67.道化たちは門を潜る
数時間後。
日も落ちかけた頃、私たちは王城の裏門――後宮へと続く通用口の前に立っていた。
そこは、王城の敷地内でありながら、異様な静寂に包まれていた。
目の前には、城壁と後宮を隔てる深く暗い人工の谷底が口を開けている。
その闇の上に架かるのは、巨大な鉄鎖で吊られた一本の跳ね橋のみ。
その先にあるのは、冷たい石造りの離宮だ。
本城と同じ堅牢な造りでありながら、どこか墓標を思わせる静けさで、夕闇の中に白く浮かび上がっている。
「……あれは確か、白の離宮。百年以上前に、心を病んだ王妃を幽閉するために使われていた場所だと聞いたことがあります」
私は橋の向こうを見上げ、忌々しげに呟いた。
「長い間封鎖されていたはずですけれど……まさか、ここを後宮として再利用するなんて。中身を改装しただけで、本質は牢獄のままですね……」
ゼファレスは一週間で城を建てたわけではない。
王城の敷地内に眠っていた、最も脱出困難で、最も外聞の悪い王族の監獄を叩き起こし、そこに貴族の娘たちを押し込めたのだ。
一度入れば二度と戻れぬ、美しき鳥籠。合理の化身である彼らしい、あまりに効率的で残酷な手際だった。
カグツチは、夜まで倉庫に残って身を隠し、私たちが後宮に乗り込んだら忍び込む手筈だ。
橋のたもとには、武装した近衛兵たちが立ち塞がっている。
「止まれ。何用だ」
兵士たちは怪訝そうに、大柄なロボと、華奢なノエルを見比べた。
「……ゼファレス様の命により、ノエル・センス・スコットを連行した」
ロボは低く、腹の底に響く声で告げた。
そして、相手が何か言う前に、ぎろりと金色の瞳で兵士を睨みつける。
「ロボウノイシ……拘束具はどうした?」
「あァ? 壊れたから捨てた。……文句あんのか?」
ロボが凄むと、兵士たちはたじろいだ。
制御装置を自ら外した狂犬。関わればただでは済まない――その恐怖が、彼らの職務意識を鈍らせる。
「い、いや……失礼した、通ってよし!」
兵士が慌てて敬礼し、道を開けようとする。
しかし、私の姿を見て槍を止めた。
矛先が私に向く。
私は深く頭を下げ、顔を伏せた。
今の私は、燃えるような赤髪を、左右の髪だけ角を隠すように巻き上げてお団子にし、残りを背に流したハーフアップ姿。
さらに分厚い眼鏡をかけ、そばかすメイクを施し、ロングスカートのメイド服を纏った地味な侍女だ。
誰も、かつて社交界の華と呼ばれたルシア・ヴァレットだとは気づかない。
「侍女の帯同は許可されていない。許可されているのは荷物と貴族の道具のみだ。竜なしなら荷物は自分で持て」
兵士が槍を交差させ、冷たく言い放つ。
私の思考が止まった。
侍女は駄目。許可されるのは荷物と竜だけ。
まるで竜と令嬢はセットだと言わんばかりの口ぶりだ。
けれど、ここで引き下がるわけにはいかない。
私は眼鏡の位置を直し、とっさに声を張り上げた。
「お、お待ちください! このような重い荷物を、か弱いお嬢様に持たせるなど……あんまりです!」
私は咄嗟にノエルを背に庇うように、槍の前に立ちはだかった。
主を守ろうとする、健気な侍女の演技。
しかし、兵士は冷酷な目で私を見下ろし、切っ先を突きつけた。
「黙れ。規則だ。……それとも、貴様がここで斬られるか?」
「ひゃっ……!」
鋭い殺気。私はわざとらしく肩を震わせ、青ざめた顔で押し黙り――そして、背後のノエルへ視線で合図を送った。
(ダメです。正攻法の抗議は通じません)
私の意図を汲み取ったのだろう。
その先を考える間もなく、ノエルはレースのハンカチで口元を押さえ、よろりと――今にも倒れそうなほど儚げに、その場に崩れ落ちかけた。
「……まぁ。なんと無慈悲な……っ」
か細い、鈴の音のような声。
先ほどまで「私の輝きで影が消える」と豪語していた人物とは別人のような演技力だ。
「ご存知でしょう? 我が家にはもう、竜がおりませんの。……このか弱い腕では、重い荷物ひとつ持つこともままなりませんわ……うぅっ」
ノエルは涙を拭うふりをして、兵士たちを上目遣いに見つめた。
「着替えも、髪を結うのも、全て人の手を借りねばなりませんの。……それとも、殿方はか弱いレディに肉体労働を強いるおつもり? 竜を失い、心細い身の上だというのに……しくしく」
その、あまりの手のかかりそうな令嬢ぶりに、兵士たちはげんなりとした顔をした。
そこへ、ロボが追い打ちをかけるように、わざとらしく舌打ちをする。
「おい、勘弁してくれよ。こいつが中で倒れでもしたら、運ぶのは誰だ? 俺か? それともお前がやってくれんのか?」
ロボは「やってらんねェ」とばかりに頭を掻いた。
「ただでさえ王都までの道中、やれ足が痛いだの、水を持ってこいだのうるさかったんだ。……こいつの介護、お前らに出来るのか? 侍女に全部押し付けた方が楽だろ」
ロボの「俺に面倒をかけさせるな」という主張は、兵士たちの同情と納得を誘った。
もし機嫌を損ねて暴れられたら、被害を被るのは自分たちだ。
「……チッ。違いない」
兵士たちは顔を見合わせ、やがて呆れたように鼻を鳴らした。
「侍女一人増えたところで脅威にはならんだろう……面倒事を起こすなよ」
侮り、そして面倒事への忌避。
それこそが、私たちの最大の通行手形だった。
重厚な門が、音を立てて開く。
私は眼鏡の奥で、鋭く目を細めた。
待っていなさい、ゼファレス。
あなたが鞘と呼んだヴァレット家最後の令嬢はいない。
お前の前に現れるのは――業火を纏った、お前の首を欲しがる処刑人だ。




