01 奄美剣星 著 『エルフ文明の暗号文 33』
【梗概】 アベラールを撃破したレディー・シナモン少佐は、誠意ある対話でエルフ王女のパニックを鎮め、ミスリル製カプセルの修復に成功する。地上へと脱出した一行の前に、二百メートル級の帝国飛行船団十隻による苛烈な猛爆撃が降り注ぐ。直撃を免れた二機の二人乗りカーチス戦闘機へ、バティスト大尉とドンファン副王が猛然と搭乗。新大陸の存亡を懸け、一人乗りに切り替えた複葉機による絶望的な空中戦へ出撃する伝奇ロマン。連載。
33 地下霊廟の王女(成果)
上空からの容赦なき爆撃が、地下墓所の分厚い石壁を幾度も激しく揺るがしていた。太古の岩盤が悲鳴を上げ、天井からは絶え間なく微細な砂塵が降り注ぐ。このままここに留まれば、太古のエルフ文明の遺構もろとも、私たちは生き埋めにされるかもしれない。
だが、帝国の飛行船団を迎撃すべく地上へ駆け上がろうとする私たちの前に、異形と化したアベラールが圧倒的な質量を伴って立ち塞がっていた。
「大尉、博士、ドロシー博士! その方を斃さねば地上へは出られません。まずはお三方で当たって下さい。引き続き私は王女を説得いたします!」
レディー・シナモン少佐の張り詰めた声が、大聖堂のドーム状の天井に鋭く反響する。
「おうよ姫様! でかい風船どもを落とす前に、まずは害虫駆除からだな!」
革製の飛行服に身を包んだバティスト大尉が不敵な笑みを浮かべ、長年愛用してきたワルサーP38の銃口を迷いなく突きつけた。その隣では、男装の伶人であるドロシー博士が、それまで後生大事に抱えていた貴重な計測器をそっと埃っぽい床へ置き、愛銃コルト・ベスト・ポケットを両手で堅実に構える。さらにその隣、シルハ警視庁のグラシア警視も、凍てつくような冷徹な面持ちで、支給品の武骨な重用拳銃を抜き放った。
粘液をまとう漆黒の甲殻に覆われたアベラールは、すでに人間の原型を完全に失っていた。四肢は軟質化して蠢く無数の不気味な触手へと変貌し、その背には巨大なヤドカリを思わせる、歪にねじくれた外骨格が背負われている。甲殻の隙間から覗く無数の複眼が、狂気に明滅していた。
パァン、パァン、パァン――!
三つの異なる銃声が、重なり合って大聖堂の歪んだ空間を激しく震わせた。
大尉のワルサーから放たれる九ミリパラベラム弾が、アベラールのおぞましい外骨格を正確に捉え、硬質な火花を爆発させる。私、ドロシーの重用拳銃による容赦のない連射は、まるで生き物のようにうねり狂う影の触手を根元から次々と撃ち抜いていった。
千切れた肉片から、緑がかった腐食性の体液が激しく飛び散り、床の石畳をじゅっと音を立てて溶かしていく。凄まじい硝煙と返り血の嵐のなか、三人の射手は一歩も引くことなく、その圧倒的な弾幕で異形の肉壁を、じりじりと部屋の隅へと追い詰めていく。
銃火の閃光に照らされた大尉たちの表情は鬼気迫るものだったが、傍らで見守る私にとっては、その数分間の銃撃の応酬が、まるで永遠にも等しいほど長く、恐ろしく感じられた。
やがて、肉体を蜂の巣にされたアベラールが、凄まじい地響きと共にもんどりうって倒れ込んだ。ヤドカリのような異形の殻が割れ、体内からおぞましい体液が溢れ出す。死の淵に立たされながらも、その中央に張り付いた歪な人間の顔だけが、天を仰いで不気味にくすくすと笑い声を上げた。
彼は完全に動きを止めるその直前、血の泡を吹きながら、狂気混じりの大声で絶叫した。
「勝った……! 我々は勝ったのだ……!」
それが、かつて帝国工作員と呼ばれた男の、哀れな断末魔であった。彼を突き動かしていた結晶記録盤の光が完全に消え失せ、残されたのは、ただのひび割れた黒い甲殻の塊という、醜悪な遺骸のみであった。
他方、激しい火花と銃声が轟いていた私たちの銃後では、制御装置を横に、レディー・シナモン少佐が毅然と佇んでいた。少佐の視線の先には、希少金属ミスリルの頑強なフレームで支えられた、エルフ王女のガラス・カプセルがある。上空からの衝撃のせいか、カプセルの強化ガラスにはすでに蜘蛛の巣のような無数のひびが走り、中の防護溶液が今にも決壊する寸前であった。
だが少佐は恐れることなく、カプセル内で青白く浮遊する王女へと、再びその透き通った声を届けた。
「私どもはただ、甲殻虫の暴走を止めたいだけなのです。どうか、お心を沈めて戴けませんか? 貴女を幸福な微睡から起こす意図は毛頭ございません」
――それは、誇張も虚飾もない、ただそれだけの、誠実な言葉であった。
しかし、少佐の言葉には、魂の深層からくる圧倒的な説得力というものがある。その祈るような波動が届いたのか、カプセルから周囲へ放たれていた狂気じみた強い怒気が、目に見えて収まり始めた。王女を包んでいた仄かな灯光は、激しい紅蓮の色から、やがて視神経に優しい青白い穏やかな色へとグラデーションのように変化していく。
さらに不思議なことに、ガラス表面に走っていた致命的なひび割れさえも、エルフの超技術によるものだろうか、淡い光の粒子を伴いながら滑らかに自己修復されていくではないか。
その奇跡のような光景に、しばらく呆気に取られていたドンファン副王が、ようやく我に返って鋭く声を張り上げた。
「爆撃でやられてなければ、浜辺に置いてきたカーチスが外にある。バティスト大尉、自分と来てくれ」
少佐は、その高貴な意志の光を宿した瞳を副王へと向け、静かに肯首した。今日の彼女は、いつもの華麗なドレス姿ではなく、機能性を重視したスパッツを着用していた。しかし、そのような装いであっても、彼女の淑女としての完璧な礼節が損なわれることはない。少佐は両膝をわずかに外側に曲げ、背筋を美しく伸ばしたまま、優雅な屈膝礼を静かに捧げた。
少佐は修復されたカプセルを優しく押し込み、太古の奥の台座へと厳かに戻すと、決然とした表情で前を向いた。
「後ほどここの通路を閉塞しに、再び参ります。ひとまずのご休息を――」
そうカプセルの王女へ告げて、少佐は私とともに、暗い霊廟の奥を出て元来た螺旋階段を一気に駆け上った。
崩落しかけた大聖堂の廃墟へと飛び出した瞬間、私たちの鼓膜を破壊せんばかりの爆音と、夜空を白く染める凄まじい閃光が降り注いだ。
見上げれば、天空を埋め尽くしていたのは、連合種族帝国の誇る総勢十隻からなる黒い巨体――二百メートル級の巨大飛行船団であった。そのうちの五隻は、飛行甲板を備えた威容を誇る「空母型」。そして残りの五隻は、地上のすべてを焦土と化すべく破壊の業火を落とし続ける「爆撃型」である。
瓦礫が雨のように降り注ぐ大聖堂の横、その崩れた壁の向こう側に、奇跡的に直撃を免れて残っていた二機のカーチス戦闘機が並んでいた。
それは、流線型のエンジンカウルと美しい木製のプロペラを備えた、パイロット二人乗りのクラシカルな複葉機であった。しかし、後席への操縦系統を切り替えるレバーを引けば、前席のパイロットが一人だけで操縦と正面の固定機銃掃射のすべてをこなすことができる、戦間期におけるミリタリー技術の結晶でもあった。
バティスト大尉とドンファン副王が、猛然とそれぞれのコックピットへと飛び乗る。
轟然たるレシプロエンジンの爆音が廃墟に響き渡り、プロペラが激しい風を巻き起こした。凄まじい加速と共に、浜辺の滑走路を蹴って、二機のカーチスが火の海の空へと垂直に近い角度で舞い上がっていくのが、私たちの視線のはるか先に見えた。
「飛行船を沈めるには、通常の弾丸では無理よ。ガス嚢を内側から焼き尽くす、燃焼性の曳光弾が有効となるわけだけど……」
少佐は、夜空へと消えていく二機の編隊を見つめながら、その切れ長の美しい双眸を鋭く細めた。
「……まずは通常弾で、あの巨大な船団を護衛する敵機を、一機残らず撃ち落とさねばならないわね」
海風にコートをはためかせながら少佐は、銃火に染まる新大陸の空を見つめる。ここから、シルハ副王領、いやヒスカラ本国の存亡を賭けた、二機の複葉機による絶望的な空中戦が始まろうとしていた。
つづく
【登場人物】
01 レディー・シナモン少佐:王国特命遺跡調査官
02 ドロシー・ブレイヤー博士:同補佐官
03 グラシア・ホルム警視:新大陸シルハ警視庁から派遣された捜査班長
04 バティスト大尉:依頼者
05 オスカー青年:容疑者。シルハ大学の学生。美術評論家。
06 アベラール:被害者。ジャーナリスト。洗濯船の貸し部屋に住む。
07 エロイーズ:被害者。アラスの寄宿学校教師。アベラールの妹。
08 シャルゴ大佐:シルハ副王領の有能な軍人。
09 フルミ大尉:ヒスカラ王国本国から派遣された連絡武官。
10 トージ画伯夫妻:急行列車ラ・リゾンで同乗した有名人。
11 サルドとナバル:雑誌社〈ラ・レヴュ〉報道特派員。記者とカメラマン。
12 フランクリン将軍(大将):ヒスカラ王国海外領土シルハ副王国駐留軍総司令官。




