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第26話:あずきの決意、信の決意

「ん。何か用?」


 桜崎さんはあずきへと顔を向けながら、言葉を紡ぐ。

 そんな桜崎さんの返答を待たずに、あずきは声を発した。


「んー……とぁー! でござる!」

「きゃうっ!?」

「はあっ!?」


 あずきは突然飛翔したかと思うと、桜崎さんの胸元へと飛び込む。

 小さな手を桜崎さんの腰に回すと、そのまま桜崎さんにひっついた。


「ちょ、ちょっと、何すんのよ!」


 桜崎さんは身体をよじってあずきを引き剥がそうとするが、あずきは頑として離れない。

 ううむ、なんて吸着力だ。蛸の吸盤なんか目じゃないなあれは。


「すん、すんすん……」

「!? ちょ、な、何嗅いでんのよぉ!」


 鼻を鳴らして桜崎さんの匂いを嗅ぎ始めたあずきに気付き、顔を真っ赤にしながら両目を見開く桜崎さん。

 さらに強く身体をよじるが、あずきは一向に離れそうもなかった。


「さっきから良い香りがすると思ったら、やっぱり桜崎どのだったんでござるな。これはもしかして、いわゆる香水ってやつでござるか!? いやぁ、桜崎どのは大人でござるなぁ!」


 あずきはまるで花咲くような満面の笑みを見せると、抱きついたまま桜崎さんへと言葉を紡ぐ。

 桜崎さんは引っ付かれている事実と匂いを嗅がれるのが恥かしいのか、引き続き顔を真っ赤にしながら、声を荒げた。


「はぁっ!? べ、別に使ってないわよ香水なんて! いいから離れなさい!」

「で、では、この良い香りは桜崎どの自身から!? すごいでござる!」

「なぁー! もう! はなれろー!」


 桜崎さんはあずきの顔を掴んで引き剥がそうと力を込める。しかしあずきはよほど離れたくないのか、さらに桜崎さんと密着する。

 そうか、そう言われてみれば桜崎さんからなんか良い匂いがするな……いつも罵倒の雨に打たれてて全然わからなかった。


「すんすん……ふぁ。良い匂いでござう。なんか、母上を思い出すでござうよ」

「あずき、“ござる”って言えてない! 言えてないから!」


 あずきは桜崎さんの胸元に顔を埋めてとろんとした表情のまま、すんすんと鼻を鳴らす。

 やがて腕の力を強めると、そのままうにうにと顔を動かした。


「ひゃうっ!? ばっ、ばか。動かない、で……!」


 桜崎さんは自身の胸元で動くあずきに顔を紅潮させ、あずきをひっぺがそうと両手に力を込める。

 しかしあずきだってあれでも忍者だ。簡単には外れないだろうなぁ。


「うーっす。おはよーさんさんサノバビッチっと……おお!? なんじゃこりゃあ!?」

「あ、おはよう猛。これが何なのかは僕も聞きたいところだよ」


 教室のドアを開けてきた猛は目の前の光景に驚き、数歩後ずさる。

 まあそりゃそうだよね。僕もあずきがあそこまで奇想天外だとは思わなかったもの。


「改めておはようございます、赤井猛です。教室のドアを開けるとそこは、百合百合でした」

「……なんでわざわざ言い直したのかわからないけど、とりあえず鼻血拭こうか」


 猛は目の前の光景に驚きながらも、その鼻からは一本の赤い線が見える。

 僕の手渡したティッシュを受け取ると、猛は鼻の中にそれを詰め込んで僕へと向き直った。


「おい信。この素敵空間は一体どうしたことだ。それと何故俺は今日ごついカメラを持ってないんだ。教えてくれ」

「僕こそ教えて欲しいよ! とりあえず落ち着いて!?」


 猛は至極冷静な表情で僕を真っ直ぐに見つめ、素っ頓狂なことを呟く。

 恐らくあの二人を撮りたいってことだろうけど、今はそんなこと言ってる場合じゃないだろう。

 ……ん? いや、本当にそうだよ。こんなとこで僕は何やってるんだ。


「そ、そうだあずき! 桜崎さん困ってるから! 一旦離れて!」

「ふぁっ!? ふぇ、ふぇっふぁふぁふぁふぃふぉ……むふぁ!? も、もふぉもふぉふぇふぉあう!」

「何言ってんだかさっぱりわかんねー!」


 あずきは桜崎さんにひっついたまま正気を取り戻すと、僕の言葉に反応して言葉を返す。

 しかしその全ては解読不能だった。


「んっ。ふぁぅ!? ……もぉー! は、な、れ。ろぉぉぉぉぉ!」


 桜崎さんは赤くなった頬を振り払うように頭を横に振ると、さらに力を込めてあずきを引き剥がす。

 正気に戻ったあずきはその手を離して桜崎さんに引っぺがされると、そのまま空中を回転した後に両手を広げて見事に床へと着地した。


「「おおーっ! さすが忍者!」」


 僕と猛は同時に拍手をあずきへと送り、賞賛の声を送る。

 さすがだな、あずき。伊達に忍者を名乗ってはいないようだ。


「はぁっはぁっ……いったい、なんなのよ……」


 桜崎さんは肩で息をしながら、あずきを初めとした僕達を順に見つめる。

 疲れるのも無理はない。人を引き剥がすのは思った以上に体力を使うからなぁ。

 いや、そんなこと言ってる場合じゃないか。


「うう、申し訳ないでござる桜崎どの。あまりにも良い匂いがしたもので、つい……」


 あずきはしょんぼりと肩を落とし、両手をもじもじと合わせながら、言葉を紡ぐ。

 元々小さかった体が、今ではさらに大きく思えた。


「あっ、あんたね、いきなり人に抱きついていいと思ってるわけ!? 大体、匂い嗅ぐとか信じらんな―――くっ!」

「???」


 桜崎さんは途中で口を噤み、苦虫を噛み潰したような顔であずきを真っ直ぐに見つめる。

 僕は疑問符を浮かべながらその視線を追い、あずきの顔を見つめた。


「あ、あの、さくらざきどの、どうかしたのでござるか……?」

『……ああ、なるほど。これは怒りにくいな』


 あずきは表面上は平静を装っているがその両足は細かく震え、よくよく見てみると目の端に涙まで溜まっている。

 本人は懸命に平静を装っているようだが、そこは子ども。限界があるんだろう。

 ……いや、そういえば同じ年なのか。

 ともかくこの状態だと、子どもをいじめているような気分にしかならないよなぁ。


「あの、桜崎どの。本当にごめんでござるよ。拙者に何か出来ることがあればいいのでござるが……」

「ぐっ……ぬ……っ!」

「あ、あの桜崎さんが、対応に困っている、だと……!?」


 僕は驚愕の表情で桜崎さんを見つめ、言葉を呟く。

 桜崎さんは溜まった怒りをどこにぶつけて良いのかわからず、その後―――


「ああああああああ!」

「なんでっ!?」


 突然僕の顎は桜崎さんに蹴り上げられ、そのまま後方へとふっ飛ばされていく。

 視界を流れる教室の天井が、蹴り飛ばされたその速度を物語る。人をこんな速度でふっ飛ばせるなんて、桜崎さんの脚力は相当強いみたいだ。


「むぐっ!? うぐうう!?」

「あぉう♪ ダイターン♪」


 い、今の声は、同じクラスの豚山太ぶたやまふとしくん!? そしてこの顔面に感じる生暖かくも柔らかい感触は、まさか―――


『ぶふぅっ、と、突然僕のまたぐらに顔から突っ込んでくるなんて、だ、大胆なんだな……』

「ぐあああああああああ!?」

「信!? しっかりしろしぃぃぃぃん!」


 吹っ飛ばされた後突然目の前が暗くなり、その時顔面に感じた生暖かく妙に柔らかな感触は、やはり―――


「うぅっ! ぼ、僕が、僕が一体何をしたっていうんだ……!」


 溢れ出て来る涙を止めることができず、僕は教室の床で四つん這いになりながらポロポロと涙を落とす。

 たった一瞬の出来事。そのはずなのになんだこの消失感は。これが絶望だとでも言うのか。


「しっかりしろ信! 思いのほか傷は深いぞ!」

「そうだね、猛。僕の心はもうボロ雑巾みたいだ」


 僕の肩を揺すりながら周知の事実を僕に叩きつける猛。

 その横では豚山君が頬を染めた状態でくねくねと動いており、僕はそっと意識を手放しそうになった。


「……っ!」

「あっ、桜崎どの!?」


 桜崎さんはあずきの声にも反応せず、顔を真っ赤にしたままずんずんと教室を後にする。

 後に残されたのは茫然自失とした僕と、ぽかんと口を開けたままドアをみつめる猛をあずきだけだった。


「ああ……拙者、なんてことを。桜崎どのを怒らせてしまったでござるよ」


 あずきは元より小さなその身体をさらに小さくしながら、しょんぼりと俯く。

 僕はかろうじてトラウマから立ち直ると服についた埃を落とし、言葉を返した。


「いや、まあ、気にしなくて大丈夫だと思うよ。多分だけど……」

「???」


 あずきは僕の言葉を受けつつもその意味がわからないのか、首をかしげながら僕を見上げる。

 うまく言葉にできないけど、あれは怒るっていうのとは少し違うような気がする。まあ、僕自身そうあってほしいと思っているだけなのかもしれないけど。


「いやしかし、酷い目にあったな信よ。よりにもよって男の股間に顔面からダイブするとは、友人として同情するぜ」

「ありがとう猛。そのニヤケ顔さえなければ感動で泣いていたよ」


 猛は込み上げてくる笑いを堪え切れないのか、口の中を噛みながら不自然な笑顔で言葉を紡ぐ。

 くそぅ。心無き同情ほど腹の立つものはないよ。


「しかしこんな調子で本当に大丈夫かな……桜川祭だってもう大分近づいてるっていうのに、不安だらけだよ」


 僕は小さくため息を落としながら、桜崎さんの去っていった教室のドアを見つめる。

 今朝も開口一番猛毒を浴びせられたし、桜川祭が終わるまで僕の心はもつんだろうか。


「ははは、そうだな。確かにしんぱ、い……」

「猛?」


 猛は台詞の途中で言葉に詰まり、口を半開きにした状態で中空を見つめる。

 急激に変化したその様子についていけず、僕は頭に疑問符を浮かべた。


「猛、一体どうしたっていうのさ。何か忘れ物でもしたの?」

「お、おふ。でっけえ忘れ物をしてたぜ……」


 猛は今までに見たことも無い引きつった表情で僕へと顔を向け、中途半端な笑顔を見せる。

 その瞬間僕の背中に、薄ら寒い何かが走った。

 まさか、桜川祭に関する連絡事項じゃないだろうな……


「き、きょうのほうかご、桜川祭実行委員の集まりがあるの、言おうと思って忘れてた……てぃへっ♪」

「は、ははは。やっぱり、ね……」


 桜川祭実行委員の集まりということは、恐らく各クラスから選出された実行委員が一同に会するんだろう。当然ながら、僕と桜崎さんにも出席義務がある。

 ああ、しかし今日かぁ。何の準備も出来ないなぁ。は、ははは……


「だっだぁいじょーぶ! 俺らまだ初年度生だし、そんな重要な仕事は振られねーって、な!?」

「いや、そりゃそうだけども! 最初の会議くらいは意識合わせしとかないと!」


 確かに猛の言うとおり、初年度生の僕らに初っ端から難しい仕事は振らないだろう。それは恐らく間違いない。

 しかし初めての会合に行くときくらい、桜崎さんと連携したいものだ。スタート地点からバラバラでは、桜川祭の失敗は目に見えている。


「とはいえ、放課後までに桜崎さんとお話できるかと言うと……」

『はぁ? あんたのホームセンター歴なんて聞いてないんだけど。ていうか話しかけないでくれる?』

『行くなら早く行ってよ。あんたと一緒にいるだけでも気持ち悪いんだから』

『……おっそ。本当役に立たないわね。もう私がさっさと話つけてくるから、馬鹿はその辺で立ってて』

「うぼはぁっ! し、死ぬ!?」

「なっ、信が発作を!? 先生! せんせいー!」


 突然教室で四つんばいになってしまった僕を見るなり、猛は片手をメガホンのように使いながら声を響かせる。

 人事だと思って遊んでるな、バカ猛め。

 ともかく仮に意識合わせできなかったとしても、会議には出席しなければ。


「ま、桜崎嬢には俺から伝えとくからさ、安心しろよ」

「わかった、頼むよ猛」


 一度忘れていたとはいえ、猛はやると言った以上は必ずやってくれる。

 桜崎さんへの伝達は大丈夫そうだな。


「……んむ! 拙者、決めたでござる!」

「どうしたのさあずき、そんな愉快な顔して……息でも止めてるの?」


 あずきは口元を一文字に結び、頬を膨らませながらキリッと目元に力を込める。

 そういえば腕まで組んでいるみたいだ。ちっこいからそういうマスコットみたいに見えるな。


「信どの! 拙者、桜崎どのをお手伝いするでござるよ! 先程のお詫び、しないわけにはいかんでござる!」

「ああ、うん……でぇっ!? い、いやあずき、そりゃまずいんじゃないかなぁ!?」


 ただでさえ距離を取られているというのに、これ以上あずきから接触するのは危険だ。

 丸腰で戦場に飛び出すようなもんだぞ。


「それは、どうしてでござるか?」

「ぐっ。理由、りゆう、か……」


 それは、言えない。「クラスから浮いてるからだよ」とは口が裂けても言えない。


「よくわからないでござるが……拙者、精一杯ご奉仕するでござるよ! しゃおら!」

「Oh……」


 だめだこりゃ、土俵入り前の力士ばりに気合いを入れていらっしゃる。

 あずきは根が真っすぐな分、一度走り出すと中々止まらないんだよな。


「ぐぅっ。どうしたら、どうしたら良いんだ猛……っていねえし!」


 いつのまにか猛の姿が忽然と教室から消え、立っていたその場所には

『探してください。この世の全てをそこに置いてきた』という書き置きだけが置いてあった。


「誰が探すかよもう! 役立たず!」


 僕は思わずヒステリックに叫び、電話帳を引きちぎるレスラーばりに

 書き置きを二つに引き裂く。

 畜生、なんてこった。すでに詰んでるじゃないか。


「おっ、授業が始まるでござるな。では信どの、さらばでござる~」

「あっ。ちょ、あずき!?」


 チャイムが鳴り響く教室をあずきは素早く駆け抜け、ちょこんと自分の席に座る。

 さすが忍者、速いな。僕の絶望感もマッハなんだが。


「くっ……仕方ない。桜川祭実行委員の会議までにあずきを説得して、桜崎さんと意識合わせするしかないか……」


 もちろんそれが、途方も無く不可能に近いことはわかっている。

 でもやらなきゃいけないことってのは、往々にして突然降り懸かって来るもんだ。

 やるしかないんだ。だってそれは、やらなきゃいけないことなんだから。


「よっし、やるぞ! 僕はやる!」


 両手で自らの頬を強く叩き、再び気合いを入れる。

 やりすぎて赤くなってる気もするけど、きっと気のせいだろう。


「やれる、やれるぞ……なんかいけそうな気がしてきた!」


 原因不明の自信が僕の中にみち溢れ、自然とその表情を凛々しくしていく。

 なんだろうこれは、今ならなんでもできそうな気がする。


「……よし!」


 僕は一限目の授業を受けるべく、意を決して一歩を踏み出す。

 教室の窓から差し込んでくる強い日差しは、そんな僕の背中を後押ししているかのようだった。

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