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持たざる者は、世界に抗い、神を討つ  作者: シベリアン太郎


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第92話 魂の奔流に触れて

 視界が真っ白に染まった後、ふと気付くと、彼は白銀の大地に立っていた。空も地も、まるで記憶の片隅のように曖昧で、それでいて確かな存在感があった。

 その中心に、一人の男が立っていた。白い外套に身を包み、静かな眼差しをレオンへ向けている。


「……来たか」


 それが、かつてこの世界に召喚された異世界の剣士、オーソン・アークレインであると、レオンは直感した。


「語るべき時が来たようだな。お前がこの記録に触れたということは、世界は再び分岐点を迎えているのだろう。……我が記憶と意志、そして選択を、お前に託す」


 それは一瞬のことだった。

 何かが脳の奥深くへと侵入してくる感覚が走る。光。熱。無数の記憶の奔流。

 それは“情報”ではなく、“魂”そのものだった。


 〈門〉──堕天神ベリアナによって、その封印を解く“適格者”として彼が召喚されたいきさつ。ベリアナの思想、正統神──この世界の揺るぎなき理。


 ──怒り、悲しみ、希望、絶望、そして誓い。

 オーソン・アークレインの見た世界。味わった痛み。交わした言葉。奪われた命。抱いた理想。選ばなかった選択肢。そしてそれでも守ろうとしたもの──彼が生き、闘い、傷つき、そして決して折れなかった証。

 それらが一つ残らず、濁流となってレオンの中へ押し寄せてくる。


 焼け落ちた村。命乞いをしていた子供。その声に応えられず、ただ目を背けるしかなかった己の非力。

 背を向けざるを得なかった逃亡民の列。泣きながら歩く少女の手を、母が引きずるようにして進んでいく後ろ姿──

 敵兵に囲まれ、それでも最後まで剣を振るい続けた者の断末魔。味方の裏切りに崩れ落ちる者たち。己を信じて戦っていた者の目が、信頼から絶望へと変わる瞬間。

 空が割れ、雲の奥から降臨する“聖なるもの”。白銀の鎧に金の紋を纏い、巨大な翼を背負った彼らは、まるで慈愛の使者のような顔で、地上に降り立つ。

 そして、静かに告げる。


「──この地に蔓延る異端者たちよ。汝らは神の摂理を乱し、定めを拒み、聖なる秩序を穢す者。我が名において、ここに神罰を執行する」


 それは、宣告ではなく、絶対だった。

 理由も、弁明も許されない。

 彼らが敵視したのは、神に祝福されぬ者、加護なき者、〈門〉に触れた可能性を持つ者──即ち、“持たざる者”たち。

 それだけではない。彼らの神罰は、人間以外の種族──エルフ、ドワーフ、獣人全てに襲いかかる。

 地は燃え、空は裂けた。

 神聖魔法の奔流が、村々を、隠れ里を、静かに、確実に、焼き払っていく。

 子供も、女も、老人も。どんなに必死に祈ろうとも、許されなかった。


「神は、お前たちを望んではいないのだ」


 無慈悲な声とともに、聖なる光が降り注ぐ。

 それは炎ではない。ただ、存在を“削り取る”ような浄化の閃光。

 悲鳴すらも、掻き消える。

 だが、そこにいたすべての人々が、ただ絶望に沈んだわけではなかった。

 祈りは届かずとも。

 力なき者であろうとも。


「諦めるな……最後まで……!」


 立ち上がった者たちがいた。

 石を手にした少年がいた。傷だらけの身体で、泣きながら魔法を放った少女がいた。

 燃え落ちる村の中心で、互いを庇い合って、なお目を逸らさなかった者たちがいた。

 その先頭に立ち、剣を構える者がいる──オーソンだった。

 神罰の光を斬り裂き、聖なる使徒に剣を突き立てた。

 血の代わりに、聖なる輝きが飛び散る。

 正統神の意志の欠片──それを、彼は打ち破った。

 それでも、彼は神を否定しなかった。

 ただ、その権威を疑い、そこにある“選別の理”に抗ったのだ。


「“持たざる者”にも、生きる価値がある。スキルを持たぬ者にも、未来を選ぶ権利がある。神がそれを否定するのなら──俺は、それでも抗う」


 たとえ報われずとも、敗れようとも、己のすべてを賭して、次に続く者のために道を繋ぐ。

 ──それが、オーソン・アークレインの選んだ戦いだった。


 絶え間なく流れ込む声。声。声。

 言葉ではない、魂そのものの慟哭。

 戦場の土の匂い。焼けた鉄と血の味。仲間の手のぬくもり。夜毎に聴いた泣き声。

 誰かを庇って死んだ友の、最後の笑み。

 無数の記憶と感情が、視覚・聴覚・触覚・嗅覚、すべての感覚を通して、レオンの中へと叩き込まれる。


「ッ、ああああああッ……!」


 頭が割れるような痛み。視界は既に白く染まり、耳も聞こえない。ただ、果てしない数の思念が、叫びが、問いかけが、怒号が、祈りが、レオンの心に突き刺さる。魂が軋み、裂け、呑まれていく。

 この記録は書ではない。オーソンそのものだ。彼の存在の残滓。意志と魂の結晶。それは“持たざる者”の未来を託すための、“神に抗った者”の遺言であり、業そのもの。

 だが、それを受け止めるには、レオンはまだ──。


「……っ!」


 次の瞬間、レオンの意識はぷつりと途切れ、全身の力が抜けた。

 その身はまるで操り糸を断たれた人形のように、静かに床に崩れ落ちた。



 レオンが崩れ落ちた瞬間、リューシャは鋭く息を呑んだ。


「レオン!?」


 彼女は駆け寄ろうとした。だが、床に横たわるレオンの身体から立ちのぼる“何か”に、足が止まる。空気が振動していた。見えないはずのものが見え、聞こえないはずの声が耳の奥を揺らす。彼女の精霊感知の能力が、警鐘のように全身に警告を送っていた。

 これはただの昏倒ではない。何か……もっと根源的な、“存在”に関わる領域のものだ。


「ダメ……これは、触れちゃ……っ!」


 リューシャの唇が震える。彼女の手が触れようとしたその瞬間、逆巻く光と影の粒子がレオンの身体を覆い、拒絶するように弾いた。空間そのものが拒絶するかのように、彼を“外界”から切り離そうとしているようだった。

 そんな彼女の背後で、レティシアは固く唇を噛みしめていた。

 動揺していないわけではない。だが彼女は、──何より、レオンという少年を見守る者として、冷静さを保とうとしていた。

 低く、しかし震える声で呟く。


「……これは、“記録”が動き出した? オーソン・アークレインの遺志……その全てが彼に流れ込んだ」

「レティシア、あまり近づかないで。今の彼は……彼自身じゃない。いや、彼だけの存在じゃない。下手をすれば、精霊との契約すら破壊される」


 彼女の瞳には、恐れと敬意がないまぜになった光が宿っていた。異邦の英雄の魂。それが“新たな継承者”の中で、いま再び蠢いている。そうとしか思えなかった。

 レティシアはその言葉に一瞬たじろぎながらも、レオンの傍から離れようとはしなかった。


「でも、でもっ……放ってなんかおけないよ!こんな顔、見たことない……!」


 レオンの顔には、汗が浮かび、苦悶の表情が刻まれていた。まるで誰かの断末魔を、その心の奥で受け止めているかのように。


「……わかってるわ。だから、私たちにできるのは、彼を信じて待つことだけ。彼が、この記憶の奔流を、超えて戻ってくるのを……」


 そう言いながら、リューシャは静かに精霊魔法の準備をしながら両手を突き出した。万が一、“何か”がレオンを通して顕現した場合、それを滅ぼすために。彼を護るために。


 魔力の波動はなおも荒れ狂い、周囲の空気を変質させていく。

 まるで、世界そのものがレオンの目覚めを──そして、その先にある何かを──予兆しているかのように。



 ──意識が沈む。

 重く、深く、黒の底へと。

 だがその闇は、死の静けさではなかった。むしろ、無数の声と記憶の波が、濁流のようにレオンの意識を呑み込んでいた。

 その中心に──彼は、いた。

 荒れた黒髪。鋼のような眼差し。古びた軍装。手にした剣。絶望感にさいなまれながら、それでもなお、立つことを選んだ男の姿。


「……オーソン……?」


 レオンは思わずそう呟いた。だが返事はない。男はただ、前を見て語り続けている。まるで“幻”のように。


 ──神々は世界を見下ろしている。

 だが、世界を変えるのは、選ばれなかった者たちだ。


 男の声は、どこか切ない。怒りでも絶望でもなく、ただ静かに、深く沁みるような調子だった。


 ──私は英雄ではない。

 神に選ばれたわけでも、讃えられる器でもなかった。

 それでも……私は、背負った。

 世界の汚れを、欺瞞を、理不尽を。

 背負って、斬って、喰らって、そして……記した。


 レオンは走り寄ろうとする。だが、足は地を踏まない。空気の中を漂うように、彼はただ、その場から動けずにいた。


「なぜ……俺なんだ。答えてくれ……!」


 叫んでも、男の背は動かない。レオンの声は、まるで届いていなかった。

 それでも、オーソンの言葉は続いた。


 ──真実は、時に誰かの命よりも重い。

 真実は、時に神よりも残酷だ。

 それでも、知ることを恐れるな。

 お前が辿るその道が、たとえ全てを敵に回すものだったとしても。

 それは──お前だけが行ける場所なのだから。


 その声はやがて、霞む。

 音が遠ざかるように、オーソンの姿もまた、霧の中へ溶けていく。

 レオンは手を伸ばした。届くはずのない幻影に向かって。


「待って……まだ、知りたいことが……!」


 指先は、空を掴んだ。光が砕けるように、男の姿は霧散した。

 だが──その瞬間、確かに最後の“言葉”だけが、耳奥に響いた。


 ──“持たざる者”よ。

 力なき者として拒まれ、名も与えられずに生まれたお前にこそ、私は託す。

 奪うことではなく、背負うことで、世界を変えよ。

 お前は、私の後継者。

 血でも、教義でもない。

 意思を継ぐ者として、選ばれた。


 その言葉は、まるで祈りのようだった。

 そして祝福でも、呪いでもない。

 ただ一つの──決意だった。

 残されたのは、静かな闇だけ。

 だが、胸の奥には確かに何かが刻まれていた。

 憎しみでも、悲しみでもない。

 “覚悟”という名の、言葉では言い表せない熱。


 ──目覚めよ。

 この世界は、まだ終わっていない。


 その最後の囁きが、確かに耳元で響いた瞬間、レオンの意識は──現実へと引き戻されていく。


 レオンが目覚めたのは、それから十日後のことだった。


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