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4話 五百年後の世界


 ――まぶしい。


 最初に感じたのは、そんなありふれた感覚だった。


 閉じていたまぶたの向こうから、柔らかな光が差し込んでいる。


 ケンはゆっくりと目を開いた。


「……ん?」


 視界に広がったのは、見覚えのない青空だった。


 雲ひとつない空の下、頭上には見知らぬ木々が枝を広げている。頬に触れる土は冷たく、草の匂いが鼻をくすぐった。


 しばらくの間、ケンはぼんやりと空を眺めていた。


「……儂の研究室は?」


 起き上がり、周囲を見回す。


 机も、書棚も、魔法陣もない。


 あるのは、見渡す限りの森だけだった。


「…………」


 嫌な予感がした。


 ケンはすぐさま自分の体を確認する。手を握り、腕を動かし、立ち上がってみる。


 体に異常はない。


 むしろ、驚くほど軽かった。


「なんじゃ、この体は……」


 手のひらを見つめる。


 かつての自分の手には、長年の研究でできた細かな傷がいくつもあった。しかし、今の手にはそれがない。肌にも張りがあり、体の動きにも衰えを感じなかった。


 まるで、若い頃の自分に戻ったかのようだ。


「肉体の再構成は成功した、ということかのう」


 ケンは自分の体に魔力を巡らせた。


 魔力の流れは正常。魂にも問題はない。


 転生魔法そのものは、成功しているらしい。


 問題は、ただひとつ。


「……ここは、どこじゃ?」


 ケンは空を見上げた。


 本来なら、十年後の世界に転生するはずだった。


 王宮の仕事が減っていることを期待していたし、研究所の制度が変わっている可能性もあった。


 少なくとも、こんな森の中で目を覚ます予定ではなかった。


「転生先の場所まで指定しておくべきじゃったか……いや、そんな余裕はなかったのう」


 自分の判断の甘さに、ケンは頭を抱えた。


 だが、いつまでも落ち込んでいるわけにもいかない。


 まずは現在地の確認だ。


 ケンは目を閉じ、周囲の魔力を探った。


 魔法使いなら誰でも行う、基本的な探索魔法。


 自分を中心に魔力を広げ、周囲の生物や建物、魔法の痕跡を探る。


 しかし――。


「……なんじゃと?」


 ケンの眉が動いた。


 森の向こうに、かすかな魔力の反応がある。


 人間だろうか。


 いや、違う。


 魔力の質が不自然だった。


 生き物が持つ魔力とは異なり、どこか歪んでいる。


「妙な魔力じゃな……」


 その直後だった。


 森の奥から、悲鳴が響いた。


「きゃあああっ!」


「……む?」


 ケンは一瞬だけ考えた。


 関わらない方がいい。


 今は自分の置かれた状況を確認するのが先だ。見知らぬ土地で面倒ごとに巻き込まれるのは避けたい。


 そう思った。


 思ったのだが。


「はぁ。転生して早々厄介ごととは……」


 結局、ケンは悲鳴の聞こえた方向へ走り出していた。


     *


 森の奥に、小さな開けた場所があった。


 そこでは、一人の少女が尻もちをついていた。


 年齢は十代半ばほど。上質な衣服には泥がつき、手には折れた杖が握られている。


 その前には、巨大な魔物が立ちはだかっていた。


 狼に似た姿だが、体は普通の狼の倍以上ある。灰色の毛並みの隙間から、黒い筋のようなものが浮かび上がっていた。


 魔物は口を開き、少女に飛びかかろうとしていた。


「いや……来ないで!」


 少女が杖を構える。


 しかし、杖から魔力はほとんど感じられなかった。


 ケンは小さく息を吐いた。


「そのような実力で戦おうとするとは、無茶をする娘じゃな」


 魔物が飛びかかった。


 少女が目を閉じる。


 次の瞬間――。


 ガキンッ!


 金属を叩いたような音が森に響いた。


「……え?」


 少女が恐る恐る目を開く。


 目の前には、見知らぬ青年が立っていた。


 青年は片手を前に突き出し、魔物の頭を押さえている。


 魔物は必死に牙をむき、前足で地面を掻いていた。


 しかし、青年の腕は微動だにしなかった。


「なかなか元気な魔物じゃのう。じゃが、少し落ち着かんか」


 青年が指先を軽く動かす。


 すると、魔物の足元に淡い光が広がった。


 魔法陣だった。


 複雑な紋様が一瞬で完成し、魔物の四肢を光の鎖が拘束する。


「グルルルルッ!」


「暴れるでない。すぐに終わるわい」


 青年は魔物の体を観察した。


 黒い筋。異常な魔力の流れ。部分的に変質した魔力核。


 どうやら、自然に生まれた魔物ではないらしい。


「ふむ……魔力の流れが乱れておる。何者かが魔力を注ぎ込んだのか、それとも別の原因があるのか?」


 ケンが考え込んでいると、拘束された魔物が再び吠えた。


「……今は調査どころではないか」


 青年は杖を取り出し、魔物の額に向けた。


「眠れ」


 短い言葉とともに、魔物の体から力が抜けた。


 巨体が地面に倒れ込む。


 それきり、動かなくなった。


 あまりにもあっけない決着だった。


 少女は口を開けたまま、青年を見つめていた。


「あ、あの……あなたは……?」


「通りすがりの魔法使いじゃよ」


 ケンは何事もなかったかのように答えた。


「怪我はないかの?」


「は、はい……助けてくださって、ありがとうございます」


 少女は慌てて立ち上がろうとした。


 しかし、足に力が入らなかったのか、再びよろめく。


 ケンはすぐに手を伸ばし、彼女の体を支えた。


「無理をするでない。魔力を使い切っておるようじゃな」


 ケンは少女の杖をちらりと見た。


 魔力を通すための回路がひどく粗雑だった。これでは、少し強い魔法を使っただけで魔力が漏れてしまう。


「その杖、使いにくくはないか?」


「えっ? いえ、これは王都で購入したもので」


「そうか。ならば、なおさら妙じゃな」


 ケンは首をかしげた。


 王都で売られている魔法道具が、この程度の品質なのだろうか。


 かつての王国なら、もっと優れた品が一般に出回っていたはずだ。


 もっとも、転生直後の自分が知っている常識など、今の世界では役に立たないのかもしれない。


「して何故に魔物に襲われていたのじゃ?」


「…実は最近この領地で相次いでいる魔力の異常の原因を探っていたのですが…」


彼女は、この地で相次いでいる魔力異常の調査に参加していた。森の近くで通常とは異なる魔力の痕跡が見つかったため、その確認に訪れていたのだ。


しかし、調査の途中で突然、森の奥から巨大な狼型の魔物が現れた。

しかも、その魔物からは不自然な魔力が漏れ出していた。灰色の毛並みには黒い筋が走り、全身から漂う魔力は、これまで彼女が見てきた魔物とは明らかに違っていた。


調査には仲間たちもいたようだが、魔物の予想外の行動に翻弄されてしまい彼女だけ引き離されてしまったようだ。


「……なるほどのう。つまり、その魔物は普通の魔物とは違う様子じゃったわけか」


「はい。あんな魔物、今まで見たことがありません。魔力の流れも不自然でしたし、近づくだけで体が重くなるような感じがして……」

 

リリアは不安そうに森の奥を振り返った。

「仲間たちも一緒に調査していたのですが、魔物が突然襲いかかってきて……。逃げる途中ではぐれてしまったんです」


「ふむ。無事だったのは幸いじゃったな」

 

ケンは眠っている狼型の魔物へ視線を向けた。

先ほど調べた限り、魔物の体内では魔力が不規則に循環していた。


 まるで、本来あるべき魔力の流れを何かに無理やり書き換えられたかのようだった。

 自然に発生した変化とは考えにくい。


「ところで、ほかの者たちはどこにおる? この森に残っているのなら、探したほうがよかろう」


「そうですね……。みんなが無事かどうかも気になります」


「ならば、少し待っておれ」


 ケンは目を閉じ、周囲に意識を広げた。

 魔力の流れをたどり、生き物の気配を探る。森の中に散らばった小さな反応が、少しずつ頭の中で形になっていく。

 やがて、森の入口に近い場所で、複数の人間の気配を捉えた。


「見つけたぞ。森の入口付近に三人おる。大きな怪我はなさそうじゃ」


「本当ですか!?」

 

リリアの表情が明るくなった。


「うむ。じゃが、こちらへ向かっておるようじゃな。じきに合流できるじゃろう」


「よかった……」


 リリアは胸をなで下ろした。

 その直後、森の向こうから人の声が聞こえてきた。


「リリア様! どこにおられますか!」


「こちらです!」


 リリアが声を張り上げると、木々の間から三人の男女が姿を現した。

 全員が武装しており、服には枝に引っかけたような傷がついている。彼らはリリアの姿を確認すると、安堵した様子で駆け寄ってきた。


「リリア様、ご無事でしたか!」


「ええ。こちらの方に助けていただいたんです」


 リリアはケンを振り返った。


「この方が魔物を倒してくださったんです」


「魔物を……?」

 

三人の視線が、地面に横たわる巨大な狼型の魔物へと向けられた。

 そして、すぐに驚きの声が上がった。


「こ、これは……! あの魔物を一人で?」


「うむ。少々気になることがあったので、眠らせておいたのじゃ」


「眠らせた……?」

 

 男の一人が、信じられないといった顔でケンを見た。

 彼らにとって、この魔物は複数人でも手に負えない相手だったのだろう。

 しかし、ケンにとっては、それ以上に気になることがあった。


「ところで、お主ら。この魔物が現れたのは、今回が初めてではないのじゃろう?」


「……はい」


 答えたのは、リリアだった。


「この領地では、少し前から魔力の異常が報告されているんです。動物の様子がおかしくなったり、魔法道具が突然動かなくなったり……。それで、原因を調べることになったのですが」


「なるほどのう」


 ケンは顎に手を当てた。

 魔物だけでなく、周囲の魔力や魔法道具にも影響が出ている。

 それが事実なら、単なる魔物の変異では説明がつかない。


「この魔物も、その異常と関係しておる可能性が高そうじゃな」


「私たちもそう考えています。でも、原因はまだわかっていません」


「ふむ。実に興味深い話じゃ」


 ケンの目が、わずかに輝いた。

 五百年後の世界を知るために町へ向かうつもりだったが、思いがけず研究対象まで見つかってしまった。

 これでは、簡単に見過ごすわけにもいかない。


「そういえば、まだお名前を伺っていませんでしたね」


 リリアが思い出したように尋ねた。


「儂か? ケンと申す。しがない魔法使いじゃ」


「ケン様ですね。私はリリアと申します。改めて、助けていただきありがとうございました」


 リリアは丁寧に頭を下げた。


「礼には及ばん。目の前で困っておる者を放っておくのも、寝覚めが悪いからのう」


 ケンはそう答えながら、ふと周囲を見回した。

 森の木々も、魔力の流れも、何もかもが自分の知っているものとは違う。

 五百年という時間は、想像以上に世界を変えてしまったらしい。

 まずは町へ行き、この時代について知らなければならない。

 そう考えていたところ、リリアが遠慮がちに口を開いた。


「ケン様。もしよろしければ、私たちの屋敷まで来ていただけませんか?」


「屋敷とな?」


「はい。父がこの領地を治めているのですが、今回の件についても詳しくお話しできると思います。それに、助けていただいたお礼もさせてください」

 

「領主の娘がなぜ魔物の調査を?」


 ケンが尋ねると、リリアは少し困ったように笑った。


「私は領主の娘ですが、学園では最優秀の成績をいただいています。魔力の異常についても、何か力になれるかもしれないと思って、調査に参加させてもらいました」


「ほう。自分から志願したのかの?」


「はい。もちろん、父には反対されましたけど……。ただ、領地で異変が続いているのに、何もせずにいるのは嫌だったんです」

 

リリアは足元に視線を落とした。


「今回も、事前に十分な準備をしていたつもりでした。でも、あんな魔物が現れるなんて思わなくて……。仲間たちにも迷惑をかけてしまいました」


「ふむ……」

 

 ケンは腕を組んだ。

 話を聞く限り、リリアは単なる好奇心で森に入ったわけではないらしい。魔法を学ぶ者として、自分にできることを探そうとしたのだろう。

 もっとも、実力に見合わぬ危険を冒すのは感心せんがな。


「原因を調べたいという気持ちはわかる。じゃが、命を落としては元も子もないぞ。次からは、自分の手に負えぬ相手が現れたら、無理をせず退くことじゃ」


「……はい。肝に銘じます」

 

 リリアは素直にうなずいた。


「それで、ケン様。先ほどのお話ですが、屋敷に来ていただけませんか? 父なら、今回の異常についてもっと詳しいことを知っているはずです」


 ケンは少し考えた。

 この時代の情報を集めるには、領主から話を聞くのが手っ取り早い。それに、今回の魔物についても、まだわからないことが多い。


「そうじゃな。お邪魔するとしよう」


「ありがとうございます!」

 

リリアはほっとしたように笑った。

 こうしてケンは、リリアたちとともに森を後にすることになった。


 

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