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41.女王の巣

 先ほどまでマズルを踏み潰し、カグツチにふっ飛ばされて怒りを撒き散らしていた凶悪な面構えはそのままに、エプロン姿、そしてなぜか手にはおたまが握られている。

 この城の「異様さ」の質が、少しずつ変わってきている気がした。


「早くしろよ。冷めるだろうが」


「……すみません、少し話し込んでいて」


「ケッ。どうせ湿気った話だろ」


 ロボウノイシは鼻を鳴らすと、おたまを指揮棒のように振って廊下の先を示した。

 

「こっちだ。アシュレイは執務室に籠もってる。飯は勝手に食えとよ」


 案内されたのは、天井の高い食堂だった。

 長い長方形のテーブルには、やはり人間用とは思えない大皿が並んでいる。

 部屋に入った瞬間、湯気と共に濃厚な香りが鼻腔をくすぐった。

 肉と根菜を煮込んだ匂いだ。

 

「……これ、お前が作ったの?」


 カグツチが素っ頓狂な声を上げた。

 無理もない。テーブルの中央に鎮座する大鍋の中身は、野菜と肉がごろごろと入った、いわゆる家庭的なポトフのような料理だったからだ。

 色合いは茶色一色で無骨そのものだが、丁寧にアクを取った形跡がある。


「あァ? 文句あんのか」


「いや……意外すぎて。石食べてるのかと思ってた」


「俺の名前のイシはたぶんその石なんだろうけど食わねぇわクソガキッ!! ……ほら、座れ」


 促され、私は席に着く。

 カグツチも私の隣に座り、ロボウノイシは向かい側にどっかと腰を下ろした。

 黒竜は慣れた手付きで私の皿にスープと具材をよそい、カグツチの皿には――鍋を傾けて、残りの全てを流し込んだ。


「……配分の差がすごくない?」


「てめェの図体維持すんのに上品に食ってられるかよ。ほら、パンもあるぞ」


 山盛りの硬焼きパンが籠ごとドンと置かれる。

 

「いただきます」


 私はスプーンを手に取り、スープを口に運んだ。

 ……美味しい。

 野菜は柔らかくなるまで煮込まれ、肉はほろほろと崩れる。塩加減も絶妙だ。

 我が家の食卓に並んでいた洗練された味ではない。けれど、冷え切った身体の芯に染み渡るような、温かい味だった。


「……見た目以上に繊細な味がしますわ」


 作った料理にとやかく言うつもりはない。文句なしに美味しい。しかし作った本人がこの粗暴を形にしたような竜だと言うことが未だに信じられない。

 率直な感想を漏らすと、ロボウノイシはふん、と顔を背けた。


「当たり前だ。アシュレイの野郎は生活能力が皆無だからな。放っておくとコーヒーだけで数日過ごしやがる。誰かが世話しなきゃとっくに野垂れ死んでる」


 その言葉を聞いて、私は思い切って尋ねた。


「……一つ、お聞きしてもよろしいでしょうか」


「あァ?」


「この城は――竜のために建てられたのではありませんか?」


 私の問いに、ロボウノイシの手が止まった。

 客室の巨大なベッド、異様に大きな扉や廊下、そしてこの食堂。

 全てが、竜の体格に合わせて作られている。


「客室の竜用ベッド、この食堂の大きな皿……まるで、竜が主のように」


 ロボウノイシは、私をじっと見つめた。

 その目には――何か、複雑な色が浮かんでいた。


「ここはな、『メス竜』どもの巣だった場所だ」


 ロボウノイシは、忌々しそうに天井を見上げた。


「五千年も続いた前王家が、メスを囲うために管理してた離宮だよ。……三百年前、最後のメスが死んでからは空き家になってたがな。それを八十年前に、ゼファリオンが見つけて根城にしたんだ」


 だから設備がすべて竜仕様なのか。

 私は納得すると同時に、妙な寒気を覚えた。


「……ということは、あの巨大なベッドは」


「あァ。かつて女王様たちが寝そべって、俺たちオスを顎で使ってた玉座みたいなもんだよ。部屋数は腐るほどある……見るだけで胃が痛くなるぜ」


「……胃が痛くなる、とは?」


 私が問うと、ロボウノイシは深いため息をついた。


「てめェらは知らねェだろうがな。竜種のメスってのは、とんでもなく凶暴で、わがままで、傲慢なんだよ」


 彼は忌々しそうに、天井の高い食堂を見渡した。 


「前王家の連中は、別にメス竜を支配してたわけじゃねェ。……ただ傅いてただけだ。人間はただの執事。……実質的なこの城の主は、メス竜どもだったんだよ」


「……なるほど。支配ではなく、奉仕によって関係を維持していたのですね」


「あぁ、前王家とは名ばかり。その実態は悲しい中間管理職だ」


 巨大な設備に対する違和感が、すとんと腑に落ちた。

 ここは檻ではなく、神殿だったのだ。


「ですが、解せません。それほど大切に扱われていた女王たちが、なぜ自分の子であるオス竜を人間に渡し、道具にすることを許したのですか?」


 私の問いに、ロボウノイシは鼻を鳴らした。


「許した? 違うな。……あぶれたオスの斡旋先に、人間を利用したんだよ」


「斡旋……?」


「俺たちオスは、『尽くすことで幸福を感じる』ように出来てる」


 どくん、と心臓が跳ねた。

 センスが焚き火の前で語った、残酷な生態の理屈。


「竜の親子関係がそもそも人間と違って希薄だからな。メスの巣には、奉仕する席に限りがある。あぶれたオスは尽くす相手がいなくて不幸になる。……だから女王たちは、人間にくれてやったんだよ。『こいつらに代わりの主を与えてやれ』ってな。そうすりゃオスは幸せ、人間は武力が手に入って幸せ、女王様たちは巣が手狭にならなくて幸せ。……前王はそれを体よく貴族の証にしたってわけだ」


 冷徹なシステムだった。

 親子の情ではなく、種の保存と精神衛生のための機能的な判断。


「……メスがいなくなって『里帰り』がなくなったのは俺にとって朗報だけどな」


「里帰り?」


「貴族の家にいるオスが、一時的にこの城に戻って女王様たちの相手をする期間だ。……要は子作りだよ。そこで気に入られりゃ、しばらく城に滞在できる」


 ロボウノイシの目が、遠い過去を見るように濁った。


「だがな、そこは地獄の選別会場だ。メスの機嫌を損ねりゃ即半殺し。……俺みてぇに不器用なオスは、入り口で門前払いだ」


「不器用……確かにあなたは口は悪いですが、これほど甲斐甲斐しく世話を焼けるのであれば問題ないのでは」


 私の言葉に、ロボウノイシはバン! とテーブルを叩いた。


「てめェらは知らねェだろうがな! 竜種のメスってのはなぁ!」


 黒竜は大きく息を吸い込んで、溜める。

 その瞳には、かつて戦場で見た地獄よりも深い、生活という名の地獄が映っているようだった。


「返事はYESかハイ! 三秒以内に機嫌を察して最適解出せねぇオスは不要ッ! 即・選別対象!!

 いいか? 『お腹すいた』なんて言葉をメスに言わせたら、その時点でオス失格だ。

 言われる前に最高級の獲物を狩ってきて、皮剥いて骨取って口元まで運ぶのが最低ライン!

 そこで『さっき肉がいいって言っただろ』とか口答えしたら?

 首が飛ぶ!! 物理的にな!!

 角さえ折れなきゃ死なねェからって容赦がねェ!」


 ロボウノイシは立ち上がり、身振り手振りを交えて叫ぶ。


「寝床のシーツの素材を間違えればぶっ飛ばされて壁にめり込む!

 鱗の艶を褒めるタイミングがコンマ一秒遅れれば尻尾で打撃!

 オスに求められるのは強さじゃねェ、絶対的な『忍耐』と『隷属』、そして理不尽を飲み込む『包容力』だ!!

 俺みたいに『あァ!?』とか言っちゃう怒り持ちはその日のうちに土に還るんだよ!!」


 ぜぇ、はぁ、と肩で息をする黒竜。

 しかしカグツチの目が、完全に他人事だった。


「……よくそんな過酷な戦場で、子孫残せたね、お前ら」


 カグツチが半分呆れ、半分感心したように漏らすと、ロボウノイシは天を仰いで泣き叫んだ。


「だから残せてねぇんだよ! オレは敗北者! 淘汰されんの! オレだって怒りたくて怒ってるわけじゃねぇよ、本能がキレちまうんだよおおおお!!」


「……おかわいそうに」


「あぁ、もういい、笑えよ……どうせ俺は異常個体だ……」


 ロボウノイシはがっくりと項垂れた。

 

 ――そして、しばらくの沈黙の後。

 

 黒竜は、忌々しそうに、けれどどこか敗北感を滲ませて吐き捨てた。


「……だがな、あいつにだけは言われたくなかった」


「あいつ?」


 私が聞き返すと、ロボウノイシは顔を背けた。


「……てめぇんとこの竜たらしだよ」


 竜たらし――決して名誉ある呼び名ではないが、我が家の竜に対して同じ言葉をセンスも言っていた。


「スピカのことでしょうか……」


「聞きたくねぇ名前ナンバーワンをさらっと出すんじゃねぇ……」


 ロボウノイシがぎろりと私を睨みつける。


「…………『君、メスみたいだね』って言われたんだよ」


「……は?」


 カグツチが吹き出した。


「メスみたい? こんな粗暴なのが? 冗談キツすぎだろ、スピカも」


「……おいてめェ、ぶち殺すぞ」


 低い、地を這うような声。

 しかしカグツチは、さらりと返した。


「もしかして、自分でも少しそう思ってたの?」


「てめェ……!!」


 ロボウノイシは真っ赤になって絶句した。

 怒りで肩を震わせているが、図星を突かれたのか、あるいは「怒り」という感情こそが「メスみたい」と言われる所以だと自覚してしまったのか、言い返す言葉が見つからないらしい。


「俺はな、メスと同じ『怒り』の感情を持って生まれちまった。だからメスにモテねェし、あいつに『メスみたい』なんて言われるんだよ……!」


 彼は悔しげに持っていたスプーンの柄をぐにゃりと曲げた。そして慌てた様子でまた反対方向にぐにゃりと曲げて戻す。スプーンの柄は波打っていた。


「スピカの野郎だけは別格だった。あいつは全方位にモテやがった。気難し屋の女王も、スピカの前じゃ借りてきた猫みてぇに喉を鳴らすんだよ。……まさに『竜たらし』だ」


 センスが語っていた「スピカへの憧れ」の正体が、少しだけ分かった気がした。

 理不尽の塊のようなメス竜たちを手玉に取る。それは人間だけでなく、竜社会においても頂点に立つコミュニケーション強者の証だったのだ。


 ――そして、ロボウノイシは。


「……扱いやすいオスだけが選ばれ、怒りを持つ個体は淘汰された。あなたは、その進化から弾き出されたのですね」


 私は静かに告げると、ロボウノイシはふん、と自嘲気味に鼻を鳴らした。


「そうだよ。改めて言葉にしてくれンなよ。俺は進化の過程で弾き出された産業廃棄物、本来なら生まれてくるはずのなかった異常個体だ。もちろん、俺が賜られた先での扱いもひでぇもんだったぜ……ゼファリオンはそんな俺を面白がって拾った」


 彼は煮込まれた肉を乱暴に口に放り込み、咀嚼する。


「だから俺は、あいつのためにここにいる。メスにも貴族にも選ばれなかった俺を、あいつは選んだからな」


 その言葉は、先程までの激情とは裏腹に、すとんと腹に落ちたようだった。

 怒りを抱えた竜と、王族でありながら規格外の力を持ったがゆえに孤立した人間。

 彼らは、互いに欠けた部分を補い合うのではなく――はみ出した者同士、背中を預け合っているのかもしれない。


「……腑に落ちました。だからあなたは、あんなに文句を言いながらもアシュレイ様の世話を焼くのですね」


「勘違いすんなよ。俺は従順な『道具』になったわけじゃねぇ」


 ロボウノイシは、スプーンで皿の底をカツンと叩いた。


「俺は俺の意志で、あいつを生かしてるだけだ。あいつが死んだら、俺の名前は元に戻らねぇしな」


「へぇ。お母さんじゃん」


「てめェ……その口、縫い合わせるぞ」


 カグツチの茶々に低い唸り声を上げるが、手が出ないのは――きっと、自分の作った料理をカグツチが美味しそうに平らげているからだろう。

 この黒竜は、根が真面目なのだ。


「さっさと食って今日はもう寝ろ」


 ロボウノイシは乱暴に椅子を鳴らして立ち上がると、空になった大鍋を片手で軽々と持ち上げた。


「もしアシュレイに用事があんだったらあいつの部屋は東棟の奥――一回外に出て、山側の建物だ。迷ったら窓から飛んでけ」


 そう言って、食堂の窓を指した。

 

 ――ああ、カグツチに乗って、という意味か。

 

 言われてみれば窓、というより竜が出入りするための入り口に見えなくもない。飛んでの移動も視野に入れて作られている。さすが竜用の城だ。


「……いえ、私とカグツチはこのまま部屋に戻ります。それで良いですか、カグツチ」


「うん」


 私は最後の一口を飲み込んだ。

 温かいスープが、胃の腑に落ちる。


「ごちそうさまでした」


「……ケッ。さっさと寝ろ」


 私とカグツチは席を立ち、食堂を後にした。


 客室に戻り、扉を閉める。

 薪が燃え尽きたのか、暖炉の火は消えており、室内は冷え込んでいた。

 

 ロボウノイシの言葉が、頭の中をぐるぐると回っている。

 俺たちオスは、尽くすことで幸福を感じるように出来てる――その言葉が、まるで呪いのように私の胸に冷たく張り付いていた。

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