40.声
「ここだ。暴れて壊すなよ」
ロボウノイシはそう言って、重厚な鉄の扉の前で足を止めた。
重たい鍵を放り投げ、さっさと踵を返して廊下の奥へと消えていく。
応接室では殺気立っていた黒竜は、アシュレイの言葉一つで律儀に案内役をしていた。
使用人がいない城というのは不便なものだと思いながら、私は重い鍵を鍵穴に差し込んだ。
ガチャリ、と硬質な音が響く。
鍵は開いた。私は重厚な鉄の取っ手に手をかけ、体重を乗せて押す。
ずしりとした重みが返ってきて、扉は容易には動かない。
――重い。
そう思った瞬間、私の頭上からすっと手が伸びた。
カグツチの手が扉に触れ、軽く力を添える。
すると、あれほど重かった鉄の塊が、建て付けが良いのか音もなく滑らかに開いていった。
「ありがとうございます、カグツチ」
「ううん、全然」
……嬉しそうだ。
その笑顔を見て、胸の奥がちくりと痛む。
私が礼を言えば言うほど、彼は満たされていく。
竜種にとって「してあげること」は構造上の幸福でしかない。拒絶は届かず、感謝は彼を縛る。
その逃げ場のない関係性が、少しだけ息苦しかった。
「……にしても、でかいな」
私の後ろで、カグツチが天井を見上げながら呟いた。
「この城、外の門といい扉といい、なんか全部異様にデカくない?」
「確かに……人間からすると不必要に大きいですわね」
見上げなければ天辺が見えない扉。廊下の幅も、大人が五人は並んで歩けそうだ。
「でも、カグツチにとってはぴったりなのでは?」
「……ま、通りやすいのは確かだけど」
カグツチは肩をすくめ、私の後に続いて部屋へ足を踏み入れた。
重たい扉が、背後でゆっくりと閉まる。
通された客室は、無骨な石造りの外観とは裏腹に、暖炉の火が揺れる落ち着いた空間だった。
だが、やはり家具の縮尺がおかしい。
部屋の中央には、天蓋付きの人間用のベッド。
そしてその奥――窓際には、それよりも二周り、いや三周りは大きい巨大な円形のベッドが鎮座していた。
ベッドというよりは、巨大なクッションの巣だ。
「……竜種用、でしょうね」
私はその巨大な寝床を見やった。
この城は不思議だ。
異様に大きな門、扉、廊下。そして客室にまである竜用のベッド。
まるで、竜のために建てられた城のようだ。
「でも、なぜ客室に竜用のベッドが……?」
ロボウノイシが使うのだろうか。
それとも、別の竜を迎え入れるため?
疑問は尽きない。
「ですが、よかったです。これならあなたも身体を休められますね」
「使わないけどね」
カグツチは即答し、部屋の隅へ視線をやった。
「オレはこっちがいい」
彼が指さしたのは、人間用のベッド――私が使うことになるであろう寝台の、すぐ足元のラグの上だった。
「……それでは疲れが取れませんよ」
「竜種は甘味でエネルギー補給してれば疲れないんだよ。まだマシュマロあるかな」
カグツチは私のベッドの縁に腰掛け、軽くマットの沈み具合を確かめるように手をついた。
その手に自然と目が行く。
「……怪我はしていませんか? 先程から机を投げたり受け止めたり……」
私の問いに、カグツチはきょとんとして自分の腕を見た。
「全然。ほら、どこもなんともないよ」
彼は腕を軽く回してみせる。痣ひとつ、赤みひとつない。
あの黒竜の蹴りを正面から受け止めておいて、無傷。
改めて、彼が人間とは違う生き物なのだと思い知らされる。
「ふふっ……そうですね。怪我させていませんか、と聞くべきでしたね」
私が小さく笑うと、カグツチも「あの石頭、絶対痛がってたけどね」と悪戯っぽく笑った。
暖炉の薪が爆ぜる音が、部屋に落ちた。
笑い声が消えると、静寂が訪れる。
ふと、アシュレイの言葉が脳裏をよぎった。
――『デッドアッシュの再接続で払った代償だ』
――『記憶と力の喪失、人格の崩壊すら起こりうる』
笑っていたはずの口元が、自然と重くなる。
「どうしたの、ルシア。……さっきのアシュレイの話?」
カグツチは私の変化に敏感だ。
隠しても無駄だと悟り、私は小さく頷いた。
「……えぇ。命定改名――代償があるのでゼファレスは使わないと言っていましたが、それは警戒しなくていいと言うことにはなりません」
「……」
カグツチは黙って、私の言葉を待っている。
もし――。
その先を言葉にしてしまうことが怖かった。けれど、形にしなければ押しつぶされそうだった。
「もしも、あなたの名前が変わってしまったら――」
もし――カグツチの名が変わってしまったら。
因果が書き換えられて、あなたがあなたでなくなってしまったら……。
その可能性が、頭の中にこびりついて離れない。
その時、カグツチはどうなってしまうのか。
記憶を失うのか。人格が壊れるのか。
あるいは――私のことを、敵と認識するようになるのか。
考えたくもなかった。
ゼファレスを殺すことへの躊躇いはない。自分の命を賭けることも厭わない。
けれど、カグツチを失うことだけは――。
「そしたらルシアがまたオレの名前を呼んでよ」
私の不安を遮るように、彼は何でもないことのように言った。
「……たぶん、そういう類の話ではなかったと記憶していますが」
因果の書き換えは、呼び名を変える程度の話ではない。
彼の軽口に、完全に毒気を抜かれてしまった。
しかしカグツチはまっすぐに私を見て言った。
「大丈夫だよ。オレ、ルシアの声だけは聞き逃さない自信あるし」
根拠のない自信。
以前ならその言葉を無邪気に信じられたかもしれない。
けれど――氷の城で聞いた言葉が、棘のように胸に刺さったまま抜けない。
竜は構造で動く。尽くすのは本能であり、機能だ。
なら――名前という『因果』が書き換えられた時、その本能の向き先が変わらないという保証はどこにあるのだろう。
あの日、広場で私を見つけてくれた彼。
それさえも書き換えられてしまうのではないか。
信じたい。けれど――信じきってしまうのが、怖かった。
この復讐は私のものだから、カグツチに主導権を渡したくはなかった。
「……そう、ですね」
私は肯定も否定もできず、ただ曖昧に微笑むことしかできなかった。
不安は溶けるどころか、より濃い影となって胸の底に沈殿していく。
その時だった。
ドンドンドン、と無骨なノックが扉を叩いた。
「おい、飯が出来たぞ」
しわがれた声が扉越しに響く。
重たい扉が開き、エプロン姿のロボウノイシが現れた。
けれど――何か、違和感がある。
ロボウノイシは部屋の中を一瞥し、巨大な竜用ベッドに視線を留めた。
その目には、まるで予想通りだったとでも言うような色が浮かんでいた。
「さっさと来い。話もある」
私は頷き、カグツチと共にロボウノイシの後に続いた。




