第22話 沈黙の歌姫と、石化する喉
スラムの空気は、少しずつ変わり始めていた。
『万事屋オモテナシ・治療院』。
廃ビルの前にできた行列は、日を追うごとに伸びている。
当初は「人間なんて」と石を投げていた住民たちも、あの恐ろしい雷魚組長が涙を流して感謝する姿を見て、考えを改め始めていたのだ。
「へへっ、背ビレが軽いぜ! ありがとな先生!」
「お大事に。……次は貴方ですね」
オトモが淡々と施術をこなす。
エンジン出力は15%。まだ戦闘には心許ないが、生活するには十分なエネルギーが循環し始めていた。
だが、その平穏は唐突に終わる。
「……裏口から、失礼します」
診療時間の終わり際。
深々とフードを被った小柄な人影が、裏口の扉を叩いた。
「怪しい奴だな。診察は明日だぞ」
キッドが追い返そうとするが、その人物がフードを取った瞬間、全員が息を呑んだ。
透き通るような肌。背中には天使の羽のような遊泳翼。
深海のアイドル、『クリオネ(流氷の天使)』の少女だった。
アビスの至る所でホログラム広告が流れている、歌姫『ルル』だ。
「あなたが……なぜこんな場所に?」
ミルカが尋ねる。
ルルは震える手で、首に巻かれた厚い包帯を解いた。
「……治せると、聞きました。どんなに硬い『凝り』でも……」
露わになったその喉を見て、オトモの眉がピクリと跳ねた。
本来なら半透明で柔らかいはずのクリオネの喉が、まるで「黒い岩」のようにゴツゴツと隆起し、気道を圧迫していたのだ。
さらに、無理に声を出そうとしたのか、硬化した組織の隙間から鮮血が滲んでいる。
「これは……病気ではありませんね」
オトモが静かに告げる。
「……軍部の命令なんです」
ルルが、ガラスを擦り合わせたような嗄れ声で語り出した。
「今の軍部は『硬さ』こそ正義。だから私の歌も、柔らかいバラードじゃなくて……もっと激しく、喉を打ち鳴らすような『軍歌』を歌えって……」
【硬化歌唱法】。
喉に特殊な薬剤を打ち、声帯を人為的に硬くすることで、金属音のような高音を出すことを強要された結果だ。
それは歌ではない。クリオネの柔らかい声帯を摩耗させ、使い潰すための拷問だ。
「ファンのみんなが待ってるから……私が歌わないと、みんなが悲しむから……」
ボロボロの喉で、彼女は笑おうとした。
その痛々しい姿に、スープ皿を洗っていたライラの手が止まる。
(……同じだ)
味を失い、それでも店長として振る舞おうとする自分。
声を失いかけながらも、誰かのためにステージに立とうとする彼女。
「感覚」を搾取される者の痛みが、ライラの胸を貫いた。
「……治せますか?」
ルルが縋るようにオトモを見る。
「ええ。ですが、普通の整体では喉が砕けます」
オトモは調理場へ視線を送った。
「キッド様、ミルカ様。……『極上の柔らかさ』をお願いします」
「合点承知! 喉ごし最高のやつを作ってやるよ!」
「科学の力で『軟化スチーム』を焚くわよ!」
治療が始まった。
ミルカが開発した特殊なスチームが充満する中、オトモの指がルルの喉に触れる。
【深海式・共振整体】
力で揉むのではない。
オトモの指先から放たれる微細な振動が、石灰化した組織だけを粉砕し、本来の細胞を傷つけずに剥がしていく。
「んっ……ぁ……」
ルルの喉から、ポロポロと黒い破片(凝り)が剥がれ落ちていく。
そこに、キッドが差し出した一皿。
『深海プランクトンのエンジェル・スフレ』。
スプーンですくうだけで消えてしまいそうなほど、儚く、柔らかいメレンゲ料理だ。
「食ってみな。噛まなくていい。……魂で味わうんだ」
ルルがスフレを口に含む。
シュワッ……と溶け、優しい甘さが広がる。
強要された「硬さ」ではなく、彼女が本来持っていた「柔らかさ」を肯定する味。
「……おいしい……」
涙が溢れた。
さらに、横からもう一皿、スープが差し出された。
ライラだ。
味見のできない彼女が、手の感覚だけで作ったポタージュ。
「……私、味が分かんないから、美味しいかどうか保証できないけど」
ライラが自嘲気味に笑う。
「でも、温かいのは分かるから。……誰かが喜んでくれるなら、それでいいじゃない」
それは、自分自身に言い聞かせる言葉でもあった。
ルルはスープを飲み、大きく頷いた。
「……温かいです。店長さん……味が分からなくても、心は入ってます」
その言葉に、ライラの瞳に微かな光が戻る。
二人の「欠落」が、互いを埋め合わせた瞬間だった。
「……あ、あー……」
ルルが声を出した。
透き通るような、鈴を転がすような美声。
石化は完全に除去され、喉は本来の輝きを取り戻していた。
「声が……出ます! 痛くない!」
嬉しさのあまり、ルルは歌い出した。
スラムの汚れた空気を浄化するような、即興のアリア。
治療院の外にいた住人たちが、その歌声に足を止め、聞き惚れ、涙を流す。
ドクン……!
壱号機のエンジン出力計が跳ね上がる。
【出力:15% → 20%】。
純粋な感動と感謝が、動力源に流れ込んだ。
だが。
その「奇跡」こそが、終わりの合図だった。
ドガァァァン!!
治療院の壁が突き破られた。
土煙と共に雪崩れ込んできたのは、全身を赤い甲冑で覆った「ロブスター親衛隊」だった。
「見つけたぞ! 脱走した歌姫だ!」
ロブスター兵たちが、巨大なハサミのような銃剣を向ける。
スラムの住人たちは悲鳴を上げて逃げ惑う。
「なっ……なんでここが!?」
「その歌声だよ。……探知機に反応があった」
隊長格のロブスターが、あざ笑うようにルルを見下ろした。
「ほう……喉の石灰化が消えているな。素晴らしい!」
「……!?」
「声が戻ったなら好都合だ。明日の『戦勝祈願ライブ』に間に合うな。さあ来い、また喉が潰れるまで歌わせてやる!」
ロブスターの鋼鉄のハサミが、ルルの細い腕を乱暴に掴む。
「いやっ! 離して! もうあんな歌は嫌っ!」
「黙れ! 貴様の声は軍の所有物だ!」
「テメェらァァァ!」
キッドが包丁を構えて飛び出す。
だが、オトモがそれを手で制した。
外には数百の軍勢。今の出力20%の壱号機では、スラムごと焼き払われてしまう。
「……待って! 行きます! 行くから!」
ルルの叫びは震えていた。
ロブスター兵が、ライラたちに銃口を向けたまま一歩前へ出たのを見たからだ。
「お願い……! 私を治してくれた人たちを傷つけないで……!」
彼女は自分の足で、ゆっくりとロブスター兵の方へ歩み寄る。
その姿は、逃げるのではなく――
守るために進む者の背中だった。
「そうだ。それでいい」
隊長格のロブスターが、冷たく笑う。
そのハサミは、まるで“捕獲した獲物”を見るようにルルを見下ろしていた。
「賢明な判断だ。……おい、こいつらの店を焼き払え。
反逆者の巣は、根こそぎ消しておけ」
その命令は、あまりにも軽かった。
まるで「ゴミを捨てろ」と言うかのように。
ドォン!!
容赦ない砲撃が、万事屋の看板を吹き飛ばした。
炎上する治療院。
連れ去られていくルル。彼女は最後まで振り返り、涙ながらに「ありがとう」と伝えていた。
残されたのは、燃え盛る瓦礫と、再び全てを奪われた一行。
「……クソッたれがァァァ!!」
キッドが地面を叩き割る。
ミルカが唇を噛み締める。
そして、ライラは――炎を見つめながら、静かに立ち上がった。
「……絶対に取り返す」
その声には、以前のような弱々しさはなかった。
味覚を奪われ、友人を奪われ、店を焼かれた。
どん底まで落ちた彼女に残ったのは、純粋な「怒り」だけ。
「私の味も。ルルの声も。……全部、あいつらから取り戻す…!」
「……御意」
オトモが割れた片眼鏡を指で押し上げた。
その奥の瞳は、地獄の業火よりも熱く燃えていた。
「救いましょう。歌姫も、店長の舌も。……これより、我々は『反逆者』です」
スラムの闇医者は終わりだ。
次は、アビスそのものを敵に回す、大革命の幕開けである。
■ 現在のG-Log掲載情報(自動更新)
【店舗名】
万事屋オモテナシ・治療院(全焼)
※軍部の襲撃により消失。
【総合評価】
★ - (指名手配)
・罪状:重要軍事資産(歌姫)への不法改造および逃亡幇助。
・賞金:首一本につき100万パール。
【エンジン出力状況】
・ステータス:低出力(LOW)
・現在出力:20%
・特記事項:スラム住民と歌姫の感謝により微増。戦闘モード移行準備中。
【従業員状態】
・店長:
状態:覚醒(Awakening)。
変化:味覚はないが、「取り返す」という明確な目的意識により精神力が回復。
・執事:
状態:戦闘モード(Battle Mode)。
・キッド&ミルカ:
状態:軍部への敵対心MAX。
【現在のクエスト】
『革命の狼煙を上げろ』
・目的①:軍部に囚われた歌姫ルルの奪還。
・目的②:カジノ王クラブ・ジャックから「味覚」の奪還。
・次なる一手:スラムに蔓延する「硬化病」を逆手に取り、民衆を味方につける。
【次回予告】
硬化病パンデミック。
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