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74.鱗と嫉妬

 洗濯場での優雅なティータイムは、実に有意義だった。

 彼らは私の正体を察しながらも、誰一人として騒ぐことなく、むしろ喜々として情報を吐き出してくれたのだ。


 まず口火を切ったのは、先ほどまで人型ハンガーをやっていた桃色の長髪の竜種、ハンガーだった。

 彼は私のグラスに氷を足しながら、どこから取り出したのか眼鏡を掛け、クイッと押し上げる。そして驚くべき早口で語り始めた。


「ゼファレス様の動向でありますか? 結論から申し上げますと現状我々竜種に対する関心は極めて希薄、というか皆無と言って差し支えない状況であります。本来ならば徴用された我々は戦力として、あるいは威圧のための駒として配備されるのが軍事的定石。しかるに現状は洗濯・掃除・炊事――これは明らかに戦力外通告、あるいは『お前は眼中にない』という無言の圧力かと推察されますハイ」


 息継ぎなしのマシンガントーク。

 先ほどまでの無表情なハンガー役からは想像もつかない情報量だ。


「……つまり、必要とされていないと?」


「左様であります。放置プレイもここまで来ると逆に高度な精神攻撃かと」


 ハンガーが熱弁を振るう横で、金髪ポニーテールを揺らしながら、セイデンキが「やかましいわ」と彼を小突いた。


「自分、喋りすぎや。……堪忍してやってください。こいつ、主人から抑圧されすぎて、喋りだすと止まらんのや。自分でも制御できてへんのですわ」


 セイデンキはオルドレア南地方の訛りでそう言うと、申し訳なさそうに私に向き直った。


「いえ、有益な情報です。……では、アシュレイ様のことは?」


 私が問うと、セイデンキは「あー」と天井を仰いだ。


「確か……後宮に入る前にうちの主とお嬢様と一緒に本城に挨拶しにいったんやけど、そん時にゼファレス様の傍におったの見たで」


「ご無事なのですね」


「あれを無事っちゅーのはどうなんやろなぁ。……死んだ魚みたいな目をしとったけど」


 生きている。それだけで十分な収穫だ。

 彼がゼファレスの傍にいるなら、本丸へ攻め込めば必ず会える。


 しかし、不可解な点もあった。

 彼ら竜種は、人間を遥かに凌駕する力を持っている。

 その気になれば、この離宮を破壊して逃げ出すことなど造作もないはずだ。

 怒りがないから、と言えばそれまでだが……それだけではない何かを感じていた。


「……なぜ、ここから逃げないのですか? あなた方の力なら、造作もないでしょう」


 私が直球を投げると、その場の空気が一瞬で凍りついた。

 ハンガーが眼鏡を曇らせて押し黙る。

 セイデンキの手も止まった。


「……ゼファレス様による、無理やりの名付け。あれが怖くない竜なんかいませんわ」


 セイデンキの声が低くなる。


「ワイらは見たんですわ。どんな呪いを使ったんか知らんけど、無理やり違う名を与えられて、魂ごと壊されたデッドアッシュを……。あんなもん、生きる屍や。あぁなってまで生きとうない……逆らえば、ワイらもああなる」


 竜達は命定改名(ミューテ・ノメン)のことを詳しく知らないようだった。

 デッドアッシュ。名前を強制的に上書きされ、廃人と化した竜種。その恐怖が、彼らをこの鳥籠に縛り付けている鎖の正体。


「……ロボウノイシも、違う名を与えられた竜ですが」


 私が例を挙げると、竜たちは一斉に顔を見合わせ、そして鼻で笑った。


「ああ、あれは別枠です」

「あいつは怖くないですね」

「ただのアホやん」


 散々な言われようだ。

 どうやらロボのあの性格は、竜種の間でも残念なやつとして認識されているらしい。少し安心した。


「女王様、ロボは少し変わり者でして。本名で呼ぶと怒って殴ってきますのでどうぞ彼のことはロボとお呼びください。……まぁ、いくらロボでも女王様に手を出すとは思えませんが。一応念の為」


 ハンガーの言葉に私は表情を隠すようにメガネの位置を直すふりをした。

 私がロボのことをロボウノイシと呼んだ時も、彼は真っ先に訂正してきたことを思い出し、少しだけ顔が緩みかけたからだ。


「えぇ、知っています。……貴重なお話をありがとうございました」


 私はグラスを置き、立ち上がった。

 洗濯籠の中には、いつの間にか新品同様に洗い上げられ、完璧にプレスされた洗濯物が畳まれている。


「私はあくまで()()です。ここでの会話は、どうかご内密に。……事を荒立てないよう、お願いしますね?」


 私が人差し指を口元に当てて微笑むと、竜たちは頬を染めて一斉に頷いた。


「「「仰せのままに」」」


 チョロい。

 私は洗濯籠を受け取り、退室しようとした。

 その時だ。


「あ、お待ちください女王様」

「これだけでもお持ちください」

「拙者のも是非」


 竜たちが次々と駆け寄り、私のエプロンドレスのポケットに何かをねじ込んでくる。

 断る間もなく、ポケットはずっしりと重くなった。


「……?」


 中身を確認する間もなく、私は彼らの熱烈な見送りを受けて洗濯場を後にした。


 ◆ ◆ ◆


 部屋に戻り、鍵をかける。

 カグツチが天井から、ノエルがソファから、それぞれ顔を覗かせた。


「お帰りなさいませ、ルシアさん。随分と早かったですわね」


「ええ。洗濯係の方々がとても優秀でしたので」


 私は洗濯籠を置き、得られた情報を手短に共有した。

 ゼファレスが竜を戦力視していないこと。

 アシュレイが王の傍で生きていること。

 そして、竜たちが恐怖で支配されていること。


「……なるほど。アシュレイは無事なのですわね」


 ノエルがほっとしたように胸を撫で下ろす。


「ええ。ですが、死んだ魚のような目をしていたそうです」


「あら、それはいつものことですわ」


 ノエルは事もなげに言った。

 情報の整理が終わり、今後の対策を練ろうとした時だった。


「……ルシア」


 いつのまにか床に降り立っていたカグツチが、私の背後から音もなく近づいてきた。

 その鼻が、私のエプロンドレスのポケットのあたりでクンクンと動く。


「……なに、この匂い」


 低い声。

 明らかに不機嫌な、地を這うような響きだ。


「洗剤の匂いでは?」


「違う。……オレ以外の、オスの匂いがする」


 カグツチは私のエプロンのポケットに手を突っ込み、乱暴に中身を掴み出した。

 ジャララッ、と音がして、テーブルの上に撒き散らされたのは――。


 キラキラと輝く、色とりどりの宝石のような欠片。

 セイデンキの金色の鱗、ハンガーの赤銅色の鱗、その他色とりどりの、硬質な輝き。

 それは紛れもなく、竜の鱗だった。


「……は?」


 カグツチの動きが止まる。

 その目が、鱗と、私の顔を交互に往復し――そして、見開かれた。


「ルシア……これ、もらったの?」


「ええ。去り際に、どうしてもと渡されまして。鱗だったのですね」


「…………」


 カグツチはテーブルの鱗を、黄金の瞳を細めて凝視した。

 じわり、と部屋の温度が上がる。窓ガラスが熱膨張でミシミシと悲鳴を上げ、暖炉の火が、主の感情に呼応するように天井を舐めるほど激しく爆ぜた。


「な、なぜ怒っているのですか?」


「鱗を贈るってことは、オレの身体の一部を捧げますっていう意味なんだよ。つまり求愛。プロポーズ」


 カグツチの声が、地底から響くような低温に沈む。


「プ、プロポーズ!?」


 私は仰天してテーブルの鱗を見た。

 あの竜たち、全員で私に求婚してきたというのか。

 いや、あれは忠誠の証のような雰囲気だったが――竜にとっては同義なのかもしれない。


「ルシア、オレのはいらないって言ったくせに……」


 カグツチの足元の絨毯がじりじりと焦げ、黒い煙が上がる。

 彼は私を責めるような視線を一瞬たりとも向けない。ただ、洗濯室のある方向へ向けられた殺意だけが、物理的な熱となって部屋を焼いている。


「それなのに他の奴からはもらうんだ……」


 ここは自分の無知を盾にするべきか――いや、それではカグツチの心には届かない。

 何か良い手はないかと縋る思いでノエルを見た。


「あーあ。浮気ですわね、ルシアさん。カグツチも、そんなに大口叩いてないでルシアさんに甘えればいいのに」


 ソファでくつろぐノエルが、ニヤニヤしながら煽る。

 彼女には、この異常な熱量も、カグツチから漏れ出す本物の天災の予兆も、痴話喧嘩の延長にしか見えていないらしい。


 カグツチの足元の絨毯から、ついにパチパチと火の粉が上がり始めた。

 私は焦げ臭い空気の中で、必死に弁明する。


「知らなかったのです……本当に。知っていたら受け取ったりしません」


「…………」


 カグツチの瞳から、スッと殺気が消えた。

 代わりに浮かんだのは、雲一つない秋空のような、どこまでも澄み切った無垢な笑顔だ。


「……そっか。ルシアが知らなかったなら、しょうがないよね」


 彼は納得したように何度も頷くと、弾むような足取りで入口のドアノブに手をかけた。


「じゃあ、全部燃やしてくるわ。洗濯室だっけ? まだアイツら固まってるよね。まとめて灰にしてくる」


 散歩にでも行くような、あまりに明るく、あまりに自然な声。

 それがかえって、彼の本気を突きつけてくる。


「……今すぐ窓から捨てます。なので落ち着いてください。お願いですから」


 私はテーブルの鱗をひっ掴むと、全力で窓の外――王都の夜闇へと放り投げた。

 キラキラと光りながら落ちていく求愛の証たち。

 それを見届けて、ようやくカグツチの機嫌が少しだけ直った――その時だった。


 ギィィィ……。


 離宮の重厚な跳ね橋が降りる音が、夜の静寂を切り裂いた。


 私たちは顔を見合わせる。


「――来ましたわね」


 ノエルが呟く。

 眼下を見下ろせば、跳ね橋を渡ってくる一台の馬車。

 王家の紋章を掲げた、黒塗りの馬車だ。


 ゼファレス・ファ・ヴォルシュタイン。

 この国の王となる男が、ついにこの鳥籠へと足を踏み入れたのだ。

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