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造花の魔王〜復讐令嬢はやがて魔王に至る〜  作者: 黒しろんぬ
一章 氷の城 -悪役令嬢とお喋りな竜-
16/26

15.ノエル・センス・スコット

 扉が静かに開き、先ほどの令嬢が戻ってきた。

 一歩踏み入れた瞬間、彼女の眉がぴくりと動く。


「……センス? この空気、どういうことかしら」


 気まずさではなく、明確な不快。

 部屋の奥のソファに座ったままのセンスが、肩をすくめた。

 

「お客人のお相手をご命令いただきましたので、楽しくお話していたところです。少なくとも、険悪ではありませんでした」

 

 皮肉めいた口調に、令嬢は静かに言い放つ。

 

「どうせまた余計なことを言って、人を不快にさせたのでしょう」

 

 ため息をひとつ。それからテーブルの器に目を落とした。

 

「……まだお薬、飲んでいらっしゃらないの?」

 

 呆れと苛立ちが隠れていない。


「何も言わずに出ていかれたので、彼女もそれが薬だとは気づいていらっしゃらないかと」

 

「……そうでしたわね。完全に失念しておりましたわ」

 

「えぇ。彼女の中ではもう、お嬢様の印象は――寝込みに緑色の液体を飲ませてくるヤバい人になっておりますので」

 

 さらりと酷いことを言う。


「ここからは好印象に塗り替えていくターンです。どうぞ頑張ってくださいませ。ファイトです、お嬢様」


 グッと握りしめた拳を令嬢に向かって掲げた。

 

「なんで貴方が説明してくれませんの!」

 

「命令されておりませんので」

 

「貴方が私の命令に従ったことが一度でもありまして!?」

 

「ありませんね」


 ……私は一体何を見ているのだろう。

 

 隣を見ると、カグツチも同じ顔だった。

 目を丸くしてぽかんと口を開けている。

 私が知る限り、ドラグマキナとは――家の象徴、そして人に仕える道具のはずだった。

 しかしいま目の前にいる二人は、とてもその関係には見えなかった。

 

「……こほん。お見苦しいところをお見せしましたわ。ルシアさん、ご自分で飲めるなら、どうぞ」

 

「えっ、これ……薬だったのか」


 カグツチが戸惑いながら器を受け取ると、匙で掬って私の口元へ運ぶ。


「カグツチ、自分でできます」

「でもルシア、熱があるだろ。って言うかこれ……口に入れて大丈夫なやつなのか?」

「安心なさい、毒は入っていませんわ。王都の薬より効能は落ちますけれど――ないよりはマシです」


 差し出された銀の匙を口に含んだ。

 口に入れた瞬間、香草めいた匂いの奥に、むせ返るような甘ったるい香りが混ざる。

 躊躇しつつも喉の奥へ。

 

 ――まずい。

 

 苦味のあとに暴力的な甘さが襲い、舌が飲み込むのを拒んだ。思わず顔をしかめる。

 

「ふふ、とっても不味いでしょう? 私も本当は飲みたくありませんのよ」

 

 令嬢は優雅に微笑む。


「ただ、その不味さを紛らわせるために甘味を山ほど加えていた努力家である、という点だけは認めて差し上げてくださいね?」

 

 淡々と、しかし楽しそうにセンスが添える。

 

「センス。余計なことは言わなくてよろしくてよ」

 

 令嬢は静かに睨むが、その語尾にはほんのり照れが滲んでいた。

 

「ところで……病人の前でする事ではないのだけれど、でも、あまりにも、あまりにも、あまりにも悔しいので――自己紹介させていただきますわね」


「てっきり忘れたか、ヴァレットの名にビビっていたのかと……」

 

「違いますわッ!!」

 

 センスを軽くあしらって、こほん、と軽く咳払い。

 胸を張り、金色の髪をふわりと揺らしながら、彼女は高らかに名を告げる。

 

「ノエル・センス・スコットと申しますわ」

 

 気品は確かに備わっている。

 そして名と姓の間に竜の名前が入っていると言う事は紛れもなく貴族だ。

 

「こちらこそ申し遅れましたわ。ルシア・ヴァレットと申します」

 

「知っていますわ。と言うか貴族社会で貴方の名前を知らぬ人間など居りませんわ……」


 ノエルは怪訝そうな顔を浮かべた。

 この自己紹介の先で、彼女が望むものは何なのか――自然と目が細くなる。


 これは――社交の刃を交わすことを望んでいるのだろうか。


「ノエル・センス・スコットさん……」

 

 反芻すると、彼女は得意げに背筋を伸ばした。

 

 ――名前さえ聞けば、思い出すでしょう? そう言いたげな仕草。


 しかし熱のせいか、意識が上手に働かない。

 なんの言葉も浮かんでこず、沈黙してしまった。


「えぇ、もう結構ですわ! スコットを知らないことは十分理解しましたわ!」

 

 声がわなわな震え、瞳だけが強い光を宿していた。

 ノエルは唇を引き結び、私を見つめたまま黙り込んだ。

 部屋の外で、吹雪が窓ガラスを叩く音がする。


「当然ですわよねっ! 八百年級の中級貴族が商会を作ったところで、二千年級のヴァレット家には未来のない商売に見えたでしょうしっ!」

「えぇそうですね。なんせ商才がなかった」


 この竜、元とは言えど自分の家にとんでもない事を口走っている。


「……なにも、そこまで言っていませんし、思ってもいませんが……」

 

「えぇそうでしょうともっ! 両親の商会ももうありませんわ!」

 

「あの辺りで雪を被ってる新築の別荘群は残ってますけどね。資産価値はゴミですが」

 

「……ご、ごみ!?」


 センスの言葉にノエルが一番驚いていた。


 どうやら彼女は社交バトルを申し出たのではなかった。

 それにしても、意図が読み取れない。

 

「……大変失礼しました、つい熱がこもってしまいましたわ」

 

 ノエルは軽く咳払いをし、ドレスの裾を整える。

 別荘群――その言葉を聞いた瞬間、カグツチがわざとらしく視線を逸らしていた。

 別荘のドアを破壊した件について、後できちんと謝罪しなければ。

 

「いえ、知らないのならいいのです……あの人たちは、誰も通らない道に価値を見出したんですのよ……着眼点は間違っていなかったと、私は今でも思っていますわ……」

「でも結局、誰もついてこなかった」


 なぜかセンスが締めた。 

 暖炉の薪の爆ぜる音が響いた。

 床に落としたノエルの視線は寂しげで、そこに貴族令嬢特有の悪意は微塵もない。

 

「ですがそれで終わる私じゃありません事よ! こうして私は負債を投げ捨てて一人と一機、辺境の地にて没落貴族ライフを満喫しているんですの! ドゥー・イット・ユアセルフッ! スローライフッ! おーっほっほっほ!」

 

「ノエルお嬢様は少々情緒が不安定な方なので、お気になさらず」

 

 つまり彼女は自らの口で自分の家が没落した家であると――はっきりとそう告げていた。

 私にはない価値観だった。

 センスの声には皮肉が混じっていても、その奥にはどこか温度のある優しさが確かにあった。

 

 ――それでもひび割れた角だけは、別の冷たさを放っていた。

 

 角から目を離したその瞬間、明らかに温度の違う声が耳に落ちた。

 

「ルシア、熱下がった?」

 

 カグツチは空気を読まず、私の額に手を当てる。

 

「……先ほどより、随分と楽になりました。こうして温かな寝具に身を委ねられたのも――ノエルさんのご厚意とご看病の賜物でございます。……心より、感謝申し上げます」

 

 言葉にトゲを仕込んだつもりはなかった。

 けれど、ノエルの表情はしんと静まり返ってしまった。

 

「……それが本当に感謝の言葉なら。貴族言葉なんていらないのに。……ええ、わかっていますわ。ヴァレット家の方を目の前にして、こんなこと口にするなんて――失礼極まりないのも、承知のうえです。

 でも……私は、腹の探り合いが、どうにも苦手なので」

 

 一瞬――本当に一瞬だけれど、ノエルが幼子のように見えた。

 年齢は恐らく私より上である佇まいをしているが、ノエルと言う人はどうにも一人で立っているには危うさを感じる。

 

「……でしたら、もう一度、言わせてください」

 

 私は静かに言葉を紡ぐ。

 言葉を選ぶ時間が、ほんのわずかに必要だった。


「改めまして――ありがとう、ノエルさん」

 

 その一言に、彼女の眉がぴくりと動いた。

 次の瞬間、見る見るうちに頬が赤らんでいく。

 そして、その赤みが首筋にまで伝わるのを隠すように、彼女は思わず金色の髪を指でいじっていた。

 

 ――なるほど。

 

 確かにこの人は、社交の場で刃を交えるには、少々、正直すぎるのかもしれない。


「さて……ルシアさんもお目覚めになったことですし、私は作業に戻ります。センス、こちらのお二人にお茶でもお出しして差し上げて」

 

 流れるような所作で踵を返そうとするノエルを、センスがひと声で呼び止める。


「お待ちください、ノエルお嬢様」

 

「何かしら?」

 

「僕にお茶が淹れられると?」

 

「淹れられませんの? お茶くらい」

 

「喉が渇いて無理ですね……」


 センスは真顔だ。深刻な表情すら浮かべ、喉の渇きを訴えている。

 私はもちろん、カグツチでさえ引いていた。


「分かりましたわ。紅茶を淹れてから戻りますので、少しだけお待ちになって」

 

「僕はいつも通りお砂糖は五つでお願いします」

 

「毎日そんなに砂糖ばかり召し上がっていると、病気になりますわよ」

 

 軽く皮肉を交えながら、まるで独り言のようにそう告げて、彼女は何事もなかったかのように姿勢を正し、すっと扉の向こうへ消えていった。

 

「……え、ここはお前が紅茶淹れてくるところじゃないの?」

 

 カグツチが、不思議そうにぽつりと呟く。


「僕はそもそも従者ではありませんし。――介助業務も、請け負っておりませんので」

 

 にこりと微笑むセンスの横顔が、妙に晴れやかだった。

 ふと思い返す。この城に入ってから――他の誰の気配も、感じていない。

 

 カグツチが低く呟いた。

 

「……ドラグマキナって、本来は家の道具だろ?」

 

「ええ。その家によって色々ですが、本来は家の象徴、そして仕えるもの。……のはずですが」

 

 カグツチのように家族として扱われる竜は稀だ。


 私の知る限り、センスのように自由に喋る個体も他にいない。

 それどころか、センスはドラグマキナと言う言葉を蔑称として捉えている。

 そんな竜種は聞いたことがなかった。

 

 窓の向こうで吹雪が鳴り、ガラスが震えていた。

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