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淡い陽だまりの色をした瞳の少年

 『――そうすれば、カグツチとルシア・ヴァレットには手を出さない』


 俺と同じ瞳の色をした男が言う。

 やがて俺は何かを飲み干して――内側から焼かれるような激痛にのたうち回る。

 その幻の中で受けた痛みはあまりに鮮烈で、思い出すだけで涙が滲むほどだった。


 その記憶を夢と呼ぶのだと母に教えられたのは、五つの頃だった。

 俺は生まれたときに見た、たった一度きりのその光景を今でも昨日のことのように覚えている。


 カグツチに話しても、あまりピンとこないようだった。

 うまく説明できず、話しているうちに恐怖が蘇って泣き出した俺を、カグツチは「大丈夫だよ」と抱きしめてくれた。

 その温かさだけが、俺の拠り所だった。


 運命の歯車が噛み合ったのは、俺が七歳の時だ。

 祖父の代からの縁談――かつて祖父が野盗に襲われていた夫婦を助けた礼にと、トントン拍子で進められた話だった。

 三歳の、まだ年端もゆかぬ少女が、お前の婚約者だと紹介された。

 その名前を聞いた瞬間、俺の全身から血の気が引いた。


 彼女の名は、ルシア・ヴァレット。

 ――夢で聞いた名だ。


 俺はルシアが怖かった。

 彼女の名前は、俺を死という暗闇へ引きずり込む引導のように思えたからだ。だから俺は、自分から会いに行くことは決してしなかった。


 それでも、年に一度の挨拶だけは避けられない。

 無理やり二人きりにさせられ、頼みの綱のカグツチも父に連れて行かれてしまう。


 当時、五歳になった彼女と何を話せばいいのか、俺には分からなかった。それは彼女も同じだったようで、互いに言葉を探すだけの重苦しい時間が過ぎていく。


 それでも――その沈黙の中で、ルシアは懸命に言葉を紡いでくれた。

 たどたどしく、けれど真っ直ぐに俺を見て。


「アルトの瞳は、淡い陽だまりの色ですね」


 ――そんなこと、ないよ。

 喉元まで出かかった否定を、俺は飲み込んだ。


 これは、竜種の特徴である金色の瞳だ。

 かつて、ある貴族に吐き捨てられたことがある。()()()()だと。

 気になどしていないつもりだった。けれど、今になって気付く。俺はずっと、あの言葉に傷ついていたのだ。


 アグレストの人間は、生まれつき力が強すぎる。

 それは人には知られてはいけないことらしく、隠すことを徹底された。理由は教えられなかったが、人と違うという予感だけはずっとあった。


 人と違う――俺の金色の瞳を、道具の色だと言った貴族は、きっとそれを感じ取っていたのだろう。


 それから――少しずつ、ルシアへの印象が変わっていった。

 会うたび、彼女は「アルト」と呼んでくれた。

 慕ってくれているように見えた。それが嬉しかった。


 それからの俺は単純だった。

 気づけば、ヴァレット領へ行く用事があると聞くたび、両親に付いていくようになっていた。

 あの言葉は、彼女が教育係に叩き込まれただけの社交辞令だったのかもしれない。

 それでも、俺には嬉しかった。ただ、会いたかった。


 けれど――そんな幸せな時間が長く続くはずがないことを、俺は知っていた。

 遠くない未来、身体が内側から焼かれ、彼女の前から消えてしまうことを。


 夜毎、血が内側から暴れまわる。熱いのに、指先は氷のように冷たい。

 これは夢じゃない。記憶だ。

 視界が明滅するたび、足元の底が抜けていくような、底知れぬ恐怖が這い上がってくる。

 死ぬのが怖い。無に還るのが怖い。あの暗闇に一人で落ちていくのが、たまらなく恐ろしい。


 けれど。

 震える膝を抱えて、恐怖の淵で思うのは――今はもう、自分のことじゃなかった。

 

 ――俺がいなくなったら、ルシアはどうなる?


 竜なき家の重圧と、厳格な家訓に縛られて。

 やがて、家のための政略結婚を強いられるだろう。

 気丈に見えるルシアを、周囲は強い女だと勘違いするかもしれない。

 けれど本当は、誰より優しくて、誰より傷つきやすいのに。

 誰にも理解されないまま、たった一人。心を許せる相手もいないまま、この冬のような世界で心を凍らせて生きていくのだろうか。


 二十歳を迎えてすぐに、俺は死ぬ。

 そうしたらルシアは、あの紫水晶(アメジスト)のような瞳を濡らして――俺の後を追って、壊れてしまうかもしれない。


 今では、自分の死よりも――それが一番怖い。


 ◆


 『我が命を臓器(いかり)と成せ。君が心を燃やす限り、我は無に還らん』


 この言葉の真意が、祈りなのか、呪いなのか――当時の俺には判別がつかなかった。

 ただ、幼いルシアにそのまま伝えるには、あまりに言葉が鋭利すぎると感じた。

 だから、俺は優しく読み替える。

 解釈を委ねられた神話の言葉を、幼い君が怖がらないように。

 「ずっと一緒だ」と。


 ◆


 両親が亡くなった。流行り病だった。

 遺品を整理する最中、父の書斎の奥に隠し部屋を見つけた。

 そこで埃を被っていた、一冊の古びた手記。

 そこに記されていたのは――俺の予感を、残酷な確信に変える真実だった。

 やはりアグレストの人間は、人ではなかったのだ。

 その手記に残された記述を頼りに、運命を変える手掛かりを求めて――俺はカグツチと世界の果てを目指した。

 けれど、そこに答えはなかった。

 あったのは、世界を閉ざすような猛吹雪と、俺の死を告げる静寂だけ。


絶望的な確率を計算し、膝を抱える俺の横で――カグツチは窓の外を眺め、あくび混じりに言ったのだ。


「あーあ、よく降るなぁ。……ねぇアルト、明日は晴れるかなぁ。もっと先に行きたいんだっけ?」


 晴れるわけがなかった。

 この季節の辺境は、一度荒れれば一週間は吹雪く。食料も底を尽きようとしていた。

 俺が首を横に振ろうとすると、カグツチはニッと笑って、とんでもないことを言った。


「ま、もし晴れなかったらさ――オレが空まで飛んで、雲を全部吹き飛ばしてきてやるよ」


「あはは……無理だよ」


「たぶん出来るよ。やったことないけど!」


 そう言って、カグツチは胸を張る。

 身体は俺より何倍も大きいくせに、言うことはまるで同い年の悪ガキみたいだ。

 本当に――世話の焼ける、我が家の竜。


 だけど。

 理屈も、気象も、運命も関係ない。

 邪魔なら吹き飛ばせばいい。

 そのあまりに単純で、傲慢で、頼もしい言葉を聞いた瞬間――俺の中で張り詰めていた恐怖が、ぷつりと切れた。


「……ふ、ははっ」


 笑いが込み上げてきた。

 俺は運命に怯えて、ここまで逃げてきたのに。

 隣にいるこの竜は、運命ごとねじ伏せるつもりでいる。


「……お前にかかったら、世界の終わりも、ただの天気の話みたいだ」


 ああ、そうだ。お前がそう言うなら、明日はきっと晴れる。

 俺がいなくなっても、お前がいる世界は、いつだって晴れだ。

 それに気付けただけで、ここに来た意味があった。

 むしろ、このために俺はここに来たのだと確信した。


 俺は、濡れていた頬を袖で乱暴に拭った。

 そして、きょとんとしている()()を見上げた。


「カグツチ。俺はもう十分泣いた」


「え? なに、どうしたの急に」


「俺はもう自分のためには泣かない。残りの時間は全部、ルシアとお前のために使う」


 ――ルシアの明日は、きっと晴れる。


 ◆


 だから、決めたんだ。

 もし、俺の死が君を傷つけるだけの悲しみになるのなら。

 いっそ、君を生かすための怒りになればいい。


 悲しみは足を止めるけれど、怒りはきっと君を前へと進ませる。

 例えそれが呪いになってしまったとしても、君には生きてほしい。

 人と違う俺の金色の瞳を、淡い陽だまりと呼んで愛してくれた君には、どうか未来を歩んでほしい。


 もし、君がどんな道を選んだとしても――君の生きるよすがになれるのなら。

 俺は喜んで、君の心臓になろう。

 君が俺を想って心を燃やしてくれるなら、俺はその炎の中で何度でも甦る。


「――大丈夫。君の明日は、きっと晴れるよ」


 どうか、君の明日が晴れますように。

 たとえ俺がいなくなっても、君の明日が晴れるその日まで。


 俺が君の怒り(いのち)であり続けられますように。

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