第十九話 神はこれを望まれた③
『これで終わりでいいのかい?』
闇の底で、ショウマは神の声を聞いた気がした。
『これで終わって、君は本当にいいのかい?』
繰り返される問いかけ。それに対し、ショウマは「ああ」と答えた。
「終わりでいい。俺はがんばった。すごくがんばった。今までにないくらい本当にがんばったんだ。それに、死んだところでどうせ俺には次があるんだ。ならいいさ。今回は、これで終わりでいい」
『そうかい。君がそれでいいなら、ボクはもうなにも言わないよ。ここまでしてあげたのも、すべてはカナリアたんのいじらしさゆえだからね』
カナリア。その名前を聞いて、ショウマの指先がかすかに動いた。
カナリア・レオニオス。ショウマにとってははじめて胸を触った相手。小さくて辛辣なロリメイド。魔王によって滅ぼされてしまった国のお姫様で、魔王を心から憎んでいた。
けれど、それ以上に友達を大事に思っていた。だからこそ、彼女は神に願ったのだ。勇者を助けて欲しい、と。それがどれだけ彼女にとって辛い行為かは想像することもできなくて、ただショウマは報いたいと思ったのだ。そう、彼女の親友と約束したのだ。
カナリアの親友。グローリエ・シャトリア。
シャトリア王国の第二王女で、王国最強の魔法の使い手。紅蓮の姫騎士と讃えられた人類最後の守護者。けれど、本当は彼女はまだ幼く寂しがりやの女の子で、いつだって誰かに甘えたいと願いながらも、国のために、大事な人たちのために一人で戦っていた。
褒めてやりたい。そうショウマは思ったのだ。彼女の努力に報いるために、思う存分甘えさせてあげたいと。それを許される世界にしたいと、そう思ったのだ。
――世界を救うと、そうフリージアと約束したのだ。
ショウマは闇の中で目を見開いた。右手を握りしめる。
それは誰かを殺す手だと魔王は言った。ショウマもそう思った。黒騎士を殺したときの感触はあまりにも生々しすぎて、ショウマに誰かを殺したことを拭いがたく刻み込んだ。この手はラゴウも殺した。誰かに慕われている命を奪った。そう思って後悔した。
そんな手をフリージアは優しく包み込んでくれた。一緒に罪を背負うと、そう言ってくれた。
それでどれだけ救われたか。その一言がどれだけショウマにとって助けになったのか、彼女はきっと知らないだろうけど。
フリージアは身体が弱く、戦う力もない。それを強く恥じている。
けれど彼女は命を危機にさらしてでも、勇者をこの世界に呼んだ。命を共有すると知りながら、ショウマにすべてを託したのだ。
ならば、ショウマこそが彼女の力。ショウマの結末が彼女の結末。
一蓮托生。比翼の鳥。この胸の高鳴りこそが、愛した人の心臓の鼓動なのだとショウマは知っている。
ならば止めるわけにはいかない。ここで終わるわけにはいかない。
『ならばどうする?』
神が問う。
「決まってる」
勇者は答える。
そのとき闇の向こうに光が見えた。
自分を必死に癒そうとしているカナリアが。
自分を守って必死に戦っているグローリエが。
そして――
「ショウマ様。どうか」
自分の勝利を信じて、必死に祈っているフリージアが、見えた。
神はその光を抱きしめるように微笑んだ。
『ならば行くといい。必死に生き足掻こうとする、その先にある一瞬の閃光こそをボクは愛している』
「ああ。見せてやるよ。勇者ショウマの結末を!」
立ち上がる。
立ち向かう。
「ハッピーエンドで終わる物語を!」
勇気を奮い立たせて、ショウマは死の淵より蘇る。
――待たせたな。あとは任せろ。
いつもの言葉だけを告げて、ショウマは走り出した。
その身体は今もなお満身創痍だ。全身血まみれで、今にも倒れそうなほど傷ついている
けれど――彼は倒れない。
決して倒れない。それをカナリアは知っている。グローリエも知っている。
伝説の勇者ならば、あるいはもう終わっていたかも知れない。倒れていたかも知れない。けれど、勇者ショウマは倒れない。力尽きた脚で駆け、力尽きた手にそれでも精一杯の力を込めて立ち向かうのだ。
「行け!」
カナリアが叫んだ。
「行け!」
グローリエが叫んだ。
「「行けぇえええええええ――――ッ!!」」
二人は男の背中にエールを送る。
そしてそのエールに背を押され、ショウマは倒れそうになる脚に力を取り戻し、まだ走る。
魔王は呆然と突っ立っている。それもそうか、とショウマは思う。
なにせ今のショウマは全裸である。しかも全身血まみれというオプション付き。そんな変態が美少女たちに応援されて殴りかかってくるのだ。この上ない悪夢だろう。理解しがたい異常事態だろう。もっと驚いていい。少なくとも、ショウマはすごく驚いている。
ショウマが夢見た異世界の冒険というものは、こんなものではなかった。
魔王との決戦という最終局面にあっては、煌びやかな白銀の鎧をまとい、黄金に輝く聖剣を携えていなければならない。それがお約束というもので、ショウマが心から望んだ冒険だ。
けれど、ふたを開けてしまえばこんなものだ。聖剣どころか服すらない。
だけど――最高だ。心から転生してよかったと思っている。今はもう、これしかないと笑えてくるよ。
「魔王おぉおおおおおおおおおオオオッ!」
壮絶な笑みで拳を振りかぶるショウマに、ようやく魔王が反応を示す。
「勇者ぁああああああああああアアアッ!」
咄嗟に魔王が取ったのは同じ行動。魔力をまとわせた拳を引き絞る。
そして――激突。
まず先に魔王の拳がショウマの頬に突き刺さる。魔力で強化された一撃は、本気の魔法もかくやという破壊力で瀕死の勇者にとどめを刺す。
だがコンマ数秒遅れて、勇者の繰り出したパンチが激しく魔王の防御壁と衝突していた。
それを魔王はおかしいと思う。
身体能力は遙かに勇者の方が上なのだ。いくら魔力で強化したとはいえ、それでも魔王が拳を握って振りかぶるなど果たしていつ以来のことか。忘れて久しいその野蛮な行為は、勇者の一撃に遅れてしかるべきだ。
けれど先に魔王の拳が到達し、遅れてショウマの一撃が到達する。
カウンター――コンマ数秒ずらした意味はそれしかなく、この一瞬の刹那にショウマがそれを選んだのは、魔王の障壁を打ち破るために他ならない。魔王の力を利用しつくして、ついにショウマの拳が絶対防御を突き破る。
それが意味する必殺の一撃。其の名は――
「イケメンクラッシャーッ!!」
あまりにも個人的な嫉妬と憎悪を殺意に変えて、ショウマは拳を振り抜いた。
同じような弧を描き、床の上を滑って吹き飛んでいく勇者と魔王。
両者は倒れたまま、ぴくりとも動かない。
「ショウマ様!」
「お兄様!」
すぐにカナリアはショウマに近付いて、その身体に治癒魔法をかけ始めた。同時に止まっている心臓を確認して、グローリエが人工呼吸を試みた。
何度も何度も二人は蘇生を試みる。戻ってきて、と心臓に向ける光に、合わせる唇に祈りを込めた。
「お願い。戻ってきてくださいまし、お兄様」
「そうです。あなたは魔王を宣言どおりに殴り飛ばしたのです。そのあとはハーレムを作るのではなかったんですか? フリージア様の胸を揉むのではなかったんですか?」
カナリアの言葉に、どくん、とショウマの心臓が震えた。
「……おっ、ぱい……」
うわごとのようにつぶやかれた一言に、カナリアも続けた。
「そうです。おっぱいです」
「……おっぱい」
「よくわかりませんけど、おっぱいですわ!」
「おっぱい」
ショウマの目が見開かれる。手がぐにゃぐにゃと卑猥な動きで獲物を求める。
「そうだ。おっぱいだ。忘れていた。俺は他でもない、おっぱいのために魔王を倒そうと思ったんだった」
目の前の小さいおっぱいと大きなおっぱいに導かれ、記憶の中の夢のおっぱいのためにショウマは起きあがった。
小さいおっぱいに聞く。
「魔王は?」
「わかりません。ですが、倒れたまま動きません。恐らくは死んでいると思います」
「いえ、かすかではありますが、まだ息はありますわ」
大きなおっぱいに肩を貸してもらいながら、ショウマは立ち上がって魔王の生死を確認した。
魔王は床の上に大の字で寝ころんだまま、崩れた天井の向こうにのぞく空を眺めていた。
その唇はか細くも呼吸を繰り返している。生きている。
「効かなかったってことか? 俺のイケメンクラッシャーが」
「いいや、効いたよ。我はまもなく死ぬだろう」
ショウマのつぶやきに、魔王は答えた。
「我には心臓がふたつあるのでな。今は、その鼓動に助けられて少しの間命をつないでいるに過ぎない。だが安心せよ。我は死ぬ。醜く生き足掻くつもりはない」
「…………」
土下座神の言ったとおり、魔王は目の前の死を受け入れているようだった。
「ああ、そうだ。我はずっとこれを待っていた。これを待ち望んでいたのだ。ふふふっ、死がゆっくりとやってくる。なんと、心地がよいのか……」
魔王は穏やかに微笑んだ。その静かな眼差しの先では、青い空が輝いていた。
「よい、終わりだ。オレは、これがいい。これで終わりであって欲しいと、心、か、ら……」
最後にそう零して、魔王は眠るように息を引き取った。
直後――そのすぐ傍の空間が揺らいで、金髪のハーフエルフが現れた。
「魔王様!」
現れた『空の魔女』は、魔王の姿を見ると、すべてを理解したようだった。
魔王の骸を抱き上げると、涙でぬれた瞳でショウマたちを見た。
今ここで魔女に魔王の仇討ちを仕掛けられれば、ショウマたちにこれに抵抗する力はない。だが魔女は一瞥しただけでもう興味は失せたのか、ショウマたちを無視して魔王に笑みを向けた。その横顔からは、もはや生気というものを感じられない。
「魔王様。あなたはやはり酷い御方。私を置いて先に行かれてしまわれたのですね。ですが、私もすぐに参ります」
魔女もまた、魔王同様に死に行こうとしていた。
そのとき、度重なる破壊で悲鳴を上げていた魔王城が、いよいよもって崩れだした。
「ショウマ様、魔王城を脱出しましょう!」
「あ、ああ。そうだな」
グローリエに肩を貸してもらったまま、ショウマは避難するために歩き出す。
けれど気になって、最後にもう一度魔王と魔女を振り返った。
「待っていてください、魔王様。すぐにこのクィリアも参りますので。どうか――」
魔女は魔王の頬を撫で、愛おしげに頬を擦り寄せた。
「どうか、次もまたお側に。私の■■様――……」
◇◆◇
魔王の死と共に魔王城が崩れ去るのを、丘の上からショウマたちと、魔王軍との戦いで生き残った兵士たちは見届けた。
王を失い、魔女を失った魔王軍たちはあわてふためき、軍としての機能を完全に失っていた。勇者を倒す千載一遇の好機だというのに、逃げまどうばかりで追っ手のひとつもかからない。やがて種族単位で固まると、魔王軍の残党は我先にと逃げ出してしまった。
すべてを見届けたあと、ショウマは勝利にむせび泣く兵士たちを見て、澄み渡る青空を見上げ、それからにかりと笑って言った。
「帰るか。フリージアが待ってる」
戦いは終わった。人類と魔王軍の長い長い戦争が終わったのだ。
そしてその喜ばしい報は、すぐにシャトリア王国の王都にまで届けられ、さらにそこから大陸中へと広がった。
魔王軍に国を占領されていた人々は、魔王の死を聞くや決死の反抗作戦に打って出た。結果として、少なくない数の国が人間たちの手に取り戻された。もちろん、すぐに昔のようにとはいかないが、それでも希望を取り戻した人々は、忘れかけていた笑顔を取り戻した。
そうして一ヶ月はあっという間に過ぎていき、最後の決戦の傷も癒えた頃、シャトリア王国ではある式典が執り行われた。
それは輝かしい花の宴。戦乱へのひとつの区切りを告げるにふさわしい、この上なく喜ばしい出来事。
魔王を倒した勇者ショウマと、祝福の姫たるフリージアがついに結婚式を挙げるのだ。
国の誰もが祝福する中、まず主役の片割れであるショウマが、緊張した面持ちで王城のバルコニーより顔を出した。
歓声が爆発する。王城前の広間に集まった人々は、口々に勇者を讃えた。
ショウマが照れくさそうに手を振ると、さらに歓声がふくれあがる。この喜びの声よ天まで届けといわんばかりに声を張り上げる。
純白のウェディングドレスを身にまとったフリージアがバルコニーに顔を出すと、今度は打ってかわって静まりかえった。その美しさに老若男女の区別なく、感嘆の吐息を零した。
群衆が静まりかえる中で、一人の子供が無邪気に手を打ち鳴らした。
それを皮切りに、皆が拍手を二人に贈り出す。
「フリージア。みんな笑ってるよ」
目の前にあるたくさんの笑顔を見て、ショウマは言った。
「俺、この世界に来て、本当によかった」
「はい。ショウマ様」
フリージアもまた負けないように笑った。なにをしなくても、今、幸せの絶頂にある花嫁は、負けることはないが、それでも少しでも感謝と愛が伝わるように笑顔を贈る。
「私もあなたに会えて、本当によかった」
「ああ、俺もだ。愛してる、フリージア」
花婿は純白のベールを持ち上げる。花嫁はそっと目を閉じた。
そして家族や友人、多くの人々に祝福される中で勇者とお姫様は口づけをかわした。
長く長く、キスをした。
結婚式の夜。これ即ち、初夜である。
「そう、今日が初夜。今日こそが初めての夜なんだ」
王城の中、ショウマとフリージアの二人の寝室で、爆発しそうになる心臓に手を当てながら、一人ベッドの上に座る勇者の姿があった。
「お、おおお落ち着け俺。大丈夫。俺は勇者なんだから、初夜くらい全然へっちゃらなんだぜ」
花嫁の姿はない。今は大浴場で身を清めているところである。
だが戻ってくるまでそう時間はかからないだろう。なんとか彼女が戻ってくるまでに気持ちを落ち着けようと試行錯誤していたが、それは上手くいかなかった。
「おお、なんということか。魔王に挑むときより緊張してるぞ。でも仕方がない。なぜなら所詮、魔王との戦いはこの決戦に至るための前哨戦でしかないのだから。俺たちの本当の戦いは、今ここから始まるんだ!」
だがその前哨戦である魔王との戦いで、ショウマはひとつだけ気になっていることがあった。
「……魔王、か」
死んだ魔王に対し、魔女が口にした名前。
「魔王と、その命を預かっていた『空の魔女』クィリア。クィリアって名前はたしか……」
魔女の本当の名をショウマは前に聞いて知っていた。その名は伝説に刻まれている。そう、かつての勇者の召喚した、聖女の名として。
そしてクィリアは最後に魔王のことをそう呼んでいた。
「どうか、次もまたお側に。私の勇者様、か」
クィリアの最後の言葉。彼女はたしかに、魔王を指して勇者と呼んだ。これは偶然なのだろうか? 果たして本当に、これで戦いは終わったのだろうか?
謎が残る。なにかが欠けている気がしてならない。
「――お待たせしました、ショウマ様」
けどそんなことは湯上がりネグリジェ姿のフリージアを前にすれば、記憶の彼方に放り捨てるべきことでしかない。
そんなのぶっちゃけもうどうでもいいよ。そんなことより大事なのは目の前の男としての戦いだ。
「ええと、その、美味しく召し上がってください、ね?」
フリージアは正座待機していたショウマの隣にちょこんと腰掛けると、照れくさそうにはにかんだ。
ショウマは日本人らしく心の中で手を合わせた。いただきます。
「フリージア!」
勇者の身体能力を全力で駆使して飛びあがると、空中で衣服をすべて脱ぎ捨て、フリージアをベッドに押し倒す。
「ショウマ様……」
潤んだ瞳で見つめてくるフリージアに、ショウマはゆっくりと顔を近づけていく。
この先は語るまでもない。
勇者ショウマの物語はこれでおしまい。
めでたしめでたしで終わる、完全無欠のハッピーエンドを迎えたのだった。
……本当に?
疑問を零す声は天の果てよりあがった。
本当に? 本当にこれは完全無欠のハッピーエンドなのだろうか?
たしかに、勇者は勇者らしく魔王を倒した。世界は平和になり、召喚した姫と結ばれた。あとは子供でもできればめでたしめでたしで物語を閉じられるだろう。絵本にしてまとめてもいい、なるほど素晴らしいハッピーエンドである。
それは認めよう。瀕死のところから魔王を倒して見せたその根性を、神は高く買っているし、誰よりも手を叩いて讃えたものだ。
これまで多くの勇者を見てきた神ではあったが、その中でも彼はとびきりの勇者だ。大好きだし、ずっと見ていたいと思う。
ではなにが引っかかっているのかと言うと、それはたったひとつのことだ。
勇者が悪いわけではないし、彼を責めるつもりは毛頭ない。むしろ責任の在処を求めるとすれば、それは神に帰結する。そういう設定にしてしまい、そういう配役にしてしまった神がすべての原因だ。冷静に考えて、いつか勇者が言ったとおり、召喚したお姫様がメインヒロインだというのはあまりにも当然の流れなのである。
そうだ。悪いのは自分だ。彼の物語を汚してしまったのは自分だ。そう思いながらも、けれど目の前の結末を神は手放しでは喜べない。
だって、悪いのはたしかに自分だし、勇者に落ち度はないけれど。
普通に考えてメインヒロインに――
「うん、やっぱりババァはないよな」
勇者が選ぶべきはカナリア・レオニオス一択。それ以外には考えられない。
神は、これを望まれた。
「第一、これから先、ババァとのまぐわいを見せつけられるなんていうのは耐えられない。そんなグロなんとかさん動画はやめていただきたいものだよ」
今回は失敗だったと分かれば善は急げだ。この物語を正しいハッピーエンドに導くために、神としてやらなければならないことが山とある。
「大丈夫。任せてくれ。次はしくじらない。最高の舞台を用意してあげるからね」
鼻歌交じりに、土下座神はどこからともなく大きなボタンを取り出すと、それを無造作に、無邪気に押し込んだ。
「ではポチっとな」
リセットボタンを、神は押した。
今宵ばかりは終わらない宴を楽しんでいた人々が、そのとき一斉に夜空を見上げた。
そこに広がる神秘的なまでに美しい光景に息を呑んだ。
「わあ、すごい!」
母親と手をつないだ子供が、きらきらと目を輝かせながら、母親のぬくもりに包まれた手とは逆の手で夜空を指さした。
「お星様がいっぱい落ちてくるよ!」
「流れ星?」
「流れ星ですわね」
ショウマとフリージアの部屋の前で、今まさに始まろうとしていた夫婦の営みを、こっそりと覗いていたお姫様たちもまた、夜空から綺羅星が流れ落ちるのを見て声をあげた。
「綺麗」
「ええ。とても綺麗ですわ」
二人は手をつなぎ、一緒に流れ星を見ながら思った。
これはきっと、平和を守った勇者へと神より贈られた祝福に違いない、と。
そう思った。
「わあ、見てください! 流れ星ですよ!」
勇者の腕の中で、思わず、といった顔でフリージアは喜びの声をあげた。
「本当だな」
口づけをすんでのところで避けられたショウマは、恨めしそうに窓の外を眺めた。
月のない夜に輝く無数の星々。それは宝石箱の中の宝石のようにキラキラと輝きながら流れ落ちている。幻想的な光景は、見る人々に神の存在を思い起こさせる。
即ち、これは神の御業。お姫様との初めてを邪魔する神からの贈り物だ。
まあ、でも――と、ショウマは嘆息する。
「土下座神なりの祝福なのかもな」
多くの恋人夫婦たちがしているように、ショウマたちも並んで流れ星を眺めることにした。
「ねえ、ショウマ様」
「ん?」
フリージアは隣にいるショウマの肩に甘えるようにもたれかかると、心からの感謝と愛を口にした。
「私、すごく幸せです」
それがショウマの見た、大好きな人の最後の笑顔になった。
◇◆◇
気がつくと、ショウマは白い世界にいた。
果てのない空も大地も真っ白で、一瞬どこかのゲレンデにでも迷い込んだのかと思ったが、すぐにそれは違うと思い直す。雪の白さはここまで汚れなき純白ではない。ならなんだと聞かれたら困るのだが、ここがこの世のどこでもないことだけは理解できた。
なにせ二回目である。理解も受け入れるのもたやすかった。
「なんでここに? 俺はどうしてここにいるんだ?」
自問自答しながら、辺りを見回す。
「たしかフリージアとの初夜を過ごしていて、それで――」
――流れ星が落ちてきたはず。
「そうだ、俺、流れ星に当たって死んで……フリージアも、笑顔のまま、光の中に消えて」
信じたくはないが、ショウマの瞳には愛しい人の最後の笑顔が焼き付いていた。あまりにも唐突すぎて、嘆く気持ちすら浮かんでこない。
ただただ、疑問だけが頭を支配する。なぜ? なぜ? と絶望的なまでに疑問に思っている。
「なんで俺は死んだんだ?」
「あれ? どうして君がここにいるんだい?」
ショウマの疑問の声に、答えを持っているはずの金髪の神がやってきた。
「おかしいな? 君は死んだらすぐに召喚時点まで戻るはずなんだけど……ああ、なるほど。その右腕の力か。本当にすごいチートだよね、それ」
「土下座神。俺、本当に死んだのか?」
「もちろん、死んだよ。当然じゃあないか。流れ星に当たって欠片も残さず蒸発したよ」
「フリージアは? それも他のみんなも?」
「全員死んだよ。というより、世界が滅んだんだ。生き残った命はない。そんなミスをこのボクがするはずないだろう?」
「…………」
時が止まったかのような沈黙と静寂。
最初、ショウマは彼がなにを言っているのかよくわからなかった。
しかしやがてその意味を理解して、
「お前が、やったのか? お前がみんなを、俺を、フリージアを殺したのか?」
「そうだよ。すべてを一度リセットするためにね。なにせ、魔王くんが死んじゃっただろう? そうなると、君を殺せるような敵はもういない。回帰させるためには、うん、ボクがやるしかないじゃないか」
慈愛の笑みを浮かべて、土下座神はショウマの肩を優しく叩いた。
「安心してくれ。今は君のチートが、殺したものの蘇りを許さないと抵抗しているけど、それもすぐに終わる。もしかしなくても、今回の記憶は残ってしまうだろうけど、それはそれでおもしろそうだからいいよね。いやぁ、次への期待がふくらむばかりだよ。こんな楽しいのはいつぶりだろう?」
「なにを……」
ショウマは首を振った。何度も何度も振った。
「なにを言ってるんだ? お前。わけが、わけがわからない……」
「そう? 簡単な話だと思うんだけれど。君は次こそ、勇者としてふさわしいお姫様と結ばれる。それだけのことじゃないか」
と、そこまで言ったところで、土下座神はぽんと手を叩いた。
「なるほど。そうか。そこを気にしてたんだね」
仕方ないなぁ、と言わんばかりに何度か頷いて、いそいそとショウマの目の前で膝をつくと、
「ごめんなさい。間違えて君を殺してしまいました」
土下座をして謝罪の言葉を口にした。
これで満足なんだろう、と笑うように。
これでまた許してくれるんだろう、と嗤うように。
……今、ようやくショウマは理解した。目の前にいる神がいかなる存在なのか。込み上げてくるのは極大の憎悪と赫怒。そして、混じり気のない本物の殺意。
そしてそれに共鳴するように、ショウマの右腕が啼いた。
――人生の終わりはトラックのブレーキ音だった。
幾重にも重なって響く始まりの嘆き。
それを合図としたように、ショウマは土下座神に殴りかかる。だがすでに時は遅かった。ショウマは魂は、始まりのときへと回帰を始めていた。
消えゆく勇者に、土下座神はやはり慈愛の笑みを向けて言った。
「じゃあね、ボクの勇者。次こそはカナリアたんで頼むよ?」
「ふざけるなよ土下座神! お前ふざけるなぁああああああアア――――ッ!!」
ショウマの殺意も慟哭も、土下座神には届かない。響かない。
すべての感情をこの場所に置き去りにしたまま、再び神に殺された哀れな少年は、自分が望んだとおりに、神が望んだとおりに、異世界へと召喚されていく。
そして回帰する刹那に、その絶望の誓いを、聞く。
人生の終わりはトラックのブレーキ音だった。
なにが原因だったのかはわからない。
横断歩道を渡っていたとき、信号はきちんと青色のランプを点灯させていたから、恐らく問題だったのはトラックか、その運転手の方なのだろう。あるいは別に原因は存在するのかも知れないが、そんなことは死んでしまった身には関係のないことだった。
……そう、死んだ。
猛スピードで迫ってくるトラックを見た瞬間、死を覚悟した。
次にこれまで感じたことがない衝撃が全身を駆け抜けるに至って、ああ、自分は死んだのだなと実感した。
だから、人生の終わりはトラックのブレーキ音だった。
ならばこれは、新しい人生を告げる福音なのかも知れない。
だから思うのだ。たとえこの先なにがあったとしても。
「ごめんなさい。間違えて君を殺してしまいました」
この言葉だけは忘れることはない、と。
――神を殺す、その日まで。
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