敗残兵の邂逅と再生(6)
びりびりと空気が震えるような殺気を放ちながら、しかし顔には不気味な笑みを張り付かせて、藍童子は威圧する。
「まあ、俺も鬼じゃない。否、鬼ではあるが、心までは鬼じゃない。土宿儺を封じた罪は先祖にあり、お前に罪はない。故に、命までは取りたくない。俺の要求を呑んでくれればそれでいい、それで手打ちにしようじゃないか」
さも名案だというように藍童子が頷く。
血を寄越せ。
土宿儺の封印の地を教えろ。
無茶な要求に対して、京介は毅然と言い放つ。
「どっちも却下」
「そうか……残念だ」
さして残念ではなさそうに、むしろ敵を潰す大義名分ができたことを喜ぶように、鬼は笑った。
藍童子が右手を挙げる。と、周囲の景色が赤銅色に変わる。邪魔を入れず、また中の標的の退路を断つ結界術だ。
「手加減はあまり得意ではないぞ、小僧」
藍童子の周囲に、青い光の球体が浮かび上がる。頭上に一つ、両脇に一つずつ――三つの光球は、ひときわ強く光ると、それぞれが水の弾丸を放った。
後ろに飛び退き距離を取り、広い駐車場の方へ逃げると、足元、アスファルトの地面を水弾が抉った。
「そんなに慌てて避けることはないだろう。なあに、たいしたことはない、ただの水鉄砲さ」
なにがたいしたことない、だ――京介は内心で毒づく。確かに「水」の「鉄砲」ではあるが、それでいわゆる玩具の水鉄砲を想像するのは間違いだ。
銃口となる光球はそれぞれが自律して動き出す。予想しない方向、死角へと潜り込まれると、すかさず水の弾丸が襲ってくる。そして、その弾丸は一つ一つが地面を弾き飛ばすほどの威力だ。直撃を受ければただではすまないだろう。
「焔弾現界! 撃ち落とせ!」
京介は呪符を繰り、炎の弾丸を撃ち出す。放たれる水の弾丸にぶつけて相殺する。だが、本体である光球の方を叩かなければ、弾丸は次から次へ、絶えることなく撃ち出されてくる。
「……刈夜叉!」
捌き切れないと判断するや、京介は右手に退魔刀を現し、自身に迫る弾丸を切り裂いた。直撃を避けるため、足を止めることはできなかった。右手には刀、左手には呪符。刀による粉砕と魔術による撃墜とを併せて迎え撃つ。しかしそれでも防戦一方の状況に追い込まれ、京介は舌打ちする。
京介がぎりぎりのところで攻撃を防いでいる間、藍童子はその場から一歩も動くことなく、悠々としたものである。
好き勝手に動く三つの銃口に等しく意識を割きながら、同時に藍童子にも注意をする必要があった。水鉄砲の包囲網に苦戦しているその間に、藍童子は憎たらしいくらいに余裕を持って、大技のための詠唱をしていた。
「水の粒は礫となり、理に従いて撃ち落とされよ。地に這う者らを遍く穿て」
京介の頭上に妖力が集まり出す。きらきらと煌く透明な雫が、大量に、星の数ほども生み出されていく。その一つ一つは、小さくとも藍童子の妖力によって強化された凶悪な弾丸であることは疑いようがなかった。
「『篠突く雨』!」
「……烈火現界ッ」
無数の水の礫が降り注ぐ。土砂降りに晒されているかのような激しい音。大量の槍に突かれるみたいな状況に、京介は反射的に呪符を放ち、上方で爆発を起こした。
爆炎と爆風で少しでも攻撃の威力を削ぐ。だが、案の定その程度では防げない。かといって、回避するには、槍の雨の攻撃範囲は広すぎる。
直撃――その寸前、京介の足元で小さな爆発が起きる。藍童子の「篠突く雨」と相殺するようにと呪符を放ったその時、同時に下方にも呪符を投げていた。
苦肉の策として発動させていた烈火の魔術は、京介の体を雨の領域の外へ吹き飛ばす。
爆発の勢いを借りた加速による緊急離脱。水の礫が大地に無数の穴を穿つのを横目に、京介はアスファルトを転げていった。
休む間もなく「水鉄砲」が追ってくる。爆発の衝撃に煽られながらもどうにか立ち上がると、懐の呪符をまとめて鷲掴んで荒々しく叫ぶ。
「砲火現界、殲滅せよ!!」
掲げた左手から炎熱の砲撃を吐き出す。ロクに照準を合わせる暇もなく発動した炎熱の砲撃を、藍童子が操る光球は避けていく。だが、その回避速度を上回るように、京介は左手を振り下ろす。止まぬ砲撃は、その軌道が一振りの巨大な剣であるかのように薙がれ、藍童子の三つの銃身を呑み込み、焼き消した。
互いの術が沈黙すると、藍童子はひゅう、と愉快そうに口笛を吹いた。
「『水鉄砲』で追いこんで『篠突く雨』でトドメ……たいていの奴はこれで黙るんだがな。不破の魔術師の面目躍如と言ったところか。なら次は――」
「次なんか待つか」
余裕たっぷりの言葉を遮り、京介は藍童子に肉薄する。「水鉄砲」にしても「篠突く雨」にしても、藍童子は離れた相手への攻撃の手段を持っている。距離をおいては不利になるだけだ。素早く懐に踏み込むと、刈夜叉で斬りかかる。
腕の一本くらいは潰すつもりで刃を振るうが、すんでのところ止められる――透明な刃が京介の刀とぶつかり合い、押し返そうとしていた。
藍童子の右手に現れた、水の剣。噴き出す水の激しさは、鋼鉄にも劣らぬ強靭さと鋭さを見せつける。水圧に阻まれて、京介の斬撃は藍童子の巨体に届かない。
隆々とした腕が力任せに水の剣を振り回して京介の刀を弾く。勢いに押されてよろめくが、なんとか踏みとどまりながら、京介は怯むことなく詠唱する。
「焔刃現界、溶断せよ」
水の剣には炎の剣を。刈夜叉を仕舞い、代わりに右手から火焔を吐き出し剣に変える。再び互いの刃がぶつかり鍔迫り合う。
「はははっ、勢いは悪くないぞ。だが、近づけば倒せるとでも考えたのなら甘いことだ。寧ろ、そんな小さな体でこの俺に接近戦を挑む方が無謀だとは思わなかったのか?」
藍童子の丈は京介の二倍近くある。そして二倍ではきかない体積の差。見るからに圧倒的質量を持っている妖だ、膂力で敵うはずもない。
だが、大きすぎる手、長すぎる腕は、懐まで潜り込んでしまえば、かえって小回りが利かず攻撃がしにくい。加えて、この図体だ、迅速に動けるはずもない。
鍔迫り合いの最中、一瞬だけ力を緩めて水の剣を受け流すと、勢い余った藍童子がたたらを踏む。その隙に身を屈めて敵の一閃を潜り抜け、藍童子の背後に回り込む。身を翻しざまに藍童子の背中を焔の剣で斬り上げる。
「砲火現界!」
畳み掛けるように、藍童子の背に、ほぼゼロ距離からの砲撃魔術をぶち当てる。
「ぐぅぅ……!?」
低い呻き声を上げながら、藍童子の巨体が吹き飛んだ。
藍童子がアスファルトに俯せ倒れるのを見届けると、焔の剣は掻き消える。立て続けで強力な術を使ったせいで上がった息をゆっくり整える。
冬の寒さを忘れるくらいに体温が上がっていた。額にうっすら滲んだ汗を拭う。このまま相手が沈黙してくれればそれでいい。だが、もしまだやれるようなら――警戒だけは切らさずに、京介は次の呪符に手をかける。
「……あー……今のはきいたぜ、さすがに……」
藍童子の手がぴくりと動く。きいたと言いつつ、実際はまだまだ余裕のありそうな様子に、京介は舌打ちする。
「……そう言うなら、大人しく伸びてろよ」
態勢を立て直す暇は与えまいと、藍童子が立ち上がる前に京介は呪符を放つ。
「焔弾現界、掃討せよ」
浮かび上がる五つの焔弾。藍童子に向かって一斉に放つ。
直撃――その寸前に、倒れていたはずの藍童子の姿が消える。
「!」
目で追えないスピードで回避され、焔の弾丸は虚しく地面を穿つ。三メートル級の図体をしていながら、こんなにも高速で動けるとは予想していなかった。慌てて敵の姿を探す。
その直後、背後にぞわりと鋭い殺気を感じる。本能的に嗅ぎ取った危機に振り返ると、藍童子が剛腕を振り上げている。
「刈夜叉……!」
右手に再び刀を喚び出す。しかし、それを構えるより先に、大きく横に薙ぐように振るわれた藍童子の腕が京介の胸にぶち当たる。肋骨が軋み悲鳴を上げ、肺の空気が絞り出される。
軽々と吹き飛ばされた体は地面を跳ね転がる。大型トラックに撥ねられたような気分だ。魔力によって身体が強化されていなければ骨も内臓もやられていただろう。
刀を支えにどうにか立ち上がるが、今のはさすがにきつかった。衝撃が響いてすぐには動けない。それでも、止まっていたのはほんの二、三秒のことだったが、その間に藍童子が眼前に肉薄してくる。
目の前が暗く翳った瞬間、不敵な笑みを浮かべる藍童子と目が合い息を呑む。直後、大きな掌が京介の視界を覆い尽くす。大きな右手に頭部を鷲掴みにされ頭蓋が軋む。そしてそのまま押し倒され、後頭部を地面に叩きつけられた。
「……ッ!」
脳震盪どころの話じゃない、頭をカチ割るつもりとしか思えない一撃に、意識が飛びかける。ぎりぎりで意識を保っていられたのは、相手が本来の目的を一応は忘れていなかったからかもしれない。
「おっと、危ない危ない。お前には訊きたいことがあるんだ、殺しちゃまずいんだっけな」
頭部を押さえつけられ、自分より一回り大きい大男にマウントを取られては、満足に身動きできようはずもない。刀を持った右手も抑えられ、左手は脚で抑えられる。呪符を取る余裕もない。
「俺はあんまり気が長くねえんだ。脳みそ潰される前に大人しく吐いておいた方がいいぜ」
言いながら、指先に力を込め、ぎしぎしと頭を締め付けてくる。藍童子の膂力なら、ちょっと力加減を間違うだけで頭を握り潰される。時間の余裕はほとんどない。
痛みに耐えながら、京介はかろうじて自由な喉から声を絞り出す。
「――焔、々、現界ッ」
「!」
呪符を使う余裕はないと、藍童子は油断していた。京介は右手に握る刈夜叉の刃で指先の皮膚を破り、流れた血を使って地面に呪を刻み付けていた。
京介を中心に焔が沸き起こると、藍童子がすかさず飛び退き距離を取った。拘束から脱すると、京介は荒く息をつきながら体を起こす。
と、京介の目に異様な物が映る。京介を取り囲むように、いくつもの球体が転がっている。掌に乗るくらいのやたらとカラフルなそれは、縁日などで見かけるような、水風船のように見えた。まさか本当にただの玩具ということはないだろう。となると――その正体にもおおよそ見当がつく。
京介の動きを封じる傍ら、藍童子はこれを仕掛けていたのだ――そう気づくのをまるで見計らったかのようなタイミングで、藍童子が告げる。
「弾けろ、『水風船』」
ぱちん、と藍童子が指を鳴らす。それと同時に、散らばっていた無数の水風船が一斉に破裂した。
それはさながら、爆弾のように。




