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造花の魔王〜復讐令嬢はやがて魔王に至る〜  作者: 黒しろんぬ
一章 氷の城 -悪役令嬢とお喋りな竜-
22/26

21.ノエルの庭

 朝食を終え、一息ついたところで立ち上がる。

 まだ謎の酸味のような甘みが口の中に残っていた。調味料は……聞かないでおこう。

 

 カグツチがトレイを持ち、ノエルの後について炊事場へ向かう。

 まずは食器を片づけるためだ。

 一週間も寝たきりだったせいか、足取りは少し重たい。

 自分の足で城を歩くのはこれが初めてだった。

 廊下はどこまでも静かで、足音だけがやわらかく反響する。


「ルシア、大丈夫? 抱っこしようか?」


 私の足取りが重いことに気付いたのだろうか。


「いえ。早く体力を戻さないといけませんので」

「そう? じゃあ抱っこしてほしくなったら言ってね」

「……子どもじゃないのですから」


 そんなやり取りを見ていたノエルは、足を止め、わざとらしく一つ咳払いをした。

 振り返ったその表情は、呆れと安堵が半分ずつ混ざったような色をしていた。


「ほんと、過保護ですわねぇ……」


 しばらくそのまま歩いていると、壁際にはところどころに調度品らしきものが並んでいた。

 繊細な彫刻を施された木製の雪だるまや、手作り風のオーナメント。――城に飾るものとしては、少し質素だ。

 

「それ、私がこの城に来たばかりの頃に作ったものですの。実用性が皆無だと気づいてからは、もう増やしておりませんことよ。おほほ」

 

「私は結構好きです。とても可愛らしくて」


「ふふ。ありがとうございますわ、ルシアさん。でも、雪だるまを削る時間があるなら(うね)の一つでも作る方が有意義ですのよ! どっせい!」

 

 前にも聞いたけれど、その鳴き声は何なのだろう。

 そして。

 『うね』とはなんのことを言っているのだろう。

 ノエルについていけば分かるだろうか。

 彼女といると新しい発見の連続でとても新鮮だ。

 後ろを歩く足取りが自然と軽くなる。


 角を曲がると、炊事場が見えてくる。

 

「ここに置いとけばいい?」

 

 カグツチがトレイをテーブルに置く。

 

「えぇ、そこで構いませんわ。それより――見ていただきたいのは、あちらですの!」

 

 ノエルは髪を揺らしながら、小走りに炊事場を抜けていく。

 その背を追って、私とカグツチも歩を進めた。

 城の中央へ近づくにつれ、石の床に淡い光が差し始める。

 見上げると、広々としたガラス張りの天井が現れた。

 

 吹き抜けの天井に、雪の結晶が描かれた大きなガラスがはめ込まれている。

 氷と石に閉ざされた城の中で、唯一、空と陽光が許された空間だ。

 これが――この城が氷の城と呼ばれる所以なのだろうとすぐに理解できた。

 柔らかな朝の光が降り注ぎ、陽だまりが石畳をやさしく包んでいた。

 天井から差す光の柱は美しく、凍てついた世界にひっそりと咲いた小さな春のようだった。


 しかし――その中央には、じゃがいも畑が堂々と鎮座していた。


 光と氷が織りなす神々しい神殿に、じゃがいもの葉がしゃんと伸びている。


「……あ、あは、あはは! そうですわよね、言葉を失いますわよね!? 幻想的なお庭が、いまはじゃがいも畑! 笑ってくださいませ、まるでスコットのようだと!」

 

「い、いえ……笑いません。とても幻想的な畑だと思います」


 氷の城に来てから、どうやら私の語彙力は随分と鈍ってしまったようだ。

 

「ルシア、上のガラスのとこ見て。あれ、この間オレが張り替えたやつ」

 

 カグツチが空気を読まずに天井を指さした。

 まるでご褒美をねだる大きな犬のように、褒められ待ちをしている。

 

「まぁ……あんな高い場所を? 頑張りましたね、カグツチ」

 

 ノエルの自嘲と、広がるじゃがいも畑。

 そのあいだに差し込まれたカグツチの言葉は、場の空気を読まない幼子のようだった。

 

 ――けれど、それがどこか優しくて、救われるようでもあった。

 

「……センスがいないと、逆に物足りなく感じている私が憎らしいですわ」


 温室の壁に小さな通気口があり、そこから緩やかな風が流れていた。

 じゃがいもの葉が、朝の光を受けて静かに揺れている。

 その間を抜ける風の音さえ、どこか行儀がいい。


 いつもなら、ここで一言余計な冗談が挟まる。

 場違いな皮肉か、意味の分からない例え話か。

 そういうものが、今日はない。


 ――少しだけ、静かすぎる。


 その瞬間、温室の入口に気配を感じる。

 まるで計ったように、センスはそこに立っていた。

 

「ふふ、おまたせしましたお嬢様。ご所望の僕です」


「あら、やっと起きたのかしら。……朝食、すぐに用意していいかしら?」

 

 拗ねたようなノエルの声には、皮肉と――安堵が等しく滲んでいた。

 

「いえ、朝食は結構です」


「あら、そう……」

 

 二人のやりとりは、穏やかな日常の一幕に見えた。

 けれど私は、その中に確かに――違和感を覚えた。


 この一週間、センスはカグツチよりも規則正しい生活を送っていた。

 夜は早く床につき、朝は決まった時間に起きて、私の様子を見に来る。

 時に会話を交わし、時にノエルの料理に口を挟み――まるで、この城での暮らしを楽しんでいるかのように振る舞っていた。

 

 彼の身体はもう壊れかけている。

 それなのに、壊れた素振りひとつ見せず、まるで死と無縁の存在のように、自由に、気まぐれに――この冬の城を舞っていた。

 

 センスの角のひびは、昨日よりも――確かに、深くなっていた。

 けれど彼は、それに気づいていないふりか、本当に気にも留めていないのか、今日もまた飄々と笑っている。

 

 まるで彼自身が限りある砂時計のように見えて――私は、思わず視線を逸らした。

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