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73.女王、君臨す

 サロンを出て、長い回廊を歩き出した時だった。

 柱の影から、ぬっと白い影が現れた。


「お帰りなさいませ、女王様」


 シロクマだ。

 どうやら、サロンの外でずっと待機していたらしい。

 彼は周囲を警戒するように声を潜め、私に耳打ちしてきた。


「もし洗濯物などあれば、こちらで処理しますが」


「洗濯物?」


「はい。ドレスや下着など、他人の手に触れさせたくないものもございましょう。私が責任を持って、白く洗い上げてみせます」


 妙なところで気が利く。

 けれど、違和感があった。

 ここは後宮だ。身の回りの世話をする使用人はいるはずだが、管理者が直々に洗濯をするなど聞いたことがない。


「……この後宮にいる令嬢全員分を、あなたがやるのですか?」


「まさか。私は女王様専属ですので」


「いえ、頼んでおりませんが」


 シロクマは誇らしげに胸を張った。その隣で、ノエルが引きつった顔をしていた。


「他の部屋の令嬢には、それぞれ実家から連れて来られたドラグマキナがついておりますので。そちらがやっております」


「……竜種が、洗濯を?」


「ええ。洗濯、掃除、配膳……後宮が出来て一ヶ月。今では人間の使用人よりも最高級の時間を提供出来ている自負がございます。なんせ私どもは、こうして尽くすことにこそ喜びを感じる生き物ですので」


 その言葉に、私はピクリと眉を動かした。

 ドラグマキナ徴用制度。

 軍事利用でなく、生活労働にまで使っているとは。……あの男は軍事力になり得る竜を、本当に必要としていないのだ。


「皮肉にも、貴族遊戯(ドラグデュエル)で戦う時より皆生き生きしていらっしゃる」


 シロクマはそう言うと目を細め、どこか遠くを懐かしむように微笑んだ。


「ええ。戦いは主人のための義務ですが、奉仕は我らの本能ですので。……ここでは誰も、我々に強くあれとは命じません。ただ白く洗えと。……それこそが、今の彼らにとっての救いなのでしょう」


(……竜種たちが一箇所に集まって作業をしているのなら、そこは情報の宝庫かもしれない)


 各家の竜種がいるのなら、それぞれの家の事情や、ここへ連れてこられた経緯はもちろん、そしてゼファレスの動きも知っている可能性がある。


「……分かりました。お気遣い感謝します」


 私はシロクマに礼を言い、しかしその申し出は丁重に断った。


「ですが、自分の汚れ物は自分で始末する主義なのです」


 ◆ ◆ ◆


 部屋に戻り、鍵をかけるなり、私は宣言した。


「洗濯と称して、竜たちから情報収集してまいります」


 ソファにダイブしていたノエルが「いってらっしゃいませ」と手を振る。

 しかし、天井から顔を覗かせたカグツチだけは、引きつった顔で私を見下ろしていた。


「……え」


 カグツチがするりと降りてきて、私の前に立つ。


「ルシア、洗濯なんて出来るの?」


 真剣な、心底心配そうな声だった。

 無理もない。私はヴァレット家の令嬢だ。生まれてから一度たりとも、自分の服を洗ったことなどない。

 洗剤の量も、水の温度も、干し方も知らない。


 私はカグツチを見上げ――すっと黙って、完璧な笑顔を見せた。


「…………」


「……あ、無理なんだ」


 カグツチが即座に察した。

 けれど、ここで引くわけにはいかない。これは潜入捜査なのだ。


「……行ってまいります」


 洗濯の腕前など問題ではない。洗い桶の前に並べば、それだけで話しかける口実になる。私は逃げるように籠を抱え、部屋を飛び出した。

 背後でカグツチが「オレが行こうか!?」と叫んでいたが、カグツチの存在がバレてしまっては全ての計画が台無しである。


 ◆ ◆ ◆


 一階のエントランスホールまで降りてくるとシロクマが待機していた。

 洗濯室の場所を聞くと、案内すると懇切丁寧に言われたが断った。

 教えられた場所は、エントランスホールからを抜けたすぐ先にある。


 湿った生ぬるい空気と、石鹸の香りが漂ってくる。

 私は共同洗濯場と書かれた鉄の扉を押し開けた。


「……え」


 思わず、声が漏れた。

 そこには、異様な光景が広がっていた。


 湯気が立ち込める広い石造りの部屋。

 そこにいたのは、十数人の顔立ちの整った青年たち――人の姿を取った、各家の竜種たちだった。


 ある者は洗濯板でドレスをごしごしと洗い、ある者は脱水機のように濡れた布を振り回し、またある者は――


「ふんっ、ふんっ!」


 自らの手のひらを高温に熱し、それをアイロン代わりにしてシーツの皺を伸ばしている竜もいた。

 ジュッ、ジュワッ、と蒸気が上がるたび、きれいにプレスされていく。


 最強の生物である竜種たちが、エプロンをつけて、せっせと家事に勤しんでいる。

 その光景はあまりに滑稽で、そして――泣きたくなるほど、哀れだった。


「……新入りですか?」


 入り口で立ち尽くす私に、アイロン係の隣に立っていた男が声をかけてきた。

 桃色の長髪を揺らし、虚ろな目で直立不動の姿勢を保っている。


 その光景は、異様だった。

 彼は両腕を水平に広げ、その身体に濡れたドレスを纏わせていたのだ。

 アイロン係の竜が、彼が広げたドレスの背中に熱した掌を押し当て、ジュワッ、と蒸気を上げている。

 彼は微動だにしない。

 熱くないのだろうか。いや、それ以前に。


(……あれはロズベルグ家のハンガー……ひょっとして、ハンガーの因果は、衣服を掛けるためのハンガーなんでしょうか……)


 その手つき――というより、ドレスを支える角度は繊細そのものだが、彼が何をしているのか理解するのに数秒を要した。

 彼は、自らの身体をハンガーとして捧げているのだ。

 

「……はい。本日よりお世話になります」


 私が一礼し、顔を上げた瞬間だった。


 ザッ、と。

 洗濯場に満ちていた作業音が、波が引くように一斉に止んだ。


 洗濯板を擦る音も、脱水機代わりの風切り音も、アイロンの蒸気音も。

 全てが消失し、ただ静寂だけが湯気の中に漂う。


「…………」

「…………」


 視線。

 十数人の竜種たちの視線が、一点に――私の全身に突き刺さっていた。

 彼らは信じられないものを見るように目を見開き、そして隣の者と顔を見合わせる。


「おい……今の匂い……」

「ああ、間違いない……」

「嘘やろ……なんでこないなとこに……?」

「……いや、この圧倒的な格は……」


 ざわり、と空気が震えた。

 次の瞬間、彼らの顔色が一変した。


「「「――女王様!?!?」」」


 絶叫が響き渡った。

 何も聞かなかったことにし、私は空いている洗い桶の前に陣取り、見よう見まねで服を水に浸そうとした――瞬間だった。


「――なりませんッ!!!」


 ドォォォン!!

 とてつもない地響きと共に、竜の巨体が私の前に滑り込んできた。


「あ……」


 私の手から、一瞬で洗濯籠が奪い取られる。

 あまりの鮮やかな手際に瞬きする間もなかった。誰かが音もなく私の背後に回り込んだかと思うと、その指先が魔法のような手際で私の膝裏を軽く叩く。

 不意を突かれ、抗う術もなくすとんと腰が落ちた瞬間、そこにはいつの間にかふかふかのクッションが敷かれた椅子が滑り込んでいた。

 

「――えっ?」


 思考が追いつく前に、また別の竜種はそのままの勢いで、椅子ごと私を高く担ぎ上げた。

 私は強制的に座らされたまま、まるで凱旋する王の如き高さで、洗濯室の中央へと運ばれていく。


「女王様! このような冷たい水に触れてはなりません!」

「手荒れするやろ! あかぎれになるやん! ワイらの心が死んでまう!」

「おい、誰か飲み物を! 最高級のやつだ! ヒョウガにやらせろ、そういうの得意だろ!」

「承った! キンキンに冷えた果実水をただちにお持ちしますッ!!」


 恭しく差し出される、氷の浮いたグラス。

 汗一つかいていないのに、タオルを持った竜が待機している。

 先ほどまで人間ハンガーをしていた桃色の髪の男も、いつの間にかドレスを放り出して私の足元に跪き、即席の足置き台になっていた。もちろん、使わないけれど。


「……あの、私は洗濯を……」


「なりませんっ!!」


 竜たちが一斉に首を横に振る。

 その目には、畏怖と、そして強烈な忠誠心が宿っていた。


(……なるほど。シロクマと同じように私がメスであるから反応しているのですね。ロボの話ではメスに尽くさぬオスは淘汰の対象……このような対応にも納得です)


 私は諦めて、差し出された果実水を受け取った。

 どうやらこの後宮において、私の侍女という設定は、人間以外には全く通用しないらしい。


 けれど、好都合だ。


「……では、お言葉に甘えて。少し、お話をさせていただいても?」


 竜たちは、恍惚とした表情で一斉に頷いた。


「「「仰せのままに」」」


(……わかっていてもやっぱり少しこわいです、私はちゃんとやれるでしょうか、カグツチ)


 私はグラスに口をつけ、喉を潤してから、跪く彼らを見下ろした。

 こうして、洗濯場での優雅な尋問(ティータイム)が始まった。

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