表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/9

第1章:我々はなぜ巨大ロボットに惹かれるのか

 日本において「ロボット」との最初の出会いといえば、それは多くの場合、鉄腕アトムである。これに異を唱える者がいるとすれば、それは日本のテレビ文化に背を向けて育った少数派か、あるいは嘘つきである。(もしくは私たち世代よりもずっと若い世代か…)


 鉄腕アトムは、我々の「機械と心」に関する想像力の原点であり、道徳の教科書であり、未来の予告でもあった。


 だが、この鉄腕アトムのアトム、純然たるロボットかと問われれば、実のところ答えはやや曖昧だ。エイトマン、サイボーグ009といったその後に出会うキャラクターたちと比較すると、アトムにもまた人間の要素…つまり、サイボーグ的性質が宿っているように感じられるのだ。全自動で動く機械にしては、あまりにも心を持ちすぎている。もはや「ロボット」というより「新しい人間」である。


 では、純然たる「巨大ロボット」との出会いは何か。それは間違いなく、鉄人28号である。


 鉄人28号の衝撃


 鉄人28号は、それ以前のロボットたちとは明確に異なる点を持っていた。彼には自我がない。つまり、彼は命令がなければ動かない、ただの機械である。しかもその操縦は、リモコンによって行われる。これは戦車や戦闘機といった軍事機械と同様、人間が操作する拡張体としてのロボットである。ここに、我々は少年としての初めての「巨大な力を操作する快楽」を味わう。


 鉄人28号の魅力は、その単純な構造と、操作する者の精神と力が直結する感覚にある。あの二本角、いやアンテナか?…のついた、どう見ても機能性が怪しいリモコン。あれで複雑な戦闘アクションを自在に操れるわけがない、と大人になった今では思う。だが、当時の我々…いや、子ども時代の“我々の中の大人”はこう考えた。


「そういう細かいことはアニメの表現の限界だ。リモコンはあくまで象徴なのだ。脳内で拡張すればいいのだ。」


 このような脳内変換によって、鉄人28号は我々にとって完全な巨大ロボットとなった。そしてこの能力こそ、我々が後に「マジンガーZ」や「ゲッターロボ」をも自然に受け入れられた素地になっている。


 言葉で命令するジャイアントロボ


 鉄人28号の系譜をさらに進めた存在が、ジャイアントロボである。ここでは、我々の疑念…「あんなリモコンで本当に細かい指示なんかできるのか?」という問いに対して、明快な解決が提示される。


 それが、「言葉で命令する」という方式である。


 ジャイアントロボは、少年・草間大作の発する命令によって動く。これは、単なるボタン操作から一歩進んだ、言語による指示という「ロボットとの新たなインターフェース」の誕生を意味する。テクノロジーとしても、象徴性としても、これは重要な進化である。


 リモコンという物理的な機器が消え、「言葉=思考」がダイレクトに伝達されるようになったことで、我々は初めて、「自分の意志で巨大な存在を動かしている」という全能感に酔うことができた。


 小括


 鉄腕アトムのような「心を持ったロボット」との共生の物語から、鉄人28号やジャイアントロボのように「操作するロボット」へと、我々のロボット観は変遷してきた。とりわけ巨大ロボットにおいて重要なのは、自分が操縦する存在であること。それは、力に対する責任であり、また快楽でもある。


 本論文は、ここでいったん筆を置くが、我々の巨大ロボット論はまだ始まったばかりである。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ