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32.山小屋

 竜の姿となったカグツチの背に乗り、真っ白に続く雪道を低く飛んでいた。


「すみませんカグツチ……疲れたらいつでも言ってくださいね」


「うん。なるべく目立たないように高度を下げて飛ぶから、しっかり掴まってて」


 その言葉に、ぎゅっと竜の首に手を回す。

 氷の城からそう遠くはない、高くそびえ立つ二つの山の合間にアシュレイの待つ黒鉄の城はあると――油まみれの紙片に記されていた。


 途中、葉を落とした木々が立ち並ぶ地帯に、ぽつんと佇む小屋を見つけた。

 すでに朽ちかけていたが、風雪はしのげそうだった。

 私たちは短く休憩を取ることにした。


 ふんわりと、淡い炎がカグツチを包む。

 その炎に反射的に身構えたものの、まるで熱を感じなかった。

 やがて首に回していた腕は行き場を失い、私は足場ごと、がくんと沈んだ。

 しかし次の瞬間、鱗の硬さではない体温が背に触れた。

 炎の輪郭がほどけ、私を受け止めたのは――竜ではなく、人の形に戻ったカグツチの腕だった。


「……自分で歩けます」


「そう?」


 カグツチの足元だけ、雪が解けて黒い地面が覗いていた。

 そこへ、彼は私をゆっくりと降ろした。

 

 私が扉を軋ませて小屋の中へ入ると、乾いた木の匂いがした。

 かつて誰かが住んでいたのだろうか。

 床には木炭の欠片と、古いマグカップがひとつ転がっていた。


 隅の壁に背を預けるように腰を下ろすと、カグツチも入ってきて――そのすぐ隣に座った。

 それだけで炎に当たっているような暖かさを感じた。


「……カグツチ、あったかいですね」


 ぽつりと呟くと、彼は少しだけ肩をすくめ、優しく笑った。


「オレ、火竜だからね」


 その体温はまるで炉のようだった。

 どれだけ凍えた日でも、彼の隣だけは決して寒くならない気がした。


「もっとこっち来ていいよ」


「いえ、大丈夫ですよ。私もそこまで寒さに弱いわけではありませんし」


「でもずっと風を切って飛んでたから……身体、冷えてない?」


 ぴったりと、ひとつ分の距離を詰めるカグツチ。

 確かに身体の芯まで冷え切っていた。また高熱にうなされるわけにはいかない。

 少しだけ迷って、敢えてその暖かさに身を寄せることにした。


「暖炉要らずでしょ?」


 見上げれば、そこには屈託のない笑み。

 返す言葉を探して、息が一度、喉に引っかかった。

 

「……あなたは暖炉ではありませんよ」


 私の視線は自然と落ちる。


「暖炉より有能だしねぇ、オレ」


 その冗談めいた軽口に、思わず口元が緩んだ。


「今の季節は日が落ちるのが早いから、あと少ししたら行こうか」


「えぇ、そうですね……アシュレイの手紙に記されていた地図によれば、黒鉄の城はもう目と鼻の先です」


 そこに待つものに期待しているわけじゃなかった。

 例えなんの収穫がなかったとしても――裏切りが待っていたとしても。

 それでも私たちに戻る道はどこにもない。


「行きましょうか」


 外に出ると、カグツチは淡い火をまとって竜へ戻った。私はその背に掴まる。


 私たちは再び雪原へと足を踏み出した。


 ◆ ◆ ◆


 辺境の地のさらに奥。その城は地図にない未開の地――のはずであるが。

 吹雪の山脈の奥、黒鉄の柵門だけが白い地平に沈んでいた。

 柵門は城そのものを囲うように広く、左右の端は吹雪に呑まれて見えない。

 まるで、黒い輪郭だけが世界に刺さっている。


 近づいた瞬間、金属の匂いが濃くなった。

 私は息を呑む。竜の尾がぴくりと揺れた。


 柵門の向こうに、アシュレイ・ファ・ヴォルシュタインが一人で立っていた。

 護衛も、武器もない。

 空を見上げたまま、まるで私たちが見えていないかのように立っていた。


 その瞬間、背の下でカグツチの呼吸が低く鳴った。


「……オレはこの姿のままのがいい気がするけど」


 竜の喉から零れた声は、雪原を震わせるほど低い。

 尾が小さく揺れ、警戒の熱が伝わってくる。


「あなたがその姿では、人を威圧してしまいますからね……戻りましょう」


「えぇ〜……」


 不満げな声と同時に、ふわり、と淡い炎が立った。

 熱のない火が鱗を撫で、巨体の輪郭がほどけていく。

 私は行き場を失った腕ごと、がくんと沈み――次の瞬間、抱き留められた。


 人の形に戻ったカグツチが、私をそのまま軽々と抱え上げる。


「自分で歩けますからね」


「そう?」


 口では返事をしながら、彼は降ろす気配がない。

 雪を踏む足取りだけがやけに軽く、私だけが運ばれていく。


「……自分で歩けますと言ったでしょう……」


 呆れを滲ませて言うと、カグツチは肩をすくめて笑った。

 ――名残惜しそうに、ゆっくりと私を雪へ降ろす。


 門の向こうで待つ男の視線が、こちらを捉えていた。

 私はそれ以上の言葉を飲み込む。


 アシュレイの背後――柵門の内側には外庭があった。

 雪が均一に積もり、足跡ひとつない。庭の奥、石造りの城へ続く道だけがかすかに盛り上がり、白に埋もれかけたまま伸びている。

 黒鉄の柱が林立し、その何本かは欠け、崩れた石が雪に半分沈んでいた。


 あの柵門は、人の手一つで開く造りではない。

 それなのに。


 アシュレイは涼しい顔のまま、柵門に手を掛けた。

 鈍い鉄音が、吹雪の音を押し退ける。


 ぎ、……ぎい、と。

 巨獣の骨が軋むような音を立てて、黒鉄の柵門が左右に割れた。

 片手だ。信じられない。


 柵門が動いた瞬間、私もカグツチも思わず身を強張らせる。

 カグツチはわずかに庇うように尾を寄せ、場の緊張が張りつめた。


「……警戒するなと言っても無駄か。ここは私の城だ」 

 

 静かな声は嘘を含んでいないように聞こえる。

 しかし、ありえない。

 人の力であの柵門は動かせるとは到底思えない。

 

「……」


「いまは近衛兵もいない。使用人ですら昨日のうちに帰らせた」

 

 言葉通り、庭にも城の入口にも、人の気配はない。

 雪は乱されず、崩れた石だけが古いまま、白に埋もれている。

 

「ついてこい」

 

 アシュレイは背を向け、開け放った柵門の傍へ手を伸ばした。

 指先が黒鉄の格子を掴み――鈍い鉄音が静寂を裂く。

 柵門が再び左右へ寄り、噛み合うように閉じる。

 低い鉄音が腹に響き、雪がほんのわずかに震えた。


 私の視線が鋭くなると同時に、カグツチは一歩前に出る。


「……お前、なんだ? 人間の力じゃないな」

 

 アシュレイは振り返り、かすかに目を伏せて答えた。

 

「――見苦しいところを見せたな。私はただの人間だよ。少々力が強すぎるだけの、な」

 

 敵意は感じない。だが、信用もできない。

 私は無言で彼の後に続いた。

 

 この城の中に――ゼファレスの首元に届く何かが必ずあると、そう信じて。

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