旅行へ行く前に…
旅行の1ヶ月前に書いた文章です。
思い起こせば、私が香港を認識したのは、2006年のことだったように思う。『食いタン』というテレビドラマが放送されていたことをご存知だろうか? 当時小学生だった私は、そのドラマの2時間スペシャルの舞台が香港であったことをきっかけに存在を知ることとなった。内容はすっかり忘れてしまったが、亀ゼリーなる食べ物が登場したことだけ鮮明に覚えている。
それから時は流れ、12年後の2018年。高校時代の友人と香港に旅行へ行く話が持ち上がったことがあった。しかし双方の事情によりその旅行は実現せず、その後起きた政治的混乱、パンデミック、私の個人的な問題など様々な壁が立ちはだかり、長いこと香港旅行から遠ざかってしまっていた。
香港にも世界にも私自身にも様々な事があった。通りを埋め尽くすほどの民主化デモも、コロナ禍の混乱や制限も、私が適応障害で無職になった末に境界知能であることが判明したこともまだまだ記憶に新しく、それらはすべて現在と地続きである。
それからまた時は経ち、2025年4月に映画館で『トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦』(原題『九龍城寨之圍城』)を観たところ、「そういえばお前、香港に行く計画はどうした?」という内なる声が聞こえ、更に映画セットの一部が九龍寨城公園(かつて存在した巨大スラム九龍城砦の跡地)に3年間も展示されるという話を小耳に挟み、行くなら今なのではないか? と考え始めた。
しかしすぐに出発するほどアグレッシブではなかった。夏の香港はあまりにも暑すぎる。暑いのは苦手なので、12月か1月に行くことを前提にぼちぼち計画を練り始めた。が、ここでひとつ問題があることに気が付いた。
一緒に行く人がいない。完全な一人旅なんてできないのでは。
色々あって孤独になってしまった私には、一緒に香港に行ってくれる友達がいなかったのである。海外1人旅も経験がなく、ポンコツな自分の頭も信用できないので、何か起きた時に対処できる自信が無かった。思えばいつも誰か面倒をみてくれる人が側にいた。
ようやく本気で決心したのは、2025年9月半ばのことだった。半年近く悩んだのである。
――旅は行きたいと思った時が行き時だ。迷っているなら行った方が良い。
そんな声が聞こえた気がした。
私が選んだ方法は、全日自由行動のツアーに1人参加をすることだった。2026年1月11日に羽田空港から香港へ飛び立つ。もっと私に勇気と大胆さと無鉄砲さが備わっていれば、紀行小説『深夜特急』の著者のように、重慶大厦(かつて犯罪の温床と言われた格安ゲストハウスがひしめき合う複合ビル。バックパッカーの聖地)に泊まり、行き先も決めずに香港の街を練り歩いたかもしれないが、とてもそんな風にはなれなかった。
佐敦駅に直結した日本人御用達のホテルに、遠足のしおりかと言いたくなるほど綿密に練られた計画。半年以上もの間、Googleマップや動画サイトに溢れる香港Vlogとにらめっこをしている為、まるで答え合わせの旅のようになってしまうのではないかと思っている反面、そんなに事は単純にいかないだろうとも思っている。
出発まであと1ヶ月だ。日中関係の悪化が叫ばれ、香港と日本の交流イベントにも影響が出始め、「何か解決の糸口は無いものか」と、有って無いような頭でぼんやり考えていた最中、大埔で言葉も見つからなくなるほどの痛ましい大規模火災が発生し、つい先日は香港最大の民主派政党が解散し、それらに関連する様々なニュースが連日飛び交っている。友好や平和を願う時、深い悲しみの中にいる人々のことを思う時、政治に関心を寄せる時、中途半端で矛盾にまみれた自分の存在にふと気が付ついてドキリとする。そして国内でも火災や地震などの災害や痛ましい事件が絶えない。不安定なメンタルの状態がそうさせるのか、ここ最近は特にそう感じており、圧倒されてばかりの日々である。ただひとつ確かなのは、知ることをやめてはならないということなのだが、一時ニュースやSNSと距離を取ってしまうこともあった。
こんな状況だからか、「行って大丈夫なのか?」と言われることもあった。12月現在、私は旅行の準備を続けている。ポンコツで世間知らずで、おまけに小心者な私のことだから、きっと何かしらヘマをするに違いないが、それもまた経験なのだろう。「たかが旅行なのに大袈裟すぎる」「遊んでるだけだろ」と言われてしまえばそれまでだ。しかしこれは私にとって大きな挑戦だ。正直不安でたまらない。
前置きが随分長くなってしまったが、最後に。
1月の生吹さんへ。
気を引き締めて、しっかりね。きっと大丈夫。自信を持って行ってらっしゃい。
2025年12月17日




