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造花の魔王〜復讐令嬢はやがて魔王に至る〜  作者: 黒しろんぬ
一章 氷の城 -悪役令嬢とお喋りな竜-
12/28

11.外の世界

 カグツチの背に揺られながら飛び続けて――どれくらいの時間が経ったのか、もう思い出せない。

 王都は遠く、家々も姿を消した。

 小さな集落を過ぎ、農道すら見えなくなって、いまはただ、白い地平が広がるだけだった。

 吐く息の白さで視界がぼやける。


「ルシア、寒くない? もう少し低く飛ぼうか?」


「……」

 

 頬を切る風は刃のように冷たい。

 本来、防寒具もろくに身につけていない身では、こんな豪雪地帯の外に出ることすら叶わない。

 それでも意識だけが途切れずにいられたのは――カグツチの背中が、炉火のようにあたたかかったからだ。

 しかし、私は何も答えられなかった。

 

「国境を越えれば何もないし、追手も来ないと思う。確か使われてない貴族の別荘があったはずだ、前にアルトと――」


 その名前を聞いた瞬間、視界が歪んだ。

 しかしそれも一瞬のことで、刺すような寒さだけが残った。

 

「……いや。そこで休もうか。しっかりつかまって」


「……はい」

 

 竜の身体が傾き、重心が落ちる。

 浮き上がるような落下に喉が詰まり、私は咄嗟に首元へ縋った。

 冷えた風が肺へ刺さり、体温がじりじりと奪われていく。


 国境の外へ出るのは、これが初めてだ――そう思った瞬間、白い地平の向こうに、ぽつりぽつりと屋根が見えてきた。

 

「――見つけた」

 

 低く響く声とともに、降下が始まった。

 風が揺れる。雪が巻き上がる。


 着地の直前、カグツチの身体が――ぱっと炎に包まれた。

 紅い閃光に目が焼け、私は思わず顔を伏せる。

 熱は一瞬だけ触れて、すぐに消えた。


 次に気づいたときには、人の姿に戻った彼の腕の中だった。

 落下の衝撃はなく、雪だけが静かに足音を飲み込む。

 その白さから守るように、彼は私を下ろさない。


 胸にすがると、火竜の体温がそっと肌へ移ってくる。

 けれど心の奥では――炎の色さえ思い出せないほど、何かが凍りついていた。


 ◆ ◆ ◆


 この星の大地のほとんどは氷に閉ざされていると聞く。

 実際に見たわけではない。

 私が知るのはオルドレア以外に人が暮らせる土地はもう存在しないと言う、本の中の知識だけ。

 その国境の外は、国家の統治が及ばぬ未開の極寒地。

 もはや国境という言葉すら正確ではなく、人の生存圏の外側を指すだけだ。

 一年を通して氷に覆われ、土地は痩せ、生物の気配も乏しい。

 物流どころか、人の営みにすら向かない。

 生きるにはあまりにも過酷な場所――それを、国境を越えて初めて現実として知った。

 

 ここにはなにもない。

 

 それでも世の中には、物好きな貴族というものがいる。

 何十年か前、この極寒地に別荘郡を建てた商会があったと聞いた。

 建てただけで満足したのか、事業が立ち行かなくなったのか、実際に使われた痕跡はほとんどない。

 いま眼下に並ぶのは――まさしく、その成れの果てだった。

 

 今にも雪が降り出しそうな空の下、雪のひしめく大地も同じように凍えていた。

 

 不意に――血の香りが鼻を掠めた気がして頭がすっと冷えていく。

 カグツチのおかげで寒さは感じない――しかし、私は腕を抱きしめ、身をすくめる。

 

「大丈夫?」

 

 彼の目に涙はなかった。

 それが救いなのかどうか、今の私には判断がつかない。

 

「人間には寒すぎるよな。早く中に入ろう」

 

 カグツチは私を抱き上げたまま、寒さから庇うように周囲を見渡す。

 

「……間借りさせていただくとして、鍵はどうしましょう」

 

 思考はうまく回らない。口に出せるのは、どうでもいいことだけだ。

 頭は空っぽくらいがちょうどいい。気を抜けばすぐに思考が血で染まる。

 

 屋根に雪の積もった別荘群を見回していると、彼はためらいもなく一番近い家へ向かった。

 雪に埋もれかけた赤い屋根の家。その扉を、彼はそのまま引きちぎった。

 もはや破壊だった。

 かろうじて風は防いでいるが、防犯としての役目は、たったいまカグツチの手により完全に終了した。

 

「……あの、鍵の話をしていたのですが」

 

 片手を扉に引っ掛けたまま、彼は顔だけこちらに向けて苦笑する。

 

「王族に反逆して逃げてるやつがさ、家一軒こじ開けたくらいで罪悪感いる? 罪状読み上げられる時に、王族への反逆および別荘への不法侵入および破損って」

 

 その軽口に、笑うべきなのか分からないまま、私は息をした。

 

「……失礼します」

 

 一歩、別荘の中へ踏み入れる。

 空気の匂いが途端に変わった。

 まるでおばあさまの書庫と同じような、埃っぽい香りが家の中を満たしていた。

 壊れた扉を振り返り、小さく息をつく。

 中に入っただけで、外とは別の時間が流れているようだった。


 玄関ホールも、奥に見えるリビングも、壁一枚すら傷んでおらず、どこか真新しい。

 それなのにほんの少しカビの香りを含んでいて、ちぐはぐだ。

 噂には聞いていたけれど、本当に一度も使われないまま放置されているらしい。


 行く宛もなく訪れた国境外。

 私がオルドレアから外の世界に出たのは、生まれて初めてのことだった。

 こんな状況でなければ、もっと楽しめたのだろうか。

 そんなはずはない。もう、枝分かれした未来なんて残っていない。

 

 ――叶いもしない白昼夢はため息にかき消された。

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