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第20話 深海カジノと、身体を賭けるギャンブル

 世界から、音が消えた。

 水深8000メートル。

 『オモテナシ壱号機』は、重力から解き放たれたように、深い青の世界を漂っていた。


 窓の外には、静寂の雪が降っていた。

 マリンスノー。海の上層から降り注ぐ、生命の欠片たち。

 その白き雪の間を縫うように、発光するクラゲたちが優雅に舞っている。


 サファイアのような青、ルビーのような赤、エメラルドのような緑。

 自ら光を放つ彼らは、暗黒の海を「生きた宝石箱」に変えていた。


「……綺麗」


 ライラが窓にへばりつき、ほうっとため息をついた。


「まるで、星空の中を泳いでるみたい。……ねえオトモ、あそこで光ってる魚、どんな味がするのかしら」


「店長らしい感想ですね。ですが同意します。幻想的な光景です」


 オトモもまた、ハンドルの手を緩め、この神秘的な深淵の美しさに目を細めた。

 帝国の追手も、騒がしい戦いもない。

 ただ、圧倒的な静けさと美だけがそこにあった。

 ――そう、この一瞬までは。


 バッッッッ!!!!

 突如、暴力的な光の洪水を浴びせられた。

 静寂を切り裂くような、騒がしい電子音とファンファーレ。


「うわっ、眩しっ!?」


 キッドが目を覆う。

 壱号機がドームの境界を越えた瞬間、景色は一変していた。

 神秘的な闇は消え失せ、そこには毒々しいほどのネオンが輝く、巨大な摩天楼が広がっていたのだ。


 深海都市国家『アビス・ベガス』。


 発光サンゴで築かれた高層ビル群、ホログラムで踊る巨大な美女、そして欲望を煽るカジノの看板たち。

 ここは、地上の帝国すら黙認する、法無き「裏の経済特区」。


「すっげぇ……! 竜宮城かよ!?」


「いいえ、あれは……『欲望のるつぼ』ですね」


 オトモが冷静にハンドルを切る。

 通りを行き交うのは、高級スーツを着たカニやエビたち。

 彼らは硬い殻を誇示するように肩で風を切って歩き、その足元ではボロボロの服を着た魚人やタコたちが、靴磨きや客引きをして媚びへつらっている。


 「硬さ(甲殻類)」が支配し、「柔らかさ(軟体類)」が搾取される街。


「あーっ! あれ見て! 『ロイヤル・クラブ』!」


 ライラの叫び声が車内に響いた。

 彼女が指差したのは、街の中心に鎮座する、巨大なカニのハサミを模したゲートを持つ高級レストランだった。

 そこからは、言葉にできないほど芳醇な、極上の出汁の香りが漂ってきていた。


「お腹すいた! さっきのクラゲ見てから我慢してたの! あそこに入るわよ!」


「店長、お待ちを! お忘れですか、我々は無一文です! 先日の壱号機の修理で、金貨は一枚残らず使い切りました!」


 オトモは、店に飛び込もうとするライラの襟首を掴んで止めた。

 主人の暴走を止めるのは執事の務め。無銭飲食など、オモテナシの看板に泥を塗る行為は断じて許されない。


「なんとかなるわよ! 私が皿洗いすれば……」


「なりません。……私が交渉してきます。店長はそこで『待て』をしていてください」


 オトモは暴れるライラをキッドに預け、懐中時計を取り出し、店の入り口に立つ黒服ロブスターの元へ歩み寄った。


「失礼。……通貨を持ち合わせていないのですが、この『純金の懐中時計』でお支払いは可能でしょうか? 地上のレート換算ならば、十分な価値がある品ですが」


 オトモは恭しく時計を差し出した。

 精緻な彫刻が施された、帝国製の最高級品。オトモが長年愛用してきた、執事の魂とも言える逸品だ。

 黒服はそれを手に取り、ジロジロと眺めた後、奥から現れた支配人らしき大男に耳打ちをした。

 大男は時計を一瞥し、ニタリと笑ってオトモを見た。


「……ほう。地上の『ゴールド』ですか。珍しい」


「お支払いに充てられますか?」


「ええ。お客様は神様です。……どうぞ、極上の席へご案内いたしましょう」


「……感謝します」


 オトモは安堵し、一礼した。

 交渉成立。これならば胸を張って食事ができる。

 彼はライラを招き入れた。

 ――その「承諾」が、カモを網に入れるための真っ赤な嘘だとも知らずに。


 ◇


 一時間後。

 カジノ・レストラン『ロイヤル・クラブ』のVIPルーム。

 テーブルの上には、深海エビのタワー、ダイオウイカのステーキ、発光クラゲのゼリー寄せが、残骸となって散らばっていた。


「ぷはぁー! 食った食った! 深海の味、濃厚で最高ね!」


 ライラが満足げに腹をさする。

 その向かい側で、支配人の男が電卓を弾いていた。

 身長3メートル。全身を鋼鉄のような甲羅で覆い、仕立ての良いタキシードを着た巨大なタカアシガニだ。

 カジノ王、クラブ・ジャック。

 帝国の貴族たちとも裏で繋がる、この街のフィクサーの一人である。


「……お会計、締めて100万パールになりやす」


 ジャックが長い足を組み、ハサミについたワインを舐めながら告げた。


「では、先ほどお渡しした時計で」


 オトモが言う。

 だが、ジャックは不思議そうな顔をした。


「時計? ああ、あのオモチャかい? あんなもんで100万パールが払えるとでも?」


「……は? 入店前に確認したはずですが」


「言ったねェ。『珍しい』とは言ったが、『金として使える』なんて一言も言ってねェぞ?」


「なっ……!?」


 ジャックがテーブルの上の金時計に、巨大なハサミを振り下ろした。


 ガシャッ!


 無残な破壊音が響いた。

 精巧な歯車が飛び散り、美しい金色のケースが飴細工のようにひしゃげる。


「……あ」


 オトモの声が漏れる。


「あァ~あ。やっぱり柔らかすぎて脆いなァ、金なんてゴミは」


 ジャックが、潰れた時計をゴミのように弾き飛ばした。

 オトモの表情が凍りつく。

 虎の子の資産すら、ここではゴミ屑。

 いや、それ以上に――客を騙し、嘲笑う、その腐った根性に。


「お客さん、田舎から来なすったかね? ここは『硬さ』が正義の街だ。ゴールドなんてフニャフニャしたゴミ、子供の粘土遊びにもなりゃしねぇ」


「貴様……最初から騙すつもりで……!」


「へっへっへ。金がねぇなら……『チップ』で払ってもらおうか」


 ジャックが懐から、不気味に発光する魔導契約書を取り出した。


「この街のカジノじゃあ、金がない貧乏人は『感覚センス』を賭けるんだよ」


 ジャックの視線が、ライラの口元に向けられた。

 それは食材を見る目ではない。解体前の肉を見る目だ。


「あんたからは凄まじい『食欲』を感じる。……その貪欲な『舌』は上物だ。その『味覚』、100万パールで買い取ってやらァ」


「はぁ? 何言ってんのこのカニ。私の舌は高いわよ?」


 ライラが鼻で笑う。


「契約成立だ」


 バシュッ!!


 ライラが反応するより速く、契約書が閃光を放った。

 ライラの口から、ピンク色の「モヤ」のようなものが吸い出され、契約書へと吸い込まれていく。


「……え?」


 ライラが瞬きをする。

 ジャックの手には、ピンク色に輝く小さなクリスタル・チップが握られていた。


「へっへっへ……極上の『味覚チップ』だ。こいつは帝国の美食家どもに高く売れるぜ」


 ジャックがチップを掲げる。


「ちょっと、何したのよ? ……あれ?」


 ライラがテーブルに残っていたデザートのクリームを、指ですくって口に入れた。


 モグモグ。

 ……動きが止まる。


「……味が、しない」


 甘いはずのクリーム。

 いつもなら口に入れた瞬間、「ん~っ!」と幸せが弾けるはずなのに。

 彼女が感じたのは、ただの冷たい油の塊のような、無機質な感触だけ。


「嘘……嘘よ……」


 彼女はさらに、フルーツを、肉を、手当たり次第に口に詰め込んだ。

 だが、噛めば噛むほど、口の中に広がるのは「砂利を噛むような虚無」だけ。

 お腹は膨れる。でも、心は飢えたままだ。


「あ……ぁ……」


 ポロポロと、大粒の涙がこぼれ落ちた。

 食べることは、生きること。

 美味しいものを食べて笑うことだけが、彼女の単純で最強のエネルギーだったのに。


「味がしないなら……私、ただの燃費の悪い肉の塊じゃない……」


 ライラの瞳から、ハイライトが消えた。

 それは単なるショックではない。稀代の「食いしん坊」としての魂の死だった。


「へっへっへ! いいザマだ! 返してほしけりゃ、一週間以内に100万パール持ってきな。……もっとも、薄汚い人間には無理だろうがなァ!」


 高笑いするジャック。

 その時。


 ピキッ……


 乾いた音が響いた。

 オトモの片眼鏡モノクルに、一本の亀裂が走っていた。

 表情筋一つ動かしていないのに、内から溢れ出る殺気が、硝子を内側から圧迫し、割ったのだ。


「……随分と、高いランチになりましたね」


 オトモの声は、絶対零度のように冷たかった。

 体内で、何かがギチリと噛み合う音がした。

 それは「執事」ではない。主人の楽しみを奪われた「守護者」の、静かなる激怒だった。


「行きましょう、店長。……必ず取り戻します」



 店を叩き出された一行は、アビスの最下層、スラム街の路地裏にいた。

 オトモが廃ビルの壁に『万事屋オモテナシ』の看板を掛けた、その瞬間。


 バシャッ!!

 頭上から、生ゴミと汚水が浴びせられた。


「帰れ! 地上人!」


「柔らかいのがうつるんだよ! 疫病神!」


 窓から顔を出した魚人のチンピラたちが、鉄パイプをちらつかせて囲んできた。


「……おい執事。やっていいか?」


 キッドが包丁を抜こうとする。だが、オトモが一歩前に出た。


「私がやります。……少し、頭を冷やしたい気分ですので」


 オトモは汚れた燕尾服を払うこともなく、チンピラたちの群れへと歩き出した。


「あァ? なんだテメェ、やんのかコラァ!」


 魚人が鉄パイプを振り下ろす。

 オトモはそれを紙一重でかわし、すれ違いざまに魚人の手首を掴んだ。


「姿勢が悪いですね。……背骨が歪んでいますよ」


 ボキィッ!!


「ぎゃああああ!?」


 正確無比な関節技。

 力任せに折ったのではない。関節の可動域の限界点リミットを、針の穴を通すように突き、外したのだ。

 オトモは流れるような動きで、次の敵の懐に入り込む。


「貴方は骨盤が開いている」


 ゴキッ!


「貴方は肩こりが酷い」


 ズドン!


 瞬く間に、十数人のチンピラたちが地面に転がされた。

 全員が「健康的に」関節を極められ、呻いている。


「……底辺ここがスタートラインです」


 オトモは倒れ伏すチンピラたちを見下ろし、割れた片眼鏡を指で押し上げた。

 その背後で、泥にまみれたライラが、味のしない世界で膝を抱えている。


「ここから這い上がり、あのふざけたカニの甲羅を、粉々に砕いてやりましょう。……私の『指』と引き換えにしてでも」


 深海の闇の中で、反撃の狼煙が静かに上がった。

 無一文からの、100万パール奪還作戦。

 オモテナシ史上、最も過酷で、最も切実な営業が始まる。



■ 現在のG-Log掲載情報(自動更新)

【店舗名】

万事屋オモテナシ・治療院(スラム支店)


【総合評価】

★0.04(変化なし)

・無一文、知名度ゼロ、社会的信用マイナス(無銭飲食犯&人間)からのスタート。


【エンジン出力状況】

・ステータス:枯渇(EMPTY)

・現在出力:3%

・特記事項:店長ライラの精神的崩壊により、感謝エネルギーの受信感度が著しく低下中。


【現在の所持金】

・-1,000,000パール(借金)


【従業員状態】

店長ライラ

 状態:味覚喪失(Taste Lost)。

 症状:摂食障害寸前。生きる気力を喪失中。

執事オトモ

 状態:激怒(静)。

 損失:愛用の金懐中時計(破壊)。

・キッド&ミルカ:

 状態:カジノへの復讐心で団結。


【現在のクエスト】

『100万パールを稼ぎ出し、味覚を取り戻せ』

・期限:一週間

・ターゲット:スラム街の患者たち


【次回予告】

電気ウナギ組長と、絶縁整体。

本日のおもてなしは、いかがでしたでしょうか?


当店のサービスにご満足いただけましたら、ぜひ、「お客様アンケート(ご感想、評価)」や「次回のご予約ブックマーク」をお願いいたします。


お客様からの温かいお声が、オトたちの「過剰なおもてなし」をさらに加速させる燃料となります!

次回も、極上のサービスをご用意してお待ち申し上げております。

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