第339話 生き様に賭ける者たち
「投資……ね。それは別に構わんが……」
レオンは言葉を切り、続きを飲み込んだ。
なぜ、そこまで自分を高く評価するのか──その疑問は、表情に出ていたのだろう。
アルティレスはそれを見逃さず、ワイングラスを静かに置いた。
先ほどまでの老獪な笑みは消え、真剣な眼差しがそこにあった。
「我々が注目しているもの……それは、君の“生き様”だ」
「俺の?」
「そうだ」
アルティレスは頷き、言葉を選ぶように続ける。
「君は北の大陸の出身だろう。そして──所謂、“持たざる者”だと聞いている」
レオンは否定しなかった。
「だからこそだ。君は痛みを知っている人間だと、我々は見ている」
アルティレスは椅子に深く腰掛け、ゆっくりと語り始める。
「ここ南の大陸に住む者の多くは、北で迫害された者、政争に敗れた者、あるいは一旗揚げようと志して流れてきた者たちだ。中には、犯罪者を祖に持つ者もいる」
低い声が、地下室に染み込んでいく。
「そして、どういうわけか──南ではスキルを授かる率が、北と比べて圧倒的に低い」
小さく肩をすくめる。
「もっとも、連盟は聖教国と対立していて、儀式が碌に行われていないせいもあるがね」
ふん、と鼻を鳴らして続ける。
「だが、それでも北の人間はやってくる。“自分たちこそ神に選ばれた存在だ”と信じて疑わぬ者たちがな。憐れな弱者を導いてやろうとでも言いたいのか」
その言葉には、隠しきれない悲しみと、静かな怒りが滲んでいた。
「君も覚えているだろう? 〈リザード団〉とかいう冒険者たちのことを」
「……ああ、もちろんだ」
「あれは小物だった。だが、同じ思想を持ちながら、はるかに大きな影響力を持つ者たちもいる」
アルティレスの目が細くなる。
「それが〈雷槍の牙〉だ」
「……」
「彼らは全員、北の出身でスキル持ち。加えて、聖教国の神官まで仲間にしている。──典型的な北の人間だよ」
アルティレスは淡々と言う。
「これまでは、その選民思想を表に出してはいなかった。それは決して彼らが人格者だからなどではない。ただ、そのほうが都合が良かったからだ。地位と名声を得るために、な」
ワイングラスが、指の中でわずかに揺れる。
「だが最近になって、隠していた内面が露わになりつつある。原因は──君たち〈星環の誓約〉だ」
レオンは黙って聞いていた。
「四人のうち、二人は“持たざる者”。残りはエルフと獣人。それにも関わらず、Bランクパーティーとして高い評価を受け、冒険者たちの間で評判もいい」
一拍置いて、続ける。
「リッチの討伐。あれは決定的だった。ギルドは、もはや君たちを“単なるBランク”とは見ていない」
アルティレスは、はっきりと言った。
「ガイウスが君たちを目障りだと感じるのも、無理はない」
「……ああ」
レオンは短く息を吐く。
「北の連中には、よくある話だ。うんざりするほどに、な」
「そうだ」
アルティレスは頷く。
「確かに彼らは実力者だ。だが──“与えられた力”に胡座をかいている。一方で君は違う」
アルティレスは、真正面からレオンを見る。
「君は相当な実力者だ。戦闘に疎い私でも、それがわかるほどにね。だが、“持たざる者”の君がそこに至るまでには、血の滲むような努力があったはずだ」
声が、わずかに低くなる。
「だからこそ、ガイウスたちは認められない。“選ばれなかったはずの者”が、自分たちを超えていくのがな」
静かな断定。
「彼らは怖れている。嫉妬し、憎んでいる。君が、己の足で彼らを追い越していくことを」
◆
北の大陸出身。
スキルに恵まれた者たち特有の、歪んだ選民思想。
そして、その力を“与えられなかった”はずの者──レオンのような存在に向けられる、理不尽なまでに強烈な憎悪。
(……まるで、あいつみたいだな)
不意に、過去の記憶が胸を刺す。
腹違いの兄。
アルテイル男爵家の正出として生まれ、正統と呼ばれ、守られる立場にあった男──エリオット。
彼は力を渇望した。
本来ならばすべてを持っていたはずなのに、なお満たされず、焦り、苛立ち、やがて闇に手を伸ばした。
〈黒翼〉に利用されているとも知らず、あるいは知っていても目を逸らし、“力こそがすべてだ”という考えに縋りついた末に──。
最後まで、分かり合うことはできなかった。
剣を交え、言葉を交わし、血を流し。
そして、命を落とした。
あれは復讐ではなかった。
憎しみで剣を振るったわけでもない。
レオンが剣を学び、強くなりたいと願った理由は、最初から別にあった。
(俺は……奪い返すために剣を取ったわけじゃない)
与えられなかった事への怒りでも、過去への恨みでもない。
(ただ生きたかった、この理不尽な世界でも。そして守りたかっただけだ。自分のような見捨てられた存在を)
だからこそ、エリオットと相対したあの時も、迷いはなかった。
それが悲しい結末を迎えるとわかっていても、剣を引くことはできなかった。
(……同じ流れだ)
ガイウスの視線に含まれる悪意は、あの時とよく似ている。
自分より劣っているはずの存在が、己を超えていくことへの恐怖と憎しみ。
(この世界の理の外で生きる、というのは……そういうことなのか)
レオンは静かに考える。
彼は、争いを好む人間ではない。
魔物は別として、理由もなく他者と刃を交えることなど、望んだことは一度もない。
自分に敵意を向けられれば、対処はする。
だが、相手の出自や種族、授かった力の違いだけで敵対する──そんな愚かな真似をする気はなかった。
事実、彼の仲間にはエルフ族がいる。
妖狐族もいる。
ドワーフ族の鍛冶師とは、種族を越えた信頼関係を築いている。
〈灰の谷〉で出会った獣人たちのことも、よく覚えている。
静かで、穏やかで、争いとは無縁の空気に包まれた場所だった。
あの時、レオンは確かに思ったのだ──世界は、本来こうあるべきだと。
だが。
再び、自分の周囲に悪意が集まりつつある。
かつて兄が抱いたものと、同質のそれが。
それを、レオンは見過ごすことはできない。
(……もし、向けられるのが俺だけなら、いい)
だが、仲間に向けられるのなら──話は別だ。
レオンは、守るために剣を取る。
復讐のためではない。
誇りを誇示するためでもない。
大切なものを守るために。
そして、愚かな悲劇を、繰り返させないために。
その想いこそが、彼が剣を握り続ける理由であり、今も変わらぬ、レオンという男の芯だった。
レオンの思考を読み取ったかのように、アルティレスは静かに頷き、最後にこう締めくくった。
「君には芯がある。己を貫く強い意志がある。それは、我々のような者にとって──希望なのだ」
魔道具の灯りが、アルティレスの目を淡く照らす。
「我々が賭けたいのは、〈雷槍の牙〉ではない。君だ。レオン──君の“生き様”そのものなのだよ」
それは称賛であり、宣言だった。
裏の世界が、静かに一人の冒険者を“選んだ”瞬間だった。
◆
夜の街路を、一人歩く。
家へと続く見慣れた道だというのに、レオンの意識は半ば地下へと引き戻されていた。
(……妙な場所に踏み込んだな)
足音だけが静かに響く中、先程の会談の内容が、否応なく脳裏に蘇る。
〈影の帳〉。情報屋組織の幹部、アルティレス。
そして──自分に向けられた評価。
(……ずいぶんと、買われたものだ)
レオンは夜風に当たりながら、短く息を吐いた。
評価されること自体に、悪い気はしない。だが同時に、それは面倒事の始まりでもある。
〈雷槍の牙〉。ガイウス。
そして〈影の帳〉の“投資”。
(だがまあ……)
口元に、わずかな笑みが浮かぶ。
(俺は、俺のやり方で進むだけだ)
そうしてレオンは、再び足を進めた。
──これから避けられぬ波乱を連れて。
◆
「すまん。遅くなった」
扉を開けて声をかけた瞬間、間髪入れずに返事が飛んでくる。
「遅いよ!」
イルが頬を膨らませ、抗議の声を上げた。
「お腹空いたんだから!」
「悪い悪い」
レオンは苦笑しながら謝罪する。
「どこか行ってたの?」
レンリが首を傾げて尋ねてきた。
「ちょっとな。……後で話すさ」
「イル、準備して」
レティシアがそう言うと、イルは待ってましたとばかりに台所へ飛んでいく。
よほど空腹だったのだろう。その後ろ姿を眺めながら、レオンは小さく笑みを浮かべた。
手を洗い、席につく。
ほどなくして並べられた食事に、四人は揃って舌鼓を打つ。
食事を進めながら、レオンは今日起きた出来事──情報屋組織〈影の帳〉、そしてその幹部アルティレスとの地下での会談について、簡潔に話した。
「〈影の帳〉……」
レンリが目を丸くする。
「噂程度なら聞いたことはあったけど……本当に実在するのね」
「すべての情報屋が属してるわけじゃないみたいだぞ?」
レオンが付け加える。
「それで……信用できるの?」
レティシアが慎重な口調で問う。
「まあ、嘘をついているようには思えなかったな」
レオンはそう答え、少しだけ肩をすくめる。
「それに、騙されたならその時はその時だ。高い代償を支払うことになるだろうさ」
「のんきなものね」
レティシアは呆れたように言いながらも、どこか納得した様子だった。
「まあ、レオンがそう言うなら……大丈夫だとは思うけど」
その時、ふと思い出したように彼女が続ける。
「そうそう。ギルドから連絡があったわよ」
「連絡?」
「ええ。明日、来てほしいって。なんでもギルド長が呼んでるらしいから」
手を止め、レオンが顔を上げる。
「ギルド長が? また指名依頼でもあるのかな? まったく人使いが荒いな」
「かもしれないわね」
レンリが頷く。
「まだ魔物絡みの依頼も落ち着いてないし」
「じゃあ……」
レオンは一同を見回し、軽く言った。
「明日、行ってみるか」
レオンは食事を取りながら、胸の奥で静かに思う。
地下で交わした言葉と、これから動き出すであろう歯車が、どこかで繋がっていることを。




