69.黄金の鳥籠
シロクマは無言のまま、私たちを長い回廊の奥へと案内した。
磨き上げられた大理石の床に、彼の重厚な足音が響くことなく吸い込まれていく。
道中、いくつもの扉とすれ違った。
おそらく他の令嬢たちが押し込められている部屋なのだろう。中からはすすり泣く声や、ヒステリックに叫ぶ声が微かに漏れ聞こえてくる。
ここはやはり、美しいだけの監獄だ。
けれど、シロクマはそれらの部屋には目もくれず、螺旋階段を上り、さらに奥へ、上へと進んでいく。
やがて辿り着いたのは、最上階の突き当たり。
そこには、他の部屋とは一線を画す、金色の装飾が施された巨大な両開きの扉が鎮座していた。
「……ここです」
シロクマがおもむろに扉を開け放つ。
その瞬間、溢れ出した光に私は思わず目を細めた。
「……あら」
ノエルが素で感嘆の声を漏らし、私も言葉を失った。
そこに広がっていたのは、部屋というよりは、一つの家と呼べるほどの広大な空間だった。
高い天井にはクリスタルのシャンデリアが煌めき、床には足首まで埋まりそうなほど毛足の長い深紅の絨毯が敷き詰められている。
壁一面の巨大な窓からは、王都のパノラマが一望でき、そこから注ぐ陽光が室内の白亜の家具を神々しく照らし出していた。
手前には十人は座れそうな豪奢なソファセットを備えたサロン。
その奥には、天蓋付きのキングサイズのベッドが鎮座する寝室。
さらにチラリと見えた隣室には、猫足のバスタブを備えた大理石のバスルームまで完備されているようだ。
テーブルの上には、山盛りのフルーツと、最高級の茶葉が入った銀のティーセット。
花瓶には、この季節には咲かないはずの大輪の薔薇が生けられている。
私は呆然と室内を見渡した。
明らかに待遇がおかしい。
ここは、十把一絡げの人質を入れる部屋ではない。
国賓――いや、この国の正妃となるべき女性を迎えるための、ロイヤルスイートだ。
「いかがでしょうか」
シロクマが、まるで最高傑作を披露する芸術家のように胸を張り、侍女の変装をしている私に向かって感想を求めてきた。
「……あの、私に聞かれましても」
「南向きで、一番風通しが良い。家具は全て最高級の素材で設えてあります。……お気に召しましたか?」
重ねて問われ、私は助けを求めるようにノエルを見た。
ノエルは口元に手を当てながら、ひきつった笑みを浮かべている。
(……どういうことですの? って顔ですね、分かります)
私も分からない。
けれど、ここで否定するわけにもいかない。
私は諦めて、小さく頷いた。
「……ええ。とても、素晴らしいお部屋だと思います」
その言葉を聞いた瞬間、シロクマの表情がパァァァッと輝いた。
「よかった……! では、ごゆっくりお寛ぎください。何かあれば、テーブルにある呼び鈴を。どのような些事でも、私が直ちに駆けつけますので」
シロクマは深々と一礼すると、名残惜しそうに何度も私を振り返りながら、ようやく部屋を出て行った。
バタン、と重厚な扉が閉まる。
途端に、部屋の中に静寂が戻った。
「…………」
「…………」
私とノエルは顔を見合わせる。
ノエルは呆れたように肩を竦めた。
「……随分と、熱烈な歓迎でしたわね」
「ええ。……おかげで、一番良い監視場所が手に入りましたけど」
私は窓辺に歩み寄り、眼下に広がる景色を見下ろした。
ここなら、離宮全体の構造も、人の出入りもよく見える。
ゼファレスの首を取るのにこれほど豪華な隠れ蓑はない。
……贅沢すぎて、逆に居心地が悪いことを除けば。
「はぁ〜……つっかれましたわぁ」
ノエルは深紅のソファにその身を投げ出した。
ドレスの裾を乱雑に広げ、紫色のヒールを投げ捨て、ふくらはぎを揉みほぐしながら令嬢らしからぬ格好で天井を仰ぐ。
「あのシロクマ、何なんですの? 目がイッてましたわよ。……女王様だなんて」
「私も予想外でした。……でも、敵対されていないだけマシです」
「いえ、待ってくださいな」
ノエルが身を起こし、鋭い視線を私に向けた。
「なぜ女王様なのです? 侍女のあなたに、そんな呼び方をするなんて。しかも、あの熱狂ぶり……まるで――」
彼女は私の頭を見つめた。正確には、髪に隠された角を。
「……その角と何か関係が?」
「ええ。カグツチと番になった影響で、後天的に竜種化しました」
「だとしても、あそこまで……」
「恐らく、メスの竜種だからでしょう」
私は静かに告げた。
「竜種のメスは――絶滅しています。シロクマは、300年ぶりにメスを見たのです」
ノエルは目を見開き、それから深くため息をついた。
「……なるほど。だから女王様……本能が暴走しているのですわね」
「ええ。おかげで味方ができましたが……少し重いですね」
「少し、ですの? あれは相当ですわよ」
二人は顔を見合わせ、苦笑した。
「シロクマはグレイシャルの竜でしたわよね……なぜ、後宮の管理人の真似事などさせられているのです?」
恐らく、ドラグマキナ徴用制度は既に始まっていると考えていい。
私はソファに転がるノエルを見据えた。
「――ドラグマキナ徴用制度。アシュレイから聞いた、ゼファレスの新たな施策です」
「徴用、ですの?」
「ええ。表向きは竜を持たぬ王家へ、貴族が一時的に竜を貸し出すという名目の協力要請。けれど実態は、貴族の牙を抜き、王家の道具として再利用するための仕組みです」
私は窓の外、暗闇に沈む王城の方角を見た。
そこには、かつてグレイシャル卿が誇らしげに従えていたシロクマが、今はただの番人として使役されている現実がある。
「グレイシャル卿は近衛騎士団長の座を追われました。恐らく、家を守るための交換条件として、シロクマを差し出したのでしょう」
「……あんなに誇り高い方でしたのに」
その瞳には、侮蔑ではなく、純粋な驚きと微かな怒りが宿っていた。
「家格を守るために、竜を――家族を差し出す。それが今の貴族たちの生き残り方なのです」
「もし……その制度が三年早く実行されていたら、スコット家は間違いなくセンスを王家に差し出していたでしょうね……」
ノエルは吐き捨てるように言った。
「大昔はどうだか知りませんが、今の貴族にとって竜なんてそんなものですわ」
その言葉には、かつて道具として扱われていたセンスの姿と、それを当然としていた自分自身の家への嫌悪が滲んでいた。
その時だった。
――コン、コン。
窓ガラスが、外側から叩かれた。
「――ヒッ!?」
ノエルが短く悲鳴を上げ、飛び起きる。
無理もない。ここは塔の最上階だ。足場などない断崖絶壁の上。
外からノックができる存在など、鳥か、幽霊か――。
私は警戒しつつ、厚手のカーテンを少しだけめくった。
闇夜に浮かんでいたのは――赤銀を夜風に揺らし、ほんの僅かに頭や肩に雪を積もらせたカグツチの姿だった。
「……カグツチ」
私が鍵を開け、窓を押し上げると、夜風と共に大柄な男が音もなく室内に滑り込んできた。
「よっと」
カグツチは足音ひとつ立てずに深紅の絨毯に着地すると、パンパンと肩についた雪を払った。
「カ、カグツチ……! 心臓が止まるかと思いましたわ!」
ソファで跳ね起きたノエルが、胸を押さえて抗議する。
カグツチは悪びれる様子もなく、「ごめんねー」と短く片手を挙げた。
「よく竜体にならず最上階まで来れましたね」
「壁の出っ張りを伝って。ほら、前にロボがやってたやつ。あれを真似してみた」
カグツチは事もなげに言うと、警戒する様子で部屋の中を見渡した。
豪奢な家具、温かな暖炉、山盛りのフルーツ。そして、ふかふかの絨毯。
「……にしても。随分といい部屋に通されたね?」
「いえ、間違いなくここは鳥籠です。……少し、豪華すぎますがね」
私は苦笑して、テーブルに置かれていたタオルをカグツチに渡した。
彼はそれを受け取り、濡れた髪を拭きながらニッと笑った。
「ま、好都合じゃん。最上階なら見晴らしもいいし」
カグツチは窓辺に立ち、眼下に広がる離宮の闇を見下ろした。
その背中は頼もしく、先ほどまでの不安が嘘のように消えていく。
そうだ。私たちの目的は――ゼファレス・ファ・ヴォルシュタインの首を取ることだ。
この離宮は、ゼファレスが作り上げたコレクションボックス。
彼が執着する貴族という駒が集められた場所だ。
ならば、管理のために必ず彼本人が姿を現す時が来る。
最強の矛であるカグツチ。
機転と演技力を持つノエル。
そして、竜種となった復讐者である私。
役者は揃った。場所も確保した。
あとは、この黄金の鳥籠の中で、獲物が油断して扉を開けるのを待つだけだ。
私は窓の鍵をしっかりと掛け直した。美しい牢獄の夜は、まだ始まったばかりだった。




