第21話 電気ウナギ組長と、絶縁整体
深海スラムの朝は、重苦しい。
頭上を覆う巨大なプレートの隙間から、上層カジノ街の眩しいネオンがゴミのように降り注ぐだけ。
廃ビルの湿った一室で、ライラは膝を抱えていた。
目の前には、キッドが作った特製深海雑炊がある。湯気が立ち上り、本来なら食欲をそそる磯の香りが充満しているはずだ。
ライラは力なくスプーンで一口啜る。
「……どうだ、店長」
キッドが心配そうに覗き込む。
喉を通る温かさはある。食感もある。だが、味がない。
出汁の濃厚な旨味も、塩気も、米の甘みも。すべてが舌に触れた瞬間に無に変換される。
食べるという行為が、ただの燃料補給という苦痛な作業に成り下がった絶望。
「……うん」
ライラはスプーンを置き、うつむいた。
「クソッ……!俺の料理で笑顔にならねぇなんて……!」
キッドが悔しげに拳を震わせる。
「焦ってはいけません。……行きましょう。今日も患者が待っています。一粒でも多くの真珠を稼ぎ、店長の味覚を……」
オトモが静かに白手袋をはめようとした、その時だった。
ガシャァァァァンッ!!
ライラが、手にしていたどんぶりを壁に向かって全力で叩きつけた。
陶器が砕け散り、雑炊が壁にぶち撒けられる。
「……店長?」
「ふざけんじゃないわよ」
ライラがゆっくりと立ち上がった。
その瞳には、絶望の涙など一滴もなかった。あるのは、煮えたぎるようなドス黒い怒りと、底知れぬ強欲の炎だ。
「こんな味のしない泥水みたいな飯、私の胃袋が満足するわけないでしょ!……あのクソみたいなカニ野郎!絶対に許さない!私の大事な味覚を奪って高笑いしたこと、一週間以内に100万パール叩きつけて、あいつの店ごと買い取って残飯処理係にしてやるんだから!!」
ライラはバンッ!とテーブルを叩き、オトモたちをビシッと指差した。
「聞いたわねあんたたち!泣いてる暇なんてないわ!ここから無一文で100万パール稼ぎ出して、私の味覚を取り戻すわよ!底辺からの悪徳営業、フル稼働でスタートよ!!」
その圧倒的なまでの生命力と反骨精神。
オトモは恭しく一礼し、不敵な悪党の笑みを浮かべた。
「御意。……やはり貴女は、そうでなくては」
◇
万事屋オモテナシ・治療院の前には、今日も行列ができていた。
ただし、客層は最悪だ。チンピラ、密輸業者、賞金首。正規の病院に行けない、スラムのアウトローたち。
昨日、地元のチンピラをオトモが再起不能にしたことで、「あそこにはヤベェ闇医者がいる」と噂が広まっていたのだ。
「おい人間!俺の背ビレが曲がっちまった!なんとかしろ!」
「へいへい、順番守れよ。……次はアンタだ」
キッドが受付をし、ミルカが会計をし、オトモが次々と施術していく。
その光景を、ライラは腕を組んで特等席(木箱)からギラギラと見張っていた。
「ちょっと!そこの半魚人!治療費の真珠が一個足りないわよ!ボッタクリなめんな!」
「ひぃぃ!?す、すんません!」
味覚を失った代償か、金に対する嗅覚と執着が倍増している。
その時だ。
バリバリバリバリッ……!!
凄まじい放電音と共に、店の入り口のドアが木っ端微塵に吹き飛んだ。
並んでいた患者たちが「ひぃぃ!?」と悲鳴を上げて逃げ惑う。
「どけ!雷魚会のお通りだ!」
現れたのは、黒いスーツを着た大柄な魚人たち。
その中心に、一際巨大な影があった。
全長5メートル。蛇のように長い体躯を特注スーツに押し込んだ、電気ウナギの老魚人。
アビス裏社会を牛耳る組織のドン、ボルテッカ組長だ。
「……ここか。人間がやってる闇医者ってのは」
組長が低い声で唸る。その体からは、常に青白い稲妻がバチバチと放出されていた。周囲の空気がイオン化し、焦げ臭いオゾンの匂いが漂う。
「ちょっとお爺さん!営業妨害よ!」
並み居るヤクザたちを前に、ライラがズカズカと歩み寄り、ビシッと指を突きつけた。
「ドアの修理代、迷惑料込みで10万パール!耳を揃えて払うなら、あんたのそのバカみたいな放電、ウチの優秀な執事が治してあげるわよ!」
「フン……度胸だけはあるな、小娘」
ボルテッカ組長が、ドカリと鉄パイプ椅子に座る――瞬間、椅子が赤熱し、飴細工のようにぐにゃりと曲がった。
「見ての通りだ。……俺は今、放電が止まらねぇ」
組長が苦悶の表情を浮かべる。
「若い頃からの威嚇のしすぎだ。常に気を張って、ナメられねぇように電気を流し続けてきたせいで、放電器官がバグっちまった。触れるもの全てを壊す。……愛する女も、生まれたばかりの孫も抱けねぇ」
威嚇のために電気を流し続けた代償は大きい。筋肉は石のように固まり、神経は焼け付く寸前。強さを演じるために、体そのものが悲鳴を上げていた。
「アビス中の医者に見せたが、全員感電して逃げやがった。……人間、テメェらに治せるか?」
治せなければ殺す。いや、放電で消し炭にする。
そんな殺気が漂う中、オトモは片眼鏡を光らせ、組長の体をスキャンした。
「……なるほど。背中の発電板が、長年の威嚇で過緊張を起こし、互いに癒着していますね。本来なら放電を止めるための筋肉が動かず、スイッチが入ったまま固まっている状態です」
「治せるのか!?」
「ええ。ただし……少々、特殊な道具が必要です」
オトモが指を鳴らそうとした瞬間、ライラが横から口を挟んだ。
「もちろん治せるわ!でも、これはウチの特別極上コースよ。修理代とは別に、あんたが持ってる一番価値のあるものを寄越してもらうわよ!」
「……いいだろう。治してみせろ!」
「交渉成立ね!全員、仕事よ!」
ライラがパンッと手を叩く。
「ミルカ!キッド!あんたたちの出番よ!あのビリビリ爺さんをコーティングしなさい!」
「了解!カジノの裏ゴミ捨て場で拾った廃液で作った特製絶縁ジェルならあるわよ!」
ミルカがドラム缶いっぱいのピンク色のネバネバした液体を持ってきた。深海の巨大ナマコから抽出した粘液に、絶縁体となる油を混ぜた特製ローションだ。
「おうよ!ウナギは皮が滑るからな。こういうコーティング作業は慣れてんだ!」
バシャアッ!
キッドが的確な手つきでジェルを浴びせ、暴れる電流の隙間を縫って、組長の全身に均一に塗りたくっていく。
「ぬぉっ!?なんだこりゃ!?」
「絶縁コーティングです。これで私が感電死するのを防ぎます。……さあ、いきますよ」
オトモが分厚いゴム手袋をはめ、ヌルヌルの背中に指を突き立てた。
【深海式・絶縁指圧】
「ぐおおおおっ!?」
「硬い!まるで鉄塔のようだ!……ですが、凝りは必ずほぐれる!」
バチバチバチッ!!
ジェル越しに凄まじい火花が散る。オトモの髪が逆立つ。ゴム手袋が焦げ臭い煙を上げる。
だが、指は止まらない。発電器官の深層にある緊張の核を、執拗に攻める。
「力を抜きなさい!もう、誰かを威嚇する必要はない!」
「黙れッ!俺は組長だ……!柔ぇ所なんざ見せたら、一瞬で食われちまうんだよ……!」
「それが凝りだと言っているのです!貴方が守りたいのは、組の看板ですか?それとも……生まれたばかりのお孫さんの、小さな手ですか?」
ズプンッ!!
オトモの親指が、硬直した筋肉の隙間をこじ開け、ツボの最奥に到達した。
「――ッ!?」
組長の目が見開かれる。
走馬灯のように、昔の記憶が溢れる。ただ、家族と笑いたかった日々。強くなるほどに遠ざかった、柔らかな感触。
「……ふぅーーーーーっ」
組長の口から、長く、深い溜息が漏れた。
それと同時に、体から放たれていた稲妻が、スゥ……と消えた。
「……消えた?放電が……止まった?」
組長が恐る恐る、自分の手を近くにあった古雑誌に向けた。焦げない。燃えない。ただ、紙の感触があるだけだ。
「せいこう……!」
ミルカがガッツポーズ。
「体が……軽い。まるで稚魚に戻ったようだ……」
ボルテッカ組長が涙を流し、ヌルヌルの手でオトモの手を握りしめた。
「ありがとう……!人間……いや、先生!」
「感謝の言葉は結構よ。さあ、約束通り耳を揃えて払ってもらおうじゃない!」
ライラがずいっと前に出て、借金取りのような笑顔で手を差し出した。
「……フッ、強欲な小娘だ。お代は、これだ」
組長が懐から、革袋をドンと置いた。中には溢れんばかりの真珠と……一枚の黒いカード。
「10万パールと、アビスの裏カジノへの会員証だ。……これがありゃ、一般人は入れねぇ『上』へ行ける。味覚を取り戻すんだろう?せいぜい頑張りな」
「毎度あり!」
ライラがひったくるように真珠とカードを奪い取る。
資金、コネ、そして上層へのチケット。スラムの底から、最初の一歩を踏み出した瞬間だった。
◇
だが、その様子を、廃ビルの窓の外からじっと見つめる視線があった。
それは、組長の部下ではない。
もっと冷たく、硬質な……軍部の監視ドローンの赤いレンズだった。
「スラムに妙な人間がいる。……あの『歌姫』の脱走を手引きするかもしれん。監視を続けろ」
■ 現在のG-Log掲載情報(自動更新)
【店舗名】 万事屋オモテナシ・治療院(スラム支店)
【総合評価】 ★0.1(↑0.06 UP!)
・理由:裏社会のドンを治療し、スラムでの影響力を確保。
・顧客満足度:ボルテッカ組長「孫を抱っこできた!★5.0」
【現在の所持金】
・10万パール(組長の謝礼+ドア修理代)
・借金残り:90万パール
【獲得アイテム】
・『裏カジノの会員証』
→ カジノエリアのVIPルームへ侵入可能。
【従業員状態】
・店長:味覚がない絶望を怒りに変え、金の亡者と化した悪徳司令塔。
・執事:店長の完全復活に喜びつつ、絶縁指圧を完遂した最強の整体師。
・キッド&ミルカ:店長の強欲な采配の元、完璧なコーティング作業を実施。
【次なる障害】
・軍部の監視ドローン(不審な人間としてマークされ始めた)。
【次回予告】 沈黙の歌姫と、石化する喉。
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