回避失敗
勉強会の翌日、その日の私は完全に気を抜いていた。
放課後、私は数学教師に声を掛けられた。
この数学教師、当然攻略対象キャラクターでもなければゲームにも一切出てこない完全モブなのだが、案外良い男だったりする。
ダンディ且つフレンドリーで生徒からも人気があるし、私も嫌いじゃない。
「望月、お前今日の小テストやたらと良い点取ってたな。」
良い点を取ったというのに、数学教師の表情は訝しげに歪んでいる。
その表情の意味が理解出来なかった私は暫し首を傾げ、ただただ素直に思ったままのことを口にした。
「昨日凄腕家庭教師が家に来たんです。」
と。
「家庭教師?」
昨日我が家にやってきた凄腕家庭教師、それは言わずもがな大ちゃん先生のことである。
「はい。運良く昨日勉強したところが今日のテストに出ただけです。」
「ふーん。家庭教師か。」
「家庭教師と言っても、他のクラスの秀才くんですよ。香染くんです。」
私が大ちゃんの名前を出すと、数学教師はアイツかぁ、と零す。
「なるほど、アイツ頭良いよな。その上教え方も上手いのかー。悔しいわー。俺の跡継いでくれないかな。」
教師の跡継ぎってなんだよ。
「教え方は丁寧で上手でした。」
その結果、今日のテストでは信じられない程良い点を取ったわけです。
と、私の身に起きたことを素直に話したものの、目の前の数学教師の表情は相変わらずどこか訝しげに歪んだまま元には戻らない。
「俺の教え方が丁寧じゃない、ってことか?」
「あ、いや、先生の教え方も解りやすいですよ!私、これでも先生が担当になってから数学楽しいなって思ってるんですよ!大嫌いだったのに!」
精一杯フォローすると、数学教師はにんまりとした薄気味悪い笑顔を浮かべた。 その笑顔になんとなく嫌な予感を覚えた私は防衛本能か何かが働いたのか自然と右足が一歩下がる。
「そんな嬉しいことを言ってくれる望月にご褒美だ。このノート、職員室の俺の机まで運んでおいてくれ。」
どの辺がご褒美なの!
と、全力で突っ込みたいところだが、おそらくさっきのフォローが全くもって意味を成していなかったのだろう。
教師に教えられるより生徒に教えられた方が成績が上がっただなんて言ったのが相当気に入らなかったんだな。器の小さい男だな、全く!
「いや、先生ちょっと、」
目の前に突き出されたノート達を見た私は、思わず両手を差し出した。もちろんその両手には一クラス分あると思われるノート達が乗せられる。
「じゃ、よろしく。」
「…解りました。」
くそー、あのモブ教師め。後で覚えとけよ。何もしないけど。
数学教師に対する悪口をひとしきり心の中で呟いてから、私は小さな溜め息を零す。
その場に立ち尽くしていたところで何にもならないし、とりあえず職員室へ行こう。
「あ、望月。」
職員室へ向かって歩いている途中、背後から私を呼ぶ声がした。
くるりと振り返って声の主を確認すると、そこに居たのは大ちゃんだった。
「おー、大ちゃん。昨日はありがとね。」
「こちらこそありがとう。提出しに行くのか?」
大ちゃんは私が持っているノート達を指差しながら言う。
「うん。それがね、今日数学の小テストがあってさ。大ちゃんのおかげでいつもより良い点取れちゃったんだよ。その結果がこれ。」
「なるほ…え?は?」
良い点取った結果が荷物持ちってね、意味解んないよね。大ちゃんが理解出来ないのも無理はないと思う。
「いやね、大ちゃんに教えてもらったから良い点取れたんですって素直に話したら自分の教え方より大ちゃんの教え方の方が上手いのか、みたいな話になって、」
「要するに逆恨み…?」
「それ!」
まったく、器の小さい男よねぇ。…と思いつつ、どこで誰が何を聞いているか解らないので、さすがにそこまでは言わなかった。
「ところで大ちゃん、例の女の子とはどんな感じ?」
昨日の今日で何かしら進展があるとは思えないけど、一応確認はしておきたい。
「どんな感じも何も。今日は一度も会ってないし顔すら見れていない。休みではないと思うが…。」
あぁイレギュラーめ、こんなに一途に思ってくれてる大ちゃんを放り出して別の男のところに行ってるんだな。
しかしまぁ全員との愛情度を上げなければならないんだから、イレギュラーも忙しいのだろう。…今どこで何してるんだろ。凪先輩のとこじゃなければ良いけど。
「そっか。…また何かあったらいつでも相談してね。私、口は堅いから!」
そう、私は口が堅いの。決して言いふらす相手が居ないとかではなくて。未だに友達がなずなしか居ないとかではなくて。
「ああ、ありがとう。」
大ちゃんはそう言ってにこりと笑った。
さすがは乙女ゲームの攻略対象キャラクター、その笑顔があまりにも綺麗でかっこよくて驚いた。
そして驚いたからなのか何なのか、自然と顔に熱が集まってきた。
きっと今、私の顔は真っ赤になっている。
「あ、えっと、あー私職員室行くね!じゃあ、部活頑張って!」
私は急いで大ちゃんから顔を逸らし、ぎこちなくなる足を無理矢理動かしてその場を後にした。
大ちゃんのかっこよさに浮かれ過ぎた罰なのか、この後私を待っていたのはとんでもない修羅場だった。
数学教師の机にノートを置いた後、職員室を出たところで今一番会ってはならない人物と目が合った。
「あら、こんにちは。」
ファンだ。この人凪先輩のファンだ。
彼女はどうやらここで私を待ち伏せしていたらしく、私の目の前で仁王立ちしたまま動かない。
職員室を出たばかりのところで遭遇したので、背後は職員室であり逃げ道は無い。
おそらくこの状況を作るために待ち伏せていたのだろう。
どうしたものかと頭を働かせ、とりあえず会釈をしてすり抜けようと思い至った。
「お待ちなさい。」
ダメだった。
「えっと、何か…?」
やっとの思いで搾り出した声は震えてしまっている。
それも仕方の無いことだろう。だって目の前に居る凪先輩のファンがそれだけ怖いのだから。
顔は笑顔のようだけど、目は全く笑っていない。イラストで描くとしたら、きっと目のハイライトは消えているだろう。
往生際が悪いと言われようとも、この場からどうしても逃げ出したい私はじりじりと足を動かす。
「あなた、この後暇かしら?」
暇だといえばいじめまっしぐらなんでしょう!?
「あ、え、この後は予定が詰まってまして、」
「なぁに?」
彼女は凄みを利かせた声で脅しに掛かってきた。
さらには私の二の腕を掴み、尋常ではない力で握り始めている。
危ない。これは危険が危ない。
「暇です。」
彼女の威圧感と握力に完敗!
「それじゃあ、一緒にバレー部の応援に行きましょう。」
「は、え?ちょ、」
何を言われたのか理解する間もなく、腕を思いっきり引っ張られる。
あまりにも唐突だったためその場で踏ん張る事も出来ずずるずると引き摺られるようにして動き出した。
しかしどういうつもりなんだろう?
何かしらのいじめが始まる気はするが、わざわざバレー部の応援に行く意味が解らない。
もちろんゲーム内にこんなイベントなんか無いので未知の領域なのである。私の脳内は完全にパニックを起こしていた。
「あなた、バレー部のファンクラブには入ってませんね?」
「あ、はい。」
「それなのに、佐々岡様とお話していましたね?」
「あ、はい。」
佐々岡様って言った。この人今佐々岡様って言った。
ゲームでもそんな感じではあったが実際目の前で言われると恐怖の度合いが違う。
どうにか逃げ出せないかと足に力を入れてみるが、彼女の力が強すぎてどうにもならなかった。
こんなことならあの時大ちゃんから逃げずに一緒に居てもらえば良かった。
場所は職員室だったわけだし担任を探せば良かった。
この際瀧野流佳でも良いから助け…あ、いや、アレはアレでまた色んな意味で面倒臭い事になりそうだからダメだ。
と、私はそんな事を考えながら現実逃避をする方向に走り始めていた。
逃げ出せないのなら、脳内だけでも逃避するしかない…。
「あなた、バレー部のファンクラブに入るつもりはあるのかしら?」
体育館が目の前に迫って来た時、私の少し前を歩く彼女に問われた。
「…そのつもりは、」
「無いのね。じゃあ二度と佐々岡様とお話しないと約束出来る?」
それは出来ない。出来るわけがない。
「それは…!」
「あれ?あかりちゃん?」
…凪先輩って毎度毎度タイミング悪いですよね!
凪先輩の私を呼ぶ声を聞いて、私はそこはかとない絶望を感じた。
バレー部ファンの目の前で凪先輩と会話をしてしまえば、もう言い逃れなど出来ないのだ。
私をここに連れてきた例の彼女をチラリと見ると、般若顔負けのえげつない顔がそこにはあった。
「あ…、」
「練習を、見に来たの?」
という凪先輩の問いかけに、小さく小さく頷いて見せる。
「蒼斗、やっぱり帰るのやめて、部活に出よう。」
凪先輩は雪柳くんに声を掛けつつ、私の両手をガシりと掴んだ。そしてそれを見た凪先輩のファンさんの手にも力が込められる。二の腕の肉を千切られそうな程の力が。
「先輩、母親のお姉さんの母方のお祖母さんの葬式じゃなかったんですか?」
何だそれ。
「それは、明日にしよう。」
え、葬式延期した。
「っつーかサボるならもうちょっとマシな嘘吐いてくださいよ。」
雪柳くんは盛大な溜め息を零しながら頭をがりがりと掻いた。そしてチラリと私の方を見て苦笑を漏らす。
「この人サボりの言い訳のために葬式開き過ぎて正直自分でも解らなくなってるんですよ。ちなみに先月は母の兄の弟でした。」
ただの叔父では。
私が脳内で軽いツッコミを零していると、二の腕が痛みから解放された。
どうやら雪柳くんが私とファンの人との間に割り込んできたことによって手が離れたらしい。
なんともスマートでカッコイイ対応である。
「あぁ、着替える時間が勿体無いな。あかりちゃん、特等席をあげるから、そこで俺の上着持って見てて。」
「え、あ、あのっ、凪先輩、」
凪先輩は私の言葉を聞くつもりは無いとでも言うように、私から目を逸らした。
そしてそのまま強制的にその特等席とやらに連行される。
「座って。」
有無を言わせず私を座らせると、私の足元に荷物を置き、するりと脱いだ上着を私の膝の上に乗せた。
「寒かったら、着てても良いよ。」
「い、いえ、」
ゆるりと首を振る私を見て、凪先輩はとても良い笑顔を零した。
「怯えた君も可愛いと思って、ごめんね、あかりちゃん。」
「…え?」
お、おひさしぶりです




