49.ゼファリオン・ファ・ヴォルシュタイン
「私は消えません、か」
ロボは私の言葉を反芻するように呟いて、しばらくの間、呆気にとられたように私を見つめていた。
やがて、喉の奥でくつくつと笑い声を漏らす。それは嘲笑ではなく、どこか懐かしいものを思い出すような響きだった。
「まぁ、座れよ」
そう言ってロボは私にベッドに座るように促した。
長話になる、と言うことだろうか。私は覚悟を決めてベッドに腰を降ろし、神話書を膝の横に置いた。
「ゼファリオンがなんで前の王家を潰したか分かるか?」
唐突な問いだった。
もちろん、答えられるわけもなく。私はただ首を傾げながら言葉を選ぶ。
「前王家が竜の女王の腰巾着に過ぎず、最後のメス竜の死によってその支配の正当性が失われていたから――ではないのですか?」
ロボは笑いながら「ちげぇ」と首を横に振った。
「ゼファリオンがヴォルシュタインを名乗る前は、先祖代々辺境の地に隠れ住んでいたらしい。この城より更に奥だ。ゼファリオンが死んだあとに行ってみたが――何もねぇ場所だった」
「なぜ、このような痩せた土地に……」
「80年前、あの過酷な地で、ゼファリオン以外の一族はみんな死に絶えたらしい。誰のせいでもねぇ。寒さと飢え――あとは、閉ざされた集落での近親の血の限界か」
とても人が住めるとは思えないこの過酷な環境下にわざわざ定着した――ゼファリオンの一族は過去に罪でも犯したのだろうか。
視線で話の先を促すと、ロボは続けた。
「たった一人残されたゼファリオンは、生きるために王都を目指した。辿り着いた先で奴が見たのは、竜種が貴族にボロ雑巾のように扱われている姿だった。そんでゼファリオンはブチ切れたのさ。自分たちを辺境に追いやった人間への怒りと、竜種への扱いに腹を立ててな」
聞きたいことは山ほどあったが、話にはまだ続きがありそうだ。
「――俺はよぉ、リオンの事は嫌いじゃなかったんだぜ」
ロボはまるで大切なものを扱うかのように、愛おしげにその名前を呼んだ。
名を奪われ、改名までされた竜が、そんな控えめな言葉で語るだろうか。
ロボの不器用な言い回しの裏には、もっと深い想いが隠れている。
彼は間違いなく、ゼファリオンを敬愛していた。
ロボは鼻で笑いかけて――ふっと目を伏せた。
「ゼファリオンは竜種を救うために前王家をぶっ潰した――竜種が踏みにじられない世界を奴は作ろうとした。リオンの見てた世界だけはよ、俺ァ……命ごと預けてもいいって思っちまったんだよ」
ロボはゆっくりと語り出す。まるで、親友との思い出話を語るように。
「だから家を捨ててやった。アイツの賭けに乗ってやった。奴の元には俺以外にも賛同した竜種が集まった――デッドアッシュもその一人だ。俺達はケツ持ちして王の椅子まで用意してやった……まぁ、実際に王を押し上げたのはデッドアッシュの火力と、ゼファリオンのでたらめな強さだけどな」
「ゼファリオンは貴族から竜を奪ったのではなかったのですね……」
「いや、奪ったぞ。身体一つで屋敷の扉ぶち破って強奪してった。逆らえば貴族をぶん殴ってな……王座についた後に無理やり正当化させただけだぞ。イカれてやがる。後にも先にもあんな正々堂々とした強奪見たことねェよ」
懐かしそうに笑みさえ浮かべるロボのそれは、アシュレイがゼファリオンを語るとき――祖父を思う瞳と同じだった。
「でもな――この国の病巣は貴族だ。王家を滅ぼしたところで貴族を滅ぼさなきゃ竜種は救えない」
ロボは短く吐き捨てるように言った。
「それに気付くより先にリオンは突っ走って王家を潰しちまった。勢いばかりで先が見えねぇのはあいつの悪い癖だったな……ったく、後は俺の名前さえ最強にしてくれてりゃ、もうちょっとマシな未来になってたかもしれねェのにな」
一瞬、聞き間違えかと思った。
いや――違う。ロボは確かに言った。
名前さえ最強にしてくれれば、と。まるで自分の名前を自ら差し出したような言い方だった。
「……ロボ、あなた……まさか、自分の意思でゼファリオンから命定改名を受けたと言うのですか?」
問いかけに、ロボはふうっと浅く息を吐く。
「……あぁ。リオンが王座に付いてからの話だ。貴族達を見返すような力の象徴になる名に変えてくれって頼んだのによォ……王立研究所総出で、古文書引っくり返して、あーでもねぇこーでもねぇって……必死こいて名前探して……結果は、ご覧の有様だ」
ロボは肩をすくめて、どこかやるせなげに笑う。
私の頭は混乱していた。
ゼファリオンの息子である現国王レヴォネスも、孫であるゼファレスも――その思想を受け継いでいるとは、到底思えなかったからだ。
「その話が本当なら、なぜその意志は一代で潰えたのですか?」
「この国じゃ昔から、貴族の声がデカい。即席の王の言葉なんざ、誰が聞くかって話だ」
ロボの声には、静かな怒りが滲んでいた。
「だからゼファリオンは、時間をかけて――ゆっくり解放していくつもりだった。次代にその思想を残して、いつか竜種を自由にするつもりだった」
整理が追いつかなかった。
ゼファリオン前王は竜種を救おうとしていた――?
「……レヴォネスはどうだったんだろうな。アイツは命定改名は発現しなかったが政治は上手かったんじゃねぇか。現に下級貴族程度は従うようになってる。でも、それをぶち壊そうとしてンのがゼファレスってわけだ」
その名前を吐き捨てるように、ロボの口調が鋭くなる。ロボの握りしめた拳がギリギリと音を立てていた。
「あの馬鹿孫は、リオンのやり残した夢を効率悪いの一言で切り捨てやがった」
ロボの言葉には、強い感情が込められていた。
ゼファレスに向けられた憎悪の奥に、かつてゼファリオンに託した――確かな信頼と期待が垣間見えるようだった。
けれど、私には疑問が残る。
「……ですがロボ。貴族から竜を奪い、自分の元へ集める。やっている行いそのものは、ゼファリオンも今のゼファレスも同じに見えます」
私はロボの目を真っ直ぐに見つめた。
「ゼファリオンは力ずくで奪い、ゼファレスはドラグマキナ徴用制度で奪う。……貴方が愛した王と、貴方が憎む王太子。その二つに、どのような違いがあると言うのですか?」
「全く違う。ゼファリオンが目指したのは解放だ。ゼファレスは――結局のところ管理だ。貴族と何も変わらねぇ」
ロボウノイシは、窓の外を睨む。
私には、そうまでしてゼファリオンが竜種に尽くす理由が分からなかった。
なにか一つ、決定的なピースが抜け落ちている気がする。
「なぜゼファリオンが解放なんて夢物語を掲げたか分かるか? ……あいつだけは、知ってたからだよ」
私が息を呑む気配を感じてか、ロボはゆっくりとこちらに向き直った。
金色の瞳が、射抜くように私を捉える。
「――同胞なんだよ、ヴォルシュタインと俺達は。命定改名も、怪力もその名残だ」
その言葉を聞いた瞬間、私の思考は一瞬、真っ白になった。
「神話のその後――竜の因子を強く継いだのが、俺たち竜種だ。こいつらは知っての通り王家が管理することになった。そして……人間の因子を強く継いだのが、ヴォルシュタインの祖先だ」
そこで言葉を一度切り、ため息混じりに言った。
「竜の血が混じった人間は見た目は角も尻尾もない普通の人間だ。もちろん竜体にもなれねェ。でも普通の人間より遥かに強靭すぎた。だから危険視されて、北の辺境の地へ追いやられたらしい。その辺の詳しいことは俺は知らねェ。五千年前の話だしな」
もしそれが本当だとすれば、竜種もヴォルシュタインも、起源を同じくする存在。
だというのに、今、ヴォルシュタインの手によって、再び竜たちは管理という名の檻に入れられている。
辺境で孤独に生きたゼファリオンが、王都で貴族に虐げられる竜種を見て激怒した理由。
それは正義感じゃない。生き別れた兄弟が奴隷にされているのを見た、身を裂くような怒りだったのだ。
ロボが、さっき吐き捨てるように言った言葉の意味が、重くのしかかってきた。
ふっと、ロボは首を鳴らし、天井を仰いだ。
けれどその瞳はどこか虚ろで、まるで過去の風景をなぞっているかのようだった。
「竜種の解放は――難しいだろうな。頭がすげ変わっても貴族がいる限り叶わねぇ。でもゼファレスのやろうとしてることが正解だとは死んでも思わねえェ」
貴族はこの国の病巣――その言葉が重く伸し掛かる。
虚しさに視線だけが落ちると、指先が自然と熱源を探し彷徨っていたことに気が付いた。
けれど、指先が触れたのは冷え切ったシーツの感触だけ。
私はハッとして手を引っ込め、強く拳を握りしめた。
「……俺はな、ゼファリオンがくれた名に、あいつの信じた未来に――意味があったってことを証明したいだけなんだよ」
ぽつりとこぼしたその声は、先ほどまでの怒りよりもずっと静かで、ひどく遠い。
彼の中でずっと燻っていた、たったひとつの火種のようだった。
「アシュレイ様の子孫に名前を戻してもらうと言っていたのは嘘だったのですか?」
少しいじわるを言ってみる。
ロボは照れくさそうにケッ、と吐き捨てるとわざとらしく頭を掻いた。
「うるせェ! 命定改名が発現するまで末代まで張り付くっつってんだろ!」
ロボは椅子から立ち上がり、一歩、私に近づいた。重たい足音が、冷たい床に響く。
そのまま私をじっと見つめた。その瞳に宿るのは、諦めにも似た静けさだった。
「アシュレイはお前を王座に座らせたいっつってけどな――ルシア、お前じゃ無理だ。お前の目は復讐しか見てねぇ。今のままじゃ、ゼファリオンと同じ場所には立てねぇよ」
「……立つつもりもありませんが」
突き刺すような言葉だったが、ロボの声に侮蔑はなかった。
私は王座を望まない。正義も救いもいらない。私が望むものを手に入れた時――その後には何も残らない事は最初から分かっている。
「アシュレイも……王って柄じゃねぇしな。まぁ、あいつはあいつで勝手に考えてるんだろ」
そう呟いたあと、ロボは部屋の入り口へと歩いていく。
もう話は終わり、と言うことなのだろうか。
扉に手をかけたところで、ロボの足が止まる。
「……おい、ルシア」
振り返りもせず、彼は低く言った。
「番になるってのは、ただの契約じゃねェ」
「……?」
「お前らが繋がれば、もう二度と元には戻れねェってことだ。カグツチの命はお前のモンになるし、お前の命もカグツチのモンになる。一度宿った臓器は引き剥がせねェ」
ロボウノイシの声には、重い実感がこもっていた。
それは、かつてゼファリオンと共に歩み、そして彼の意志の炎が消えるのを見た竜だからこその言葉だったのかもしれない。
「今のあいつは不安定だ。でも竜種は見ての通り丈夫だ。すぐくたばるわけじゃねェ」
ロボが扉に触れると、ギイ、と蝶番が軋む音が響く。
「このドアを開けて一歩踏み出せば、もう引き返せねェ。……よく考えろ。復讐のためだとか、義務だとか、そんな綺麗事で自分を騙してねェか」
彼は少しだけ顔を巡らせ、私を横目で見た。
その瞳は、いつになく真剣で――どこか、危なっかしい孫を見るような色をしていた。
「奥の部屋に飯を置いとく。今日一日ここで頭冷やして考えろ――後悔しねェ方を選べよ」
バタン、と。
重い音を立てて扉が閉ざされた。
部屋には私一人。
――後悔しない方を選べ。
ロボウノイシが残した言葉が、静寂の中でいつまでも反響していた。
けれど、今の話を聞いて更なる確信を得た。
神話のその後が、今もこうして続いている。それは即ち――竜の番になった人間が消えなかったことの何よりの証明だった。




