71.囚人たちの優雅な朝
翌朝。
広大なベッドで目覚めた私たちは、身支度を整えたあと、改めて互いの身なりを確認する。
ノエルは令嬢らしい華やかなドレスを身に纏い、完璧な淑女の顔を作っている。
私も侍女服に身を包み、赤く染まった髪をきっちりとノエルにまとめてもらい、顔にそばかすを描いて分厚い眼鏡をかけた。鏡に映るのは、どこからどう見ても地味な侍女ルウだ。変装は完璧である。
「……腹減ったぁ……」
ズズ、と天井の点検口が開き、カグツチが恨めしそうな声とともに顔だけを覗かせた。
「もう少し我慢してください。じきに朝食が運ばれてくるはずですから」
私がそう宥めた直後だった。
コンコン、と控えめなノックの音が部屋に響いた。
「入っていいわよ」
ノエルが主らしく声をかけると、ガチャリと扉が開く。
私たちの潜入作戦二日目は、強烈なバターの香りと共に幕を開けた。
「女王様、おはようございます。本日の朝食は焼き立てのクロワッサンと、朝摘みのフルーツ、そして極上のオムレツをご用意いたしました」
ノックと共に現れたシロクマは、ワゴンいっぱいの食事を運び込み、満面の笑みに艷やかさを添えて私に跪いた。
慌てて分厚い眼鏡を掛け直した。
本来の主であるはずのノエルは完全にスルーされている。
「……あの、シロクマ。ノエル様のお食事は?」
「どうぞご自由に」
ワゴンの上にぽつんと置かれたノエルのものと思われる朝食は、私に差し出されたものより彩りがさみしいように思えた。
「扱いが雑すぎませんこと!?」
ノエルがソファからクッションを投げて抗議するが、シロクマの耳には届いていないらしい。
彼は甲斐甲斐しく私の前にテーブルをセットし、ナプキンを広げた。
「さあ女王様、冷めないうちにどうぞ。お気に召さなければすぐに作り直してきますので、どうぞ床に叩きつけてください。ご希望でしたら、そのまま私を土足で踏み躙っていただいても一向に構いません」
頬を紅潮させたまま、とんでもないことを口走っているシロクマに私は思わず物理的に一歩引いた。
「かつて女王の巣へ赴いた折、先代の女王様にはそれはもう慈悲なく吹き飛ばされ、完膚なきまでに蹂躙されたものです……。ああ、思い出すだけで心が震える。あれこそが真の女王の愛、絶対的な庇護の形。さあ、私は絨毯です、遠慮なくその熱いオムレツを顔面に」
キラキラと輝く金色の瞳は、本気でそれを期待するような――いや、熱望するように私を見つめている。
ノエルは完全に異形を見る目でソファの影に隠れ震えていた。
どうやら彼は、過去の強烈な経験から女王とは理不尽に暴力を振るってくる存在だと完全に誤解してしまっているのか。それとも人間には到底理解の及ばない竜種の構造なのか。どちらでもいいが私には理解出来なかった。
「い、いえ叩きつけませんが……シロクマ。一つ確認させてください」
私は彼を見据えた。
今の私は、赤髪に分厚い眼鏡、そして侍女服という出で立ちだ。
どう見ても女王と呼ばれるような格好ではない。
「私はただの侍女です。この部屋の主はノエル様。……あなたの態度は、管理人として不適切ではありませんか?」
私の言葉に、シロクマはキョトンとして、それから不思議そうに首を傾げた。
「侍女? ……ああ、なるほど。そういう遊びなのですね」
シロクマの長いまつげが、窓から差し込む朝日を受けてきらめいた。
「姿形など、皮一枚の飾りに過ぎません。どのような布を纏おうと、どのような振る舞いをしようと――貴女様から溢れ出る格は隠せませんよ」
恍惚とした瞳で私を見上げた。
「貴女様は、女王だ。私の本能がそう叫んでいる。……だから、貴女様が侍女の真似事をしたいと仰るなら、私は全力でそのごっこ遊びにお付き合いします。さあ、私を愚かなグズと罵ってください」
艷やかな笑顔に、全幅の信頼と異常な期待を添えて。
ダメだ、話が通じない。
彼は私がルシア・ヴァレットかどうかなど気にしていない。
ただ竜の女王という匂いだけに反応して、盲目的に従っているのだ。
「……そうですか。では、侍女として命令します。……この部屋の鍵を渡しなさい」
「はい、喜んで」
「以後、断りもなく部屋に入室する事を禁じます」
「全て女王様の仰せのままに」
即座に合鍵が差し出された。
セキュリティ意識が崩壊している。
「それから、日中の行動についてお聞きします。他の令嬢たちはどのように過ごしているのです?」
「基本的には自由です。サロンでのお茶会、中庭の散策、図書室の利用……お好きなようにお過ごしください。ただし、跳ね橋を渡って外へ行くことだけは禁じられております」
「なるほど……」
私は合鍵を受け取り、こっそりとノエルに目配せをした。
制限付きとはいえ、檻から出る許可は得た。
「もう下がって結構です」
「仰せのままに」
会釈するシロクマに、ふと疑問が湧いた。
「……以前、顔に大きな火傷を負ったことがあるでしょう。その傷はもう平気なのですか?」
踵を返そうとするシロクマに問い掛ける。
アルトとカグツチの初めての貴族遊戯の日――シロクマは、カグツチの炎を直接受け、見るも無惨な大怪我を負っていた。
今は見る影もなかったが、もしかしたらカグツチが気にしているかもしれない――しかしそれは要らぬ気遣いだったとすぐに気付かされる事になる。
シロクマは跪き、うっとりと、今にも天に召されそうな表情で私を見据えたまま――
「あぁ……私がかつて負った傷など、今はもう毛ほども残っていないというのに。女王様の慧眼は、過去の痛みすらも見通されるというのですね……」
「……」
「まるでそばで見ていてくださったかのように慈悲深いお言葉……。出会ったばかりの、私のような下等生物の痛みを案じてくださるなど……ああ、私はきっとこの瞬間のために生まれてきたのでしょう……」
――ドスッ!!
天井から、何か重たいものが落ちたような鈍い音が響いた。
「も、もう下がって結構です!」
シロクマは天井から響いた音を気に留めることもなく、雪原の銀世界よりも眩しい笑顔を浮かべていた。
「はい、仰せのままに。では、ごきげんよう女王様」
私はシロクマを部屋から追い出すようにして扉を締め、急いで施錠した。
振り返ると、ノエルは天井を見上げながら「あらあらぁ」と楽しげにニヤついていた。
そして――。
ズズズ……と天井の点検口が開く音は、まるで地獄の扉が開く音のようだった。
見上げれば、金色の瞳が世界を呪わん勢いで光っている。
「……ルシア」
低い声とともに巨体が降ってくる。
私に距離を詰めてくることはなかったが、シロクマが消えた扉の向こうを威圧していた。
「なにあれ。どういうこと。聞いてないよ。あれシロクマだよね?」
「……色々あったのです、色々」
しばしの沈黙。
「……そう、話してくれないんだ」
「そ、そういうわけでは……」
「わかった、じゃああいつの隣でちょっと豪快にマシュマロでも焼いてくるわ」
マシュマロは火の海で焼くものではない。
「ダメです。大事な情報源です」
「……あの白いの、調子乗りやがって。怪我なんてオレ全然本気出してなかったんだから治ってて当然だろ。くっそ……あの時消し炭にしとけばよかった」
カグツチはブツブツと文句を言いながら、テーブルに乗せられたパンを豪快にかじった。
ノエルは可愛らしい嫉妬心だとくすくすと笑っているが、それがこの王都を今すぐ焼け野原にするスイッチである事を彼女は全く気付いていない。
どうやら、彼の嫉妬心もまた、この鳥籠の中での懸念事項になりそうだ。
「……ふぅ」
朝食を終え、身支度を整える。
ノエルは気合十分といった様子で、金槌を握りしめる。
「さて、行きましょうかルシアさん。いえ、ルウ! サロンに集まる小鳥たちに、挨拶をして差し上げなくては!」
「ノエルさん、さすがにそれは置いていきませんか……?」
「あら、そうでしたわね! ついクセで!」
ノエルはころりと笑ってハンマーを置いた。
けれど扉へと向かうその足取りは軽く、瞳は狩人のように鋭く光っていた。毒と紅茶の香る、優雅な戦いの始まりだ。




