レベル24
あれから二週間後。
わたしは森の外まで来ていた。
まあここまで一週間くらいかかっているんだけれども、そのこと自体はたいしたことじゃなかったよ。
随伴にはミニーやキアもいるし、エルフの皆さん方もわたしを守ってくれている。
少し視線を降ろせば、そこには大きく切り立った崖になっていて、生き物を殺すガスが充満する崖になっているらしい。
「守れ」
わたしは、あれから『守る』を覚えた。
シールド特化の神言で、わりと汎用性が高い呪文だ。
想像したのは、ちょうど膨らんだボールの中で遊ぶ、例のゲームだ。
そういった球形のシールドで自分自身を囲めば、落下しても大丈夫。
ぼよんぼよんとはずむ要領で、いっきに崖下に飛び降りることができた。
崖下は無味無臭だが、たぶんなにかのガスが充満しているのだろう。
生き物の気配はしない。
ところどころ岩肌の奥のほうから、フシューという音が聞こえてきている。
ガスの噴出音かな。
どうやら無味無臭らしいが、生き物がいないせいで、とても静かだ。
なんの気配もない谷底を歩いていると、まるで世界に自分だけが取り残されたみたいで少し寂しかったけれど、誰かとつながっているという確信があれば、その寂しさは耐え切れないものではなかった。
わたしは、そんな死の世界をすたすたと歩いている。
そして、ようやく、目の前に広がるのは果てしない荒野。
わたしがここに向かう前にシャーロット先生が必死に図解入りで教えてくれたよ。
人間の国に向かうには、どうも森を越えるかこの死の谷を越えるしかないらしい。自分で首が絞まるポーズをして、ここからは死んじゃうというようなことを、さし示していた。
死んじゃう?
とは聞かなかったけどね。
まあ、イメージしなければ問題ないし、世界を改変するときに何か膜のようなものを突き破る感覚がするので、うっかり間違って殺しちゃうってことはまず無いと考えていい。
でも――、わたしは誰かが『死ぬ』って言葉を使いたくなかったんだ。
さて、一歩。
歩みを進めてしまうと、ここからは人間の国。
だけど――、まだそっちには行かない。
わざわざ魔王を倒しにいく人なんかいないし、仮にそうするとしてもまだまだレベルが足りないと思う。
いまのわたしにできる精一杯をするだけだ。
「守護せよ!」
唱えて、出現するのはモスグリーン色したシールド。
これもシャーロット先生に教えてもらった。
本当は長ったらしい詠唱があるみたいだけど、わたしには不要だ。
ただ端的に、そうしたい結果をもたらす言葉を選べばいい。
わたしはあれから言葉を通じて世界を直接感じ取れるようになってきている。
その手触り感といってもいい感覚が、このシールドの強固さを伝えてきていた。
シールドは何もされないなら百年くらいはもちそう。
これで人間たちは再び侵攻する術を失った。
と、思う……。
たぶんだけど。
魔王が直接攻めてきたらわからないけれど、とりあえずのところ、普通の現実侵食能力なら大丈夫だろう。
だから。
「大丈夫」
と、唱えておく。
これで太鼓判を押したことになるのかな。
「飛ぶ!」
飛んで、再び谷の上に上る。
時間としては五分もかかっていなかったが、みんなには歓声をもって迎えられた。
なんだか照れる。
『ナイ。すごいです。これでいままでと同じ状況ですね』
「うん。ミニーありがと」
ミニーが抱きついてくる。
もはや定例なので、少し慣れた。
人間は慣れていく生物なのです。
ええ、髪の毛を掃除機みたいに吸いこまれるのはいまだ慣れませんけど。
わたし基本されるがままです。
『ナイ。いまさら言うのもなんですけど。おまえ、もしかすると人間ではないとか言いませんよね? それならいままでのことは謝罪しますが』
『ナイは人間ですよ。いい加減。ナイをナイとしてみたらどうですか』
『そんなのわかってます! ただ折り合いとか、妥協とか、そういうものがエルフは苦手な種族なんですよ!』
今度はキアが何か言っている。
その意味内容はわからないけれど、きっと悪い意味ではないだろう。
「ん。キア。好き?」
『そ、そういうふうに気軽に好きとか嫌いとか言うの、人間のよくない癖ですよ。いいですか。エルフという種族は貞淑を重んじる種族なのです。ですから、好きとか嫌いとかはそんなに軽々しく述べるべきではなく……」
「んー。でも、ナイは好き」
『……くう。わかりました。もういいです!』
キアともだいぶん仲良くなれたみたい。
たぶんだけどね。
☆
それからまた再び一週間くらい時間をかけて、何度もキャンプをしながらわたしの住む村に戻った。
最後はやっぱり駆け出してしまうのはしかたないところだろう。
「クイーーーーーーン!」
やっぱりだ。
半ば確信してたんだけど、クインは家の前で待っていてくれた。
わたしはそのままダッシュの勢いで飛びつく。
あと数メートルというところで、ちょっともたついてバランスを崩しかけたけど、そのままの勢いで『飛んで』向かうと、クインが抱きとめてくれた。
抱っこ状態。
いつもの安心感に包まれて、わたしは幸せです。
「ただいま。クイン」
「おかえりなさい。ナイ」
世界は滅びちゃいけなかった。
たとえ、そう思っている人がいたとしても、わたしはきっと何度でも否定するだろう。
誰かと友達になって、それから教えてあげたい。
ほんの少しの言葉でいい。
ほんの少し世界のことが好きになれば、きっと世界は救われる。いまではそんなふうに信じている。
まあ一応、女神様の信徒だからね。
よく考えれば、わたしって女神様から直接手ずから創られているってことは、天使ポジになるのか。いや、まさかな。はは……。気にしないことにしよう。
そうそう、あれからもうひとつ言葉を覚えました。
覚えたというよりは、悟ったといいますか。
考えてみれば、自明だったといいますか。
とっても恥ずかしかったですけれども。
つまり、あれ、あれだよ。『かわいい』ってやつ。
あの最高級にポジティブな言葉の意味がようやく判明した。
ミニーがね。森の中で小さなリスを見つけてきて言うんだ。
『かわいい』って。
だから、直感的にわかってしまったというか。
わたしの言語理解能力もようやくそこまで達したというか。
走馬灯のように、いままで何回『かわいい』といわれたかを思い出して、穴があったら入りたい気分になったけど。
でも、いいんだ。
世界が滅ばないのは、ほんのちょっとの理由づけで足りる。
それは、手のひらの中にあるぬくもりを感じたときや、砂漠にあるオアシスの水に濡れた満開の睡蓮を見かけたときや、森の中で川のせせらぎを聞いたときや、目もくらむような大きな海を始めてみたときの、その一瞬でもいいし、朝にまんまるでふっくらとしたパンケーキを食べるときでもいい。
総じて言えば、世界は――。
「かわいい」
わたしはささやく。
きっとそうなる。
わたしの言葉が、風に揺れて、世界の隅々まで届くよう願った。
――世界が明日平和になりますように。
☆
『ナイ』『クイン』『名前』『はい』『いや』『倒れる』『アニー』『どうしたの』『料理』『着火』『消火』『水』『おいしい』『好き』『ここ』『葉っぱ』『空』『お月様』『卵』『お日様』『あおむし』『おなか』『ぺこぺこ』『りんご』『梨』『すもも』『いちご』『さなぎ』『ちょうちょ』『タルサ』『ミニー』『ごめんなさい』『友達』『ありがとう』『わかる』『いっしょ』『オベロン』『またね』『おかえりなさい』『ただいま』『外』『眠たい』『ダメ』『教える』『ランドルフ』『お風呂』『海』『おはよう』『いってらっしゃい』『いってきます』『キア』『行く』『斬る』『治す』『メリーランド』『大丈夫』『死ぬ』『守る』『飛ぶ』『かわいい』
というわけで、これにて完結です。くぅ~以下略。
第二章は構想だけはあって、放置プレイ中。
いずれにしろ書き溜めしなくては……。




