28.星の業火
翌朝。
ノエルを先頭に、私は黙ったままその背を追った。
カグツチはセンスの亡骸を抱え、私の隣を歩いていた。
足元で雪が窮屈そうに音を立てるたび、沈黙はさらに深まった。
あたり一面、銀の世界。
白く凍りついた大地の上に、雲ひとつない青空が広がっていた。
カグツチは無言で歩き続けていた。
その腕に抱かれたセンスは、まだ眠っているかのようだった。
昨夜、彼が静かに還ったあともノエルはずっと彼の傍にいた。
声を掛ければ、こちらが慰められてしまう気がして――私たちは黙って夜を置いた。
私たちはまだ夢の中にいるような気がしていた。
やがて城から少し離れた雪原へ出た。
背後には城、遠くには山。
太陽の光が真上から落ちるだけの、世界の果てのような場所。
カグツチはゆっくり膝をつき、センスの身体をそっと地面に寝かせた。
その動作は驚くほど丁寧で――傷つけぬよう祈るようだった。
そして彼は、こちらを一度だけ見た。
「……一気にやるから、離れたほうがいい」
低く、静かな声。
私は無言で頷くとノエルとともに数歩後ろへ下がった。
「あ、お待ち下さい……こちらを」
ノエルはそう言って両手で丁寧に抱えていたぼろぼろの人形をセンスの胸元に添えた。
ノエルが離れたのを合図にカグツチの身体に、ふわりと朱の焔が灯る。
それは彼の在り方そのものを塗り替える、存在証明の炎だった。
真紅の鱗、尾、角、翼。炎が彼の身体を静かに、確かに、竜へと姿を変えていく。
私はその炎を静かに見つめていた。
凍てついた風が吹き抜ける中で、彼の赤い焔が空を染めていく。
竜となったカグツチは、しばし空を仰ぎ、そしてそのまま雪原を見下ろすように俯いた。
そこに、センスの身体があった。
ためらいもなく、彼は口を開く。
熱が、朱が、咆哮と共に吐き出された。
それはまるで――星の業火だった。
轟音とともに、雪の地面を薙ぎ払い、センスの身体ごと、天へと焼き尽くす。
吹き上がる焔は音もなく舞い、青空に届くほど高く、まるで祈りの柱のように空へ還っていった。
それはきっと、竜にしか――いや、火竜の火力でなければ届かない葬送なのだろうと思った。
風は止んでいた。
炎の奔流が終わった後、ただ静かに――淡い灰が、空から降ってきた。
それは雪とも、塵とも違った。
私はそっと手を伸ばして――淡い灰を、ひとつ、掌に受けた。
ほんのり温かくて、指の間にさらりとほどけた。
「……センス」
隣でノエルが、ぽつりと呟いた。
その声は震えていたけれど、涙はまだ落ちなかった。
ノエルの指先が震えていた。灰が爪の間に入り込んでも拭おうとしなかった。
彼女が胸に抱えているものの重さは、言葉より先に指先が教えていた。
カグツチは静かに竜の姿を解き、ひとつ息を吐いた。
焔は跡形もなく消え、風がまた、吹き始める。
雪が剥がれあらわになった地面には、センスの姿はもうどこにもなかった。
カグツチが火の気を静かに抑え、冷えた灰がゆるやかに風へ流されていく。
晴れた空の下、ただ雪だけが静かに世界を包んでいた。
ノエルは火の跡へ歩み寄り、そっと膝をつく。そして――灰のなかに、手を伸ばしかけて、止めた。
指先がわずかに震えていた。
「……あの、ぬいぐるみ」
私がその言葉を理解するまでに、少しだけ時間がかかった。
「センスがずっと持っていたものですのよ。小さな、青い鳥のぬいぐるみ……ボロボロで、目も取れかけていたのに……最後まで、そばに置いていたのです」
ノエルの声は、まるで誰かに言い聞かせるように、静かだった。
「拾ったのは、私が生まれるよりもずっと前――いまから百年ほど前のことだそうですわ。スコット家に仕えていた頃のセンスが、社交場の帰り道に見つけて……誰にも言わず、ただ一人で持ち帰ったのですって」
「……拾った?」
「ええ。誰かからもらったわけでもない。買ったわけでもない。ただ……なんとなくって言っていました。それを話してくれたのはこの城に来てからの事で……」
ノエルからふっと笑みが消え、何かを思い出したように俯いた。
「何もかも命じられるままに生きていた日々に、たったひとつ、自分で決めたことだったのかもしれませんわね。スコット家の道具として生きていたセンスが、誰の許しも得ずに拾って、大切に隠していた……それだけが、彼自身の意志だった」
ノエルは灰を握りしめていた。
「それを……私は、踏みつけて、ゴミ箱に放ったのです」
まるで懺悔のように語ったが、許しを乞うことはしていない。
握りしめた灰がノエルの手を染めていく。
「……ルシアさん。センスの言葉を……私は、どう受け止めればいいのでしょう……?」
それは、氷の城で何度も見せた強さのふりではなかった。
「恨まれていたと……思っていましたの。スコット家でのあの扱い……彼が、私を……許すはずが、ないと……赦されるつもりも、なかった」
声は途切れ、空気に溶ける。
私はゆっくりと言葉を探した。
「……ノエルさん。センスはあなたを恨むような生き方をしていませんでしたわ。……少なくとも、私にはそう思えました」
ノエルが顔を上げる。問いかけるような、縋るような瞳。
「氷の城で過ごした僅かな日々で、ひとつだけ分かりました。彼は……道具ではありませんでした。命じられて生きてきたのに、それでも――この城で終わる事を選んだのは彼です」
灰を握りしめたノエルの手が、かすかに震える。
「拾ったぬいぐるみも……本当にただの衝動だったのかもしれません。でも、その意味を与えたのは――あなたです」
「……」
「センスは、言葉通りあなたに看取られるために一緒にいたのです」
ノエルの瞳が大きく揺れた。
「……っ、ルシアさん……」
「あなたがあなたであることを選んだように――あなたを見て、自分で選んだ竜でした」
その瞬間、ノエルの張りつめていたものが崩れた。
「……う、あ……っ……!」
快晴に向かって、彼女は泣き崩れた。
その涙は、罪悪感でも義務でもなく――抑えようとしても抑えきれないものだった。
私はその背中を支えることしか出来なかった。
それでも――見守ることだけは、許された気がした。
センスが誰にも明かさず通り過ぎた八百年近くを――この風が、すべて空へ還していく。
「……連れていけるといいな、あの鳥も、隣の世界まで」
カグツチは、空を見上げたまま呟いた。




