第2章:命令から操縦へ
―ジャイアントロボとレッドバロンのあいだ―
1. ジャイアントロボという奇跡
ジャイアントロボが登場したとき、日本のロボット観は大きく転換した。鉄人28号の延長線上にありながら、その進化は明確だった。まず、操縦者が少年であるという設定が、多くの子どもたちの心を捉えた。なにせ、我々と同じような年齢の子が、腕時計型の通信機で巨大ロボットに命令を出しているのだ。
しかも、その理由もきちんと物語上に説明されている。なぜジャイアントロボは草間大作少年の命令しか聞かないのか。それは、最初にその通信機に声を入れたのが大作少年だったから。この設定の整合性が、子どもながらに腑に落ちた。「なるほど、最初に登録した声じゃないと動かないのか」と。
だが、この物語で最も記憶に残るのは、その最終回である。
最終決戦の場面で、あれだけ忠実に命令を聞いていたジャイアントロボが、最後の最後で命令を無視する。少年の「戻ってこい」という命令に背き、ロボは自己判断で敵と心中するような形で自爆する。つまり、自らの存在を犠牲にして世界を守ったのだ。
この展開は、自己犠牲という日本的なヒロイズムに深く根ざしている。今でこそ「感動の最終回」としてテンプレ化されたパターンであるが、ロボットアニメ草創期においてこれは衝撃的であり、極めて完成度の高い幕引きだった。
2. ロボットか召使か
だが、ここで少し冷静になって考えよう。
ジャイアントロボは、たしかに感動的な物語を持つロボットだった。しかし、そのインターフェースはあくまで「命令」である。しかも、遠隔での音声命令。これは、技術的には進歩だが、心理的な手触り感に乏しい。
つまり、「操作している」感じがしない。
それはまるで、魔法のランプの精・ジーニーや、悪魔くんのメフィストのような存在である。「お願い」すれば動くけど、自分が手を使って動かしているわけではない。そこには「操縦の快感」がない。あくまで「言えば動く」召使型のロボットなのである。
ここで、我々は一つのロボット分類にたどり着く。
•召使型ロボット(命令実行タイプ):アトム、ジャイアントロボ、ドラえもん
•操縦型ロボット(搭乗・操作タイプ):鉄人28号、そして、次に語るレッドバロン
この「召使型」では満たされない欲求がある。そう、男の子のロマンである。
3. 操縦という快楽:レッドバロンの登場
そこで登場するのが、レッドバロンである。
レッドバロンは、これまでの「命令型ロボット」ではなく、自分が搭乗し、自分の手で操縦するというロボットである。これは、巨大ロボットの表現において、明確な質的転換を意味していた。
「自分がロボットの中に乗り込んで操る」
このシステムは、戦闘機や戦車と同じリアリズムを我々に与えると同時に、フィクションの中で「自分自身が強くなる」感覚を提供した。つまり、ロボットが自分の身体の延長になるのだ。
少年の夢は、魔法のように願えば何でもしてくれるロボットではない。自分の手で巨大な力を操作することなのである。
この点で、レッドバロンは我々の夢を一歩、現実に近づけてくれた存在だった。




