77.空虚な瞳
気絶した令嬢たちを起こすだけ起こして壁に背中を預けさせると、私たちはそそくさと自室へと帰還した。
「……ふぅ。さすがに少し疲れましたわ」
部屋に戻るなり、ノエルはソファに深々と腰を沈めた。
精神力を削る魔道具を、あんな出力でぶっ放したのだ。気丈に振る舞ってはいたが、やはり消耗は激しいのだろう。
「お疲れ様でした。後宮の勢力図は、今日一日で完全にノエルさんが掌握しましたね」
「ええ……」
ノエルはどこか浮かない顔をしていた。
「ノエルさん……? どうかなされましたか?」
「私、どうにも社交の場に行くと変に力が入ってしまって、なりふり構わず自分の話ばかりしてしまいますのよ。スコット家の令嬢として舐められないようにと会話の盤面を叩き壊してしまう。そしてついた不名誉が、鋼の戦斧……」
ノエルは顔を覆い、深くため息をついた。
「幻滅なさったかしら」
彼女の沈んだ声を聞いて、私の表情には自然と笑みが浮かぶ。
氷の城で彼女に抱きしめられた時の、あの優しさの温度を思い出す。あの優しすぎる彼女が、私のために無理をして、戦斧を全力で振り回してくれたのだと分かったからだ。
「いえ……とても立派でしたよ。もしノエルさんと社交の場で敵として顔を合わせていたら、私も無事ではなかったかもしれません」
「それは慰めていらっしゃいますの?」
ノエルが指の隙間からこちらを窺う。
「もちろん。――これほど頼もしく、強い味方を、私は他に知りません。ベアトリスもフェリシアも……かつて関わりがあり、胸にわだかまりを抱えていました。むしろ綺麗に叩き割って頂いて胸がすっとしました。感謝こそすれど、幻滅などしません」
私がはっきりとそう告げると、ノエルは手を降ろしぱちりと瞬きをして、それから照れ隠しのようにふふっと笑ってみせた。
「……ルシアさんったら、お上手ですのね。なら、もっと徹底的に叩きのめしておけばよかったですわ! 正直なところほんの少し、楽しかったので! こういう所がいけませんわね、私!」
ひとしきり二人で笑いあったあと、私は昨日の衣服や使い終わったタオルの入った洗濯籠を抱える。
次は竜達からの情報収集だ。
「少し、洗濯室へ行ってきます。侍女としての仕事と……他の竜たちからの情報収集を兼ねて」
「気をつけて行ってらっしゃいな。もし誰かに絡まれたら、助けてカグツチー! とでも呼べば天井裏の火竜が飛んできますわよ、うふふ」
ノエルが優雅に手を振る。
そうなってしまったら最後、王都は火の海に沈むことをいい加減説明すべきかどうかほんの少しだけ迷った。
私が部屋の扉に手をかけた、その時だった。
「……ルシア」
その声に振り返ると、ズズ……と天井の点検口が開き、不満げなカグツチの顔が逆さまにぶら下がっていた。
「何ですか?」
「……もう絶対、他の奴から鱗とか貰わないでよね。もし貰ってきたら、オレそいつのこと灰にするから」
昨日の鱗の一件をまだ根に持っているらしい。
知らなかったとは言え、その無知さえカグツチは許そうとはしなかった。
これを面倒、と取るか成長の証と取るべきか決めあぐね――私はとりあえず苦笑して小さく息を吐いた。
「分かりました。もう誰からも何も受け取りませんよ。……留守番、お願いしますね」
「うん、いってらっしゃい」
ようやく機嫌を直したカグツチに見送られ、私は廊下へと出た。
◆ ◆ ◆
夕闇が迫る後宮は、どこか冷たい静寂に包まれていた。
籠を抱えて薄暗い廊下を歩いていると――ふと、地下へと続く階段の方から、引きずるような重い足音が聞こえてきた。
思わず足を止める。
階段の暗がりから姿を現したのは――長い灰色の髪を揺らして歩く、黒い軍服姿の竜種だった。
竜は歳を取らない。人間で言えば二十代ほどの青年の姿をしたその男の顔立ちは、ひどく端正で――なぜだろうか。
ふと胸の奥がざわつくような、奇妙な既視感を覚えた。
だが、何より異様だったのはその瞳だった。
焦点が合っておらず、生気のかけらもない。ただの黄金に濁ったガラス玉のように虚ろな目が、私の方を向いた。
「…………」
ぞわり、と背筋に悪寒が走る。
カグツチはもちろん、他の貴族の竜たちとは根本的に違う。彼からは、知性も、感情も、そして竜種の誇りすらも感じられない。
ただ、底知れぬ空虚だけがそこにあった。
あれは――デッドアッシュ。
だけど王都で見た時よりも随分とやつれている。いや、壊れている、と言う表現のがしっくり来る。
彼は私を一瞥しただけで、それ以上は何も言わず、軋むような音を立てて重い鉄扉を開け、そのままどこかへ去っていった。
嫌な予感が胸にざわめく。
ふと視線を向けると、後宮の入り口付近で直立不動の姿勢を見せているはずの、管理人の姿がなかった。
嫌な予感を胸の奥に押し込め、私は気を取り直して洗濯室へと向かった。
洗濯室の扉に手をかけて開いた瞬間――私はそっと閉めたくなった。




