第十四章 雨の路地
翌日、町外れの広場で、二回目の襲撃があった。
教会が動かしたとは思えない、無頼の集団だった。だが、武装は、教会の護衛と同じものだった。
グレンは、肩を斬られて、倒れた。
リリアは、避難する途中で、店の在庫の最後を、燃やされた。
俺は、教会の本部の、地下牢の前まで、引き立てられた。
枢機卿バルディウスが、待っていた。
「サクラ君」
「ミレイアさんを、解放してください」
「君が、教会に従えば、考えよう」
「俺は、何でもします」
「素直で、よろしい」
枢機卿は、俺の前に、契約書を差し出した。
魔法的拘束のかかった、契約書だった。
「ここに、署名してくれたまえ。君のスキル『棚卸し』のすべての権利を、教会に譲渡する。君は、私の直属の道具として、生涯、働く。引き換えに、ミレイアは解放しよう」
俺はペンを握った。
握った手が止まった。
枢機卿は、俺の躊躇を、楽しむように笑った。
「君ね、サクラ君」
「はい」
「君は、所詮、ただの作業員だ」
「はい」
「経営者でもない。英雄でもない。役職もない、肩書きもない、何の権威もない男に、何ができる」
俺は、ペンを握ったまま、彼を見た。
枢機卿の言い方は、桜井とそっくり、同じだった。
桜井は、十年間、俺にそう言い続けた。
俺は、それを信じていた。
信じて、一度も、反論しなかった。
「役職もない、肩書きもない男に、何ができる」
俺は繰り返した。
枢機卿は頷いた。
「そう、何もできない」
俺はペンを置いた。
置いて、契約書を見つめた。
契約書には、教会の聖印と、薄い赤い血のような滴が、いくつか、垂らされていた。
血ではなく、別の何か、らしかった。魔力を、固定する、媒介、と聞いたことがある。
俺はその滴の上で、ペンを止めた。
止めたペンの先が、わずかに、震えた。
ミレイアの髪が、業務日誌の中に、ある。
書けば、ミレイアは戻る。
書かなければ、ミレイアはもっと、深くまで、削られる。
俺は目を閉じた。
閉じた目の裏で、ミレイアの声が、聞こえた。
「サクラ様。あなたも、教会には、近づかないでください」
最初に、彼女が、井戸の前で、言った言葉。
それを、彼女は、自分の身を、もって、二度目に、伝えていた。
俺はペンを置いた。
書かなかった。
書かないまま、契約書の前で、無言で立っていた。
ミレイアの、決意を、信じる、ということでもあった。
枢機卿は、苛立ちを見せなかった。彼は、勝者の余裕を、保ったままだった。
「君ね、サクラ君」
「はい」
「君は、優秀な、駒に、なれた。それを、自分から、捨てた」
「捨ててはいません」
「ほう」
「俺は所有されないだけです」
枢機卿の眉が、ほんの少し、動いた。
護衛が、俺を、教会の門の外まで、引きずり出した。
ミレイアの姿は、見せられなかった。
雨が、降り出した。
俺は、教会の門前の、石畳の上に、座り込んだ。
濡れた業務日誌を、エプロンの下に、必死で抱えた。
帳面が、濡れたら、終わりだ。
これだけは、濡らせない。
雨が、エプロンを濡らした。
俺は子どものように泣いた。
泣きながら、声は、出さなかった。
声を出せば、もっと、何かが、壊れる気がした。
遠くの路地で、誰かが、傘を差し出した。
リリアだった。
肩に、グレンが、寄りかかっていた。怪我は、深かったが、生きていた。
二人は、襲撃の後、教会の追っ手から、身を隠して、街の裏路地を、ずっと、移動していた、らしい。グレンは、肩の傷を、リリアに縫ってもらっていた。リリアは、エルフの薬草の知識で、傷を化膿させずに、抑えていた。
二人とも、ぼろぼろだった。
それでも、俺の前に、立っていた。
「サクラ・タクヤ」
「リリアさん」
「立ちなさい」
「立てません」
「立ちなさい」
リリアは、傘を俺の頭の上に、無言で差し続けた。
雨が、彼女の肩を、濡らした。
リリアは、それでも、傘を、俺の方に、傾け続けた。
俺はゆっくり、業務日誌を開いた。
濡れた頁を、慎重に、めくった。
最後の頁は、無事だった。
俺は、雨の中で、ペンを握った。
書いた。
「俺は英雄じゃない。経営者でもない。役職もない、肩書きもない、ただの作業員だ。だが――」
ペンが止まった。
「だが」の続きが、出てこなかった。
俺は業務日誌の、もっと前の頁を、めくった。
日本の、最後の月。
ある日のページに、自分の字で、書いてあった。
「在庫異常。原因不明。ロス、七点」
その日の、日付。
そして時刻。
午前二時。
俺が、転生した、まさに、その時刻だった。
俺は、王立図書館で写した、千年単位のロスの発生周期の、最後の点を思い出した。
最後の点も、午前二時、だった。




