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持たざる者は、世界に抗い、神を討つ  作者: シベリアン太郎


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第91話 〈アーカイヴ・ヴェリタ〉の目覚め

 リューシャは言葉を閉ざし、一瞬だけ思案するように視線を落とした。

 炉の火がぱちりと弾け、木の香りが立ちのぼる。

 そして、ゆっくりと口を開いた。


「……レオン。あの“書”のことを、覚えているかしら?」


 レオンは思わず、背負い袋に触れた。そこには今も、大切に包まれた木箱が納められている。決して大きくはない。だが、触れるたびに“重み”を感じる、不思議な木箱だった。


「〈真なる記録アーカイヴ・ヴェリタ〉……オーソンから、リューシャ様を経て、俺に託されたものです」

「ええ。あれは本来、まだ“読むべき者”が現れていなかったから封じられていた“書”……世界の理に、深く触れる、オーソンの記録よ」


 レティシアが眉をひそめる。


「……それって、まさか禁書級のアレってこと? ちょっとでも間違えたら頭がパーンってなるような……」

「その可能性も、あるわね」


 リューシャは淡々と応じた。


「〈アーカイヴ・ヴェリタ〉は、知識を与える書ではなく、オーソン・アークレインの“記憶と意志を告げる書”。それを読み解けるのは、彼の後継者のみ」


 レオンは、その言葉に静かに頷いた。だが、その胸中には微かな不安があった。


「……実は、これまで何度か触れてみようとしたんです。でも……拒まれているようで。何も感じられなかった」


 握る指先に、ほんのわずかな震えが混じる。

 リューシャはふっと微笑み、柔らかく告げた。


「それは当然よ。あなたが“問うべき時”ではなかったから」


 リューシャは微笑んだ。だがその目の奥には、わずかな緊張が宿っている。


「でも今なら、きっと書も応える。〈門〉に近づいた今、あなたが、己の意志でここに来たのだから。……恐れることはないわ、レオン」


 レオンは袋を取り出し、静かに木箱を膝の上に置いた。

 鈍い光沢の小さな木箱。目を凝らすと、そこに浮かぶ模様が、まるで脈打つように揺らいで見える。


「……読むよ。俺は、この先に進むために来た。なら、逃げたくない」


 レティシアは不安げに彼を見たが、レオンの目に宿る決意に、何も言えなくなった。

 リューシャは小さく息を吐き、立ち上がった。


「では、準備をしましょう。精霊の守りを張るわ。……これは、精神と魂を削る儀式になるかもしれないから」


 外では風が強まり、木々がざわめいていた。

 まるで世界そのものが、〈アーカイヴ・ヴェリタ〉の開かれる瞬間を、息を潜めて見守っているかのようだった。



 リューシャの小屋の奥、精霊の加護が張り巡らされた一室。

 その中央に据えられた小さな机の上に、レオンがそっと木箱を置いた。


「これが……〈アーカイヴ・ヴェリタ〉?」


 レティシアが問うと、リューシャは静かに頷いた。


「ええ。オーソンが託してきた時は、このままだったわ。封印も仕掛けもない。ただ、開けることは不可能。“その時”が来るまで、ずっと沈黙を守っていた……」


 レオンは緊張した面持ちで木箱に手を伸ばした。

 古木で作られた箱には、所々に古代語のような文様が刻まれていたが、それらは擦れていてもう判読できない。

 ただ、箱全体に漂う“圧”は、尋常なものではなかった。触れただけで、指先がほんのわずか震える。

 ──まるで箱そのものが生きているような。

 そう錯覚するほどの、微かに脈打つような鼓動の気配。否応なく伝わる“何か”の存在感。

 やがてレオンがそっと蓋を開けると、そこから現れたのは──彼が考えていたような“書”ではなかった。


「……金属、か?」


 思わず漏れた呟き。

 中に納められていたのは、書物でも巻物でもなく、一片の金属だった。

 それは、見たこともない不思議な材質だった。

 手のひらに収まるほどの大きさ。板のようでもあり、欠片のようでもある。

 だが、明らかに精巧に造られた人工物。表面には極細の線が走り、それが微かに光を帯びていた。

 青とも銀ともつかぬ中間の色が、淡く揺らぐように光を放ち、周囲の空間を歪ませているかのようだった。

 まるで“重力”すら拒むように、宙に浮かんでいるような錯覚を抱かせる──それほど異質で、美しく、静謐な物体。


「これが……“書”?」


 レティシアが首を傾げる。


「見た目はただの金属片……なのに、目が離せない……」

「いえ、これは……確かに“書”よ。紙や文字に記された知識ではない。きっと、オーソンの故郷──異世界の、もっと高度な技術で記録された“情報の媒体”」


 リューシャの声にも迷いが混じっていた。だが、直感だけが告げていた。

 これは知だ。言葉も文字も越えた、純粋な“知”が詰まっている、と。


 金属とは思えぬ滑らかな表面に、レオンは指先を伸ばした。

 それはひんやりと冷たい。だが、すぐにじんわりと熱を帯びてくる。

 触れた瞬間──

 胸の奥、魂の深層が震えた。

 奥底に沈んでいた【原初の力】が、何かに呼応するように動き始める。

 脈動。

 それは心臓の鼓動よりも深く、全身を震わせるような“根源の律動”。

 内側から、力が満ちてくる。

 それは、熱ではない。冷気でもない。

 ただ、圧倒的な存在の波がレオンの内から立ち上がってくる。

 金属片の模様が輝き始めた。淡い光が線を伝い、やがて明滅を繰り返す。


「……っ、なに……これは……」


 レオンの身体が揺れた。

 身体が熱い。

 いや──違う。

 確かに世界の“底”に触れるような感覚。

 気付けば、青白い光が、レオンの身体を包みはじめていた。

 それはまるで、レオン自身が発光しているかのように。

 肌の下から、骨の奥から、何かが灯る。

 視界が──ぐにゃり、と歪んだ。

 レティシアが何か叫んだ気がした。

 リューシャの声も聞こえたような気がした。

 だがもう、届かない。

 レオンの目の前に、眩い光が溢れる。

 青白い光はやがて、純白へと変わっていった。

 青から白へ。白へ。白──。

 世界が色を失う。

 音も、温度も、時間も。

 ただ、白。

 完全なる“始まりの色”。


 ──そして、レオンの意識は、音も重力もない世界の“外”へと、引き込まれていった。


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