「アンナ・ライブ」
こうして三日目の早朝。
いつも通り眠れない夜が暇で仕方なく、我慢できず日が昇る少し前に外に散歩で出かけていた。
「この生活も何度目だろ......」
やることが曖昧だと一日が余計に長く感じる。早く街の調査を済ませたいものだ。
「......そういえば」
ピタッと歩道の上で立ち止まる。昨日のことを思い出したからだ。
街の「下」。放置された土地。そのことを思い出し、そこへ探索するなら今がいいのではないかと思い立つ。
そうして街の北東まで歩き続けることにした。
〜〜〜ちょうど朝日が立ち昇る時間帯になり、霧に反射する光に目をやられながら、なんとか眩しいのを耐えて北東へ進んでいく。
そして地図を広げ、北東の「下」付近にやってきた。
近づけば近づくほど建物が無人になっているようで、どこの家も空き家状態なのが一眼でわかる。
そしてとうとう建物がなくなり、雑草が生い茂る街道近くにやってきた。
「......ん?」
すると目の前に映る構造物に、思わず目を丸くして凝視する。
大きな門だ。固く閉ざされていて、三メートルほどの高さである。
しかし門が一つあるだけで、周りに壁はない。
不審に思いつつ門の横を通り抜けて、そのまま「下」地域に入った。
「下」と言われるだけあって、街の低い土地にあるせいで霧が酷く濃い。
それに卵が腐った、腐卵臭がかすかに漂っている。
土壌も湿っていて、少しぐにょっとしている。歩く分には問題はない。
「こりゃ、整備するにもお金がかかるなぁ」
来てみてすぐに分かった。この土地はそもそも住むのに向いていないのだろう。
昔からそうだったのか。それとも最近地質が変わったのか。もともと観光地にしようと考えていたのなら、最近変わったと考えるのが妥当だろうか。
しばらく歩き進めると、石の建造物が目に入った。
一本の柱から、妙な模様の入った壁。
これがロウの言っていた古い遺跡だろうか。
かつての人類の生活跡が遺跡として残っており、個人的にはこういう歴史を感じる構造物は好きで、じっくり観察したい派である。
「なんか書いてあるな......」
そうして観察していると、見慣れない文字がいくつか細い柱に書いてあるのに気づいた。
見ていて読めるわけでもないと思うが、一応目を通してみる。
「......人の名前?」
しかし予想に反してかなり断片的だが、意外と読むことができた。
ただし、その全てを解読しようとすると時間がかかってしまう。
なので仕方なく解読は諦めて、さらに奥へと進む。
するとこれも整備されていない影響なのか、洞窟のような大きな穴が、地面にぽっかりと空いていた。
階段上になっていて、おそらく昔整備されてほったらかしにされていたのだろう。
流石に中に入るのは怖いので、探検するのは避けておく。
そのまま数十分ほど歩き回って見たのだが、あるのは生活居住区としての痕跡が遺跡となったくらいで、時々見かける古びた器などを目にするくらいだ。
あとは折れた枝とかが散らばっているとか、自然的なものしか感じない。
これといってめぼしいものはなく、やはりハズレだったなと思い帰宅しようと、身を翻して元きた道を辿って帰ることにした。
結局、なんの情報も得られないまま、アンナは宿へ帰っていると。
「......ん?」
通りがかった路地裏に一瞬何かが目に写り、一旦後退して確かめて見る。
すると路地裏の少し歩いた先に、誰かが息を切らして立っていた。
今は早朝で人もそんなにいない。
それなのに何故か息が上がっている人がいる。
「どうしたんだろ」
気になって近づいてみると、アンナに気づいて逃げようとしたので、慌てて追いかけて「ちょっと待って!」と呼び止める。
すると声を聞いた途端にピクリと動かなくなり、そこで立ち止まった。
「お前か......」
「今の声......。あっ。あの時の人か!」
近づいて顔を覗き込んでみると、やはりそうだった。
以前アンナが酔っ払って倒れた時、その面倒を見てくれた人だ。
まさかこんなところで再開するとは思わず、少し気分が高揚する。「世間は狭い」を身をもって体感して、内心少しだけ興奮する。
つい馴れ馴れしく接しようとするが、何やら困っている様子だ。
(そういえば息も乱れてるし......。ひょっとして、どこか辛いのかな?)
見た目の装いから、自然と「彼は体調が悪いのでは」と思い込む。
なので「休ませないと」と咄嗟に思ってしまい、近づこうと一歩足を踏み出す。
せっかくだし、どこか休める場所に行き話を聞いてあげたいのだが。
「構うな」
手を差し伸ばすと、触られるのを嫌がる猫のようにパシィと弾かれてしまった。
しかし理由はわからないが、どう見てもボロボロの状態でいるのを放っておくわけにはいかない。
お人好しかもしれないが、一度面倒を見てもらった恩もある。返すとしたら今だろう。
「いやいや、放っておけないよ。そんなボロボロで気も休まらないでしょ? ほら、ついてきなよ」
プイッと目を逸らす男の手を掴む。すると意外なことに、今度は引き離そうとしてこなかった。
それを勝手に肯定だと受け取る。迷惑かもしれないが、今の自分が落ち着ける場所といったら宿だ。なので、彼を宿に連れ込むことにした。
道中の抵抗も考えたが案外すんなりとついてきてくれたようで、宿の管理人さんに説明して、今だけならいいと許可をもらって上がらせてもらう。
「......」
「小さな部屋でごめん。そこらに座ってて」
硬派な態度は崩さないものの、精神的に疲れていたのか、椅子の上に座ってリラックスしているように見える。
「さて。以前はできなかったけど、自己紹介させてもらうね。ウチの名前はアンナ。旅人をやってる。君は?」
「君なんて上から目線で言うな。名前はロット。職業は......ハンターだ。獣を狩ってる」
(だから朝からボロボロだったのかな......)
獣を討伐するのに失敗し、命からがら逃げ帰ってきたのかもしれない。
生きて帰ってくるだけの腕はある。そこに素直に感心するが、うまく言葉が見つからずに「ふぅん」と返答し、それからしばらくお互いに黙り込む。
お互い初めて話す相手。しかもどうやらお互い似たような性格なのか、コミュニケーションが下手なようで、不器用な沈黙が続く。
アンナの方はコミュニケーションに自信はない。仕事なら話は別だが、相手の気持ちを先回りしようとしても掴めない。
自然に流れを掴むまで長いし、基本的にそういった「親しい会話」というのは無自覚にできるものだ。
相手の方は分からないが、この調子だと話せるものも話せないのは分かっていた。
流石に居た堪れない空気なので、バックパックから取り出した、適当な時に買っていた長持ちする菓子類を「食べる?」と言って見せてみる。
会話の起点作りだ。
うまくいくか不安だった。だが彼は無言で受け取って、素直に食べてくれた。
(よかった......)
「......」
食べている間は無言。時々、こちらの様子を伺うような視線に気づいていたが、それを気にせずに自然体を頑張って演じる。
ただ、じっとしていても不自然だと思ったので、彼が食べているその間。
最近整理してなかった影響か、ごちゃごちゃになったバックの中身を整理することにした。
そしてその時に、ネイさんからもらったノートを取り出して置いたのだが、それが気になったようで、じっと見つめるロット。
「これはウチの日記だよ。大切な人からもらったんだ」
ノートの正体を教えてあげる。
すると興味を持ってくれたのか、気に入ったオモチャを見つけた猫のような目で、そのノートをじーっと見つめる。
「日記......。タイトルは無いのか?」
そして唐突に、そんな他愛もないことを尋ねてきた。
日記にタイトルなんて考えたこともない。
この日記はアンナの思いと、その周りで起こった出来事などをまとめたもの。忘れないように、色々な記憶を保管するためのノートだ。
「ないけど......。そうだなぁ」
腕を組んで考える。
あえてタイトルをつけるとしたら、どんなのが良いだろうかと。
「.......落とした時に『アンナ』だけじゃ探しづらいだろ。せめて、特徴的な何かを書き足した方がいい」
「確かに......」
真っ当なアドバイスをもらって、自然と数回頷き返す。
この世界に何人「アンナ」という名前の人間がいるのかわからない。
仮にこのノートを落としてしまったとしても、ありとあらゆる偶然が重なって、アンナの元に帰ってこない可能性もある。
「タイトルのところに『アンナ』って書いちゃったし.......。う〜ん......」
大きく目立つように「アンナ」と、ノートのタイトルを書く場所に書いてしまっている。
なので今決めるとしたらサブタイトルの部分で、「アンナ」の下に書くべきないようなのだが......。
頭を捻り考える。託されたこのノートに、自分は何を書いていくつもりなのか。
考え、答えを導き出す。
このノートは思い出を書き記すもの。忘れないよう、数々の人間との繋がりを書いていくもの。
この世界では旅をして、「やりたいこと」を探すのも兼ねて生きていくことを決めた。
何しろ、一度死んでしまったアンナは「生きていく」ことを、今度こそ真っ当せねばならない。
「生きる......。決めた! このノートの名前は『アンナ・ライブ』!」
英語に知識がある人間なら、どうして「ライフ」じゃないのかと不思議に思うだろう。
間違えたわけではない。アンナの旅はアンナ一人のものではなく、たくさんの思いと人々によって繋がれる。そうであって欲しいと言う願いが込められていて、物語を作るのはアンナ一人ではないと言う意味でもある。
なので単数系の「ライフ」ではなく、複数形の「ライブス」から「ス」を抜いて、名前っぽくしてみたのだ。
「アンナ・ライブ......。著作者名みたいだな」
「まっ、そういう意味でもあるね。うまくまとまった感じ、しない?」
「意味までは分からん」
「あ、ああ。そぉ......か(まっ、いっか)」
個人的に満足のいく命名だ。
忘れぬうちにと早速、今朝の探索について少しだけ書いておく。記憶に真新しいうちに書いておきたいからだ。
綺麗な文字を書くために手を動かす。するとその様子をじっと、ロットに観察されていた。
「......お前」
「んん? なに?」
「.......なんでもない」
勝手にみられて勝手に目を逸らされる。何考えているか、やはりいまいちわからない。
考えても彼の内心はわからないので、気に留めず日記に色々と書き足す。
その後。荷物整理の続きをして、しばらく時間が経過した。




