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プロローグⅡ



 まるで地獄のような光景だった。


 愛する国が蹂躙されている。

 愛する街が紅蓮に燃えさかっている。

 愛する民たちが絶望の表情で死に絶えていく。


 夢なら醒めてくれと泣き叫んでも、目の前の悪夢が消えることはない。それは現実の光景だった。どうしようもなく残酷な、地獄のような現実だった。


 けれど――彼女はまだ知らなかった。


 カナリア・レオニオスにとって本当の意味での地獄は、まだこれからやってくるのだと。


「見つけたぞ! レオニオスの残党だ!」


 燃えさかる王城より、数少ない騎士と従者と共に脱出したカナリアは、隣国であるシャトリア王国との国境付近でついに追っ手に追いつかれてしまった。


 複数の獣人たちが、鋭い爪をかざして襲いかかってくる。騎士が迎撃に向かうも多勢に無勢だ。


「お逃げ下さい、姫様!」


 古くから王家に仕えてくれていた近衛騎士が必死に戦いながら叫んだ。


「ですが!」


「いいからお早く! ここは我らが食い止めますゆえ!」


「……ごめんなさい!」


 カナリアは騎士の勇姿をその目に焼き付け、一人のメイドと共にその場から逃げ出した。


「追え! 追え! あれは勇者を喚べる最後の姫だ! なんとしてでも捕まえろ!」


「姫様。こちらです」


 メイドに茂みの中へと連れ込まれる。ここでやり過ごそうというのか。


「無駄です。あれらは畜生、わたしたちより鼻が効きます」


「存じております。ですので、ここでお召し物を交換致しましょう」


「なりません。あなたを囮にして逃げよというのですか!」


「カナリア姫。あなたはレオニオス王家の最後の姫、勇者を招くことができる最後の姫なのです。なんとしてでも生きながらえなければなりません。勇者を、我らの希望を、消し去ってはなりません」


「……シャトリアにも数代前にレオニオスの姫が嫁いでいます。わたしがいなくとも、グぅちゃんならば勇者様を喚べるはずです」


「ですが、グローリエ姫は勇者召喚の秘技を知りません。やはりあなたが生き残らなければ」


「ですが……ですが!」


「カナリア」


 母を早くに亡くしたカナリアにとって母代わりであったメイドは、幼い頃にそうしたようにカナリアを抱きしめ、背中を優しく叩いた。


「これまでの言葉は建前に過ぎません。私がただ、あなたに生きて欲しいのです」


「……その言い方は、ずるい」


「ええ。そうですね。女はずるい生き物なのです。ずっと憧れていた勇者様とはいえ、ただ尽くすだけでなく、時には駆け引きも重要なのだとよく覚えておきなさい」


 厳しい教師でもあった彼女はそう言い含めて、カナリアに自分の着ていたメイド服を着させた。


「色々なところが大きいです」


「いずれあなたも立派な淑女に成長しますよ。そのときには、そのようなメイド服を着るようなことはないでしょうが」


「大事にします。わたし、実は前から一度これを着てみたいと思っていたんです」


「左様でございますか」


 ぶかぶかのメイド服を着たカナリアを見て、メイドは胸に込み上げるものがあった。


 大きくなった。まだまだ背丈は小さいが、それでもこの手の中で泣いていたあの日に比べれば、ずいぶんと大きくなった。


 叶うなら彼女の花嫁姿を見るまで生きていたかったが……。 


「さあ、お別れです。振り返ることなく、シャトリア王国まで走って下さい。王都が陥落する前に、シャトリア王国へと救援の要請をしてあります。国境を越えれば、シャトリア王国の騎士団があなたを助けてくださるでしょう」


「……はい」


「シャトリア王国に身を寄せたあとは、あなたの思うように行動すればいい。ただし、グローリエ姫とは変わらず仲よくして、大好きだからといってあまり泣かせてはいけませんよ」


「……はい」


「ではお行きなさい」


「……はい!」


 涙を堪えて頷いて、カナリアは言いつけどおりに振り返ることなく走り出した。


 メイドはその背が見えなくなるまで見届けると、カナリアが着ていたドレスを手に、彼女とは別の方角へと走り出した。すぐに背後から誰かが追いかけてくるのがわかった。多くの足音が近付いてくる。荒い獣の息づかいが風にのって聞こえてくる。


 魔王軍が、やってくる。






 カナリアは走った。


 振り返ることなく走り続けた。


 道に迷うことはなかった。レオニオス王国とシャトリア王国の国境に位置するこの森は、カナリアにとって幼馴染みのグローリエとよく遊んだ場所だった。彼女と二人、追いかけっこをしたり、かくれんぼをしたり、時には大きな木の根本でお昼寝をしたり。そうして遊んだ場所だった。


 だから、すでにシャトリア王国の領土へと自分が足を踏み入れていることをカナリアは理解していた。どうやらシャトリア王国からの援軍は、この森へはまだたどり着いていないらしい。


 カナリアは走った。


 森を抜け、街道をひた走る。


 気がつけば夜になっていて、背後からいくつもの松明の明かりが迫ってきていた。


 憎き魔王軍の追っ手だ。だがある意味では好都合だった。灯火を手に進軍する魔王軍を、近くまで来ているシャトリア王国騎士団は見逃しはしまい。


 あとは友好国の騎士団が現れるまで、魔王軍に捕まらなければいい。大丈夫。この闇の中、カナリアは大切な人の匂いに守られている。足跡だって残さないように工夫してきた。追いつかれることはない。間に合うに決まっている。親友の国の騎士団は、きっと、助けに――


「いたぞ! レオニオスの姫だ!」


「ひっ!」


 思いの外近くから聞こえた敵の声に、カナリアは心身から震え上がった。


 思い出すのは祖国の最後。蹂躙され、殺される民たちの悲痛な絶叫。


「……やだ」


 カナリアは怖かった。民たちと同じような目に遭わされることがではない。自分を生かすために大切な民が殺されるのを見過ごした意味がなくなるのが、自分を生かすために大切な人たちの命を見捨てたことが無意味になるのが怖かったのだ。


「たすけて」


 走りながら、涙しながら、カナリアは助けを求めた。


「助けて。お願い、助けて!」


 大声で助けを求める。近くにいるはずの、いないとおかしいシャトリアの騎士たちに助けを求める。


「誰か! 誰か助けて!」


 けれど、返ってくる声は魔王軍の追っ手のものだけ。

 前方を一望できる丘の上まで駆け上がったカナリアが見たものは、暗闇の中で静まりかえった草原だけだった。


 シャトリア王国は、レオニオスに援軍を送らなかったのだ。


「なんで? どうして? そんな……」


 足から力が抜けた。その場にへたり込んだカナリアを、すぐに追いついた魔王軍の兵士たちが取り囲む。けれど、もうカナリアの目に彼らの姿は入っていなかった。


「そんな、どうして? 約束……したのに」


 思い出すのは遠い日の約束。

 一緒に遊んだ綺麗な花畑で、カナリアは親友と大切な約束を交わした。


『約束。グぅちゃんが泣いてたら、わたしがいつでもどこでも駆けつけて助けてあげるからね』


『わたくしも約束しますわ。わたくし、もっともっと強くなって、カナちゃんがピンチになったら助けてあげられる人間になりますの。勇者様より先に駆けつけてみせますのよ』


 お互いの危機には駆けつけて助ける。それが約束。二人の誓い。


「どうして……グぅちゃん……」


 けれど助けは来なかった。親友は、来なかったのだ。


 呆然と座り込むカナリアのすぐ背後に、誰かが立った。


 振り返ると、自分を見下ろす氷のような視線と目があった。


「魔王軍四天王。空の、魔女……」


「ええ。そうですよ。私は魔女。あなたたたちレオニオスにとって、私は魔女以外の何者でもないのでしょうね」


 レオニオス王国を滅ぼしたハーフエルフは、カナリアの頬を冷たい手で撫でた。カナリアは彼女に魅入られてしまったように、指先ひとつ動かせなくなっていた。


「だから、魔女らしくあなたには地獄を見せてあげましょう。わたしとあの御方がかつて味わった嘆きと苦しみを、あますところなく子孫のあなたにお返ししましょう。人が、人を人ではないものと認識したとき、どれほど残酷になれるか……あなたもきっと、苦痛と絶望の中で知るでしょう」


「殺す……つもりですか?」


「殺す? いいえ、カナリア・レオニオス。可愛い可愛いレオニオスの最後の姫。あなたは死なない。あなたは絶対に死なせない。この世界には、あの御方には、勇者が必要だから……そのときまで、あなたは生き続けなければならない」


 魔女の凍える瞳の奥に、カナリアは激しく燃えさかる憎しみの炎を見た。

 

 復讐に猛る、それは地獄の業火だった。


「私はクィリア。かつて聖女と呼ばれ、今は魔女と呼ばれるもの。魔王軍四天王が一人、『ソラの魔女』クィリア・レオニオスよ」


 カナリアにとっての本当の地獄は、そこから始まった。




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