
そんなことをザーッと説明すると、なずなの表情が曇る。
「でもね、残念なお知らせだけではないのよ。」
私はそう言いながら、机の上に日記帳を出した。
ぱらぱらと捲ってみると、そこには攻略対象キャラクター達のデータがある。
「ここ、瀧野流佳との間に愛情度メーターが出現してるのよ。」
日記帳をとんとん、と指で示しながら私は言う。
「彼との出会いイベントは、」
「うん、起こせなかった。まぁ目の前でイレギュラーが代わりに起こしてたからね。」
要するに、出会いイベントは必須ではないらしいということだ。
私が彼等と会話を交わした時点で愛情度メーターが出現するようなのだから。
出会いイベントをほぼ全て先回りされた事で少し焦ったが、必須ではないと解れば少しは不安も解消されるのではないだろうか。
会話を交わした時点で、と結論付けたのは教師の方は愛情度メーターが出現していなかったから。
担任だし顔は合わせてるのよね。
一応「自己紹介をしてくれ」「はい」というやりとりはあったがそれは会話とは言えない…のかもしれないし。
まぁ、どちらにせよ出会いイベントでは躓いたが、それはあまり重要ではないということだ。
出会いイベント外で彼等と出会えば良いのだから!
…うん、それが結構難しいんだけどね!
ヒロイン補正があることを祈るしかないだろう。
元々異性との接点が無いまま20年とちょっと過してきた干物ですから?
自分からイケメンに声を掛けるというのは至難の業なんですよね!
ゲームならなぁ、ボタン一つで簡単に声掛けられるのに。
そりゃあ出来ることなら「せんぱぁい!」なんていいながら先輩その1に駆け寄りたいわ私だって。
きっとイレギュラーにはそれが出来るんだ。だから全員と出会いイベントを起こせたんだ。
「はぁぁぁ…」
私は頭を抱えて深い溜め息を吐いた。
すると、それを見たなずながおろおろしながら
「ごめんね、ごめんね、」
と謝りだした。
「何でなずなが謝るのよ。」
「だって、あかりちゃんを呼んだのは私だから…。」
あぁ、彼女は私が散々嫌がったから罪悪感を抱いているんだな。
「私、頑張るって決めたから。もう謝らないでよ。」
ね?と首を傾げながら言えば、おずおずとだが頷いてくれるなずな。
その様子を確認した私は、気合いを入れて立ち上がった。
校舎内をうろうろして一人でも多くの攻略対象キャラクターと遭遇しよう!なんて思って。
しかしその気合いは空回りする。
何故なら、
――キーンコーンカーンコーン…
…昼休み、終わった。
「教室に戻ろうか。」
そう言って、私達は教室の方へと歩き出した。
廊下を歩いていると、不意に制服の袖を掴まれる。
何事かと振り返れば、私の少し後ろを歩いていたなずなが何かを決意したような顔で私を見ていた。
「あのね、私は、ここに来てくれたのがあかりちゃんで良かったと思ってる。」
突然どうした。
「こちらの事情で勝手に巻き込んでしまったのはもちろん悪いと思ってるけど、あかりちゃんで良かった。私…その、あかりちゃんとなら頑張れそうで、えっと、あかりちゃんと友達になれて嬉しい。」
二人の間には、暫し沈黙が続いた。
え、何?この子今何て?
私と友達になれて嬉しいって?
なずなの言葉を理解した私は、ここが人気の多い廊下だという事も忘れて猛々しい雄叫びを上げそうになった。
そして飛びついてぎゅうぎゅうと抱きしめそうになった。
もちろん人目が気になって行動には移せないけど。
猛々しい雄叫びも飛びつくことも必死で我慢して、
「私もよ、なずな。」
そう言った。
満面の笑みで、なずなの頭を撫でながら。
私だって脇役ポジションであるなずながこんなに可愛い子で本当に良かったと思っている。
もし性格が捻くれてたりしたら、頑張ろうなんて思わなかっただろうし。
頑張れるかどうかは…今のところ不安要素満載だけど、頑張ろうという気持ちは湧く。
元はと言えば可愛いヒロインが好きでこのゲームをプレイしていたわけだし、可愛い女の子は大好きなのよね。
…恋愛的な意味ではなくて、愛でるという意味で。
いっそのことなずなも攻略対象キャラクターの中の誰かとくっ付けば良いのに。
セットで愛でたいわ。
と、ニヤニヤを堪え、さっきなずなに見せた微笑みをキープしていたところ、どこからか視線を感じた気がした。
しかしきょろきょろと周囲を見渡してみたがこちらを見ている人物は居ない。
なんだ、自意識過剰か恥ずかしい。
教室に戻って席に着くと、それを見計らったかのようにみっちゃんが近寄ってきた。
「なぁ、望月。今日一緒に帰ろうぜ。」
とのこと。
帰る家は同じなのだ、特に問題は無い。
が、私はすんなりと頷けなかった。
何かに引っ掛かかりを覚えたから。なんだろう、違和感がある。
「な、何だよ、嫌か?」
眉間に皺を寄せたまま動かない私に痺れを切らしたみっちゃんが困ったように眉根を寄せて言う。
「…いや、嫌じゃないよ。うん、一緒に帰ろうか。」
こくこくと頷いて見せれば、みっちゃんはほっと胸を撫で下ろした。
「良かった。あぁ、そうだ望月、」
「それだ。」
さっきの違和感の正体に気が付いた私はみっちゃんの言葉を遮る。
「何だ?」
「みっちゃんって私の事望月なんて呼んでなかったよね?」
このゲームには愛情度メーターによって名前の呼び方が変わってくるというシステムがあった。
初めは全員苗字で呼び合って、愛情度メーター次第でキャラクターによってはあだ名で呼んだり呼び捨てになったり。
ただ邪魔シスだけは例外で、形だけとは言え兄妹(私としては姉弟)だからと最初からお互いを名前で呼び合う。
一度名前呼びまたはあだ名呼びになれば、愛情度メーターが下がろうとそれは変わらないはずだ。
「あー…だってよ、お前俺の事名前で呼ばないだろ?だから…」
あぁ、私が名前で呼んでなかったからか。
「何だ、そんな事。別に、」
呼びたいように呼んでくれて構わないんだけど、と言おうとしていたところ、
「紅貴くーん。」
という猫なで声に邪魔をされた。
「ん、何だよえりか。」
もちろん猫なで声の正体はイレギュラーだったんだけど。
へー、そう。イレギュラーの名前ってえりかって言うのね。
そんでそっちは名前で呼び合ってんのね。
なるほど。
みっちゃんの事を恋愛対象として見れないと思っているのは今も変わらないが、このままでは本当にマズい気がしてきた。
邪魔シスは難易度が低い、というのは何も私にというかヒロインに限った事ではないのかもしれない。
そもそもみっちゃんは人懐っこいからなぁ。
誰とでも仲良く出来るし男女共に友達の多いキャラクターという設定だったし。
うむむ、このまま全てイレギュラーに先を越されるのはマズい。
私もあの子のようにヒロイン用の仮面というものを用意しなくては。…いやあの子の場合仮面でも何でもなくあれが素なのかもしれないけど。
とにかく、恥ずかしいだとか怖いだとか、そんな甘っちょろいことは言ってられない。
女は女優なのよ!きっと出来るわよ、私にだって。今の私の顔面は可愛いんだから。顔面だけは…!
放課後、私はみっちゃんと共に校舎を出る。
もちろん一緒に帰るために。
「そういえばみっちゃん、可愛い子と話してたね。」
昇降口で、イレギュラーが居ない事を確認しつつみっちゃんに声を掛けた。
「可愛い子?あー…えりかの事か?」
可愛い子ってだけで即イレギュラーの名が出てくるんだ。
「うん。多分そう。仲良さそうだったね。ああいう子がみっちゃんの好み?」
上履きからローファーに履き替えながらそう尋ねると、みっちゃんがニヤリと笑う。
「何?もしかしてヤキモチでも焼いてんの?」
ふふん、と鼻で笑いながら言いやがった。コイツ絶対面白がってやがる。
普段の私なら、はぁ?何調子乗ってんの?ぐらいのことを言ってしまう事だろう。
だが、私は決意したのだ。
ヒロインとして、仮面を被るのだと。
「…そう、かもね。」
ふと少しだけ寂しそうな微笑み…に、見えているかどうかは少し謎だが、そんな表情を作る。
すると、その反応が予想外だったのか、みっちゃんが焦ったようにわたわたし始める。
「ば、バカ!アイツはただのクラスメイトだし…っつーかお前、おま、あー…バカ!」
うわ、バカって二回も言われた!
「ちょっと!バカって何よ失礼ね!!」
「バカにバカって言って何が悪いんだバカ!アホ!」
アホが追加された!
「みっちゃんのバカー!」
その後、暫く小学生の口喧嘩のようなやり取りが続いた。
なんというか、ヒロイン用の仮面は剥がれやすいらしい。
困ったもんだ。
出来るだけ剥がれないように強力な接着剤を、なんてくだらない事を考えていると、足元にボールが転がってきた。
「…バレーボールだ。」
それをひょい、と拾い上げると、
「すみません!」
なんて爽やかな声がする。
この声には聞き覚えがある。
私は剥がれかけていた仮面をしっかりと被りなおし、くるりと振り返った。