能力者、憑依者に戸惑う
とある侯爵家では熱に魘される一人娘の介護の為、ざわめいていた。
扉の向こうからは、医者の声と盆を運ぶメイドの足音が聞こえる。窓の外では不吉な程に雨が窓を叩きつけ、当主である侯爵とその妻である侯爵夫人はただ祈るように娘の寝室を見つめていた。
そんな二人を物陰から見つめていたのは、跡取りとして引き取られた少年カイラスである。
カイラスは心から心配している二人の“偽りの様子”を見て小さく嘲笑った。
【せっかく王子の婚約者として選ばれたばかりなんだ!白紙になっては叶わん!どうか!どうか娘を助けてくれ!】
【ついこの前自慢したばかりなのよ!?それなのにこんなことって……、他の夫人達にどういえばいいのよ!このまま婚約が取り下げられたら恥ずかしくて社交界に顔も出せないわ!】
心から娘の安否を願うことなどなく、欲望だらけの汚い言葉にカイラスは白けた眼差しを向けていた。
カイラスには不思議な能力があった。
人の心の声がわかる能力。考えていることが文字になって現れるため、遠く離れていてもその人物の考えていることがよくわかった。
そんなカイラスだが、現在医者の手で治療を受けている少女、ジェーンを心配している様子はない。
何故ならカイラスはジェーンからいじめ、と言っていいのかわからないが、付き合いが浅くまた仲がいい関係ではないからだ。
カイラスはついひと月前にヴァルモア侯爵家にやってきた。
一人娘であるジェーンが王子の婚約者として選ばれたからである。
子はジェーンのみで後継ぎがいないヴァルモア侯爵家は、快く送り出してくれた分家から三男を養子として引きとった。
それがカイラスである。
だがカイラスには秘密があった。
三男だと言われたが実は不貞の際に出来た息子、しかも血の繋がりは男性ではなく女性、つまりヴァルモア侯爵家とは一切の血縁関係にない、夫人と愛人との隠し子であったのだ。
その事実は後に判明することになるが、今はまだ誰にも知られていない。
つまりヴァルモア侯爵は、快く差し出してくれたのではなく、厄介者を押し付けられたというわけだ。
そんな秘密のあるカイラスは次期跡取りとして四歳という幼さにもかかわらず、教養を強要された。
血の繋がりのあるジェーンにもしていない教養をである。
だが家庭教師として呼ばれた人物はカイラスのあまりの幼さに授業内容を変更した。
まずは子供には難しい学問を教えるのではなく、マナーの基礎を、そして子供らしく遊ばせることで体作りとして教えた。
その中にジェーンとの絡みがあったのだが、ジェーンとカイラスがどのように遊んでいるかは家庭教師は知らなかった。
何故ならその時間、日々カイラスが学習する内容報告をしていたからだ。
幼い子供の教育に無駄なことなんてない。寧ろ小さい時期だからこそ、情緒を育てなければならないと言う家庭教師の方針に対し、真っ向から対立するのが侯爵当主である。
優秀な子どもに育ててもらいたい親は多いが、家庭教師はどこか毛色が違う雇い主に負けじと、報告のたびにプレゼンテーションを行っていた。まるで学生の時のようだと皮肉にも思いながら。
そんな家庭教師の目に届かない場所でカイラスはジェーンに、まるで小間使いのような扱いを受けてきた。
喉が渇いたと言って、子供には飲めもしない熱いお茶を入れさせられたり、疲れたと言っては四つん這いにさせ、まるで馬のように扱われてきた。
そして話を戻し、ジェーンが何故熱を出しているのかというと、全ては自業自得だった。
小さな嫌がらせの為にジェーンは私物を池に投げ入れたのだ。
池に落とした私物をカイラスに拾わせようと、にやりとほくそ笑んだジェーンは踵を返して屋敷に戻ろうとした。
だがここでハプニングが起きた。
雨期の季節ともあって、連日降り注ぐ雨でぬかるんでいた地面で足を滑らせたジェーンは、背中から池に向かって落ちたのだ。
バシャバシャと腕を動かすが、タイミングよく雨が降り出したことから、せっかくの晴れ模様に干していた洗濯物を取り込むために使用人たちは慌てて取り込む。
雨の音、洗濯の取り込み、そして敷地内という事で一人で行動していたジェーンの危機に誰も気づくことはなかった。
ジェーンは水を吸って重くなったドレスを身にまとったまま必死に腕を動かした。
沈みゆく意識の中、幼いジェーンは力尽きたように池の中に沈んだ。
ティータイムの時間になって、ジェーンの姿が見えないことにやっと気付いた使用人たちによって捜索が始まった。
そして池のそばにずぶ濡れの状態で横たわるジェーンの姿を発見した時には、ジェーンの呼吸が止まっていたのだ。
だが幸いにも心臓は微弱に動いており、医師によって息を吹き返したジェーンは今度は高熱にうなされていた。
これがカイラスがヴァルモア侯爵家にやってきて起こった出来事である。
当然のように情がわくことがないカイラスがジェーンを心配することはなかった。
カイラスは扉の前で娘を“心配”する二人から視線を外すと、自室へと戻っていったのである。
□
夜が明け、カイラスは朝食を食べに食堂に向かうと目を見開き驚いた。
生死を彷徨っていた筈のジェーンが、けろりとした表情で座っていたからだ。
だがそれだけではない。ジェーンはカイラスを見るなりにこりと笑みを浮かべた。
「あ、あの……おはよう、ございます?」
へらりとした笑みは戸惑いがちに見えるが、そんなことよりも挨拶のあの字もなかったジェーンが、カイラスに向けて笑みを見せ、そして挨拶をしたのである。
これには日頃から小間使い扱いされていたカイラスも動揺を隠しきれなかった。
硬直したカイラスに耳打ちするよう音もなく近づいた執事が囁いた。
『お嬢様は記憶を失っておられます』
「え?」
執事はそれだけをいうと、カイラスの傍から離れた。
だがカイラスは敢えて聞かなくとも、誰にも伝えたことがない能力で、何があったのかを知ることができた。
【はぁ、昨晩は大変だった。高熱が下がったと思えば今度は記憶喪失。旦那さまや奥様の事すら忘れておいでなんて……】
【性格が落ち着いたのは助かるけど、湯あみなんかで恥じらいで……、おかげで余計時間がかかったわ】
【こんなことなら一人にするんじゃなかった。諦めたと思ってたのにお嬢様は“すぐ戻るわ”だなんて嘘ついて】
どうやらお付きの従者を振り払い、一人で行動したジェーン、そしてそんなジェーンはメイドたちが気付くほどの変化を見せたことを短い時間で推測したカイラスは、前を向くと頭を下げて「おはようございます」と声を掛けた。
本当に子供かと疑うが、生まれたばかりの赤ん坊の時から、汚い人間に触れていた為に、無理矢理にでも大人になるしかなかったのだ。
そんなカイラスにぱぁと花が咲くように綻ばせるジェーン。
カイラスはまたもや目を見張る。
【嬉しい!こんな可愛らしい男の子に挨拶を返してもらえた!】
(可愛らしい、男の子、だと?)
カイラスは動揺した。
今までジェーンからはそのような考えなんて一度も見たことがなかったのだ。
不吉な黒髪、愛想のない子供、両親の関心を奪った悪者
それがジェーンがカイラスに向ける考えだった。
カイラスは動揺を隠しながら席へと着いた。
当主席にジェーンの父バルタザールが座り、窓を背に母のマティルダとジェーンが座っていた。
マティルダとジェーンに向かい合うように座る場所がカイラスの席だ。
カイラスの動揺を他所に、ジェーンは前を向くと、運ばれる料理に手を付けた。
記憶喪失という話だが、ジェーンはナイフとフォークを眺めるとすぐに手に取り、音もたてずに食べ始める。
その様子を見て、ヴァルモア侯爵夫婦は揃って驚きを見せる。
第二王子の婚約者として選ばれたものの、礼儀作法はまだまだ収得できておらず、テーブルマナーも音を立ててしまうことは日常的だったからだ。
一方ジェーンはそんな両親の反応なんて視界に入っていないのか、ニコニコと満足そうに笑みを浮かべながら料理を味わっていた。
【うう~ん!スクランブルエッグ最高!ウィンナーなんてジューシーすぎるわ!】
いつものジェーンならば果物だけを口にし、すぐに食堂を後にしていたのだが、初めてといっていいほどにシェフが作った料理を味わっている。
そんな奇妙にも思える光景にカイラスも含め周りは目が離せなかった。
【一人暮らししてた時の朝食なんてTMGばっかりだったからね。ふわふわに焼かれた焼き立てパン、バター風味のマーガリンなんかじゃなくてちゃんとしたバター、サラダにかけられたドレッシングだって手作り!贅沢の極みだわ!】
(……どういうことだ?それにTMGとはなんなんだ?)
ジェーンの背後に見える文字が、もこもこと雲のような形の吹き出しで囲まれている。
しかも機嫌がいいことを表しているのか、うっすらとピンク色に色づけられていた。
故障か、そのように考えたがちらりと視線をずらしても、真四角の吹き出しはうっすらと黒く色づけられているバルタザールとマティルダの表記は変わらず変化が見えない。
カイラスは記憶喪失ではなく、もしかしたらジェーンの人格そのものが変わったのではないかと疑問を浮かべた。
アルファポリス様でも投稿しておりますので、アルファポリス様で公開している分に合わせて一気に投稿していきます。その後は朝晩で日付設定させていただきます。




