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敗残兵の邂逅と再生(5)

 それから学校に行き、受験生らしく真面目に授業に取り組む。否、申し訳程度に問題集を開いて教師の話を聞いているふりをしながら机の中でケータイを弄っているのは、真面目な態度とは言い難かった。

 受験直前になったこの時期、授業といっても、これから新しいことを学ぶわけではない。時間を計りながら過去問を解くのが常だ。一時間目の数学、十五分ほどで問題を解き終えると、残った解答時間を見直しに費やすのではなく、ネット上の「吸血鬼」の噂を収集するのに費やした。

 「神ヶ原 吸血鬼」で検索すると、問題の吸血鬼について噂される掲示板に辿り着いた。


『友達が血吸われて入院したって』

『なにそれ? 蚊?』

『蚊で入院するかよ。吸血鬼だよ』

『吸血鬼とか本気で言ってるのかよ』

『噛まれた痕があったって』

『なにそれ怖い』

『冗談だろ』

『いや俺もそんな噂聞いたことがある。けっこうマジっぽい』

『吸血鬼出たってほんと?』

『どうせ新手の変質者だろ』

『血フェチってこと? 変態じゃん』

『近くで悲鳴を聞いた人がいたって。で、逃げてく大柄の男を見たって』

『そいつが吸血鬼? 襲われたのって女なの?』

『女子高生』

『やっぱ変態じゃん』

『男も襲われたって聞いたけど』

『超変態じゃん』


 掲示板に飛び交う噂を見る限り、吸血鬼を本気で信じている者はいないようだ。ただ、いかにも吸血鬼っぽい噛み痕を残され襲われた被害者がいるため、「吸血鬼」というワードが浮上している。

 妖怪だの魔術だのを知っている身からすれば、犯人が本当に吸血鬼だ、と言われても驚かない。しかし、今の段階では情報が少ない。相手が本当に、いわゆる西洋のモンスター・吸血鬼なのか、神ヶ原に棲む血を吸う妖の誰かなのか、血を魔術に利用しようとしている魔術師なのか、可能性としてはどんなものも考えられる。

 やはり、一度現場を見てみないと、何とも言えないな、と思いながら、京介はケータイを閉じる。事件を知る切欠としては、ネットの情報も有用だが、それ以上のこととなると、ネットの噂だけではどうにもならない。

 一つだけ気になるのは、「逃げてく大柄の男を見た」という言及だ。敵の正体についての情報は他になかった。一応、唯一の手がかりだ。京介は「大柄な男の吸血鬼」というイメージを頭の片隅に置いておく。

 放課後になると、京介は周防から聞いた事件現場に向かった。神ヶ原一高の女子生徒が襲われたのは、神ヶ原市中央地区にある多目的集会所前だという。

 神ヶ原城址公園に近い場所にある高台には、市民に広く開放されている体育館と、二階建ての集会所が並んで建っている。建物の南側は広い駐車場になっていて、体育館や集会所を利用する客がいる時は車がいっぱいに停まっているが、運悪く女子高生がこの場所を通ったときは丁度利用者がいない時間帯で、車は一台もなく、人通りもなかったらしい。

 女子高生は駐車場を突っ切るルートを通学路としていたらしい。榛名との待ち合わせのためにいそいそと自転車を漕いでこの場所を通った時、「吸血鬼」の魔の手が迫ったのだ、と周防は語った。

 敷地内は比較的見通しが良いのだが、建物の北側となると、人目を遮るように木々が植わっていて、その向こうは急斜面になっている。日当たりが悪くじめじめとしていて、誰かが草刈りをさぼったのか湿気の多い土には草が生えていて、全体的に近寄りがたい雰囲気のエリアを作り出している。女子生徒はここに引きずり込まれ、襲われたらしい。女子生徒が発見されたのは、夕方六時ごろで、夜からのバレーの練習で体育館を使いに来た女性が車のライトで偶然照らし出したところに、少女が倒れているのを見つけ、救急車を呼んだとのことだ。

 集会所前にやってくると、駐輪場に自転車を停めて、京介は建物の北側に回る。女子生徒が被害に遭ってから比較的早く見つかったのは不幸中の幸いだったかもしれない。この場所は、建物の陰に隠れてしまうと、奥まで踏み込んでこなければ、誰かがいても気づかれにくい、そういう配置になっている。

 普通だったら、誰も踏み込んでこない、何の用もないはずの死角。だが、調査をするには都合がいい。事件の後、おそらくそんなに無関係な人間が踏み荒らしていないだろう。ならば、魔力や妖力の痕跡が残っている公算が高いはずだ。

 稀眼を解放し、目を凝らす。僅かに残る力の残滓を瞳に映す。やがて京介の眼は、その場所に微かに漂う力の残滓を、青い光として認識する。

 だが――

「だめ、か……」

 かろうじて光が残っている程度で、その光はどこにも続いていない。ここからどこかへ去って行ったはずの「吸血鬼」の痕跡は辿れない。おそらく、この場所でさほど強い術が使われたわけではないのだろう。残っている力が薄すぎて、ここから先のルートまでは視えない。

 小さく溜息をつき、稀眼を閉じる。どうやらここで手掛かりは途切れてしまったようだ。

 さて、この後はどう調べたものか、と京介は思案する。

 その時、頭上に何者かの気配を感じる――見なくても解るほどの、禍々しい殺気だった。

 反射的に飛び退る。と、直後に、地上に大きな黒い影が降ってくる。着地と同時に地震かと紛うほどに地面を鳴らし空気を揺らす、三メートルはあろうかという巨体だった。

「……!」

 縦にも長く横にも広い巨体は、「岩」だと言われた方がしっくりくるくらいだ。それほどまでに、大きく、そしてただ大きいだけではなく頑丈そうな印象だ。

 まさかこいつが吸血鬼か、と京介は俄に緊張する。最初に想像していた紳士なイメージの吸血鬼像とは似ても似つかない。確かに、「大柄な男」という目撃情報はあったが、それは少し体格がいいくらいの話だと想像していた。だが、目の前にいる奴は大柄とかいうレベルじゃない。三メートル級の巨大すぎる相手なんか想定外だ。

 明らかに人外な姿をした男は、確かに妖であると京介の眼は判断した。

 彫りの深い顔と灰色の短髪が印象的な男は、伽羅色の瞳でぎょろりと京介を見下ろす。匂いを嗅ぐようにすんすんと鼻を鳴らすと、にやりと唇を歪めて笑った。

「強い魔力の気配だ。お前、不破の退魔師だな?」

「だったらどうした」

「なぜ『吸血鬼』が現れたか、教えてやろうか」

 その発言で、男が「吸血鬼」と関わりがあることは確定した。男は愉快げに語る。

「人間の血を抜くのに特別な力なんて必要ない。注射器一本あれば事足りる。だが、注射器で人間の血を吸って回ったところで、動くのはせいぜい警察くらいだ。それじゃあ困る。だから、針の痕を二つつけておく。そうすると、吸血鬼の噛み痕みたいに見えるだろう? 『吸血鬼』という可能性が浮上すれば、退魔師が動く。――ようこそ、会いたかったぜ、不破の退魔師よ」

 誘い出されてしまったらしい、と理解した瞬間、ぞわりと肌が粟立った。

「俺を狙って、無関係な人間を襲ったのか」

「おっと、勘違いするなよ。元々、人間の血を集める目的もあったんだ。吸血鬼の仕業を装うことで、一石二鳥になったって話だ。血の使い道は、今更退魔師サマにレクチャーするまでもないよな? ちょっくら解きたい封印があってよ、その儀式のために血を集めてるわけだ。そういうわけで、俺がお前に要求するのは二つだ」

 丸太みたいな太い両腕を広げて、男は言う。

「一つ目、お前の血を寄越せ。そんで、二つ目……『土宿儺つちすくな』の封印場所を教えろ」

 予想していなかった名前に京介は目を見開く。

「むかぁし昔。悪さをしていた凶暴な妖・土宿儺は、神ヶ原を守る退魔師によって封印されてしまいましたとさ。なあ、知らなかったか? 土宿儺には、どうにか奴を復活させようと力を溜めて虎視眈々と機会を狙う、可愛い弟がいるってこと」

「……知らないよ、お前みたいな可愛くない野郎は」

藍童子あいどうじだ。まあ、仲良くしようや――憎き我が兄の仇敵よ」

 仲良くする気の全くなさそうな挑発的な笑みを浮かべて、藍童子は言った。



 不破の退魔師が代々受け継いできた秘密がある。

 その昔、神ヶ原に現れた恐ろしき鬼、その名を土宿儺といった。当時の当主であった魔術師が、そのあまりの強さに対処しきれず、封印するのがやっとだったという話だ。

 現当主・竜胆は、その秘密の話を、笑いながら適当に話していた。

「超ヤバい妖だったって聞き伝えているけど、もう何代も前の話だから、伝言ゲームの要領で噂に尾鰭がついてるだけって可能性もあるから、そーんなに真剣に考えなくてもいいような気がするんだけどさぁ。当時の当主がたいして強くなかっただけってパターンもあるでしょうし? けど私の代でこの話を止めちゃうと先祖が草葉の陰から呪ってきそうだから一応話しておくね」

 大地に君臨し、人の命を吸って暴れる鬼。まだ、魔術師中央会が存在しない頃、魔術師同士の情報共有や連携体制が整っていなかったため、不破家の術師は孤立無援の状態での対応を迫られた。自身の力だけでは倒しきることができないと判断するや、ありったけの力をつぎ込んで土宿儺を封じ込めた。

 子孫たちに命じられたのは、土宿儺の封印が解けないように見張ること。もしも、土宿儺の解放を目論む輩が現れたら、全力で阻止しろ、と伝えられた。そのために、土宿儺の封印に関わることを最重要の秘密として受け継いできた。

「最重要っていうけど、私から言わせればそんなにたいそうな秘密じゃないんだけどねえ。ご先祖様たちは大袈裟なんだよ。わはは」

 竜胆はおちゃらけていたが、京介は一応、真面目に話を聞いていた。

 とはいっても、今まで百年単位で、その封印は揺るぐことなく続いていたのだ。今更土宿儺などという、忘れ去られた過去の遺物みたいな妖を復活させようとする奴など出てはこまいと、油断していたのかもしれない。

 しかし、百年や二百年の時間は、長命な妖にとっては決して過去ではない。

 土宿儺の復活を諦めていない者、不破家への恨みを忘れていない者が、確かにここに一人いたようだ。


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